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第二話 ギルドハクマ支部にて

補足

ドールは大地から生まれる人間です。

生まれた当初は獣そのものですが教育を施せば人間として生活できるようになります。

「待ってくれ。君、そこの君だよ。名前はなんていうのかな」


 ラフィータは立ち止まって後ろを振り返る。


 表通りは喧噪に包まれていた。押しつぶされるのではと不安になるほどの人混みで、比較的背が小さいラフィータは四苦八苦しながら前に進んでいた。

 そんな折り、彼は腕を強く引かれるのを感じた。実際は彼が腕を引かれたのでなく、彼と手を繋いでいた連れが立ち止まったために彼も立ち止まる羽目になったわけである。

 どうやらラフィータの連れが男に声をかけられたようだった。


「君、その、美しいね。ねえ、良かったらお茶して行かない? あ、僕、オリントっていうんだけど」


「私の人形ドールに何かご用でしょうか」


 ラフィータは連れと男の間に割って入り、男を見上げた。


 長身の男だった。長い髪を頭の後ろで一つにまとめている。歳は成人したてといったところだろうが、身長の割に細すぎる四肢が悪目立ちしており、枯れそぼった枝のような印象を受ける。


 男は驚いた表情でラフィータを見下ろしている。


「申し訳ない。私の連れは魅了スキルがまだ上手く制御できないのです。恐らくあなたの好意もスキルによるものと……」


「もっと可愛いのが出てきた!」


「は?」


 男はラフィータの両肩にがしっと手を置いた。

 険しい顔つきを見せるラフィータをよそに、男は一人至福の表情ではしゃいでいる。


「ねえ、君も可愛いね! 名前! 歳はいくつ? 女の子二人で何してるの?」


「ラフィータと申します。ちなみに私は歴とした男ですが――――」


 ラフィータが誤解を解こうと話し出したとき、


「どけどけ邪魔だ、そこの者! カルーラ様のお通りだい!」


 新たに現れた男が剣の柄を振り回し、オリントが道端まではじき飛ばされた。


 ラフィータは往来の邪魔になっていることを自覚し、素直に道端まで移動する。オリントとは反対側の道端である。


「ほら、邪魔だって言ってるの! ん、切り捨てられてえかおい!」


 オリントを吹き飛ばした男の後ろを大柄な男が歩いている。オリントより更に長身なのに加え、ひどく筋肉質な体をしていた。まるで巨大な岩山のようだ。

 ラフィータは知っていた。カルーラ=ガロン。ここら一帯で力を握る大物の冒険者だ。実力も折り紙付きで、最近ではマウントマッドと呼ばれる巨大な魔獣を一撃でのしたという話が有名である。

 数人の男がカルーラの周辺に付きまとっていた。いわゆる腰巾着だろう。

 大柄なカルーラが人混みに苦労しないよう、男達は道先にいる邪魔な人間に道端にどけるよう喚起し続けていた。雑踏が刃を入れられたように二つに割けていき、カルーラは往来の真ん中を我が物顔で進んでいく。


 道端に向けて波のように寄せてくる人の群れが鬱陶しかった。

 ラフィータは連れの手を握り、表通りからいくつも分岐する細い路地に姿を消した。









「ラフィータ様、ラフィータ様……。ランクE、モルガ三頭の討伐クエストですね。お待たせいたしました。仮ギルド証、および狩猟印紙を提示してください」


「お願いします」


 ラフィータは受付に半透明の板を差し出した。ギルド証(仮)である。大きさは占術師が使うトランプカードと変わらず、厚さは毛髪に引けを取らぬほど薄い。特筆すべきはその材質で、ぺらぺらのギルド証は少し力を入れるだけで簡単に湾曲するが、力を抜けば元の平坦な板状に戻ってしまう。板ばねに似たその特性はベロと呼ばれる軟体魔獣の骨を利用することで生み出されていた。


 ラフィータは窓口の台にある一角にギルド証をかざす。

 裏側の透けたギルド証の表面に青白い紋様が浮かび上がる。


「確認させていただきました。では、狩猟印紙の方を提示していただけますか」


 ラフィータはギルド証に似たカードを一枚、および文字が書き連ねてある紙を一枚、計二枚を受付に差し出す。


「お預かりいたします。確認が終了し次第、報酬をお渡しいたします。別館の窓口でお呼びしますので、しばらくお待ちください。任務、ご苦労様でした」


 お次の方、どうぞ! という声を背後に聞きながら、ラフィータは冒険者ギルドの館をあとにした。












「ふうん。これが……」


 ラフィータは拠点とする宿屋の一室で仰向けに寝転んでいた。寝転んでいるベッドは魔獣の毛を押し固めて作られたスタンダードなタイプだ。寝心地がよいとは言えないが、安価で通気性が良く、材料である魔獣の毛が虫を寄せ付けない性質を持っているため広く流通している代物である。


 ラフィータは目の前にかざしたギルド証をしげしげと見やる。

 半透明だったギルド証の縁が青くコーティングされている。表面には流麗な筆記体でラフィータの名前が記されており、仮所属扱いだったラフィータが冒険者ギルドの一員として正式に認められたことを示していた。


「マスター」


 ラフィータは声のした方を見やる。

 少女がラフィータの方を見つめていた。少女は椅子に腰掛けていて、今は一枚の紙をラフィータに向けて突きだすようにして見せていた。


 線の細い少女だった。名をアーサといい、つい先月にラフィータが契約した『人形ドール』である。十人がいれば八人は振り返るような綺麗な顔立ちをしていて、たびたび不埒な男にナンパされてはラフィータを困らせている。白色に少しだけ桃色を溶かしたような、わずかに赤みがかった白髪が美しかった。


 ラフィータはアーサが見せつけてくる紙を受け取り、紙面に視線を落とした。

 ラフィータの顔つきが険しくなる。

 彼はアーサの隣に歩み寄り、机の上に紙を置いた。


「『さ』と『き』が間違っている。『く』はどうした、これは鏡文字じゃないか」


 ラフィータはアーサに書き取りをさせていた。ドールの知能は個体差が顕著である。ラフィータの見立てでは、アーサの知能は可もなく不可もなくといったところだった。すなわち順当に教育を施せば人としての社会性を獲得できる資質は十二分にある。


「ごめんなさい……」


 ラフィータはアーサの頭部に視線を移す。

 アーサの頭部にはひょっこりと猫の耳が生えていた。髪の色と同じうす桃色の毛並みをしていて、今はしょんぼりするアーサの気持ちと同調するように下に向けて垂れ下がっている。


 ラフィータはしばらく躊躇った後、アーサの頭にぽんと手を置いた。

 アーサの猫耳がぴょんと起き上がる。アーサは主人の表情を窺うように見上げてくる。その緋色の瞳を見つめながら、ラフィータはアーサの頭をかるく撫でてみる。

 アーサは表情こそ和らがなかったが、その代わりに腰の後ろから生えている真っ白な尻尾が左右にゆれた。


 ドールの教育はラフィータにとっても初めてで、よく分からないことが沢山ある。

 ドールの教育に関する噂話はラフィータの耳にも数多入ってはいるが、どれが本当でどれがデタラメなのかは判断がつけにくい。叱りすぎては駄目という声、逆に甘やかしすぎては駄目という声もある。

 アーサには教養あるドールになってほしいとラフィータは考えている。その方針のもと、ラフィータは新米の主人として苦心していた。


「今言ったことに注意して、もう一度書き直すこと」


「はい。あ、でも、もう紙が……」


「これまで使った紙の空いているスペースを使うんだ。文字を小さく書くことも練習の一環だ。それが済んだら夕ご飯にするよ」


 アーサの尻尾が大きくゆれた。








 ラフィータが滞在しているのはハクマと呼ばれる街である。ハクマは今でこそ通りに冒険者の溢れる街として有名になったが、三年前までは更地も同然の土地であり、そもそも土地には名前すらついていなかった。

 ハクマの街が誕生するきっかけになったのは、この土地の近くに攻性魔獣が出現するようになったためだ。『まり』と呼ばれる大地から危険な魔獣が次々と生み出され、近隣の街に被害を及ぼすようになっていた。そのため現ハクマの地に軍属の兵士や腕利き達が集められ、駐屯地が整備され宿場町もできる。

 ここにいくつかの商会が介入し、その他様々な人間が集い始める。攻性魔獣は危険であるが、死体となれば武器、薬、日用雑貨の貴重な素材に早変わりする。ハクマはこうして『金の実る町』として今も成長を続けているのだ。




 夕暮れの時刻から夜へ移行しようという時間帯、町の至る所に行灯あんどんが灯され、ハクマの街は夜がどうしたと言わんばかりに活気づいていく。昼間ですら多かった人口に任務を終えて帰還した屈強な冒険者が加わるのだ。活気づかない訳がない。


 ラフィータはアーサを付き従えて、ある店の暖簾のれんをくぐった。『ヤジ亭』といって、安価でボリュームのある料理が魅力の食事処だ。懐の寒い冒険者が重宝する店の代表格である。


 暖簾をくぐる前から聞こえていた喧噪が更に大きくなる。

 ヤジ亭は冒険者でごった返していた。茹でダコのように顔を真っ赤にして、すでに出来上がっている者もいる。床には荷物やら料理やらが散乱しており、物が飛び交い始めるのも時間の問題かとラフィータはため息をつく。

 ラフィータはヤジ亭を好まない。今日は友人との約束があって仕方なく足を運んだ次第である。


 ラフィータが立ち止まって視線をうろうろさせていると、ある人物が後ろから肩を組んでくる。


「こっちこっち」


 ラフィータは肩を組まれたまま店の一角に連行され、椅子にどさっと座らされた。

 目の前にある円形のテーブルには湯気を立てる料理がこれでもかと並べられていて、ごちそうとは久しく無縁の生活をしていたラフィータは匂いをかぐだけで口内が潤いだすのを感じた。


 ラフィータの対面に男が座った。ラフィータをここまで連れてきた男だ。

 明るい表情をした男だった。名をキースという。年齢は十八歳。背はラフィータより拳二つ分高いが、同年代の中では飛び抜けて大きいわけでもない。

 黒色の大きな瞳はくりくりとしていて愛嬌を感じさせる。整った顔立ちをしていて、実際キースは女にモテる。人が好きで人にも好かれる、そんな人間の典型例だとラフィータは評している。


「ささ、アーサちゃんも座って座って」


 キースは椅子を引いてアーサを誘う。

 アーサはラフィータの方を窺ってくる。ラフィータが頷くと、彼女はキースの勧めに従って椅子に腰を下ろした。ラフィータの右手、キースの左手である。


「アーサちゃん、まだ魅了スキル扱えないの?」


 キースが不満げにアーサを見やるのはアーサが頭巾をかぶっているためだ。ラフィータは彼女に顔や肌の露出は極力抑える服装をさせている。暴走しがちな魅了スキルへの対処である。


「アーサちゃんの綺麗な猫耳見たくないのか?」


「毎日訓練させているよ。もうしばらくは様子見するけど」


「なあラフィータ、少し過保護じゃないか。暑苦しい格好ばかりさせて、彼女と同じ半獣人として俺は見過ごせないぞ」


 キースは怖い顔をしながらラフィータをにらんでくる。

 彼の頭部では二つの猫耳がぴんとそり立っている。髪の色と同じく黒色のそれはキースが半獣人である証だ。ラフィータからは見えないが、キースの腰にはアーサと同じ尻尾が生えている。尻尾の毛並みも同じく黒色である。


「よろしくないぞキース、ラフィータを困らせるな」


 と、キースの背後から現れた男がキースを二度ほどこづいた。

 身長はキースと同程度だろう。ラフィータと同じく金色の髪をしているが長さが違う。ラフィータが腰まで伸ばした金髪なのに対し、男は肩先で切りそろえた金髪である。

 翡翠色の瞳がラフィータを見てくる。穏やかな表情の中にはいつだって鋭い視線が同居している。それは男のたるまぬ注意力とキレのある知性の表れでもあった。


「よう、ラフィータ。待たせたかな、だったらすまない」


「ううん。僕も来たばかりだ」


「待っていたぞエルメス! さあ席に着け、そして立ち上がるんだ。宴を始めよう!」


「ん、別に立ち上がったままでも……」


「エルメス!」


「分かった分かった」


 四人目の登場者であるエルメスが椅子を引いて席に着く。ラフィータの左手、キースの右手である。

 ラフィータはそれなくアーサに視線を送る。


「さあ、俺に音頭を取らせてくれ。えー、ごほんっ。それではご起立くださいっ」


 男三人が立ち上がる。それを見たアーサが遅れて立ち上がる。


「さあ、皆さん、飲み物を片手にっ」


 男三人の手がそれぞれの飲み物に添えられる。わずかに遅れてアーサも飲み物を手にする。


「ではラフィータのギルドへの正式な入会を祝して! 乾杯!」


「乾杯!」「乾杯!」「か、かんぱ……」


 その音頭はヤジ亭一杯に響き渡ったが、次の瞬間には冒険者たちの喧噪に呑み込まれてしまう。

 四人がそれぞれの飲み物をつき合わせる。

 男三人は浮かれていた。少なくとも、慌てたアーサの突き出したリンゴジュースがエルメスにびちゃりとかかったのを笑い飛ばせるくらいには。


「よ、水も滴るいい男!」


「お前もそうしてやろう」


 会食は小規模のビールかけから始まった。







 食べても食べても新たな料理が運ばれてくる。

 ヤジ亭からのサービスだった。キースはヤジ亭の主人と仲が良いらしい。


「なあラフィータ。パーティ名だけど、どんなのがいいかなあ。何がいいかなあ。うへへ」


「キース、パーティーを組むって決めたわけじゃないんだからね。この台詞何回言ったかな。口が酸っぱくてたまらないよ」


「じゃあお前、どこか他のパーティーに行くの」


「いや、まあ。入るとしたらキースのところだけど……。気が早すぎるよ」


「いいだろー。お前どうせすぐにランク上がるだろうし」


 赤ら顔のキースがラフィータの肩にもたれかかってくる。頭部の猫耳がぴょこぴょこと盛んに動き、尻尾は先端がゼンマイのように丸まったままリズムよく左右にふられている。


「パーティー名は何か案があるの?」


「『猛爆閃光』とか『夜明けのヒポポタス』とか『猫人狩人』とか」


「やめとこうよ」


「ええっ。じゃあ『麦束一束』、『濡れ羽カラス』、『女騎士の末裔』」


 パーティー名の羅列は続く。普段でも饒舌なキースは酔うとことさら口がなめらかになる。一度話を始めたら何時間でも話し続ける。酒をあおる一瞬以外で彼の声が絶えることはない。


 ラフィータはキースの話をぼーっとした表情で聞いている。ラフィータもかなり酔っていた。顔こそ赤くならないものの、体がふわふわとした浮遊感に占拠されている。思考も纏まらなかった。彼は酒杯をこっそりとテーブルの端に遠ざけながら、実はこれで二度目になるパーティー名の話をうながしている。


 一方、アーサとエルメスは至って真面目な会話をしていた。


「魔獣はね、そうだよ。人間のように母親から生まれるケースはごく希だ。ほとんどの魔獣は地面から生まれてくる。魔獣だけじゃない。アーサ、君のような人形ドールも大地から生み出されるんだぞ。収穫したそばから苗が生えてくる穀倉地帯も存在するし。このエスカール大陸が別名『生物大陸』と呼ばれる由縁だな」


「せいぶつ、たいりく……」


「話を戻そう。魔獣には二種類あって、これは人を襲うか否かで判別される。人を襲う魔獣は『攻性魔獣』と呼ばれ、駆除の対象になる。

 魔獣は地続きの土地があればどこでも発生するけど、攻性魔獣はそうじゃない。奴らは『溜まり』で誕生する。ハクマの近くにある『溜まり』は攻性魔獣を沢山生み出してくれるから、こうして俺たち冒険者にも仕事が回ってくる。ありがたい話だ」


 エルメスがぐびりと酒杯をあおる。

 アーサの猫耳がしおれているのが頭巾の上からでも分かる。エルメスの話はあまり理解できなかったようだ。


 ラフィータはそんなアーサをぼんやりと見つめていたが、アーサの猫耳が布地を押し上げひょっこり立ち上がったのを見て「おや」と思った。


 アーサは席を立つとラフィータの方に歩み寄ってくる。彼女は主人の腕にそっと手を添えながら、ある方向をじっと見つめている。


 異変は壁の向こうからやってきた。


 木のへし折れるような音がして、直後ヤジ亭の壁がバラバラに吹き飛ぶ。

 黒い影がヤジ亭の中空を矢のような速度で横切る。

 影はテーブルのいくつかをはじき飛ばした後でカウンター席に突き刺さるように衝突し、生じたえげつのない轟音が建物全体を震わせた。


「お、おおんっ。何が起こった!」

「こ、こいつ軍兵じゃねえか……。なんでこんな……。やばくねえ?」

「胸がへこんでるぞ! 治癒術を! 誰か!」


 カウンター席に野次馬が集まっていく。

 往来で喧嘩が起こったようだ。経緯は不明だが敗者は砲弾となってヤジ亭の壁を突き抜けたらしい。


 ラフィータは服の下にしのばせていたペンダントを指でピンッと弾く。

 急速に醒めていく酔いを自覚しながら、ラフィータは臨戦態勢に移行しているアーサの服を強く引く。


「アーサ、座っていろ」


 彼が視線を注いだのは粉砕された壁、新しく出来たヤジ亭の風穴である。

 穴はラフィータが座っていた席から少し離れた場所に位置している。

 ラフィータは立ち上がったまま事態の推移を見守る。


 と、穴の向こうからねっとりとしただみ声が響いてきた。


「ねんねんころり~ねんころり~」


 うがたれた穴は小さくはなかったが、それでも巨体を通すのに足りなかったのか。

 穴のふちの木材をバキバキとへし折りながら、その男はヤジ亭に足を踏み入れてくる。


 悪意を宿した瞳がぎらぎら光っている。見上げるほどの長身がヤジ亭に戦慄を走らせる。現れたのは一人の男。その裸の上半身は鍛え抜かれた筋肉に覆われ、下半身は迷彩柄の短パンを着用している。刈り上げられた頭部には刺青が掘られており、刺青は首を通じて体全体の刺青と繋がっていた。


「カルーラ=ガロン……」


 ラフィ-タは静かな声音でその名を呼んだ。


 カルーラは野次馬の群れに向けてゆったりと歩いて行く。

 人々は恐れをなして道をあけていく。

 カルーラはカウンターの前で前かがみになる。そこで泡を吹いている男の頭部をむんずと掴み、その体を軽々と持ち上げた。


「喧嘩売ってきたのは君ですねえ。レベル差に胡座あぐらをかくからこうなる」


 被害者の頭蓋がミシミシと音を立てて軋む。

 ラフィータが袖の下にしのばせた魔法陣を起動させ、雷撃を放とうとしたその瞬間、


「そこまでだカルーラ!!」


 カルーラが男の頭部を手放して、声のした方角をみやった。

 ラフィータの目もそちらに向く。


 ヤジ亭の入り口から男達が続々と入ってくる。

 男達は銀色に光るプレートメイルを着用していて、その上から赤黒のマントをはおっていた。統一された服装をラフィータは知っている。男達はハクマの街に駐屯する軍属の兵士であった。

 軍兵はカルーラを取り囲み、その大きな手に手錠をかけた。


「お前を拘束する! 妙な真似をするなよ。これ以上は武力を行使することになる」


 カルーラは自分の周りに群がる男達を見下ろし、ぽつりとつぶやいた。


「小さいですねえあなた達」


「黙れ! お前がでかいんだ!」


 カルーラは連行される途中でラフィータの方をちらりと見てきた。

 男は人を馬鹿にしたような笑みを浮かべ、次のような台詞を言い放った。


「凄んで見せても所詮、豆鉄砲ですか」


 ラフィータのこめかみに青筋が浮かぶ。

 カルーラは巨大な笑い声を上げながらヤジ亭をあとにする。


 凍り付いた空気がゆっくり溶けていく。

 人の声が飛び交うようになるまで時間はかからなかった。

 残された惨状と慌ただしく動く冒険者達の中、ラフィータは一人立ちつくしたまま片手に持った鉄製の魔法陣を痛くなるほど握りしめている。


「マスター」


 その肩をアーサがすっと抱きしめた。


 その後四人は少しだけ飲み直し、会食はそれでお開きになった。






 宿屋に帰還すると、ラフィータはまず自室の窓を開け放った。

 ぬるい夜風がラフィータの肌を打つ。


「アーサ、ヤジ亭はどうだった」


 ラフィータは背後に立っているアーサに問う。


「人がたくさんいました。皆さんとても笑っていました。お酒という飲み物は人を陽気にさせるのですね。すごく興味がわきました」


「酒の席はあんな感じだよ。スキルの扱いが安定したらアーサも飲めるようになるから、楽しみにしとくといい。キースとエルメスはどう? 仲良くやれそうかな」


「キースさん、おしゃべりな人です。エルメスさんは物知りです。いろいろなことを教えてもらいました」


 アーサは穏やかな口調で話す。

 その尻尾が左右にゆれているのを見て、ラフィータはわずかに安堵した。


「キースとエルメスとは期間限定でパーティを組む約束をしてる。しばらくはお前と二人でクエストをこなすけど、それは僕のランクを上げるのとお前のスキルが熟達するまでの猶予だ。あまり時間をかけていられないからな。努力してくれ」


「はい」


「それと……。アーサ、さっきはありがとう」


 怒りに我を忘れかけたラフィータを、アーサは肩を抱くことで現実に引き戻してくれた。


「マスターは、カルーラが、えと、嫌い……? ですか」


 ラフィータはアーサを見る。

 アーサは頭から頭巾を脱がすのに苦労している。猫耳が引っかかっているようだ。

 彼女と出会ってもうすぐ一月。人格面では多少成長したがこの不器用さだけは変わっていない。


 座ってごらん、と言ってアーサを椅子に座らせた。

 彼女の顎の下にある布の結び目をほどきながら、ラフィータは静かに言う。


「カルーラは、そうだね。嫌いだよ。とてもね」


 アーサの感情形成はまだまだ未熟だ。最近になってようやく『好き』『嫌い』などの単純な感情を理解し始めた段階である。

 だからこそラフィータは思う。

 この純朴なドールに『仇』や『憎しみ』といった言葉を教えるのはまだ早い、と。


 結び目がほどけた。頭巾が外れる。

 そのほかにもベルトや靴の結び目もほどいてやる。


 両手で猫耳をもんでいるアーサに向かいラフィータは言った。


「今日はもう遅い。明日に備えて早く寝よう」


 ラフィータは寝台に体を横たえた。

 と、その隣にアーサが寝転がる。

 二人とも小柄とはいえ一人用のベッドはさすがに窮屈だ。腕や足を何度もぶつけながら落ち着く姿勢を見つけて、ようやく二人は眠りにつける。

 ベッドは一つしかない。ラフィータの稼ぎでは一人部屋を借りるので精一杯だったのだ。

 寝具のない雑魚寝用の宿屋に比べればまだマシだろう。ラフィータはそう言い聞かせてアーサへの申し訳なさを押し殺していた。


 ドールが奴隷的な立ち位置にあることは知っていた。ただし、今のようなケースにおいてはドールを床で寝させるのが一般的だという事実までは、このときの彼は知らなかった。


「マスター」


「ん」


「おやすみなさい」


「うん。おやすみ」


 夜は静かにふけていく。

 アーサが規則正しく寝息を立て始めた頃、ラフィータの意識もまた眠りの中に落ちていった。

CHIP

 ドールとの同衾はすべきではないと言われる。

 自立心の形成を遅め、マスターへの依存性を高める恐れがある。

 逆に、ドールを一人で寝せることで、ドールとしての自覚と自立心の成長を助けることが出来る。

 ドールはどこまでもドールでしかない。彼、彼女らがドールとして生きていくためにも、マスターに頼って生きていく、という認識は早々に破壊すべきである。


 次話から魔獣狩りが始まります。

 一章は魔獣狩りがメインです。様々な魔獣をあの手この手で倒していきます。

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