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第二十話 好きってなあに?

更新途絶えてすみません。ソシャゲの闇に飲まれていました。


次話でこの話が終わったら章末のボス()が出てきて一章終わり。多分さらっと終わります。

「あの……その……」


 ラフィータの正面に一人の少女が立っている。髪型は亜麻色の髪を後ろで縛ったポニーテール。目鼻立ちはわりとくっきりしている。衣服はギルド職員が着用する制服で、細身ながらも出るとこは出た体型を見れば彼女が冒険者の間で人気になるのも納得できる。


 エルフィー=シャンク。彼女の名はそういった。ギルドの受付嬢であり、危険なクエストばかり受けるラフィータとはたびたび衝突したことがある。心配から来る注意だとは知っていたが、ラフィータが注意をまともに聞くことはなかった。


 ラフィータはそんな彼女に呼び出された。夕方、クエストを終えてギルド館に帰還した直後のことだった。突然受付から席を外したエルフィーがラフィータの前に歩み寄り、ギルドの裏手で待っていてほしいと告げてきたのだ。


 ラフィータは首を傾げた。最近のエルフィーは小言が少ないなとは思っていたがそれは単に溜め込んでいただけで、今夜それが爆発するのかもしれないと彼は身構えた。「フィーちゃん、ついにか……」とキースが意味深につぶやいていたが、ラフィータは今になるまでその意味を理解できなかった。


「……に行きませんか」


 エルフィーは小さな声でそう言った。彼女は下唇を噛んだままうつむいている。その頬は熟したりんごのように赤く染まっていた。あたりの景色はもう暗がりに溶け込み始めているというのに、それをものともしない赤さだった。


「もう一回、いいですか」


 ラフィータがエルフィーに問う。

 彼には聞こえていた。が、彼女の言葉がにわかには信じられなかった。


「だから……。お祭り、その、一緒に……。見て回りません、か」


「…………」


 ラフィータは一度深く息を吸って、静かに吐き出した。


 エルフィーがちらっと上目遣いでラフィータの表情を窺ってくる。面と向かって見ることは恥ずかしくてできないらしい。ラフィータは背中に手を回して垂れた髪をいじった。どうしたものだろう。どう断ればいいのだろう。ラフィータはしばらく考え、ようやく口を開こうとしたが――――。


 彼は開きかけた口を閉ざした。


 彼の視界に映るものがあった。建物の影から半身だけを出した集団はギルド職員の群れだった。エルフィーの同僚なのか、女性ばかりである。エルフィーからは死角になって見えていない。ラフィータはいわゆる野次馬だろうと思ったが、違った。集団の数人がラフィータに向けて木の板を掲げていた。板には文字が書かれていた。


 ――断ったら殺す――

 ――挽肉のミンチ――

 ――エルメスがどうなってもいいのか――


 歳のいった女職員達が鬼のような形相でラフィータを睨みつけている。


「なんて野蛮な……」


 ラフィータは思わずつぶやいた。


「え」


「なんでもないです。それより、そうですね。もうすぐお祭りか……」


 ラフィータは内心の焦りを隠しつつ適当に相づちを打っておく。


 彼は断りたかった。エルフィーが誘ってくれるのは嬉しくはあるが――――


(うーん……)


 ラフィータは振り向いて背後を確認したい衝動にかられた。そこには猫耳の少女がたたずんでいるはずだ。アーサが今どのような気持ちでいるのかラフィータには分からない。お祭りの件はアーサにも話していて、彼女がそれを楽しみにしていたのをラフィータは知っている。ここでエルフィーの話を快諾してしまったらアーサに嘘をつくことになる。

 それに何より、ラフィータだって出来るならアーサと一緒にーーーー。


 でも、エルフィーの誘いを断るうまい理由を思いつくわけではなかった。アーサと一緒に祭りを見るのでといって断るのは最悪だ。女性の誘いを断って女のドールと祭りを見て回るなど、どんな噂をたてられるかしれたものじゃない。ギルド職員からの圧力もあるし、ラフィータの考えは行き詰まってしまった。


「ラフィータさん……?」


 エルフィーの声にラフィータは我に返った。


「ごめんなさい。少し考え事を……」


「や、やっぱり。迷惑、でしたよね。ごめんなさい」


「そんなことないです。でも、そうですね。今すぐにお答えすることはできません」


 ラフィータは一呼吸置いて、次のように述べた。


「明日、ちゃんと返事をします。ギルドの方に顔を出しますので、そのときに」


 ラフィータはエルフィーに一礼した。視界の隅でギルド職員達が悪鬼のような表情を浮かべているのが分かったが、ラフィータの答えは変わらなかった。


「わ、わかりました……」


 エルフィーが顔つきに落胆の影が差したが、それはすぐ笑顔に上書きされてしまった。ぎこちない笑顔だったので違和感はかさ増しされたが。


「失礼します」


 ラフィータは踵を返してその場を後にした。


















「私だって、マスターが好きです」


 アーサは少し強い口調でそう言った。


「や、でもね。それ多分……」


 アーサの目の前でキースが頭を掻いている。彼女とは色違いの黒い猫耳がせわしなくぴくぴくと動いていた。


 ギルド職員の女の子にラフィータが呼び出された直後の事であった。彼女の主人はキースにアーサのことを頼み、一人でギルド館の裏手に行ってしまった。アーサとしてはラフィータに着いていくつもりだったが、彼女の主人はそれを許さなかった。それで言いつけ通り館の中で待機していたのだが、なぜだろうか。アーサの心は不安にさいなまれた。理由は分からない。ただただ落ち着くことが出来ず、アーサは自分のほっぺをつまんだり白い尻尾を手で握ったりを繰り返した。


「好きっていうのは二種類あるんだよ」


 なぜラフィータが呼び出されたのかをキースに聞くと、『告白』とか『好き』とか、よく分からない返事が返ってきた。言葉の意味は分かる。告白は相手に何か隠し事を打ち明けることで、好きは好きという感情だ。でも、その二つがアーサの中では結びつかなかった。どうして『好き』が隠し事になるのか。それを伝えるのに、わざわざギルドの裏手までいかなければならないのか。いつもは丁寧に答えてくれる主人も今はここにいない。


「好きが二種類、ですか」


「うん。一つはね、親愛の情ってやつ」


「しんあい、のじょう……」


「例えば、そうだね。友達を好き、とか。家族を好き、とかかな。人間が誰にでも抱ける気持ち。で、これとは別にもう一つ。それがエルフィーがラフィータに打ち明ける気持ち。いわゆる異性を好きってこと。恋だよ恋っ」


「……?」


 アーサは眉根をよせて悲しい表情をした。キースの話がまったくピンとこない。


「分かりづらいかなあ。まあ、とりあえず。アーサちゃんの気持ちは親愛の情だと思うわけ」


 親愛の情って、つまりは誰にでも抱く気持ちで。

 この気持ちは、ラフィータへの気持ちは特別じゃない?


 そんなはずない。


 アーサがむっとして口を開こうとしたら、先にキースが言葉を重ねてきた。


「だってさ、アーサちゃんを見てる限り、ラフィータに抱きしめられてもドキドキとかしないでしょ。嬉しくなって、それだけだと思うんだけど。どうかな」


 アーサはキースの言葉を否定できなかった。


「ラフィータのことを男として好きって言うなら、ドキドキするよ。もっとラフィータに近づきたいって思うし、自分にも近づいて欲しいと思う。ここで注意するのは動機。いい? 動機が重要なの。嬉しくなるからとか、安心するからとかじゃないよ。もっとこう、なんだろ。ね、腰の辺りから湧き出すような……。に゛ゃっ!?」


 エルメスがキースの頭に拳骨を落とした。


「にゃにすんだ!」キースが頭を押さえたまま涙目で非難した。どうも舌をかんだらしい。


「駄猫、話が脱線している。あー、ごほん。アーサ、今、二つ話が出てきた。順に話そう。まず、好きには種類があるという事について」


 アーサは真剣な顔つきでエルメスの言葉に耳を傾ける。


「キースは二種類って言ったが、そんなことはない。アーサ、考えてみろ。例えばお前はミランダのところのコジャッタが好きだな」


「え、はい。とっても美味しいです」


「で、ラフィータのことも好きだと」


「はい」


「じゃあ、その二つの好きは、同じか?」


 その問いかけにアーサは言葉なく固まった。彼女はしばらく考えてから首を横にふった。


「……違うと、思います」


「つまりだ。お前は食べ物の好きとラフィータの好きを区別できている。俺たちはそこに加えて、親しい人を好きという感情と、異性を好きという感情も区別できる。お前はまだその感覚が分からないだろうという話だ。どうだ。少し理解できたか」


 アーサは頷かずにはいられなかった。自分がまだ不勉強なのは普段から身に染みて分かっていた。自分はまだ生まれて一年も生きていない。きっと今回の件もそうなのだろう。

 でも、頷きたくない気持ちがどこかにあった。エルメスの言葉をそのまま呑み込みたくない気持ち。だって、アーサはラフィータが好きなのだ。その気持ちは本物で揺るがぬ事実のはずなのに。エルメスの言葉を肯定してしまったら、その好意はまがい物であると認めることになる気がした。


 アーサは下唇を噛んだままうつむいたが、やがて意を決したように顔を上げた。

 彼女は次のように反論した。


「私はマスターが好きです。誰よりも好きです。一番です。他の人とは、違うと思います」


「分かっている。だがなアーサ、やっぱり違うのさ。ここで二つ目の話だ。お前の気持ちが親愛の情であるという証明をしてみせよう」


 エルメスは微笑を浮かべながらアーサを見ている。

 対するアーサは身構えた。エルメスに否定されたくない。自分の気持ちの特別さを。エルメスは分かっていないのだ。アーサがどのくらいラフィータを好きなのか。ずっと二人でいたんだもん。短い期間かもしれないけど、アーサにとっては人生のほとんどがずっと一緒。朝起きて、仕事をして、ご飯を食べて、眠るまで。他の人に私たちの何が分かりますと、言いたくなる気持ちすら沸き起こる。


 だが、エルメスの言葉はそういうアーサの心をばっさり切り裂いていく。


「アーサ、お前は自分を女だと感じたことがないだろう」


 アーサはきょとんとした。女? 女……? ラフィータが言っていたような気がする。男と女。体のつくりが違うこと。人間の区別。それが今、どうして……


「深くは言わないでおく。ただ、他人を異性として好きと思うとき、動悸がする。目まいにも似た、ひどく不思議な感動だ。そしてそれが自分の性別を強く実感することに繋がる。男なら、ああ自分は男なんだと。男だから女を好きになるんだと。逆もまた然り。どうだアーサ、お前は自分が女だと意識したことはあるか。自分の体を見て、じゃないぞ。ラフィータを見て、だ。ラフィータを見て、どうしようもなく心が惹かれて、自分が女なんだ、と。そう思えた経験があるか」


 アーサは開きかけた口を閉ざした。

 場に沈黙が舞い降りる。五秒、十秒、二十秒……。


「…………」


 時が経つにつれ、アーサの目線が下がっていった。その表情はひどく悲しげだった。アーサは自分の足先を見つめたまま何も言えずにいる。白い猫耳が萎びたように倒れ込んでいるのが彼女の落胆具合を端的に現していた。


 エルメスはアーサの肩をぽんと叩いた。


「落ち込むことはない。これから学んでいけばいい」


 アーサは返事をしなかった。もっと言えば、エルメスの顔すら見なかった。見たくなかった。


 少し、ほんの少しだけど。アーサはエルメスのことが嫌いになったのかもしれない。











「言いつけを破った」


 宿に帰って最初に言われた言葉がそれだった。


「ごめんなさい……」


 アーサはしゅんとした表情でうつむいた。


 宿への帰路は終始無言だった。アーサは主人の背中に声をかけようとしたが、彼の沈黙は言いつけを破って告白の現場に足を運んでしまったことへの怒りのような気がして、後ろめたさから何も話すことができなかった。


「まったく。どうせキースあたりにそそのかされたんだろう」


 ラフィータがそう言いながら窓を開け放った。暖かくなってきたとはいえ夜の大気はまだまだ冷える。昼間から停留していた部屋の熱が外に逃げていくのがアーサにも肌で感じられた。


 ラフィータは防具を取り外しながらため息をついている。アーサもそれに倣っていそいそと装備を外そうとした。しかし今日に限って防具の紐がデタラメに結ばれていた。どうしてと思って、そういえば今朝は自分で防具を装備したことを思い出した。起きがけの眠さに雰囲気で結んで、自分で勝手に納得した出来映えだった。アーサは今朝の自分を呪った。怒られる。ばれたらラフィータに怒られる。いやだ。早く解かなきゃ。しかし焦れば焦るほど、絡まった結び目は頑強さを増していく。


「ほどけないのか」


 そうこうしているうちにラフィータが近くに来てしまった。アーサはとっさに結び目をラフィータから隠そうとして、彼にこつんと頭をこづかれた。


「貸してごらん。ほら、じっとして」


 ラフィータが床に膝をつけた体勢で防具の結び目をほどいている。綺麗に渦を巻いたつむじがアーサの真下に見えている。アーサは小首を傾げてそれを眺めていた。こういう粗相を見られれば普段なら確実に説教される。それが今日はなかった。理由を考えてみてもなぜだか分からない。


「よし」


 防具の結び目をほどき終わったと思えば、ラフィータはアーサの首元に手を伸ばしてきた。アーサがされるがままに突っ立っていると、ラフィータが次のように聞いてきた。


「アーサはさ、髪の毛、短くなっても大丈夫?」


「え」


「ほら、これ」


 ラフィータがアーサの後ろ髪を手で掬うように束ねて、アーサの胸の前に持ってきた。アーサの目に少し赤みがかった白髪が映り込む。普段は目にする機会も少ない自分の後ろ髪を見せられて、しかしアーサは主人が何を言いたいのか分からない。


「どうかしましたか」


「切っ先が不揃いだ」


 言われてみれば確かに。長い髪の中に短い髪が混じっている。アーサはすぐ理由に思い当たった。前に亡者と戦った際、亡者は風の刃を生み出すスキルを使ってきた。それが髪の長さをばらばらにしてしまったのだ。


「夕飯を食べ終えたら湯浴みをしよう。そのとき整えてあげる。今夜は風もないし、丁度いいよね」


「…………」


「アーサ?」


 ラフィータがアーサの瞳をのぞき込んでくる。


「え、はい。お願いします」


 アーサは慌てて返事をした。ラフィータは微笑して頷くと夕飯の支度に取りかかった。彼は屋台で買ったご飯をテーブルの上に並べていく。アーサはその様子をじっと見つめていた。

 アーサの中で違和感がふくらんでいた。今日のラフィータはどうにも……優しい。アーサのへまに怒ることもない。防具の結び目を彼女自身にほどかせない。湯浴みだって、つい一昨日したばかりなのに。

 それだけではない。何というか、物腰が穏やかというか。普段のラフィータはもう少し厳しい感じがする。それはアーサの教育のためであると彼女も理解しているし、別にいいのだけれど。普段のラフィータを見ていると、何というか、こう……。アーサは頭を悩ませて、やっと適切な言葉を探し当てた。甘い。厳しいの反対、甘い。エルメスがいつも言っている。ラフィータはアーサに甘い。その言葉の真意がいつも分からなかったけど、今なら分かる気がする。アーサは今の自分は甘やかされている、と納得した。


「座らないの」


「あ、ごめんなさい」


 二人で夕飯を食べながらアーサはずっと考えていた。どうしてラフィータが急に甘くなったのか。それが気になって食があまり進まなくて、ついにはラフィータに心配された。アーサは急いでご飯を口に含み、ろくに噛まずに飲み込んだ。結果ご飯がのどに詰まり、ラフィータに背中を叩かれる事態に陥った。そのときもラフィータはアーサの心配をするだけで、やはり怒ることはしなかった。


















「錆びてる……」


 ラフィータがはさみを握りながら渋い顔をしている。


 アーサは木椅子に座ったまま壁に掛かったランプをぼんやりと眺めていた。場所は宿の中庭。これからラフィータに髪を整えてもらう。それはとても嬉しいことなのだけれど、今のアーサには素直に喜べない事情がある。ひっかかること、と言った方が正しいか。それはラフィータの様子が普段と違うこと。その理由をどうしても考えてしまう。


「アーサ、大丈夫? 眠いの?」


 顔の前で手を振られてアーサは現実に引き戻された。驚いた際に尻尾をぴんと伸ばしてしまって、それをラフィータに笑われた。


 ラフィータはアーサの髪を櫛でとかしながら質問してきた。


「さっきは聞きそびれたけど。アーサは髪を短くするつもりはないかな」


「短く、ですか」


「うん。毛先がかなりバラバラだし、思い切って肩先でそろえてみるのはどう?」


「え……」


 アーサは迷った。

 長い髪はアーサのお気に入りだった。ラフィータと同じ髪型だからだ。髪の先が不揃いとか、正直どうでもいいのだ。ラフィータとお揃いならそれが一番いい。むしろそうでなければ嫌だ。


「長い方がいいです」


 アーサはきっぱり言い切った。

 ラフィータが目をぱちくりとしている。断られるとは思わなかったのかもしれない。


「短いのも、アーサには似合うと思うけど」


 アーサは首を傾げた。にあう……?


「でも、アーサがそう言うなら、分かった。毛先の乱れが目立たなくなるように調節する。じっとしてて」


 ラフィータはアーサの髪にはさみをそえた。


 月の昇る夜空の下、はさみが髪を切る音がリズミカルに響く。切られた髪は地面に落ち、そよ風にさらわれてどこかへ飛んでいく。


 ラフィータはときおりアーサの目の前に立って彼女の顔を確認する。彼は顎に手を当てて難しい顔をしている。アーサの前髪を指で挟んで持ち上げたり、髪をかき上げたり。猫耳を撫でられたときはくすぐったさから思わず身をくねらせてしまい、ラフィータに「動いちゃ駄目」とたしなめられた。


 ラフィータは悩ましげな表情こそしていたが、アーサには分かる。彼は楽しそうだった。それこそ鼻歌でも歌い出してもおかしくないくらい。


 はさみの音に耳を傾けながらアーサは考える。ラフィータの様子を言い表す言葉をアーサは知っていた。機嫌がいい。主人の様子は機嫌がいいというのだ。アーサも身に覚えがある。何かいいことがあったとき、主にラフィータに褒められたときにアーサも気分が良くなって、思わずにこにこしてしまう。


(いいこと……?)


 アーサの思考は突き詰められていく。ラフィータにはいいことがあったらしい。アーサは今日もずっとラフィータと一緒にいたので、彼の身に起きた出来事はほぼ全て知っている。今朝は早く起きて、朝食を食べた後すぐにギルド館に行った。そこでキースとエルメスと合流し、ヘクトールの森におもむいた。クエストは特に問題なくこなせて、運び屋の館で手続きをしたあとで……。


(あ……)


 ギルド館の裏手。ギルド職員からの告白。

 もしかして、主人は……。だから、機嫌がいいのだろうか。


 夕方に見た景色がふとアーサの脳裏によみがえる。その場の誰もが固唾をのむ奇妙な緊張感。沈黙の中にたたずむ二人。視界の先にラフィータがいる。ずっと一緒に過ごしてきたご主人様。なのに、どうしてだろう。二人の元へ近づいてはいけない気がした。あの場は二人だけのもので、アーサは……。アーサにはまるで関係の無い世界で……。


 忘れていた不安感がアーサの胸に立ち返ってくる。心の中が曇っていく。胸の奥で何かがくすぶっている。慣れない感覚にアーサは戸惑いを覚えた。


(好き……)


 エルメスの言葉を思い出す。

 異性を好き。『特別な人』を好き。アーサにはまだ分からない感情。ギルド職員の少女はその感情をラフィータに対して抱いていて、そしてそれを『告白』した。アーサはなんとなく理解した。『異性に抱く特別な感情』は恐らく隠すべきもので、それを告白することはきっとひどく重要な意味を持つのだ。


 重要な意味ってなんだろう。

 特別な感情を告白したら……。


(……特別な関係になる)


 以前にラフィータが言っていた。特別な関係とは互いに好き合う二人の関係。職員の少女がラフィータを好きと言って、ラフィータがそれに応えたら。二人はきっと特別な関係になる。仲が良くて、親密で。ずっと一緒にいるのだろうか。そんな気がする。

 ……どうしてだろう。アーサは悲しくなった。ラフィータはそばにいると言ってくれた。忘れもしない。貴族出の冒険者に襲われたあの日、路地裏で主人はたしかにささやいてくれた。でも、それでもアーサには想像できないのだ。職員の女の子と特別な関係になったラフィータが彼女と楽しげに笑っている、その場にアーサはいるのだろうか。アーサはそこにいることができるだろうか。できない気がした。あの告白の現場のように、そこは二人だけの空間で。アーサはきっと遠くでそれを眺めている……。


 ……痛い。

 胸の奥がずきりと痛い。


「アーサ、下を向かない」


 ラフィータがアーサの前髪にはさみを当てている。ちらりと目を上げてみるとラフィータと目が合った。ラフィータはうすく笑って「そのままね」とアーサに言う。もうすぐこの笑顔も見られなくなってしまうのだろうか。そう思えば思うほどアーサの中にふつふつと沸き上がる感情があった。いやだ。いやだ。もっとラフィータと一緒にいたい。もっとずっと……。主人がほかの人のもとへ行ってほしくない。

 でも、だったらどうすればいいのだろう。もしラフィータが職員の女の子を好いていて、彼が自分からあの子のもとへ行ってしまうのならアーサにはどうすることもできない。主人の想いを遮ってまで彼にアーサのもとへとどまってもらうのは何かが違う気がした。それは我が儘で、その先にはきっとよくない事が待っている。

 いっそ自分があの子になれたらいいのに。アーサはそう思わずにはいられなかった。と、同時に思いつくことがあった。そうだ。アーサがラフィータと特別な関係になれれば……。


 アーサの目は一瞬輝いて、しだいにその輝きは失せていった。


 エルメスに突きつけられた事実を思い出さずにはいられなかった。アーサには『好き』が分からない。特別な関係とは好き合う二人の関係で、好きが分からなければ特別な関係にはなれない。よしんばラフィータがアーサに好意を抱くようなことがあっても、アーサはその気持ちには答えられない。


(…………)


 つまり、結果などずっと前から決まりきっていたのだ。

 ラフィータはアーサのもとを去るのだ。アーサには止めることはできない。


















 ランプの光があたりを照らしている。群がる羽虫が橙赤色の光を遮り、落ちた影は斑模様となって土の上を這い回る。


「もうすぐ切り終わるよ」


 ラフィータが頭の上から声をかけてくる。いつにもまして穏やかな声音。しかしアーサはその声に反応しなかった。反応できなかったのだ。アーサの心は寂しさと悲しみの底に沈んでいた。考えれば考えるほどアーサの思考は悲観的なものへと変貌していく。たとえば、ラフィータがこうして優しい態度で接してくるのはきっと、一緒にお祭りに行く約束を破ってしまう埋め合わせなのだ、とか。


「ねえ、アーサ。お祭りのことなんだけど」


 アーサはびくりとした。

 言葉の続きを聞きたくなかった。


「あんなことになっちゃったけど。僕はエルフィーとは……」


 我が儘を言いたい。行かないでと。


「それでね。つまり……」


 でも、言ってどうなるのだろう。

 アーサに資格はあるのかろうか。


 引き止める。邪魔、お荷物、主人と従者。

 自分の求めるものは何。


「今晩ゆっくり……断る訳も……。だから、僕はアーサと……」


「あの人と行っても、大丈夫ですよ」


「え」


 アーサの口は考える間もなく動き出していた。言いたいことも纏まっていないのに。なめらかな口ぶりと本心との落差にアーサ自身が驚いていた。


「私は宿で留守番しています」


「でも、約束もしたし……」


「私は大丈夫です」


「…………」


 無言の二人。虫の音と草木が風にたゆたう音だけがその場に鳴り響く。


 しばしのち、ラフィータの手がゆっくりと引き下がり、アーサの髪を手放した。

 

「……アーサは僕とお祭りに行きたくないの」


 その言葉にアーサは激しく動揺した。行きたくない、という嘘をつくことだけは心が許さなかった。一緒に行きたいと言いたい。でも、言えない。言おうとすれば胸の奥に暗い気持ちが渦巻いて、途端に喉が震えなくなる。

 結局、アーサにしぼり出せる受け答えは一つしかなかった。


「マスターは、あの人と行った方がいいと思います」


 ラフィータは「……そっか」と言ったきり何も言わなくなった。本当に何も喋らなくなった。そんなことは初めてで。アーサの中に今さらのように焦りが沸き起こったが、もう取り返しはつかない。


 それから湯浴みの支度をして、湯桶のそばでアーサは髪を洗われた。会話はない。


 湯桶の中でアーサは泣いた。声もなくすすり泣いた。涙が湯面に落ちて小さく波紋を作る。それを目撃する者はいない。ラフィータはその場をあとにしていた。












 アーサは湯上がりにいそいそと部屋へ戻った。


 ラフィータは寝台の上で横になっていた。その顔は壁に向けられていて、彼が眠っているのかいないのかアーサには分からない。アーサはテーブルの上に置かれていたスキル式の温風発生器を使用して髪を乾かし、主人の隣へ、音を立てぬよう寝台に横になった。横を見ると彼の背中が見える。


「…………」


 声をかけたかった。起きていますか、と。言葉が欲しかった。おやすみと、目を見て、笑って。アーサ、と名前を呼んで欲しかった。


 でも、その全てはかなわぬ夢。

 そろそろと伸ばした手は彼の背中に触れる間際で止まって、そしてもとの位置に戻った。締めつけられるような胸の痛みと共に、近くて遠い、という言葉の意味をアーサは初めて知った。







 明くる日のクエスト帰り、ラフィータはエルフィーの申し出を承諾した。

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