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第十五話 肛虐のエルメス

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

「おおん!? ああん!?」

「テメエやんのかゴラア!!」


 ギルド館のクエスト掲示板でもめ事が起きている。

 二つの冒険者パーティーがクエストをどちらが受諾するのかで争っているらしい。


「朝っぱらから元気ぃ……」


 キースが大あくびをかましながらそう言う。

 その隣でエルメスが険しい顔をして事態を眺めている。


「『滅火のルイン』の傘下パーティーだな……。もう片方は見たことがない。新入りか」


「アーガルドさんがいる」


 ラフィータの目にとまったのは熊のような大男。

 同じ宿に引っ越してきた男だ。顔を合わせたのは昨日、井戸で洗濯をしていた。


「お前が話していた男だな。となるとあれが新参のBランクパーティーか」


「そうみたいだね」


「すまない。三人は別の場所で待機していてくれ。ちょっと行ってくる」


「あ、エルメス! 行っちゃった……」


 エルメスが掲示板に歩いて行く。場をいさめようというのだろう。


「正義感の強い奴だなあ。ラフィータ、ヘカトンケイルはかかわらないよ。あれは『滅火のルイン』の問題だ。エルメスもそのつもりで行ってる。ラウンジで寛いでいよう。眠いし」


 ギルド館のラウンジは誰もいなかった。

 木製の長椅子にキースがごろんと横になる。彼はそのまますーすーと寝息を立て始めた。


「あの人たちはどうして言い合いをしていたのですか」


 アーサがラフィータに聞いてくる。


「多分クエストの取り合いだ。傘下パーティーって、アーサも聞いたことがあるだろう」


「はい。強いパーティーの下に弱いパーティーが属するんですよね」


「うん。どこかの傘下パーティーになるメリットは二つ。一つは上位パーティーから指導役が付き添ってくれて、戦いの術を教えてもらえる。

 もう一つはクエストの斡旋。係の冒険者が朝早くギルドに来てクエストを閲覧し、良さげなものを確保していくんだ。ハクマ支部ではいろいろな勢力が暗黙の了解でクエストを分け合ってる。取り過ぎてもいけないし、逆に取らなすぎてもいけない。その微妙なバランスにさっきの新入りのパーティーが横入りしてきたから、争いが起きたんだ」


「なるほど……。あの、ヘカトンケイルはどこかのパーティに属さないのですか」


「クエストを譲ってもらえるからといっても、早起きはしなくちゃならないよ」


 アーサの眉が八の字になった。


「そもそもBランクパーティーが属するにはAランクパーティーが必要になるしね。BランクにBランクが属することもあるけど、あくまで例外だ」


「そうなのですか」


 しばらくしてもエルメスが来ない。

 キースが寝返りをうった。黒い尻尾がたえず動いている。眠っているふりをしているが、エルメスが気になって眠気も吹き飛んでいるのだろう。


「すまない。遅くなった」


 と、ラウンジの入り口にエルメスが姿を現した。

 肩で息をしている。頬には切り傷もできていた。


「な、エルメス、何があったっ」


 キースが飛び起きてエルメスに駆けよる。


「最低のパーティーだ。『エンパテータ』、奴らの名前だ。覚えとけ」


「もっと説明が必要だエルメス」


「分かってる。今、俺は奴らの一人と決闘をしてきたんだ」


「け、決闘!?」


「ああ、先方は話し合いじゃまとめる気がないらしくてな。俺が挑戦を受けた側で、この通り勝ったわけなんだが。イカサマだと言いがかりまでつけてきやがった。あんなの冒険者じゃねえ」


 エルメスは怒気を隠すこともなく言葉を荒げる。

 彼がここまで怒りをあらわにするのは珍しいことだった。


 ラフィータはエルメスを観察し、ほっと息をはいた。


「とりあえず大きな怪我はないんだね。アーサ、エルメスの治療をしてやれ」


「はい」


 アーサがエルメスの顔に手を近づける。

 頬の切り傷がみるみる塞がった。


「ありがとうアーサ。もういいぞ」


 エルメスがラウンジから出るようラフィータ達に呼びかけてくる。


「あいつらは拠点に戻っていたみたいだから。クエストを選ぼう。『滅火のルイン』のおこぼれで高レベルのクエストが受けられる……。かもしれない」


「お、そりゃいいや。貢献度はなるたけ稼いでおきたいからね」


 道中、ラフィータはエルメスに『エンパテータ』なるパーティーの事を聞いた。

 エルメスは話題にもしたくないようだったが、ラフィータは譲らなかった。


「『エンパテータ』はファックル支部からやってきたらしい。パーティーは七人。傘下パーティーの有無は知らん」


 エルメスは嫌々ながら情報を話してくれる。

 そして、彼が次に口にした言葉にラフィータはある種の納得を覚えた。


「頭領の名前はサドン=シュガーレス・ナイト。身の程知らずの名がふさわしい、貴族出身のボンボンだ」


















「エルメスさん。先ほどはありがとうございました」


「よしてくれ。俺が勝手に絡んで勝手に喧嘩しただけだ。むしろ話をややこしくしてすまなかったな」


 『滅火のルイン』の傘下パーティーがエルメスに頭を下げている。

 もとは『滅火のルイン』の主級戦力である。その名前と人望はヘカトンケイルに移籍した今も失われていない。


「ということで、クエストを一つもらってきた。喜べキース……」


「お」黒い猫耳がぴんと立つ。


「Cランクの依頼だ」


「なんだよ」キースは一転してむくれた表情をする。


「Cランク『ラジカルウッズ』三体の討伐、および『種核の蜜』の採集。歯ごたえはありそうだぞ」


 エルメスがキースの頭をぐりぐりと撫でさする。


「『ラジカルウッズ』か。たしかに悪くないかもね」


 エルメスの手から逃れたキースはクエスト用紙を受け取って紙面に目を落とす。

 黒い尻尾はふりふりと振られている。機嫌は悪くないようだ。


「ところでエルメス、『マウントマッド』の依頼は貼り出されてた?」


 キースの問いかけにエルメスは微妙な表情をした。


「貼り出されていなかった。なんでも同じ区域に『グロウ』の姿が確認されたらしい。今、哨戒用のドールが森を駆け回ってる最中だ」


「『グロウ』か。それが本当なら面倒なことになりそう」


「ああ、Bランクが二体同時は勘弁してほしいぜ」


 キースが受付にクエスト用紙を提出し、各必要書類を受け取る。


(……?)


 ラフィータは辺りを見渡した。

 自分を見る視線を感じたような気がして。


「ラフィータ! 行くよー!」


(気のせいか)


 キースの呼びかけに手を上げて、彼はギルド館を後にした。


















「ラフィータとアーサちゃんは『ラジカルウッズ』を狩ったことがあるんだよね」


 ギルド館を出て間もなく、キースがラフィータに話しかけた。


「うん。あのときはただの狩猟クエストだったから、種核の蜜は採取しなかったけど」


「へえ。二人でだよね。力的にきつかったと思うけど、どうやって『倒した』の」


「『倒さなかった』よ」


「え……?」


「二人だし。潜在レベルも低かったし、根比べをするつもりもなかったから。あのときは……」


 ラフィータの話を聞いたキースは往来のど真ん中だというのに構わず大爆笑した。

 エルメスも苦笑いをこらえられずにいる。


「なあラフィータ、たまには正攻法で『倒して』みようぜ」


「でもエルメス、ラフィータ流でいくのも悪くないんじゃない」


「試したい気持ちも分からなくはないが。『ラジカルウッズ』が群れていなかったらな」


「エルメスの言うとおり。単純に戦力が低下するからね。魔獣が群れてたときは使えない戦法だ」


「ね、必要な準備しなくちゃ。ラフィータ、器具は持ってるの?」


「運び屋に預けてある」


「え、あそこ利用してるんだ。珍しい事尽くし、ほんと楽しい奴だなあ」


 引っ付いてきたキースをラフィータが引き離そうとやっきになっている。

 アーサがその様子を少し羨ましげに見ていた。


















 一匹の魔獣がヘクトールの森を徘徊している。

 狼に似た魔獣で、体長と同じくらいに伸びた尻尾が特徴的だ。尻尾は羽毛に似た毛が扇子のように広がっており、どことなく孔雀を思わせる形状をしている。

 クルルッカと呼ばれる魔獣だった。危険度は高くない。ヘクトールの森でも初心者が狩る魔獣の筆頭としてあげられ、冒険者にとってはある意味馴染みの深い魔獣である。


 そのクルルッカは一匹で森を彷徨っていた。

 片足を引きずっている。冒険者に群れを襲われ、一匹だけ逃げ延びた個体なのだった。


「きゅ?」


 クルルッカの耳がピンと立つ。

 魔獣は辺りを見回した。


 異常に発達した巨木が魔獣を取り囲んでいる。

 そのなかに一本、おかしな樹木が混じっていた。


 背丈は回りの巨木に遙か及ばない。高さはせいぜい十四、五メートルほど。

 緑色の葉をつけた枝の下では、極太の幹がなぜか血塗られたように赤黒くぬらついている。


 クルルッカはその木を不思議そうに眺めていた。

 その樹を危険などとは思わない。


 悲しいかな、彼は魔獣。

 生物大陸を母胎とし冒険者に殺される定めを受けた種族に、世代間の知識譲渡は行われない。


 シュルシュルと、なにかが大地を這いずる音がした。


 次の瞬間、枯れ葉の下に埋もれていた幾本ものツタが姿を現す。

 ツタがクルルッカに牙をむく。


 小さな叫び声が上がり、それが徐々に小さくなり、やがて止まった。


 ツタがクルルッカを持ち上げる。

 絞め殺された魔獣の死体がぷらぷらと宙に浮いている。


 ツタは死体を赤黒い幹の表面に近づける。

 幹の表面は微細な『鱗』で覆われていた。『鱗』は重なり合う向きにある方向性を持っていた。下から上に倒されたドミノのように、全ての鱗はななめ上に向かって突き立っているのだ。幹を下から上になぞる分には問題ないが、もし下から上に向かってなぞったら鋭利な『鱗』が皮膚を切り裂き、きっと手が血だらけになることだろう。


 『魔獣』はそのことを知っていた。

 ツタがクルルッカを振り上げ、そして死体を幹へと振り下ろす。


 鮮血が飛び散る。

 死体が幹にこすりつけられ、上向きにとがった『鱗』が皮を剥がし肉をそぎ落とした。


 クルルッカの死体は何度も何度も幹にこすりつけられた。

 死体がずたぼろになり、白い骨がぼろ切れと化した肉片だけを纏う状態に成り果てる。


 捕食は終わった。

 ツタが死体を投げ飛ばす。


 『鱗』に屍肉は詰まっていない。

 それは全て幹の中央に飲み込まれ、時間をかけて消化されるのだ。


 パカパカと開閉する『鱗』がぴゅっと血液を噴き出した。

 いらないものはゲップと一緒に出してしまう。


 植物ではなく、動物。

 赤黒い幹をさらに血で染めた『ラジカルウッズ』はツタを枯れ葉の下に埋め直し、新たな獲物が来るのを泰然と待ち構えている……。


















「いた。右斜め前方」


「確認した。数は……。一だな」


「近くに死骸が落ちてるねえ。満腹でおやすみ中なら近づきやすいけど」


 ラフィータ達は『ラジカルウッズ』を発見した。

 魔獣がどうかは分からないが、赤黒い幹は人間ならば一瞬で見分けがつく。


「手はず通りにいくよー。ポイントはあの樹の間ってところかな」


 キースがある一点を指差す。


「それでいいと思う」


「俺も同感だ。こちらで準備しておく」


「アーサちゃんと俺で手伝うよ。よし。じゃ、作戦開始。気合い入れて行くよ」


















 ラフィータが『ラジカルウッズ』の前に姿をさらす。

 彼は臆することなく魔獣のもとへ歩いて行く。


 ラフィータがある程度魔獣に接近すると、彼の周辺で枯れ葉が動いた。

 何本ものツタが姿を現す。ツタは蛇のようにのたうち、ラフィータを拘束しようとする。


 と、ラフィータが背後へと飛びすさった。

 空振りしたツタがラフィータを追う。

 が、ツタの長さはすぐ限界をむかえ、それ以上ラフィータを追うことが出来なくなる。


(間合いはここか。覚えた)


 冷静に距離を測りつつ、ラフィータは次の行動に移る。


 と言っても、何をするわけでもない。

 何もしないのが、次手。

 ラフィータはその場に立ち止まったままラジカルウッズを見つめる。


 ミシミシと音がした。

 突如、ラジカルウッズの葉が揺れた。

 幹がグラグラと傾き、魔獣の体が持ち上がる・・・・・


 オオオオオォォォォォォオオオオオオ……


 鱗から空気が吐き出され、独特の鳴き声が響き渡る。


「よし」


 自在に動く根を使い、見事立ち上がった・・・・・ラジカルウッズがラフィータの元に近づいてくる。


 幹の根元から生えたツタは幹自体が移動することでラフィータに届くはずだった。

 しかしその目算はたちまち狂う。


 ラフィータが後ろ歩きを開始する。

 魔獣の歩みは遅い。よたよたした歩行ではラフィータの速度に追いつけず、ツタは届かず空振りを続ける。


「さあ、こっちに来るんだ……!」


 亀と亀の追いかけっこが始まる。

 ラフィータはツタの届かない絶妙な位置取りで魔獣を刺激する。

 小さな獲物を捕らえられない苛立ちが積み重なっていく。


 ラフィータの足がとある場所を踏む。

 草葉とは違う感触を足裏に確かめつつ、ラフィータは後進を続ける。



 しばらく時間が経過する。



 ラジカルウッズはとある場所まで誘導されていた。


 長いようで短い追いかけっこはここで終了。


 ラフィータは鋼鉄の剣を抜き放ち、魔獣の右手に回り込むように走り出す。

 ツタがいっせいに振り上げられ、ラフィータを目がけて振り下ろされる。


 と同時、樹の影に隠れていたキースとアーサが魔獣の左側に走り寄った。

 魔獣は囮のラフィータに攻撃を集中させていたため、二人への対応が遅れた。


 それでも二本のツタが二人を襲う。

 キースはそれを華麗に避け、アーサは剣でツタをなぎ払う。


 キースが魔獣に肉薄する。

 彼は猛威を振るうツタの根元をむんずと掴み、剣を勢いよく振り下ろす。


 ラフィータを襲っていたツタの一本が痙攣し、地面に横たわって動かなくなる。


 遅れてアーサも魔獣の根元にたどり着き、ツタを剣で切断する。


 魔獣の攻撃対象が新たに現れた二人に変更される。

 しかしそれは『後手に回る』というもので、


 自分を攻め立てるツタが減ったラフィータは自らも魔獣の根元に向かった。


 もう止められない。

 最初、九本あったツタが五本、三本、一本とみるみる減り、そして全てのツタが刈り取られた。


「アーサちゃん。良さげなツタはあるかな」


「これとかどうでしょう」


「いいね。じゃ、やるよ」


 キースが切断されたツタの端を持ち、アーサがその反対側を握った。


 キースがそのまま魔獣の幹を一周して、再びアーサの隣に立った。


「え、そーれ!」キースが叫ぶと、

「え、そーれ!」アーサも叫ぶ。


 魔獣の幹に回されたツタがぴんと張る。

 引きずろうとするキースらと、その場にとどまろうとする魔獣。

 つまりは綱引きが始まった。


 ラジカルウッズの根は四方八方に伸び、長さもそれなりにある。

 魔獣は倒れなかった。しかし冒険者二名の力に負けて、無理やりに歩かされる。


 ラフィータは魔獣を背後から押している。ときおり再生しかけているツタを剣で切り裂いたりしながら、彼も魔獣との力比べに尽力している。


 そうして、魔獣がとある場所まで連行された。


「エルメース!!」


 キースが叫ぶ。


 場にエルメスの姿はない。

 それでも「おうよ!」と返事が聞こえた。


 ところで、ラジカルウッズは肉を喰らって生きている。

 植物ではなく、動物。

 それはこの魔獣が肉を消化するための内蔵を有している事を意味する。


 この内蔵を攻撃できれば魔獣を殺すことができるだろう。

 しかし内蔵の周囲は硬質な『鱗』に覆われた胴体で守られ、剣がすこぶる通りにくい。


 先人は考えた。方法があるはずだと。

 そこで思いつくことがある。

 植物ではなく、動物。

 消化器官を有するなら無論、排泄器官もなければおかしいと。


 槍が突き上げられる。


 エルメスが潜んでいたのは、魔獣の真下。

 丈夫な金網と枯れ葉で覆い隠された深めの穴から、エルメスが攻撃を仕掛ける――――


 ぶじゃぶ!! とグロテスクな音がして、

 次の瞬間、幹の真下に位置する魔獣の肛門に槍が容赦なく突き刺さった。



















「おおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 狭い穴の中、エルメスが槍を一度引き戻す。

 そしてもう一度、魔獣の内臓に達するように奥深くまで槍を突き立てる。


 ラジカルウッズの幹が左右に揺れる。

 わずかに持ち上がった魔獣の胴体。それが突然、ドシンと音を立てて地面に降下した。

 それは魔獣の根が体重を支えきれなくなった証。


 オオオオオオオォォォォ……


 最後の鳴き声が虚しく響く。

 次の瞬間、鱗の下の空洞から大量の血液が噴き出した。


 捕食した魔獣の血で染まった幹が最後は自分の血で染められる。

 ラジカルウッズはこうして絶命した。


「うわ、ぶっ! 野郎、糞を漏らしやがった!」


 未だ穴に捕らわれたエルメスは汚物にまみれた。


















「ほんとマナの消費が少なくてすむよね。時間もほとんどかからなかったし」


 ラジカルウッズ唯一の弱点である肛門を責めるため、冒険者達は一般に魔獣を横に倒す方法を選択する。しかしこの方法は欠点をはらんでいる。ラジカルウッズの根は長く、見た目以上に強靱なのだ。つまり幹を直接押したり紐などを使用して引っ張ったりしても、横に倒して肛門を露出させるまでかなりの労力を要する。


「二度とやらん」


 汚物にまみれたエルメスは涙目でそう言った。


「武器も鎧も糞まみれ、きったねー!!」


「うわああああああああああ!!」


 エルメスがキースを追い立てている。


「私は運が良かったのですね……」


 以前に穴の中で同じ役をしたことがあるアーサは、しみじみとした目つきでエルメスを眺めていた。


















「お、エルメス! くせえぞ!」

「逆噴射をくらったな! くせえぞ!」


 狩りの帰りで珍しく鉢合わせた『滅火のルイン』のパーティーメンバーにしこたま煽られたエルメスが死人のような目つきでラフィータの後ろを歩いている。


「エルメス、ごめん……。前はこうならなかったんだ……」


「責めるつもりはないさ……」


 なぜだろうか。背の高いエルメスがとても小さく見える。

 ラフィータは慰めることの無意味さを思い知り、前に向き直った。


 と、ラフィータは自分に近づく気配に気づいた。

 が、気づいたときには既に遅く、


 二本の腕がラフィータの目の前に伸びる。

 背中にぶつかる硬い鎧の感触。


 二本の腕はラフィータの小さな体をぎゅっと抱きしめた。


 顔の真横に銀色の髪が垂れる。

 耳元につるつるした鱗があたった。


「ラフィータ、ごきげんようですわ」


「コ、コハク殿、苦しい……」


「あ、ごめんなさい」


 琥珀ノ王が腕の力を緩める。

 息の出来るようになったラフィータは己のななめ上に目を向ける。


 顔の輪郭を覆う赤い鱗。澄んだ翡翠色の瞳がラフィータを見下ろしている。

 目が合うと、琥珀ノ王はにこりとほほえみかけてきた。


「こんばんわ。クエスト帰り?」


「そうですわ。マッシャーグリーブの捕獲クエストでしたの。……ん?」


 琥珀ノ王は眉をひそめた。

 彼女は空気をすんすんと吸い込み、後ろを振り向いた。


「お前ですの、元凶は。くさいですわ」


 とどめの一撃を受け、エルメスは地面に両膝をついた。

 彼は地面に顔をうずめ、しくしくと泣き出してしまった。


 アーサは彼に慰めの言葉をかけようとして、しかし臭いがきつく近づくのを躊躇い……、という動作を何度も繰り返している。


 そのとき、琥珀ノ王の名前を呼ぶ声がどこからか聞こえてきた。

 『姫と焔』のメンバーだろう。琥珀ノ王を探しているのだ。


「ラフィータ、内緒の話があるの。こっちに来てくださいまし」


「あ、ちょっと」


 ラフィータは茂みの中に連れ込まれた。


「いったい何用?」


 琥珀ノ王は身をかがめてラフィータにウインクした。


「ねえラフィータ、お願いを覚えているかしら」


















 傾いた夕日が降り注いでいる。

 キースらと別れた後、ラフィータは頭を抱えながら帰路についていた。


 ハクマの街中は相変わらず冒険者でごった返していた。

 ラフィータは男たちの群れに揉まれるようにしながら表通りを進んでいく。


「マスター、大丈夫ですか」


 アーサが隣に来てラフィータの顔をのぞき込む。

 猫耳がぴくぴくと心配そうに動いていた。


「心配しなくていい。それより後ろについて。前から人が来る」


 言うやいなや、アーサの正面に冒険者が歩いてくる。

 アーサは大人しくラフィータの後ろに戻った。


(まったくあの人は……。困ったもんだ)


 ため息を一つつく。

 脳裏に浮かぶのは銀髪の半竜人。


 彼女にも抱え込んだものがあるのはある程度の理解を示せるが、そのことに自分まで巻き込まないで欲ほしいと思う。


 苛立ちに似たもやつきを胸の中に抱きつつ、ラフィータはこめかみを揉んだ。


「きゃっ」


「貴様、止まれ。……。いいねえ……」


 と、背後で声が聞こえた。

 ラフィータが足を止めて振り返る。


「名を言え、あるじはどこにいる」


「離してください……!」


 アーサが集団に囲まれている。


 そのうち一人の男がアーサの手首を掴んでいた。

 アーサはそれを振りほどけないでいる。


「名を聞いているのだ。言え」


「っ!」


 アーサが自由な片手を振りかぶる。


「やめろアーサ」


 その手をラフィータががしりと掴んだ。


 ラフィータが男を見る。

 顔立ちは若く、体つきも細い。年齢はキースやエルメスと同程度。二十はいっていないだろう。


 男は綺麗な身なりをしていた。剣を腰に差し鎧を着ているところから冒険者なのは見て取れる。が、その鎧はまったく汚れておらず、剣の柄も新品同様ぴかぴかだ。しかも、装備のいたるところに宝石や稀少な金属が散りばめられていた。

 貴族、もしくはそれに準ずる何かなのは一目で分かった。

 周りの男どもはお付きの者といったところか。


 男はアーサの振り上げた腕に恐れをなして、一瞬目をつむっていた。

 いつまでも衝撃が来ないのを不思議に思ったのか。男は恐る恐ると言った様子で目を開けて、アーサの隣に立つラフィータに気づいた。


「なんだ貴様は。……ははん、さては貴様がそいつの主だな」


「ええ。主は私です。躾けがなっていなく申し訳ない。それで、私のドールになにかご用でしょうか」


 男はこめかみに垂れた髪を指でくるくると巻き取りながら、薄気味の悪い笑みを浮かべた。


「おい、小僧。いくらだ・・・・


「は?」ラフィータは眉をひそめる。


「だから、いくら払えばそのドールを手放すと聞いている」


 アーサが驚愕に目を見開く。

 彼女は何事か口走ろうとしたが、ラフィータがそれを制止した。


「…………」


 ラフィータは冷たい視線を男に向けた。


「なんだその目は。平民風情がこの私に反抗しようというのか」


 男が声を荒げる。

 それと同時、周りのお供がおのおの武器に手をかける。


 そこでラフィータは気づいた。

 周りの男どもに見覚えがある。


 決定的だったのは男達の最後方に大柄な男が立ちつくしていた事だ。


(アーガルド……。こいつら朝の『エンパテータ』か。どうりで見覚えが)


 アーガルドは気まずそうな様子でラフィータを見つめている。彼だけは武器に手をかけていない。


「何か言ったらどうだ」


 ラフィータはちらりと横を向いた。

 人通りの多い表通り。何人もの冒険者が今もラフィータ達をさけて歩いて行く。


「ふん、虚勢だけのはったり小僧か。怖じ気づいたな。もういい」


 問題の貴族、サドン=シュガーレス・ナイトは演技がかった仕草でため息をつく。

 サドンは懐に手を入れ、少し迷った後で袋から宝石を一つ取り出した。


 それをラフィータの胸にドンと突きつける。


「う!?」


 目論見と違いラフィータがよろけなかったためサドンは顔をしかめた。

 が、それもつかの間。サドンは勝ち誇った顔をしてラフィータを見下す。


「ほーら、薄汚い貴様では一生かけても手に入らぬ財宝だ。『逆転の呪縛』を行使し、ドールを解放しろ。安心しろ、この猫は俺が正しく飼い慣らしてやる・・・・・・・・


「アーサを金で譲るつもりはない。これは私のドールだ」


 ラフィータが静かに言った。

 サドンの眉間に皺が寄る。


 そのときだった。

 うわっ! と野太い声がして、冒険者がラフィータにもたれかかってきた。


 ラフィータはそれに逆らわず、自分も体勢を崩して目の前のサドンの胸に倒れ込んだ。

 サドンと交差する瞬間、ラフィータは魔法を行使する。


 サドンの片腕から一瞬だけ力が抜け、アーサの手が解放された。


「ぐ、ぬおお……」


 サドンは二人の重みに耐えきれず、その場に尻もちをついた。


「うわっ。申し訳ありません!」


「痴れ者! 前を見て歩かんか!」


 足をもつれさせた冒険者がサドンにへこへこと頭を下げている。

 ラフィータは無言で立ち上がり、アーサの手をしっかり握った。


「ん、なんだ」

「痛って。誰だ石投げた奴ぁ!」


 あたりで声が上がる。

 同時に地上でバラバラと音が鳴り始めた。


「え、あ、これ……宝石!? 嘘!?」

「マジだマジだ! モノホンだ!」

「こっからここまで俺のだ!」「僕の取らないでよ!」「全部あたしの!」


 夕焼けの空から降り続くのは、何の変哲もない石ころ。

 しかしその中には色とりどりの宝石も混じっていた。

 にわかに目の色を変える通行人達。


 表通りは大混乱に陥った。

 狂乱した冒険者が群がるように集まってくる。


 混乱に遅れ、青い顔をしたのはサドンである。


 冒険者で貴族など自分しかいない。 

 彼はその宝石群が自分の懐から放たれたものだと反射的に思い込んでいた。


「拾え! お前たち拾うのだ! 貴様ら控えろ! その宝石はこのサドン=シュガーレス・ナイトの私物であるぞ!」


 アーサのことなど頭から吹き飛んだサドンが冒険者の一人に鞘を振り下ろした。

 お供も同様の手段に出る。


 天の恵みに我欲をむき出しにし、冒険者に手傷を負わせた貴族様。

 この噂はサドンの悪評を爆上げする事に繋がったのだが、ラフィータがそれを知るのはまた先の話。


















 路地裏に身を隠した途端、アーサがラフィータに抱きついてきた。

 ラフィータは少女の背中をぽんぽんと叩き、その体を自分から引き離す。


 紅色の瞳を間近に見る。その目は涙をにじませていた。


 目を見開いたラフィータはもう一度アーサを抱きしめた。


「アーサ、ごめん。目を離してたから。怖い思いをさせ……」


「……てないでください」


 アーサが何事かつぶやいた。

 ラフィータが耳をすませる。


「マスターと離れるの、やです……。捨てないで……」


「……そのことか」


 アーサは自分が金で売買されそうになって不安になったらしい。

 ラフィータはアーサの頭を静かに撫でた。できる限り優しく、彼女が落ち着くように。


「お前は僕のものだ。誰にも渡すつもりはない」


「ほんとう……?」


「ああ、本当だ。お前が望む限りはそばにいてやる」


 ラフィータは自分の背中に回された腕に力が込められるのを感じた。

 アーサの頬が首にぴったりと引っ付く。


「じゃあ、ずっと一緒です」


 アーサの震えが止まるのが分かった。

 ラフィータはひとまず安心し、アーサの手を握ったまま裏通りを進み始めた。


「表通りは使えない。いつもと違う道を行くよ」


「はい」


















「マスター。そういえば、あのとき何をしたのですか」


 宿へと向かう道すがら、アーサが尋ねてきた。


 ラフィータは簡単に説明した。

 まず足裏に仕込んだ魔法陣を使用する。地面を伝って流した体内マナで吸着魔法を発動させ、冒険者の足を地面とくっつけ、自分に向けて意図的に転ばせる。


 ラフィータはサドンに倒れ込む。その隙に宝石に手をかざし、なおかつ『解離法』という魔法を使用してサドンの腕を一時的に痺れさせ、アーサを解放する。


「あの石と宝石は……」


「すべて偽物さ。じゃないと窃盗罪で捕らえられてしまう」


 贋作を作り出す魔法、『四五八百』。後ろに回した手の親指で空中に弾かれた偽の宝石と石ころは、魔法の効果でそれ自体が倍化していき、結果として通りににわか雨が降った。ラフィータは自分で巻き起こした混乱に乗じてその場から姿を消したのだった。


「あの一瞬で……」


 アーサはきらきらした目でラフィータを見つめてくる。


(褒められることじゃないんだけどな……)


 貴族ともめ事を起こしたのは事実である。

 もっとも、提示してきたのが小さな宝石一つだったり、降りしきる宝石に慌てて食らいついていた様子を見るに財力はあまりない。財力がないということは権力もないということ。

 貴族が武勇の道に進むのなら普通は軍隊入りする。それが冒険者などをやるということは、余程のすきものでない限り家を追い出されたか頼るべき家が没落したかの二択だ。


(油断はできない。面倒だけど。手は打っておくか)


 貴族のしつこさは身をもって経験したことがある。

 ラフィータは心の内で身を守る算段を立て始めた。


 その隣に引っ付くようにしてアーサが歩く。

 いつもは嫌がられる腕組みも、今日だけは振りほどかれなかった。


















「くそっ!!! くそが!!!」


 サドンの一日は今朝からツキに見放されていた。

 朝早くギルドに行けばそのクエストは俺たちのものだと礼儀を知らぬ冒険者に難癖をつけられ、決闘の末に敗北しギルドを出て行くはめになった。昼間は何もないところですってんと転ぶし、頭に鳥が糞を落としていく始末。

 体裁上、仕事もせず宿に帰るわけにもいかず夕方までブラブラして。そして目をみはるほどに美しいドールを見つけた。絹と思うほど美麗な白髪、愛らしい顔立ち。

 一目惚れだった。

 主人は年端のいかぬガキ。いけると思った。


「くそ! くそ! くそくそくそくそ!!」


 サドンは体の痛みにもだえながら悪態をついた。

 彼の周りには満身創痍のお供らが転がっている。


 冒険者の群れに殴りかかった『エンパテータ』は見事返り討ちにあったのだった。

 いくらBランクパーティーとはいえ、数で押しかけられたらどうしようもない。


「あんのくそガキぃぃ!!」


 自分が罠にはめられたのはサドンにも理解できた。

 まき散らされた宝石は全てが偽物だった。

 時間が経つと宝石は空気に溶けるように消えてしまったのだ。

 それを最後まで自分のものだと騒ぎ立てた過去の自分を消し去ってしまいたい。


(いや違う。消し去るべきは……)


 サドンの顔が憎しみに染まる。


「お前達! あのガキの名を知るものはいないのか!」


 その声に応じた者がいた。

 背が高くひょろひょろした体が特徴的な男だ。


「ありゃラフィータ=クセルスアーチでっさあ。今朝のエルメスとパーテーを組んでるみたいでっさあ」


「なあに!? あいつらグルか!! 畜生!」


「ヘカトンケイルとかいうパーテーでっさあ。できて新しいけど、けっこう注目集めてるみたいでっさあ」


「注目……」


 憤怒に嫉妬が加わる。

 そしたらもう止まらない。


 サドンは標的を見すえた。


(ヘカトンケイル潰す!! あの猫耳は可能な限り保護しよう)


 サドンの顔がいびつな感情で歪んでいく。

 彼の脳裏で様々な復讐案がシミュレートされる。

 そのうち一つに行き当たり、彼は凄絶な笑みを浮かべた。


「ふふふ、ふはは!! あっははは!! なんっという全能感だ!!

 やってやる!! 俺は全てを手に入れる男!! サドン=シュガーレス・ナイトォォォ!!」


 夕日が落ちかけた時間帯。

 暗がりに落ちていく路地裏に叫び声がこだまする。


「…………」


 咆吼するサドンの姿を大柄な男が見つめている。

 その瞳にたたえられた悲しい光がサドンに届くことはない。

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