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第三話 ピッケル無双

武器は拾いもの

二つのレベルの説明は次話で

「サクラオオヤシの樹液採集ですか。お二人で、大丈夫でしょうか」


「レベルは問題ないはずです」


「た、たしかにそうですけど……」


 受付の女性は手元の書類に視線を落とす。


 ラフィータ=クセルスアーチ

 表層レベル45

 潜在レベル38


「何も問題はない」


「あ、あなたは入会したばかりで、他の支部に属していたわけでもないのですし……」


「フィーちゃん、どうしたの?」


 年配のギルド職員が受付の女性の隣にやってきた。

 そのギルド職員は口紅の濃い女性で、女性は書類を確認した後で厳しい目つきでラフィータをにらんできた。


「経験があります。何が死に繋がるかは熟知しているつもりです」


 ラフィータは視線を平然とした表情で受け止める。

 女性はため息をついて、その後クエスト用紙にサインをした。


 ラフィータが受領証と納入印紙を受け取る。


「綺麗な顔、傷だらけにして帰って来ないように」


 ラフィータは返事をせずに踵を返す。


「い、いってらっしゃいませー……」


 受付に背を向けるラフィータの耳を覇気のない声が追いかけてきた。










 朝方に生じた霧が目に見えて晴れていく。雲の切れ間からは太陽がのぞき、蒸し暑い一日になることが予想された。


 ラフィータは『まり』に位置する巨大な森の手前に来ていた。


 この森、便宜上『ヘクトールの森』と呼ばれている。

 この森が『溜まり』であると最初に検定した人物の名を借りている。


 『溜まり』の付近にも木々は生い茂っているが、溜まりの木々はそれらとは違う。木の一本一本が巨大なのだ。草花だって同じで、成長というより進化と呼んだほうが相応しい変化の仕方をしている。周囲の森とは生態系そのものが違う、それが溜まりの特徴だった。


「また来たのかお前、精が出るねえ」


 森の手前に作られたギルド名義の建物の中で、ラフィータは腹の出た中年の親父と話し合っていた。親父の手元には納入印紙とクエストの受領証があった。この男もギルドに属する人間で、役割上『運び屋』と呼ばれている。冒険者が狩った魔獣を溜まりの中から運び出し、安全な場所で解体する役目を担っている。


「サクラオオヤシの樹液ね。樽にして五本。期限は明後日の夕方まで。あい、分かった分かった」


 親父は首元をぽりぽりと掻きながら投げやりな口調でそう言う。

 ラフィータとはすでに面識がある。仮所属の時からの付き合いだ。


「腕はあるしね。いいんじゃないの。ほじゃ、いつものこれ」


 親父がラフィータに金属製の輪っかを手渡した。

 ラフィータはそれを腕にはめる。

 輪っかは簡易式の通信機だ。マナを流すことで離れた場所にあるコンパスが反応し、運び屋に冒険者の居場所を知らせてくれる。

 受領証と納入印紙を返してもらい、それを背嚢の中におさめる。


「どうせ今日中に済ますんだろ。こっちから駆り出されるのは何人? 何人でもいいが死なせねえでくれよ。今のドールは結構気にいってるんだ」


「被害は出しません」


「ま、いいけどさ。アーサちゃん死なすんじゃねえぞ。じゃねアーサちゃ~ん、任務頑張ってねえ~」


 親父のだらけた顔にアーサは手を振って応えている。その生産性の無い行為が許せず、ラフィータは無言のまま彼女の手を引いた。








「マスター」


「どうした」


「痒いです」


「刺されたのか。見せてみろ」


 ラフィータは足を止めてアーサの方にかけよる。

 アーサが示したのは首の左側面で、赤くなった皮膚が少しだけ盛り上がっている。

 ラフィータはほっと息をついた。毒性の強い虫に刺されたわけではないらしい。ただの蚊だろう。


 よほどかゆいのか、アーサは首元をぽりぽりと掻きまくっている。


「掻くな」


「でも……」


 アーサが何とも言えない表情でラフィータを見てくる。猫耳がしきりにぴくぴくと動いている。相当痒いようだ。

 彼は小さくため息をついた。


「分かったよ。少し待ってろ」


 ラフィータは背嚢から手のひらサイズの小瓶を取り出した。

 小瓶の中には白い粉末が入っていて、蓋の方には小さな刷毛がついている。


 瓶を開けて蓋を手に取り、刷毛をアーサの首元にぽんぽんと二、三度押しつける。

 粉末が患部に付着したのを確認すると、ラフィータは小瓶を背嚢にしまい、ついで別の小瓶を取り出した。

 取り出した小瓶には軟膏が入っていた。ラフィータは軟膏を指で一掬いし、それを患部に丁寧に塗る。今も流れるアーサの汗で流れ落ちないよう、少しだけ多めに塗った。


「虫刺され全般に効く薬だよ。本当は痛みを伴う場合に使う物だけど。じきに痒みは治まる。それまでは我慢するように」


「ありがとうございます」


 アーサは嬉しそうな笑顔でそんな事を言う。

 ラフィータは言葉をなくして固まった。

 珍しい表情だった。アーサは感情を顔に出すことが少ない。そもそも彼女は生まれたばかりで感情自体が希薄なため当たり前の事だが、だからこそ今のような表情を見せたことにラフィータは驚いてしまう。


 アーサが首をかしげた。


「マスター?」


「あ、いや、何でもない」


 マナを使用して皮膚表面を硬化していれば虫に刺されることはないはずなので、これはアーサの怠慢と言える。

 ラフィータはその点を指摘するつもりでいたが、機嫌良さげに尻尾をぶんぶんと振るアーサを見ているうちに怒る気力も失せてしまった。


「ここから先はいつ魔獣と遭遇するか分からない。注意を怠らないように」


「はい」


 ドールの成長を肌で感じつつ、ラフィータは道を急ぐ。

 気温は上昇し続けている。太陽が中天にさしかかろうという時間帯だった。

















(近い。情報通りだな)


 サクラオオヤシが出す特有の甘ったるい匂いがあたりに漂っている。


 ラフィータは体中にしのばせた魔法陣が正確に起動するか確認していく。


 それからしばらく歩を進めると、花をつけた美しい木々が生えそろう場所にたどり着いた。


「アーサ、事前の打ち合わせ通り行く」


「はい」










 サクラオオヤシ。『溜まり』に生息する木々の一つで、一年のほとんどの期間に桃色の花を咲かせているのが特徴的である。

 今回ラフィータが採集をもくろむのはこの木の樹液である。

 サクラオオヤシの枝は他の木々の違って樹皮が柔らかい。この木の枝は樹皮のすぐ下に白い樹液を溜め込んでいるのだ。そして、この樹液から麻酔作用のある物質が精製できるため、サクラオオヤシの樹液は比較的高い値段で取引されている。


 それなら誰だって樹液の採集に勤しむように思えるが、この木の周辺にはそれを許さない存在がたむろしていた。


(ひふみ……。フィジーズが十三匹、少し多いな)


 いわゆるゴリラがサクラオオヤシの周辺をうろついている。

 フィジーズと呼ばれる魔獣だ。

 ゴリラと言っても凶暴性はゴリラの比ではない。毛並みは緑色で、頭にはねじ巻いた角が二本生えている。体高はラフィータの胸に満たない大きさだが、太くたくましい剛腕は並みの冒険者を一撃で気絶させるパワーを秘めている。


 この魔獣、なぜサクラオオヤシの周りをうろついているかというと、サクラオオヤシの樹液の虜になってしまっているらしい。樹液は加工せずに飲用すると麻薬のような効果をもたらす。このためサクラオオヤシの周辺には依存症を起こした魔獣がうろつき、縄張り争いをするようになる。


 今回のサクラオオヤシはフィジーズの縄張りらしく、他の魔獣は見あたらない。


(レベルの高い個体は……、あいつか。ボス的な何かだろうな)


 ラフィータはサングラスのようなものを装着していた。

 それはスカウターと呼ばれる器具で、魔獣のレベルの高低を色分けして教えてくれる便利な代物だ。


 スカウターを外し、再度肉眼で目標を確認する。


 アーサに合図を送る。

 ドールは手で了解のサインを送ってくる。


 息をふっと吐く。

 体中を巡るマナの流れの全てを掌握し、身体能力を強化していく。

 背中にくくりつけてあったピッケルを右手に持ち、腰から引き抜いたククリナイフを左手に持つ。


(行くか)


 ラフィータが降下する・・・・


 上空から迫り来る影を魔獣が察知するより前、

 群れの中央に鉄の刃が降り落ちる。









 サクラオオヤシの枝から飛んだラフィータは落下途中にもかかわらずピッケルを振りかぶる。

 着地の瞬間、落下の速度を上乗せした一撃がフィジーズの脳天に突き刺さった。


 叫び声すら上げずに魔獣が一匹絶命する。


 フィジーズの間に緊張が走る。

 転落してきた突然の来訪者を前に、彼らは刹那のまごつきを見せる。


 それを見逃すラフィータではなかった。


 ピッケルを魔獣の頭蓋から引き抜き、近間にいた次の獲物に飛びかかる。


 雷撃のようなスピードだった。

 魔獣は発達した腕で頭部を守ろうとしたが追いつかない。

 腕が上がる前に刃先が脳髄に達し、魔獣は痙攣しつつ地に倒れ込む。


 頭部が陥没した仲間が二匹、

 フィジーズは目前にたたずむ冒険者の危険性を把握した。


 群れの一匹が腕を振りかぶってラフィータに殴りかかる。

 それと同時、もう一匹が異なる方角からラフィータに突進を仕掛ける。


 連携はフィジーズの十八番だった。

 単体での戦闘力はさほど高くないこの魔獣。しかし冒険者の間では危険視され、遭遇をうとまれる傾向にある。

 原因は連係攻撃の巧みさにあった。一匹を仕留めるその間にもう一匹が冒険者を攻撃してくる。

 一瞬でも気を抜けばそれが命取りになる。

 発達した丸太のような腕による一撃が冒険者をみまう。倒れ込んだら最後、立ち上がる間もなく袋だたきに遭い、死に至る。


 魔獣の攻撃がラフィータに迫る。


 回避不能な連撃を前にして、

 ラフィータは上に跳ぶ。


 異常な跳躍だった。

 四メートルほど跳び上がった彼の体は何かに吸い寄せられるような奇妙な軌道を描き、

 そしてサクラオオヤシの幹に着地する・・・・


 ラフィータは垂直に反り立った幹に足をつけて座り込んでいる。

 この奇妙な絵面は二つの魔法によって生み出されている。

 一つは吸着魔法。

 ブーツの裏に仕込まれた魔法陣が樹皮とブーツとの間に引力を発生させている。

 もう一つは収縮魔法。

 ラフィータの腰から伸びた糸は彼が足場としていたサクラオオヤシの枝にくくりつけてある。魔法によって糸を収縮させ、自分を吊り下げているのだ。先ほどの異常な跳躍も糸が収縮する力を利用したものである。


 攻撃が空振りに終わり、フィジーズは頭上にたたずむ冒険者を憎々しげに睨みつけている。

 攻勢には出ない。警戒心が高まっている。

 頭上の有利、地上の不利を本能で悟っているのか。


 ラフィータはピッケルの刃とククリナイフの刃を打ち合わせ、カンカンとやかましい音を鳴らす。

 フィジーズの注意がラフィータの元に更に集中する。


 次いで、彼はククリナイフの刃を振りかぶり、

 それをサクラオオヤシの幹に勢いよく叩きつけた。


 魔獣がいっせいに色めき立つ。

 フィジーズはラフィータの待つ幹に一斉に群がり始めた。


 サクラオオヤシを傷つける行為は一種の禁忌である。

 樹液に取り憑かれた魔獣はこの樹を攻撃されることを何より嫌う。

 ラフィータはサクラオオヤシの虜となった魔獣の逆鱗に触れたのだ。


 仲間が死んでも冷静さを保っていたフィジーズが激情に身を任せて突撃してくる。


 ラフィータの狙い通りだった。


 まず一つ。このサクラオオヤシ、幹周りがさほど太くない。

 フィジーズの大きな図体では一匹ずつしか登ってこれない。同じ高さを同時に登ろうとすれば腕がぶつかって互いの邪魔になってしまう。

 一対多が売りのフィジーズの、最大の鬼門となる連撃を不可能にする。


 もう一つ。糸に支えられたラフィータの視点から見れば、これは地上戦となんら変わらない。サクラオオヤシの幹を足場にして、細い橋の上で『前』から向かってくる敵を一匹ずつ葬り去るだけ。


 対してフィジーズは違う。魔獣は常に両手で幹を掴んでいなければならない。大きく振りかぶって殴りかかろうとすれば体を支えられず転落してしまう。


 ピッケルが血に染まっていく。

 幹に抱きつけば自然と頭が低くなる。

 機動性の半減した魔獣などただの的でしかなかった。


 一匹の頭蓋をピッケルで貫き、死骸を真横に振り落とす。

 はがれ落ちたフィジーズの後ろから現れた新たな個体を同様の手順で骸に変える。


 フィジーズは攻勢をやめなかった。幹に張りついたまま絶命したフィジーズの横を通り抜け、別の個体が襲いかかってくる。


 ラフィータは糸を収縮させ、同時にバックステップをする。

 開いた間合いを詰めてくる個体をククリナイフで牽制しつつ、隙が生じた瞬間すかさず頭蓋にピッケルをたたき込む。


 死んだフィジーズが落下して、別の個体の視界を塞ぐ。

 死骸がフィジーズの目の前を滑り落ちていき、視界が開ける。

 いざ攻勢に移ろうとしたフィジーズの頭上に血糊を帯びた刃が降り落ちる。


 ある個体がラフィータの立つ面の裏側から幹を登っていく。

 死角からの攻撃を察知したラフィータは、鋭い爪が足をえぐる直前に幹に対して垂直に跳んだ。


 糸に吊られたラフィータは空中で糸を収縮させて更に高度を上げる。

 彼は危なげなく幹に着地したのち、突然幹の上を走り出した。


 登ってきたフィジーズをピッケルで迎え撃つ。

 落下の勢いを乗せた一撃で沈める。


 その勢いを失わぬまま二撃目にうつる。

 下にいたフィジーズが壮絶な悲鳴を上げながら落ちていく。


 残るフィジーズは五匹となる。

 魔獣はもう幹を登ってこない。


 ラフィータはククリナイフで幹を強打したが、反応はにぶかった。


(数は減らした。頃合いか)


 ラフィータはククリナイフで腰の紐を切断する。

 同時に幹を蹴って、魔獣の頭上を軽やかに舞う。


 フィジーズは冒険者が落下する様を見つめていた。

 敵が地に下りてくれば反撃の芽もあると考えた個体もいただろうが――――


 冒険者の着地を待ち望むフィジーズ達を絶望が襲う。


 突如、空間が青く染まる。

 宙を舞う冒険者の周辺が青く光っている。


 ラフィータは手甲の下にしのばせた魔法陣を起動させていた。

 彼の周辺に噴出されたマナが性質変化し、バチバチと音を立てる。


(四の章十五、『フィロスの鉄槌』)


 紫電が空間を占領する。

 雷撃はフィジーズを通じて大地に流れていく。

 激痛がフィジーズを襲った。


 ラフィータは魔法を即座に停止する。

 着地した彼に襲いかかる魔獣はいない。どの個体も痛みにもだえている。


 ラフィータは近くにいたフィジーズの頭蓋をピッケルでかち割り、別の個体の首をククリナイフでえぐり落とす。


(残り三)


 痛みから立ち直った個体がラフィータに掴みかかってくる。

 別の二匹は地に伏せたまま。

 連撃を恐れる必要性はない。


 無造作に振るったククリナイフがフィジーズの腕を切り裂く。

 切断するには至らない。皮膚をえぐった程度だ。さすがに硬いなとラフィータは渋い顔をする。


 フィジーズが再度飛びかかってくる前に、

 ラフィータは敵に接近しつつククリナイフを振り上げた。


 防御動作をとるフィジーズ。仲間から得た教訓だろう、即座に腕を上げて頭部を守ろうとする。


 ククリナイフはフェイクだった。

 ラフィータはピッケルを下から振り上げる。

 頭部のみを守るフィジーズの、がら空きとなった柔らかな喉元に刃が突き刺さる。


 ラフィータはその場で立ち止まって手を挙げた。

 茂みからアーサが走り出てくる。


「マスター、お怪我はありませんか」


「大丈夫だよ。それよりアーサ、できるね」


 ラフィータは痛みで片足を引きずっているフィジーズを指さし、ドールに問う。


 アーサは頷いた。


「武器、どっちがいい」


「こっちです」


 ラフィータは要求通りアーサにククリナイフを手渡す。


「しっかり身体強化をすること。マナをケチらない。マージンはしっかり取れ」


 昏倒しているフィジーズにとどめを刺しながら、ラフィータは言葉を続ける。


「突進は横にとんでかわす。掴まれないよう間合いには十分注意する。いいね」


「はい」


 アーサがジリジリとフィジーズに近づいていく。

 その様子を注意深く見つめながら、平行してラフィータは身につけていた腕輪にマナを注ぐ。

 

 『運び屋』に連絡をしているのだ。

 間もなく彼の配下のドールがこの場にやって来る。

 守る者なきサクラオオヤシの樹液は専用の樽に収められ、加工業者の元に送り届けられることになる。


 と、アーサが動いた。

 アーサはククリナイフを振りかぶり、フィジーズに突撃する。

 フィジーズは太い腕をなぎ払うことで突進を防ごうとした。


 アーサの狙いはそれだったらしい。

 アーサのスピードが一段階遅くなる。


 防御が空振りに終わったフィジーズの胸元にアーサが突っ込む。

 主人の戦いから学習したのか。柔らかい喉元を狙った一撃が綺麗に決まる。


 フィジーズが叫び声をあげて暴れる。

 身軽なアーサははじき飛ばされてしまう。


 肝を冷やして駆けつけたラフィータの目にアーサの笑顔が映り込む。


「マスター、やりました」


 ラフィータはアーサを抱き起こし、その額にデコピンをくらわせた。


「満点にはほど遠い。どうしてすぐ離れない。武器だって手放して、もしもう一匹いたらどうするつもりなんだ」


「あ……」


 ラフィータは倒れ込んだフィジーズの首からククリナイフを引き抜き、軽く血糊を拭き取ってから鞘にしまう。


 アーサは地面に座り込んでいた。

 猫耳が垂れ下がっている。相当へこんでいるようだった。


 ラフィータはアーサに持たせていた背嚢から布地を取り出し、水筒の水で濡らす。

 不思議そうに見上げてくるアーサの、その血にまみれたほっぺを布でゴシゴシと拭いてやる。


「アーサ、失敗は次に生かすこと。いいね」


「ふぁ、ふぁい」


「黙って。ちょっとじっとしてて」


 髪に付着した血の酷い部分だけを拭き取る。その後首元まで丁寧にふいてやり、あとは自分の顔を軽くぬぐう。

 ラフィータは返り血を浴びていない。ほとんどの戦いでフィジーズの上をとっていたからだった。


「マナの使い方は大分さまになってたよ。その点は褒めてあげる」


 アーサの猫耳がぴんと反り立つ。


「間合いの見切り方もよかったし。柔らかい部位を集中して狙ったのも悪くない。僕のやり方を真似たの?」


 アーサがコクコクと頷く。

 尻尾がばさばさぶんぶんと振られている。


「…………」

 内心ですごく迷った末、ラフィータはアーサの頭を手で撫でてみる。


 アーサは黙ってそれを受け入れている。

 彼女は目を細めてくすぐったそうな表情をしていた。


 嫌がられてはいないようだ。ラフィータは少し安心する。


「駄目なときは何度でも叱ってあげるし、いいときは何度でも褒めてあげるから。次もまた頑張ろう」


「はいっ」


 アーサは笑顔でこたえてくれた。


(これでいい、のかな……)


 褒めて伸ばすのがアーサには合っているのだろうか。


 出会った当初、実はラフィータは彼女を叱ってばかりいた。

 その頃のアーサは指摘されたことが直せず、彼は主人として頭を抱えていた。

 それが最近、叱ることを止めて良いところを褒めるようになってから、教えたことの八割を吸収してくれるようになったのだ。無論二割のミスは問題ではあるが、大きな進歩であることにかわりはない。


(この方針でしばらく様子を見てみよう。うん……)


 ラティスの実をククリナイフでかち割りながらラフィータはため息をつく。

 褒めるのはラフィータの性に合わない。

 ラフィータ自身褒められた経験があまりにも少ないため、褒め方がそれでいいのか不安になってしまうのだ。


 それからしばらく時間が経つ。

 あたりにまいたラティスの実が魔獣を近寄せないとはいえ、魔獣の生存区域でじっと待つのは心臓に悪い。


 ラフィータはアーサに昔話をして時間をつぶしていた。

 聖剣を持った騎士が魔物をやっつけてお姫様を救い出す、ありがちな騎士物語だ。


 その後は大地に呑み込まれていくフィジーズの死骸に興味を持ったアーサに、魔獣の死骸は生物大陸にすぐさま呑み込まれることや、だからこそ魔獣の素材を収集する際は死骸を地面に付けないまま加工することなどを説明していた。


 この事実を知らないと言われたとき、ラフィータはひどく驚き、そして納得した。

 ギルドに仮入会していた際は魔獣の討伐クエストのみを選んでおり、討伐した証となる死骸が大地に呑み込まれてはいけないということで死骸を全て紐で釣り下げていたのだ。アーサが知らないのもわけなかった。


「お疲れ様です」


 そうこうしているうちに、待ちわびた『運び屋』がやってきた。

 計六人のドールである。健康な青年男性で、全員が背中に樽を背負っていた。


 サクラオオヤシの樹液を手分けして搾り取る。

 樽が一杯になったところで帰投の準備に入る。


 日が暮れ始めていたため皆急いだ。


 帰りはドール達を先頭にラフィータ達がその後に続く。











「お、帰ってきたか。怪我ねえかよ」


「大きなものはありません。アーサも無事です」


「良かった良かった。樽も満杯みたいだし。やっぱおめえ良い腕してるねえ。んなに若えくせによう」


 昼間に顔を合わせた親父がにやつきながらラフィータの頭を小づいてくる。


 何故か親しげなその手を振り払い、ラフィータは親父に納入印紙を突きつけた。


「可愛い顔してつれないやつ。何だよ、暇なんだよ。仲良くしようや」


「な、仲良く? あの、早くサインをお願いします」


「あいあいよ。分かった」


 親父は納入印紙にサインをし、判子を押した。

 印紙の切れ端がラフィータに差し出される。


 次いでラフィータはクエストの受領証を親父に差し出す。

 親父は専用の器具に受領証を差し込む。受領証の中に書かれた魔法陣に式を書き足しているのだ。式の書き足しは専用の器具がなければ不可能であるのに加え、書き足す式は日によって変えられる始末だ。不正は許されない。


「なあ、ラフィータよう」


「はい。なんでしょうか」


 式の書き足しには時間を要する。親父は器具に目を向けたままラフィータに語りかけてくる。


「別に俺と仲良くしろとか、そんな年甲斐もないことは言わねえけどよ」


「言ったじゃないか。確かに聞いたぞ」


「いや、まあ、そうだけど。その、んじゃあれだ。お前、クエストの自慢とかしねえの?」


 ラフィータは首をかしげた。


「冒険者達がクエストから帰ってきてよ。武勇伝っていうの、あれ聞くの俺、好きなんよ」


「はあ、そうですか」


「でよ、俺がそういう話を聞くの、皆知ってるからさ。あいつはどんな戦い方をするんだ、とか俺に聞きに来る奴が結構いるわけ。いやもちろん、そんなぺらぺらとは話さねえけどよ、そこらへんはわきまえてる」


「何が言いたいのでしょう」


「ぶっちゃけ言うと、お前有名になるよ、絶対。その若さでその腕。今日のフィジーズだって、お前がどうさばいたのかは知らねえけど、普通はパーティーを組んで取りかかるもんだろう。ドールがいるとは言え、なあ。

 で、俺がこの先名の売れたお前のことを聞かれた時、クエストのこなし方とかをまるで話せねえと、『運び屋』の親父にすら何も話さねえ陰気野郎っていう事実と違う人物像が出回るようになるわけ。俺がそう言うんじゃねえからな? いい?」


 ラフィータはため息をついた。


「まあ、気持ちは分かるけどよ。俺なりの忠告ってやつだ」


 ラフィータは頬を掻きながら親父の方を見て、ぎこちなく微笑んだ。


「分かりました。次回からは話を考えながら帰還しようと思います。今日はもう遅いので、許してください」


「おう。んじゃこれ」


 親父が差し出した受領証を受け取る。


「お前が話してくれた分は、俺も知ってることをお返しに話すよ。めぼしい冒険者についてはもちろん。『ヘクトールの森』の魔獣や地形なんかは下手な冒険者より知っているつもりだ」


「はい。もしかしたら力をお借りすることがあるかもしれません。そのときはよろしくお願いします」


「んー、んー。お前のことは結構気にいってんだ。見てるとわくわくする。アーサちゃんもかわいいしな。じゃ、夜道に気をつけるんだぞ~」


 ギルドの館をあとにする。

 日はすっかり沈んでいた。


(あの親父め、すっかり暗くなったじゃないか)


 ラフィータは思案した。


 拠点であるハクマの街へ帰るのはいい。

 問題は帰る手段だ。


 徒歩で帰る場合、闇討ちの恐れがある。

 ラフィータが持つ書類はいわば金との引換券である。

 無論、ギルド証によるマナの生紋確認が必要なため報酬は支払われない。

 見返りが無い上、厳罰に処される行いである。


 レベルの高い冒険者はまずそんなことに手を染めないし、稼ぎがあるので染める必要もない。

 金に飢えた低レベル層はそもそもラフィータの相手にならない。


 というわけで危険視する要素はないのだが、アーサも連れている手前、慢心は出来ない。


「アーサ、今日は馬車に乗って帰るよ」


「馬車ですか」


「うん。この時間でも出てたはずだから」


 馬車の停留所を探すこと五分、

 馬車を待つこと二十分。


 金を先払いし、幌馬車に乗り込む。

 ラフィータ達の他に客は一人。駆け込むように乗車してきた。


「あなたもクエスト帰り?」


 女だった。体格からして成人しているが、その割りに声が若々しい。


「ええ。そうです」


 女は驚いた様子でラフィータを見てくる。


「どうかしましたか」


「あ、ごめんね。暗くて、てっきり女の子かと思っちゃって」


「男です」


「ねえ、どんなクエストを受けたの?」


「サクラオオヤシです」


「ああ、あれね。大変よね。魔獣を引き離して、樹液が樽にたまるのをじっと待つのよね。魔獣が帰ってきたら距離を置いての繰り返し。報酬はそれなりだけど、面倒くさくて私いやだな」


「そうかもしれませんね」


「ん、あれ。あなたパーティーはどうしたの。もしかして二人?」


「え、いえ。私は……」


「ああ、森手前の宿営所に泊まるのね。うんうん、私も考えたんだけどさあ。男を煮詰めたような匂いが大嫌いで、結局一度も泊まったことないなあ。ほら、女一人じゃ襲われそうだし。せめて個室があればねえ……」


「それについては同感です。私も今日は連れがいるので、気が引けて遠慮した口ですね」


 ラフィータは隣のアーサを視線で示した。


「やっぱり!? そうだよね。あそこは魔物の巣窟だって聞くし、男ですら襲われるとか。……ところで、失礼だけどその子、もしかしてドールだったりする?」


「はい。アーサと言います」


「アーサちゃんっていうの。へえ! 可愛いドールだね。ホントにお人形さんみたい」


 女は身を乗り出してアーサのほっぺをべたべた触りだした。指でつついたり、引っ張ったり。

 アーサは急なことに驚いたのか、目を見開いたまま固まっている。


「本当に可愛い……。生後どのくらいかしら」


 女はアーサの体に手を伸ばし始めた。

 その遠慮のないさわり方にアーサの表情がみるみる曇っていく。


「間もなく一月です」


「あら生まれたばかりじゃない。若い若い。いいわあ。このお肌とか、見事に嫉妬しちゃう」


 と、アーサが女の手を払いのけた。


「やめてください」


 アーサは冷たい表情で女を見すえた後、

 ラフィータに抱きついてきた。


 動揺したのはラフィータである。

 彼はアーサの行動の意味が分からず、「お、あ、え?」と無意味な単語をつぶやいている。


「え、え、ええ……。あなた達、そういう関係。いや、いいけど」


 何がいいのだろうとラフィータは思う。何もよくない。


 と、アーサがラフィータをさらに強く抱きしめてきた。

 何のアピールだとアーサに怒鳴りつけたい衝動が沸き上がる。


「あ、熱熱ねえ。美男美女に、見せつけられちゃった……」


「勘違いをなされている。アーサ、離れろ」


「や」


「ううん、隠さなくてもいいんだって。ドールだって教育すれば立派な人間になるって知ってるし。私ドールを差別とかしない人だし」


「誤解だと……」


「近頃は多いって聞くしねえ。ドールとそういう関係になる人。差別主義の人、減ったよね。何でだろう」


「話を……」


「ドールって忠実だしね。男はやっぱりそういう女の子がいいのかなあ。ねえ知ってる? 南の方じゃドールと結婚できる地域ができたみたいよ。人口を増やす目論見の政策だったらしいけど、大当たり。移住希望者があとを絶たないんだって」


 ラフィータは気づいた。

 この女、ラフィータの話を聞くつもりなどない。

 彼女の目尻には涙がにじんでいた。


「羨ましいなあ。ま、私には縁がない話なんですけどね! ね! この年で冒険者なんてやんちゃして、未だにソロだし! 男運ないし! あはは! あっははははははは!! 羨ましいなあ!!」


 ラフィータは舵取りを諦めた。

 女は今にも発狂しそうだがラフィータの知るところではない。


 振りほどこうにも離れないアーサの抱擁も、ラフィータの知るところではない。


 せめて心を落ち着かせようとして、彼は空を見上げた。

 あいにく幌布しか目に入らない。


 馬車は道を行く。

 時間は永遠にも感じられる。

 目を閉じたラフィータの耳に届く絶叫がすすり泣きに変わる頃、馬車が石畳みを踏んで車体ががたりと揺れた。

 それが森入り口とハクマの中間に位置する石橋だと気づいたとき、彼は残る道のりの長さに神を呪わずにはいられなかった。

次話で触れられますが、一応軽い説明。

冒険者は体内に溜め込んだマナで身体強化し、魔獣を狩ります。魔法も体内マナを多量に必要とします。

体内マナは魔獣を狩ることで補充することが出来ます。

魔獣を狩るのに体内マナを使い過ぎると、魔獣を倒しても体内マナの収支的にマイナスになってしまいます(表層レベルが下がる)。マナがなければ仕事が出来ません。なので、いかにマナを使わず魔獣を倒すかが冒険者の資質の一つになってきます。多量のマナを必要とする理由からラフィータは雷撃を最後まで出し渋り、発動後すぐに魔法を停止させました。

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