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第十七話 起死回生

 ドドドドドドドド!!!

 展開した障壁に針が雨あられと降り注ぐ。


「ぐうっ……!」


 衝撃で吹き飛ばされたラフィータ達は遙か遠方の大地に転がった。


 針が止むことはない。

 一撃一撃が破城槌にも匹敵する重さをほこっている。ラフィータは顔をゆがめた。吹き飛ばされたことである程度の距離が離れていてなお、針は分厚い障壁を貫通しようとする。気を緩めればあっという間に串刺しになる。


「アーサ……」

「はい」


 腕の中の少女が返事をしたことにとりあえず安堵する。


(しかし……)


 叩きつけるような針の雨はおさまる気配を見せなかった。

 多重スキル『地撃縫殺』、まさしくラフィータはその場に縫い止められている。


 と、アーサの猫耳がピンと反り立った。


「どうした」

「声です。エルメスさんの。すぐ途切れました」

「なんだって」


 ラフィータの心臓が強く鼓動する。


 障壁を纏っているせいで視界は最悪だ。

 加えて針が立てる衝突音のせいで周りの音もまったく聞こえない。


(完全に虚をつかれた。二人は無事だろうか)


 針が少しずつ弱まっていく。

 ラフィータは移動を決心した。


「アーサ、声のした方を教えてくれ」

「こっちです」


 障壁を纏ったままのろのろと歩く。

 大地に針が突き刺さっているせいで走ることがかなわない。針の長さは平均して五十センチ。地面に深く食い込んでいるもの、逆に浅く突き立っているものが混在する。強引に踏破しようとすれば足が串刺しになること間違いない。


「エルメス! しっかりしろ!」


 キースの声が聞こえた。

 アーサの示した方向と違う。ラフィータは障壁を解除し、怒鳴った。


「キース! 何があった!」

「エルメスがやられた!」


 見ればキースの腕の中にぐったりとして動かないエルメスの姿がある。

 わき腹の辺りからどくどくと血が溢れていた。


 ラフィータはすぐ駆けつけようとしたが、アーサがついてこない。


「アーサ?」


 アーサは動かない。

 ラフィータは彼女の腕をとって強引に連行する。


「傷はどこだ。アーサに処置させる」

「左わき腹がひどい。右肩にもくらってる」

「分かった。……アーサ! 何をしてるっ。時間が無いんだっ」


 アーサはその場から動く気配を見せない。

 苛立ったラフィータがアーサの肩をむんずと掴む。


 そこで気づいた。

 アーサが蒼白な顔をしていることに。

 ラフィータは目を見開く。


(人の血は……。いや、見たことがあるはずだ。そのときは別に……)


 じゃあなぜ今? ラフィータはアーサの顔をのぞき込む。


「アーサ、怒鳴ってすまない。正直に言え。血が怖いか」

「あ、え……。その、私……」


 アーサの首元を一筋の汗が伝う。

 彼女は下を向いたまま体を震わせている。


「血が怖いか」

「……はい。なんででしょう。前は、こんなこと……」


 ラフィータは唇を強く噛んだ。


(血の量もあるだろうが……。感情が発達した弊害か)


 以前より人間的に成長したアーサが同類の血に恐怖を覚えている。

 ラフィータはアーサの頭をそっと撫でた。


「マスター、ごめんなさい……」アーサが泣きそうな顔で謝ってくる。

「それもまたお前の一部だ。僕は受け入れる」


 ラフィータはキースに向き直る。

 そのとき大地が大きく揺れた。


 振り返れば、再生を終えたマウントマッドがこちらに気づいたようだ。

 剣山のような針などものともしない。ドシン……ドシン……と音を立てつつ、すべてを踏みつぶして魔獣が近づいてくる。

 ラフィータは決断した。


「キース、撤退を進言する。安全な場所でエルメスの応急処置をし、館に戻る」


 一瞬の逡巡。

 キースは思うところの全てを飲み込んだ。


「うん。分かっ……「駄目だ!」


 声を荒げたのはエルメスだった。

 エルメスがわき腹を押さえながら半身を起こす。

 脂汗にまみれた顔。しかし瞳には闘志が燃えさかっている。


「ここで撤退すれば、クエスト失敗は……まぬがれない。俺はまだ、やれる……っ」

「でも、エルメス……!」


 キースの表情に迷いが生まれる。

 明言こそされていないが、今回のクエストはヘカトンケイルの実力をはかる指標にもなっている。グロウの介入があったとはいえ、クエスト失敗は失敗。内容は怪我人を出した上での撤退と最悪なもの。ギルドからの信用が落ちるのは目に見えている。大きなクエストが回されにくくなるのは確実だ。


 それと……。

 エルメスは期待を背負っている。滅火のルインを抜けた若手として。良い意味でも悪い意味でも、彼は一挙一動が注目される立場にある。


 こんなところで足踏みするわけにはいかない。

 自分がまいた種だからこそ、エルメスはいつも以上にむきになっている。


「アーサ、頼む! 血さえ止まれば、俺はまだ動ける!」

「…………」


 エルメスの必死な様子をアーサはじっと見ていた。

 彼女は目を閉じて深呼吸する。


「……ます」


 一度目の声はマウントマッドの足音にかき消された。

 アーサはラフィータに向き直った。


「やります、マスター」


 いまだ蒼白な顔をしているくせに、語気が強い決意を感じさせた。

 ラフィータは息をのんだ。そして――――静かに頷いた。


 ラフィータはエルメスに近づいた。

 彼がエルメスに肩を貸して立ち上がらせる。


「キース、ごめん。前言を撤回する」


 キースは渋面でラフィータを見た。

 キースがため息をつく。


「このことを報告する義務もある。時間はかけられないよ」


「分かっている」


「とりあえず……移動だ。足場が悪い。俺がマウントマッドを引きつけるから」


 マウントマッドの足音が近づく。


「分かった。グロウに気をつけて。まだ近くを徘徊してるはずだ」


「……勝算はあるのか」


 広範囲攻撃が可能な『グロウ』と被弾しても再生可能な『マウントマッド』の凶悪な組み合わせ。

 引き離すならグロウだが、エルメスが負傷した以上あまり長い距離を移動するわけにもいかない。中途半端な距離を移動してはマウントマッドに追いつかれる可能性もある。


 勝算なんて無い。

 ただし、諦めるつもりも無かった。


「無ければ作り出せばいい」


 彼はそれだけ言い残し、エルメスに肩を貸したままその場をあとにする。


「作り出すって……」


 立ちつくすキースの頭上に影がかかる。

 マウントマッドがすぐそこにいる。


















 キースがマウントマッドと交戦を開始した。

 ラフィータはエルメスを少し離れた場所に運び、傷口を確認しながらアーサに指示を出す。


 アーサの手がエルメスのわき腹にそえられる。

 エルメスが苦しそうな顔をするが、それも時間をおいて和らいでいく。


 ラフィータは考えていた。

 現状を打破する妙案を。


(何か……)


 脳内に様々な案が浮かんでは消えていく。

 自分の持つ手札の全てを思考の湖に投げ入れ、あらゆる場面を想定し、いくつもの角度から検証していく。


 息も忘れた数秒のこと。


「碌でなしの脳が。何も思いつきやしない」


 ラフィータは拳を握り自分の頭を思いきり殴りつけた。


(手札が少なすぎる……。せめて手元の魔法陣がもう少し多ければ……)


 とそのとき、アーサが短く悲鳴をあげた。

 思考の沼から引き上げられたラフィータは自分たちに近づく巨大な球体に気づいた。


 半透明の膜の下に生えそろう鋭い針の束。その奥にグロウの小さな本体が見える。

 球体の中心に浮かんだグロウはそれ自体が大きくなるわけではない。スキルによって袋状の皮膚組織を生みだし、それを膨らませて球体を作り出している。


 球体の大きさはまだ控えめで、すぐ爆発することはない。

 それでもラフィータは魔法陣にマナを流して待機状態を保った。グロウは球体が未成熟な状態であっても外部からの刺激によってまれに爆発することがある。


 グロウがラフィータのすぐそばを悠々と通り過ぎていく。


(個別に倒すなら、まずはグロウだ。グロウがいなくなればマウントマッドは容易く撃破できる)


 グロウはスキルを発動した後でふわふわと浮きながら地上に落下し、しばらく小さな姿のまま地上を駆け回る。この無防備な状態を多人数で追い込んで討ち取るのがグロウを狩猟する際の正攻法である。


(ただ、グロウを追い詰めるには人手が足りなすぎる。地上に落ちてからだと追い詰められない。なら、地上に落ちる前に……、狙撃。狙撃なんて出来るのか。いや待て……)


 無言で地面をじっと見つめる。


(無いなら、作り出す……)


 ラフィータは自分が見落としていた一枚の札に気がついた。

 彼の頬に一筋の汗が伝う。


(出来るか……?)


 マウントマッドが腕を振り回す音が聞こえる。

 キースは一人で魔獣を引き受け続けている。


(なるようになる。やってみよう)


 ラフィータはエルメスとアーサに策を伝えた。

 エルメスはうっすらと笑った。


「痛快な一手だな。それが出来るのか」


「やるしかないならやるまでだ」


「良い言葉だ」


 エルメスが立ち上がる。わき腹の傷は塞がっていた。ただそれは表面的なもので、皮下の全ての組織が元通りになったわけではない。エルメスは体内マナによって傷口を意図的に硬化しながら戦うことになる。


「グロウが破裂するまでもうしばらくある。作戦をキースに伝えよう」


「ああ。了解だ」


「アーサも。行くよ」


「はい」


















 キースの真横にラフィータが飛びだしてきた。


「エルメスは!?」


「回復した! 僕が引きつけるから、キースはいったん後ろに下がって!」


 マウントマッドの腕がキースに向かって振り下ろされる。

 それをとっさに避けつつ、キースはラフィータの言うとおりに後ろへ、つまりエルメスのもとへ下がっていく。


「エルメス、怪我は」


「アーサのおかげで大分ましになった。力は出せないが陽動ができる」


「よかった。で、俺を下がらせたってことは何か話があるんだろう」


 エルメスは真面目な顔で次のように言った。


「『下策の最高峰』だそうだ」


「は?」


 エルメスはキースに作戦の概要を説明した。


「あいつ、そんなことできるの」キースが目を見開く。


「やってみる価値はあると思った」


「……分かった。俺たちはラフィータのサポートをすればいいわけだね」


「そうなる」


「よし、話はここまで。エルメス、無理はしないでよ」


「努力する」


















 痛烈な破壊音が炸裂する。

 ラフィータの体が衝撃で跳ね飛びそうになる。彼はそれを吸着魔法で制止しながらマウントマッドの次の一手に目を光らせる。


「ラフィータ! 話は聞いた!」


 そこにキースがやってくる。その後ろにはエルメスが見える。


 新手の冒険者を見たマウントマッドが興奮する。

 魔獣はラフィータを無視してキースとエルメスに無骨な右腕を振り下ろす。エルメスが右へ、キースが左で飛んでそれをかわす。


 エルメスが問題なく動けているのを確認し、ラフィータはひとまず安堵した。

 そしてその心を引き締め直す。


 大地がめくれ、大気が震える。

 三人の冒険者は攻撃をしない。する必要がない。

 彼らはマウントマッドの攻撃をあしらいながらそのときを待ち続けている。


 それからしばらく時間が経ち、


「マスター! 来ます!」


 戦いの場にアーサの警告が響き渡った。

 途端、冒険者の陣形が変化する。


 ラフィータがマウントマッドから距離をとる。キースとエルメスはマウントマッドを引きつけつつ、魔獣の注意をラフィータから引き離す。


 ラフィータが地に片膝をついた。

 そこにアーサがやってきて、主人のそばにぴったりと寄り添う。


「アーサ、集中する。警戒を頼んだ」

「はい」


 ラフィータが地面に手を置く。

 彼は地表をそっと撫でながら体内マナを地面に送り込んでいく。


 それと時を同じくして、戦況に変化が訪れる。


「お出ました!」


 巨大な球体が猛烈な速度で突進してくる。

 成熟したグロウがマウントマッドに衝突する。重厚な衝撃音が生じ、マウントマッドの体がぐらりと傾いた。マウントマッドがグロウの張りつめた皮膚に拳を叩き込み始めたのを見て、キースとエルメスがその場から脱する。


 キースとエルメスがラフィータのいる場所まで下がってきた。


「準備は」キースが聞く。

「形にはなった。いけると思う」


 ラフィータは目の前に作り出したものに手を触れながらそう言った。


「アーサ、エルメスに再度治癒を。キース、警戒を頼むよ」

「エルメスさん、こちらへ」

「任されたよ」


















 グロウのスキルが第二段階に入る。

 巨大な球体がふわりと浮き上がる。マウントマッドがグロウに最後の一発をお見舞いしたので、グロウの体は少し斜めの軌道を描いて上昇した。


 グロウの体が急激に縮まっていく。そして白い輝きが辺りを照らし出す。


「来るぞ!!」


 スキルが解き放たれる。

 血に飢えた数千もの針がいっせいに放出される。大地が地獄めいた様相へと変貌していく。


(『北天の加護』)


 ラフィータは障壁魔法を発動させた。

 生じた青い半透明の膜に針が襲い来る。凄まじい衝撃が大地を揺らす。


 マウントマッドの体に針が突き刺さっていく。針は硬質な外殻を貫通するまでは至らないが、柔らかな駆動部は別だった。魔獣の腕が千切れ、膝が弾け飛ぶ。マウントマッドが崩壊していく。


「まだだ。まだまだ……。いや、もうまもなくだ」


 障壁魔法に意識を割きつつ、ラフィータはじっとそのときを待つ。彼の顎から汗がしたたり、地面に小さな染みを作った。


 そのときが近づく。


 針の勢いが弱まっていく。

 ラフィータはそのタイミングで障壁を消した。


 無防備なラフィータ達に大量の針がせまる。それをキースとエルメスが剣をふるって一つずつはじき飛ばしている。針は形状が湾曲しものが多く、また側面に様々な切れ込みが入っているため素直にまっすぐ飛んでくるものが少ない。それを全てはじき飛ばすのは見た目以上に技量を要することだった。キースとエルメスのあまりに真剣な表情がそれを物語っている。


 一方、ラフィータは別の魔法に操作できるマナを回していた。


 ラフィータの視線が降り注ぐ針を無視し、とある一点に注がれる。

 彼が見つめるのはグロウだった。スキルを発動し本来の大きさまで縮んだグロウは、スキルの名残でふわふわと空中に浮きながら少しずつ地面へと落下していた。


 ラフィータの目論見は狙撃に他ならない。

 しかし彼はグロウの体を射貫くための手法を持ち得ていないはずだった。彼の所持する魔法陣をどう組み合わせたところで物を飛ばすには至らない。魔法を使うには魔法陣の補助が必須で、そこはマナ操作に長けたラフィータでも避けては通れない。


 だからラフィータは作り出すことにした。


(三……)


 ラフィータが魔法陣に手を触れる。

 直径は七十センチほど。その円形魔法陣は全てが土で構成されていた。行使するスキルはマウントマッドの核を破壊して手に入れたもの。大地を操作し押し固めるのに特化したスキルを有効に活用した。


(二……)


 発動させるは四の章三十『彼方かなたへの伝書』

 物体を一方向に加速させる極めて単純な魔法。


 ラフィータがエルメスから借りた槍を構え、角度をぎりぎりまで調節する。

 脳内に弾道を描き出す。

 極度の集中が耳元から音を遠ざけた。思考の回転数が上昇するにつれて景色が少しずつ凍り付いていく。


(一……)


 魔法陣にマナが巡る。

 ラフィータが槍から手を放した瞬間、短い風切り音が上がった。


 魔法陣の直上で加速した槍がうなりをあげる。


 美しい軌道だった。

 槍は向かい来る針の嵐を駆け抜け、そしてグロウの体へ到達する。

 空中に鮮血がまき散らされた。


 槍はグロウの体を串刺しにしてなお勢いを緩めず、背後の樹木に突き刺さる。樹木に縫い付けられたグロウはしばらく痙攣していたが、やがて力なく絶命した。


「やった! やったんだ!」


 キースが歓喜の声を上げる。

 その様子を見ながら、ラフィータはどすっと尻もちをついた。集中の反動が来ていた。アーサがとっさに背中を支えなければそのまま地面に倒れていたかもしれない。


「よし、あとはマウントマッドだけだ。ラフィータは……」エルメスがラフィータをちらりと見る。「アーサ、しばらくラフィータを頼む。キース、二人でマウントマッドを処理するぞ」


「エルメス、怪我は大丈夫なのか」


「無問題だ」


 その後は特筆すべき事なくクエストが進められた。

 最後には復活したラフィータも加わり、マウントマッドは難なく撃破された。


 ラフィータ達は運び屋を呼び寄せ、館へと帰還した。


 ヘカトンケイルが帰還したと聞いた途端、運び屋の親父が血相を変えて飛びだしてきた。その後ろには数人のギルド職員の姿も見えた。


 疑問符を浮かべるヘカトンケイルの面々に以下のような説明がなされた。

『無尽蔵』のメンバーがついさっきここに到着したらしい。話によると彼らは『エンパテータ』に襲撃され、拘束された上で魔獣をけしかけられたとか。幸いなことに魔獣は『無尽蔵』のメンバーを殺傷するに至らず、彼らはそのことをギルドに報告することが出来た。


 キースがクエスト中『グロウ』に介入された事、および二体の魔獣を狩猟したことを話すと、ギルド職員の顔つきがますます曇った。グロウの介入は不可解なことだった。『無尽蔵』の担当していたグロウの生息地域はマウントマッドとはかなり距離があったのだ。グロウの活動範囲は確かに広いが、それを差し引いても今回の騒動は人為的なものを感じさせた。


 『エンパテータ』は行方をくらませたままだという。


「ヘカトンケイルの皆様、クエストの達成ご苦労様でした。今回の件はギルドで調査させていただきます。のちほどお話をお聞きすることもございますので、その際はよろしくお願いします」


「はーい」

「調査、よろしく頼みます」


 キースとエルメスがギルド職員に頭を下げた。


















「サドン殿。あなたも馬鹿なことをしたものです」


「貴様! 俺を誰と思っている! このような扱い断じて許されんぞ!」


 Bランクパーティー『エンパテータ』はギルドによって拘束され、現在は軍に身柄を引き渡されていた。


 リーダーのサドン=シュガーレス・ナイトが鉄格子ごしに騒ぎ立てる。

 それを看守が冷たい目で見すえた。


「罪人を留置場に留めおくのは正当な行為です。サドン殿、騒ぐのはおやめなさい」


「ふざけるな! 上の者を呼べ! 私の名を伝えろ! ナイト家に属する者へのこのような不当な行為、断じて許されるものではない!」


「……これだから貴族は嫌いなのだ」


「は?」


「上の者、ですか。伝わっているようですよ」


「なに……!?」


 看守は椅子に座ったまま爪いじりをしている。


「軍を含め、ナイト家の皆様もそうです。あなたに味方するものはいません」


「どういうことだ!?」


「教えてさしあげましょう。今回ね、あなたが標的とした冒険者パーティー。これがかの有名な現人神あらひと、琥珀ノ王のお気に入りだったようでしてね」


「こ、琥珀……。竜人だと。まさか、嘘だと言え」


 呆然とするサドン。

 それを横目に看守は爪にふっと息をかけた。


「私は無意味な嘘をつきません。ねえ、あなたが今なおこうしてここに捕らえられていることが何よりの証左ではありませんか。あなたはね、手を出す相手を間違えたのですよ」


「父と……。父と話をさせろ! これは何かの陰謀だ! 俺ははめられたのだ!」


「あなたのお連れが真実を吐くのも時間の問題でしょう。減刑を目の前にちらつかされて、あのような粗暴なものが雇い主を庇うとも思えませんし」


「話を聞け! 爪より大事な話がある! 貴様! 聞いているのか! おい!」


 看守は立ち上がり、サドンに唾を吐いた。


「ファッ〇ユー」


「貴様アアアアアアアアアアアアアアアアアア! ア゛ア゛アアアアアアアアアアアアアアア!!」


「おお、珍獣を見ているようだ。まこと楽しい。クセになったらあなたのせいですよ」


















「しっかしお前らも災難だったなあ」


 ハクマの街に帰還したヘカトンケイルはヤジ亭にて夕食をとっていた。彼らの周りには数人の冒険者が集っていて、事の詳細をしきりにねだってきた。


「エンパテータは俺らも気にくわねかったんだ。あんのサドンとかいうBONBONだろ」

「ああ、んだんだ。悪人面した奴らしかいねかった」


 ラフィータはコップに口を付けたまま静かに話を聞いていた。饒舌なのはキースで、話が飛躍しかけたところをエルメスがフォローしている。

 冒険者の話では、エンパテータはギルドの運営する調犬隊によって居場所を嗅ぎ出されたようだ。彼らは拘束される際に抵抗したらしく、ギルド側にかなりの怪我人が出ているとのことだった。


「ヘカトンケイルのあっぱれな活躍、見事なり。で、これにて一安心ってことだ」


 キースが腕を組みつつまとめると、エルメスが「調子に乗るな」と言ってその頭をこづいた。


「えはは。ま、気の毒っていや、あの山みてえな男だな」

「ああ、奴ねえ。ま、主人に恵まれねかったわけだけど、何とも言えねえなあ」


 冒険者の話にラフィータの耳がぴくりと動いた。


「山みたいな男って、アーガルドさんのことですか」


 同じ宿に引っ越してきた男のことが気にかかった。

 ラフィータが聞くと、冒険者は「んだんだ」と頷いた。


「そもそもサドンは家に勘当された身だったんでえ。家業を継ぎたくねえとか我が儘こいたらしくてなあ、冒険者やってたのもそんため。アーガルドはサドンの従者やってたらしい。ちょっと温厚すぎるけど出来た男だったらしくて、ナイト家のお偉いさんもさんざん引き止められたらしいだ」


「サドンより引き止められたってのは笑い話だよな」


「ほんそれ。サドンのしでかした悪行をあとで謝って回ってたのも全部アーガルドだったって話だんだ。あんな駄目男、さっさと見捨てればいかったのんになあ」


「なあ。美談にもなんねえし、もの悲しいっちゃもの悲しいかなあ」


 ラフィータは無言で酒を口に運んだ。

 話題はそれていく。マウントマッドを前にしてキースがいかにして立ち回ったのか。武勇伝はえんえんと続く。冒険者の体に酒が回っていく。


「マスター」


 アーサがラフィータの服をちょんと掴んだ。


「どうしたの」


「少し、お外に出ませんか」


 ラフィータは目をぱちくりとしたが、「そうだね」と言って席を立つ。


「どうした」と聞いてくるエルメスに「すぐ戻るよ」とだけ伝え、ラフィータはアーサと共にヤジ亭を出た。


















 夜風はぬるかった。肌が季節の移り変わりを感じる。

 春から夏へ、草が繁茂し動物が栄える。冒険者にとっては辛い季節がやってくる。


「マスター、どうかされましたか」


 路地裏に来た途端、アーサが振り返って聞いてきた。


「どうもしないよ」


「嘘です。分かります。マスター沈んだ顔をしています」


 ラフィータは背中で後ろ髪をいじりながら苦笑した。

 感情が顔に出ていたのだろうか。鏡があればのぞき込みたい気分だった。


「少し……。ちょっとだけ、そうかも」


 ラフィータは家屋の壁に寄りかかり、星空を見上げた。

 珍しく何かを打ち明けるつもりになっていた。聞いて欲しかった。酔いが回っているのだろうか。


「アーサ。家族って、知ってる?」


「家族、ですか」


「うん」


「父がいて、母がいます。血の連なりです」


「ものすごいアバウトだけど、そうだね。でね、アーサ。僕の父は僕に少し厳しい人だったんだ」


「厳しい、ですか」アーサは首をかしげた。


「うん。簡単に言うとね、息子として扱われなかった」


「それは……。なぜですか」


「どうして、だろう。一つ言えるのは父上は僕のことが嫌いだったってことだけだ」


 妾腹の子という表現は、控えた。

 アーサが考えるにはまだ早いと判断したからだった。


「遠い昔の話だけど。僕は家に居場所がなくて。でも、そのことに憤ってくれる人がいたんだ。その人はずっと僕によくしてくれて、いつも僕を助けてくれた。結局、そのことがばれて父上に追い払われちゃったけど」


「…………」


「アーガルドさんの話を聞いて、そういえばあの人は無事だったのかなって。ふと思い出して……」


 ラフィータは話を切って、なにげなくアーサの顔を見た。

 アーサはラフィータの目をじっと見つめていた。


「あの」


 アーサがラフィータの手を掴んでくる。ラフィータの手が小さな手に包まれる。

 彼女はどこか気遣わしげな顔つきをしていた。緋色の瞳がラフィータをとらえて動かない。


「教えてください。マスターの気持ち」


「え」


「その顔は、分かりません……。悲しいのとは、また違うのですか」


「…………」


 ラフィータは内心驚いた。心情を見抜かれたことに動揺すらしていた。

 彼は真面目に自分の心を見返して、やがて嘘偽りの無い言葉を口にした。


「寂しさって、言うんだ」


「寂しさ……?」


「親しい人と会えないときに感じる感情だ」


「どうしたら……。その人と会えば、いいのですか」


 アーサはラフィータを心配していた。

 心の亀裂が見透かされている。ラフィータはけれども取り繕おうとはせず、逆にアーサの手をぎゅっと握り返した。手の内に温かさが帰ってくる。


「会えればいいけど……。もう会えない人も、いるんだよ」


「だ、だったらっ。もしそうなら、どうしたら……」


 アーサはうつむいた。

 ラフィータの力になりたい。それは彼女を形作る柱であり、だからこそ今も主人の沈む想いを解決する方法を彼女なりに考えていた。


 それを献身と呼ぶのか。それとも思いやりと呼べばいいのか。ラフィータは教わったことがない。分かることは一つだけ。彼が幼少期より久しく忘れていた人の良心が目の前にあった。


 ラフィータはアーサの手を手放して、彼女の背に腕を回した。彼女をそっと抱き寄せる。

 アーサは一瞬びくりとしたが、されるままラフィータの腕の中におさまった。


「もし寂しがってる人がいたら、アーサ。そのときはこうして抱きしめてあげればいいんだ」


「抱きしめる……?」


「うん。もちろん、親しい間柄ならって条件付きだけど……」


 ラフィータはアーサの肩に顔をうずめた。


(今日は少し、ひどい。情けない……)


 心が海に沈んでいく。

 記憶の中から這い出たものが現在の感情を喰らい尽くす。残ったものは悲しみだけ。吐き出すことのかなわない、彼の抱えた過去の結晶。


 消える悲しみは、熱くて、もろい。

 消えない悲しみは氷のように冷たく、重い。


 ラフィータにとって、冷たさは過去の象徴だった。


 だから、彼は温もりを求めた。

 自然と腕の力が強められたのもそのためで。


「…………」


 アーサの腕がラフィータの背に回された。

 ラフィータは目を閉じた。

 存在の証明に視覚は要らない。彼は遠い昔に、母からそれを学んでいた。


 ラフィータはアーサに頼る自分を恥じた。

 それでいて、拒絶されない安心感も抱いていた。


















「ラフィータ、いいか」口を開いたのはエルメスだった。


 ヤジ亭で勘定を済ませたラフィータ達は通りに立っていた。キースとエルメスは宿の方向が違う。今日はここでお別れだった。


「どうしたの、エルメス」


「その、今日のことだ。無理を言ってすまなかった。パーティーを危険に巻き込む行為だと分かっていたのに。頭に血が上っていたんだ。許してほしい」


 エルメスがラフィータに頭を下げてくる。

 その様子をキースが無言で眺めている。


「そんな。エルメスが謝るなら、僕も謝らなくちゃ。賛同したのは僕だし。パーティーの事よりアーサの事を優先した感じもあるし……。申し訳ない」


 ラフィータがエルメスとキースに頭を下げる。


 と、ドガッと音がした。

 エルメスがうめく。彼は尻を押さえてその場にしゃがみ込んだ。

 キースがエルメスの尻を蹴り飛ばしたようだった。


「さ、ということで湿っぽい話はおしまいっ」


「糞猫テメエ、何しやがる」


「エルメスは堅っ苦し過ぎるの。定規で引いたパーティーはやだかんね」


 エルメスはキースに突っかかろうとして、ため息をついてそれを止めた。

 エルメスがラフィータの方に向き直る。


「ところで、もう一つだけいいか」


「なあに」


「ラフィータ、お前の技術や知識のことだ。どれだけ努力をすればそこに行き着くんだ」


「え」


 ラフィータはエルメスの目を見た。

 よく澄んだ翡翠色の瞳は真剣な光を宿していた。


「今日のことの異常性は魔法に疎い俺でも十分理解できる。土砂という不定形の素材を押し固めつつ、同時に不均質な魔法陣であそこまで高威力の効果を生み出したんだ。並みのマナ操作のテクニックじゃない。教えてくれラフィータ、それは努力か、才能か。一人の冒険者として聞きたい。俺はその境地にたどり着けるのか」


「境地って、そんなもんじゃ……」


 エルメスは無言でラフィータを見てくる。

 ラフィータは頬をかいた。


「師匠には、才能があるっては、よく言われてた。だから、それを伸ばしたまでだよ」


「才能を研ぎ澄まさせるために、お前は何をしたんだ」


「……その、『溜まり』で、暮らすんだ」


 エルメスが顎を落として固まった。

 その後ろでキースが不思議そうな表情をしている。理解が追いついていない。


「それで、魔獣をね、倒すんだ。前情報無しで。必要な魔法を初対面で割り出して。その日の夜にそれを習得して、次の日に撃破する。師匠がね、魔獣の召喚スキルを持ってたから。溜まりに魔獣を放って、あとは放置されてた。今やれと言われても、多分できない……」


「頭おかしいんじゃないのか」


 エルメスは思わず本音をつぶやいた。


「生死の境目に何度も陥って。でも、なんでか生き残っちゃったけど。そうして生きてたら、こうなった」


「何のために、そんな」


 ラフィータは笑ってごまかした。

 強くなることが目的だった。強くなれば|死人(あの子)が笑ってくれると、半ば本気で信じていた。すがらずにはいられなかった。


「今となっては昔の話だよ。もう……昔の話だよ」


 ラフィータは頭をぶんぶんと振った。


「悪い酔い方だ。楽しくないことをぺらぺら喋るのは嫌いだ。エルメス、キース。僕はもう帰るよ」


「ああ、分かった。話してくれてありがとう。意義のある話だった」


「参考にしちゃ駄目だからね」


 ラフィータが言うと、エルメスが「真似できんさ」と言って笑った。


 ラフィータは口元に笑みをたたえつつ、二人に背を向けた。

 アーサがその後を追随した。


















「ラフィータの闇は深い」

「キース、どうする。酔いが一気に醒めちまった」

「お腹の傷、開いちゃうよ。だめだめ」

「そうか。そうだよな」


 キースとエルメスは並んで路地を歩き始めた。

 行灯が道を照らす。二人はしばらく無言で道を進んだ。


「何があったんだろうな、あいつ」


 エルメスがふとつぶやいた。


「そんなの分からないよ。何かがあったのは確実だろうけどね」


「歳、十五だっけ」


「うん。そう言ってた」


「誰かを追って旅してるって話だったよな。……復讐か」


「多分、そうだろうね。ここでレベルを上げてるのも、西へ向かうためらしいし」


「西、か……」


 大陸西方。大気マナの濃度には偏りがある。大陸西方の大気マナは濃度が高く、そのため大陸東方よりも高レベルの魔獣が出現する傾向がある。西方の冒険者は厳しい環境に洗練され、その数を減らす。ギルドに所属する狩人は所属するギルドでレベルを上げ、よりよい待遇を求めて大陸西方へ旅することを夢見る。彼らを冒険者と呼ぶのはそれが由縁だった。


 エルメスは歩きながらぼんやりと遠くを見た。

 その足どりが少しずつ遅くなっていき、やがて彼はその場に立ち止まった。


「なあ、キース」


「ん」キースが立ち止まって振り返る。


 二人の視線が交錯する。


「俺たちも強くならなきゃな」


「……だね。せめてグロウの針は避けられなくちゃ」


「よせよ。一人だけ被弾して、結構恥ずかしかったんだぜ」


 二人は笑いつつまた歩き出した。

 その後ろ姿を街の明かりと冒険者の群れが飲み込んでいった。

ストック切れたので次話から不定期更新になります。気長にゆるゆると書いてきますのでよろしくお願いします。

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