第十四話 武器との遭遇
「眠いです……。う、頭痛い……」
「当たり前だ。考え無しに飲むからそうなる。ほら、水だ」
宿屋で起床したアーサにコップを手渡す。
アーサはそれを一気に飲み干した。萎れた猫耳がわずかに起き上がる。
「自分がどのくらい飲めるか、これで分かったろう。次からは節度を守って飲むんだよ」
「はい……」
「酔い覚ましの魔法だ。次からは使ってあげないからね」
ラフィータが首元にかけていた魔法陣を取り出し、アーサの頭にぺたりとくっつけた。
「ありがとうございます。頭が軽くなりました」
「顔を洗いに行くよ。その後は服を洗濯する。キース達との約束もあるし、急ぐよ」
自分の服とアーサの服が入ったかごを抱えて、ラフィータは階段を下っていった。
目指すは宿に備え付きの井戸。洗濯は自分でやらなければならない。ちなみにアーサは不器用がたたって服を破いてしまうことがあるので、洗い物は全てラフィータが引き受けている。
井戸に行くと先客がいた。
茶髪の男だった。屈強な体つきをした、熊のような大男である。手にした洗濯板が小さく見えてしまうほどの巨体がせっせと洗い物をしている。どことなく奇妙な絵面であった。
見たことがない顔だなとラフィータが思っていると、男が挨拶してきた。
「おはようございます」
「おはようございます。隣、よろしいでしょうか」
「どうぞ、お構いなく」
ラフィータは宿の主人から借りた洗濯板を石造りの地面に敷き、井戸に木桶を投げ入れた。
「新しくここに来られた方でしょうか」ラフィータが聞く。
「ええ。先日ここに入居した者です。アーガルドと申します。お名前をうかがってもよろしいでしょうか」
「ラフィータといいます。冒険者です」
「ラフィータさんですね。よろしくお願いします。私も冒険者です。以前はファックル支部で活動していました」
外見によらず丁寧な言葉遣いだ。ラフィータはそう思いながら水の入った桶を引き上げる。
「ファックル支部ですか。北方の支部でしたよね。どうしてハクマに?」
「ハクマ支部にはランクAがいないとの噂を聞いて。私のような冒険者は少なくないみたいですよ」
ランクAの冒険者になるためにはランクAの魔獣を狩ることが必要条件だ。
しかし非常に危険なランクA魔獣。冒険者ギルドとしては死傷者を出さず確実に狩ってもらいたいわけで、そうなるとクエストはランクAパーティーに優先して回されることになる。ランクAのいる支部ではランクBがランクアップするのは少々難しいことなのだ。
「となると、アーガルドさんもランクAを目指して?」
「はい。こんな見てくれですが、これでもランクBパーティーに属しておりまして」
(こんな見てくれって。謙虚な人だなあ……)
その後洗濯を終えたアーガルドが部屋に引き上げた。
ラフィータはせっせと洗濯をしながらアーガルドの事を考えていた。ランクBの冒険者は収入がそれなりに良いはずで、こんな安宿に泊まる必要もないはずなのに。
「不思議な人」
宿屋の物干し竿に洗濯物をかけていく。
アーガルドの洗濯物の隣に自分の服をかけるとサイズが大人と子供くらいの違いがあり、改めて自分の背の小ささを実感してラフィータは憂鬱になった。
中庭に放たれた番犬がそんなラフィータの様子を見て、わん! と吠えていた。
「マスター、お帰りなさい」
部屋に入るとアーサが机に向かっているのが目に入った。
彼女は筆ペンを握って文字の書き取りをしていた。
「どう。できた?」
「はい。見てください」
ラフィータはアーサから複数の紙を受け取る。
「うん、ちゃんと書けてる。出来るようになったね」
「えへへ。もっと褒めてください」
猫耳の生えた頭を撫でると、白い尻尾がぶんぶんと振られた。
アーサの弛緩した表情を眺めながら、ラフィータはおもむろに口を開いた。
「文字の書き取りはまだ続けるけど、毎日はやらなくてもいいかな。音読と書き取りの日数を減らして、明日からは算術にとりかかろう」
アーサはきょとんとした顔でラフィータを見上げた。
「さんじゅつ? ですか」
「うん。一足す一、とか。計算を扱う学問だね。まずは数を覚えるところから始めようか」
アーサは不安そうな表情をした。
苦手な分野なのはラフィータも承知である。例えば昨日のスウィングノームの捕獲、十五匹の捕獲が終わった段階でキースが面白半分に「アーサちゃん、あと何匹捕まえればいいかな」と尋ねたところ、彼女は知恵熱を出してぶっ倒れた経緯がある。
「大丈夫だよアーサ。こうして文字だって書けるようになっただろう。じっくり丁寧に教えてあげるから、一緒に頑張ろう」
ラフィータがそう言って背中をゆっくり撫でてやると、アーサは安心したようだった。
「さ、僕も着替えないと。アーサ、ちょっと外に出てて」
「マスター、一緒に着替えたいです」
「言うことを聞け」
「ごめん。待たせたかな」
「いいや、丁度来たところだ。こいつがなかなか起きなくてな」
エルメスがジト目でキースを見る。
キースの頭には大きなたんこぶが出来ていた。
「痛いんだもう……。あと三分あればちゃんと起きたのに」
「駄目猫め。お前はそう言って起きたためしがない」
「ま、確かにそうなんだけど。んんー。でも気持ちの良い天気だねえ。魔法陣もはっきり見える。そうだラフィータ、朝ご飯食べた?」
「ううん。寄り道しないで来たから」
「じゃ丁度いいや。装備品は後で見ることにして、まずは腹ごしらえしよう。屋台でいいよね」
キースの先導に従い、大通りを歩いて行く。
「朝ご飯、久しぶりです」というアーサのつぶやきは通りの喧噪に呑み込まれた。
「ここ、安くて美味しいんだ。ラフィータは来たことある?」
「ううん、ないよ。どんなものがおすすめなの」
「基本なんでも美味しいよ。いくつかメニューがあるから、まずはそれを見よう」
店の受付には少女が一人、ぼんやりと宙を見ていた。
彼女はキースに気づくと華やかな笑みを浮かべた。
「キースじゃん! 最近来てくれないから暇してたんだぜー!」
「おはよミランダ。来てないって嘘だよ。一週間前に来たばかりじゃん」
「もっと頻繁に来てよ。店番つまんないんだからー。ん、後ろのは前言ってた人たち? いらっしゃい!」
「紹介するねー」
店番のミランダと名前だけの自己紹介をかわす。
その後ラフィータがメニューを聞く。
(貯蓄が……)
微妙に痛い金額だった。
(キースの安いは安いじゃない……)
顔には出さず提示された金額を支払う。
ラフィータが選んだのはコジャッタと呼ばれるファストフード。肉と野菜の炒め物をパンの中に詰め込んだ簡単な料理である。辛めに味付けしたトマトソースをかけて食べる。アーサはメニューを見る間もなくラフィータと同じものを頼もうとした。せっかくなので違うメニューを頼んだらどうかとラフィータが言うと、二つ頼んで半分こしましょうとアーサが提案してきたのでそれで落ち着いた。
ラフィータ達は複数の屋台が合同で出し合った屋外席に着席した。
キースはミランダに呼び止められていた。
ミランダはアーサが気になったらしい。ラフィータが思うにミランダはキースに恋慕の情を抱いている。それでキースのパーティーにとびきり綺麗なアーサがいたら気にもなるだろう。
「あの子、ドールだよ。ラフィータが主人」
「え、ドールなの!? 嘘でしょ……」
「うん。でもどうしてアーサちゃんを……。あ、もしかして妬いちゃった?」
「う、うっさい!」
「あはは、ミランダも可愛いとこあるね。ほら、下見ちゃやだよ」
「こ、こいつぅ……」
ラフィータはその様子を遠巻きに見ていた。
「ねえエルメス。あの二人、つき合ってないんだよね」
「ああ。ミランダはともかく、キースはじゃれ合いの気分だろうな」
「キースのああいうところ、どう思う?」
「尊敬もしてるし軽蔑もしてる。複雑な心境だ、聞かないでくれ」
しばらくするとミランダとキースが料理を持って近づいてきた。
「じゃ、食べよっか」
キースはどろどろしたスープにちぎったパンを放り込み、木匙ですくって口に入れた。
エルメスはいただきますと一礼し、木匙を手に取った。
彼が選んだのは細かく刻んだ肉野菜を米と一緒に油で炒めた料理だ。
アーサがあらかじめ半分に切ってもらったコジャッタにかぶりつく。
彼女は一口食べると目を輝かせ、二口食べると片頬に手をあてて目を細めた。
「マスター! これ美味しいです!」
「アーサ、口にソースが……」
ラフィータがハンカチを取り出してアーサの口元を拭こうとしたとき、
テーブルの下でドスッと足を蹴られた。
「…………」
ラフィータの対面に座っているのはエルメス。
彼は素知らぬ顔で料理を口に運んでいる。
「アーサ、ハンカチを渡すから自分で拭くこと。食べ方にも気をつけろ」
「? ……はい」
口元を拭こうとしてそれを取りやめた主人に首をかしげながら、アーサは言いつけ通りハンカチで口をぬぐう。
――――教育は始まっているらしい。
「へえ、俺のとこにも来たんだよ、新しい男。エメラルダって名乗ってたかな」
「キースもなんだ」
「うん。ライバルが増えるのは好ましくないかなあ……」
「気に病む必要もないと思うぞ、キース」
「お、エルメス。どうしてそう思うのかな?」
「本当に実力のあるBランクパーティーならギルド支部から目をかけてもらえるからな。それをわざわざ抜けてここに来たってことは、ギルドの目にとまらない半端なパーティーの可能性が高い」
「なるほど。そういう見方もあるのか」
「ま、しばらくは距離を置きつつ様子見ってところだ。面倒ごとは起こすなよ、キース」
「分かってるって。どんな素性持ちが潜り込んでるか分かんないもんね」
会話をしているうちに食事がすんでしまった。
「じゃミランダ、ごちそうさま。またすぐ来るよ」
「約束だかんな!」
キースが受付のミランダにいつまでも手を振っている。
「さっさと行くぞ。時間の無駄だ」
エルメスがラフィータの服を引っ張った。
ラフィータ達は金物屋に足を踏み入れた。
うす暗い店内にはいくつかの武器や鎧が展示してある。
「キースにエルメスじゃん。何か用?」
店番の少年が話しかけてきた。
歳はラフィータと変わらないくらいだ。鍛治士の見習いだろう。
「こいつにちゃんとした装備を買いそろえさせようと思って」
「ふーん。冷やかしじゃないならいいよ。何から見る。武器、それとも防具?」
少年はラフィータの目の前に立った。
「防具からお願いしたいかな」
「あいよ。今だったら安いのがあってね。こっちのフルメイルがおすすめだよ」
少年は銀色に光る全身鎧を指差した。
ラフィータは沈黙した。
横でキースが笑いをこらえているのが分かる。
誰だって分かる。あんな重量の鎧を着て森を駆け回ったら二時間持たずに体力切れになる。
「マーグル、冷やかしてるのはどっちだ。他の店に行っちまうぞ」
「なんだよエルメス、軽い冗談だって。本気にするなよ。で、エルメス。悪いけどこいつさ、見たところ冒険者には思えないんだよね。新人育ててるの?」
「新人と言えば新人かな。こいつはラフィータ=クセルスアーチ。最近話題に上がってる有名人さ」
少年はたっぷり三秒固まった。
「あんたが噂のラフィータか! どうりで線が細いわけだ。魔法使いなんだっけ。はえ~」
少年がラフィータをしげしげと眺めてくる。
噂というのは緊急クエストで活躍したというものだろう。
「いやあ珍しいものを見た。ラフィータさん、決めつけたような事を言って悪かったよ」
「気にしてませんよ。では、改めて防具についてお聞きしたいです」
「あ、おう。偉い丁寧な口調で話すな。じゃ、まずはどんな防具が欲しいのか聞こう」
ラフィータは魔法陣を格納するある程度のすき間を要していることと、そもそも防具に頼った戦い方をしないので必要最低限の装備で十分なことを説明した。以前は胸当てと籠手、鉄板入りのブーツを使用していたことも付け加える。
ほとんど丸出しじゃねえか! と少年が叫んでいる最中のこと。
エルメスとアーサは武器を眺めていた。
アーサの防具は比較的新しいので買い換える必要はない。しかし武器はラフィータから受け継いだククリナイフを使用しており、これは買い換える必要があった。
「あんな骨董品でよく魔獣の肉を断ち切ってたもんだよ。初見じゃそういう訓練なのかと疑ったぞ」
「慣れると使いやすいんです」
「そりゃ慣れたら何でも使いやすいさ。アーサは使うとしたら剣でいいのか」
「え」
「俺みたく槍を使ったり、剣と盾を持って戦う手もある」
「ずっと剣を使ってきたので、剣だけでいいと思います」
「そっか。うーん、サイズと重さ的にはこのへんが無難かな……」
エルメスがアーサに一振りのナイフを手渡した。
アーサが試しにそれを振ってみる。彼女は首をひねった。
「気にいらないか。ま、品物は他にもある。時間をかけて吟味するといい」
「はい」
アーサの背後では「『ヘルソー・ブレイダ』仕様なんだぜ」と言って少年が太い棘が肩から生えた鎧をラフィータに勧めている。デザイン性に惹かれて購入する客が意外と多いらしい。「着てみたら。ねえ、着てみてよ」というキースの言葉にラフィータはぶんぶんと首を横に振っている。
「……あ」
ふとアーサが言葉をもらす。
彼女の目を引く剣があった。その剣は店の隅にぽつりと立てかけてあった。他の武器から隔離されたような様子が逆に興味を抱かせた。
刃渡りは六十センチほど。柄や鞘は全て黒に染め上げられている。
孤独にたたずむ漆黒の剣。
(かっこいい……)
アーサは剣の元へ引き寄せられるように近づき、その柄に手を伸ばす。
剣は軽かった。鞘の中に刀身が詰まっていないのではと思いたくなるほどで、アーサはそれを確かめるためにも柄に手をかけ、鞘から刀身を抜き放つ。
現れたのもまた闇を押し固めたような漆黒の刀身だった。
アーサがその魅惑的な黒に感嘆の息をもらした瞬間、
「え」
アーサの手元がぶるぶると振動する。
驚いたアーサが剣を取り落とすと同時、
キイイイイイイイイイイイン!!
刀身が馬鹿でかい音を立て始める。
高周波の音が空気を伝わり、店内で反響しあって大きさを増していく。
「う、うるせえええ!」
エルメスが叫ぶ。鼓膜がむず痒くなるような甲高い音に誰もが耳を塞いだ。
慌てたアーサは地面に落ちた剣に手を伸ばそうとしたが、振動する刀身は鍔を中心にくるくると回転しており、さわるのを躊躇ってしまう。
「何やってんだ!」
店番の少年が飛びだしてきて、アーサの手から鞘をひったくった。
彼は剣の鍔を足で踏みつけて回転を止め、黒い刀身を鞘の中に収納した。
刀身の振動がおさまっていき、やがて音は聞こえなくなった。
「アーサ、大丈夫?」
いつの間にかそばにいたラフィータが気遣わしげな表情でアーサを見る。
「私は大丈夫です。あの、ごめんなさい……」
「無事ならいい。それより、その剣は……」
ラフィータの視線が少年に向けられる。
少年は頭を掻きながら説明した。
「こいつは『黒金の剣』。ついこの前、うちのお師匠が冒険者から買い取ったもんなんだけど。どうも持ち手の表層レベルが低いとこうして馬鹿騒ぎするらしくてさ」
「見せていただいてもよろしいですか。抜きはしませんから」
「ああ、別にいいけど。売りもんじゃねえぞ。お師匠の道楽コレクションみてえなもんだ」
ラフィータが少年から黒金の剣を受け取った。
彼は鞘をしげしげと眺め、ふと笑みをもらした。
「魔獣の所持していた剣ですね。ガングローブという鎧の魔獣です」
「鎧の魔獣だと」エルメスがラフィータに問う。
「うん。鎧の中に肉核を持つ魔獣でね。スキルでマナの糸を実在化させて、それで鎧を操る。ここらの大地は生み出さないかもね」
「ラフィータさんよく知ってるな。それを持ってきた冒険者もそんなこと言ってたんだ。迷宮の中で生まれた変位種らしくてさ。撃破した勲章ってことで大切にしてたけど、レベルが足りなくて使い物にならないからって結局ここで手放したみたい」
「変位種扱いですか。もともとガングローブはもっと高レベル帯の魔獣のはずだから、仕方のないことかもしれませんね。で、アーサ」
突然の呼びかけにびくりとするアーサ。
思わず猫耳をぴんと反り立てながら「は、はい」と返事をする。
「ちょっと面白い実験を思いついてね。僕を含めてここにいる冒険者は表層レベルが足りなくてこの武器に認めてもらえない。でも、お前には可能性がある」
「可能性、ですか」アーサが首をかしげる。
「スキルを行使しながら抜剣してみろ。全部を抜かず、駄目そうならすぐ鞘にしまうこと」
ラフィータからアーサに剣が渡された。
アーサは剣を横に倒して目の前にかかげる。
左手に鞘、右手に柄を持ち、剣を見すえて集中する。
コツは一つ。
心の内で黒金の剣に仲良くなりましょうと語りかけながら、アーサはゆっくり抜剣した。
「騒がねえ……」少年が目を見開く。
光の全てを呑み込むような漆黒の刀身があらわになる。
改めて見ても惚れ惚れするような美しさである。アーサは思わずはあと息をもらした。
「スキルで手なずけることは出来るみたいだね。アーサ、そろそろしまって」
その言葉に従い、アーサが剣を鞘におさめた。
パチパチとエルメスが手を叩く。アーサに対する称賛の拍手だった。
「『魅了』スキルはそんなことまで出来るのか。ほんと汎用性が高いんだな」
「マスター、この剣、格好いいです。気にいりました」
アーサがそう言うと、ラフィータが渋い顔つきで「駄目」と言った。
「どうしてですか」
「そもそも売り物じゃないらしいし。それに、抜剣している間ずっとスキルを行使することになるだろう。集中も削がれるし、マナも無駄に消費する。たしかに業物みたいだけど……。今回は諦めてくれ」
アーサが未練がましい表情で剣に目を落とす。
エルメスが眉をひそめてため息をついた。
「アーサ、ラフィータの忠告を聞け。見た目だけで武器を選ぶとまずろくな事にならない。狩りに出る者の常識だ」
アーサがしぶしぶ剣を元の場所に立てかけようとしたとき、
「もってけ」
その場にいた誰の声でもない。
「お師匠! どうしたんで」
少年の見た方向にラフィータ達の視線が集まる。
そこにいたのはずんぐりした小柄な男だった。身長の小ささと釣り合わない丸太のような太腕が見るものを驚かせる。つるっぱげの頭とざんばらに切られたあご髭も、男の頑固さを窺わせる厳しい表情と相まって職人独特の風格をもたらす一因になっている。
「でかい音がすると思って来てみりゃ、面白い嬢ちゃんだ。その剣はくれてやる。出来映えに惚れて買い取ったはいいが、俺も持てあましてたところだしな」
「そんな、お師匠! あの剣にいくら払ったと思ってるんだ!」
「うるせえ黙れ! ぶん殴られてえのか!」
「黙れるかこの禿げ頭! そうやっていっつもいっつも! 少しは商売ってものを覚えやがれ!」
師匠と弟子の言い合いが始まる。
暴言を暴言で迎え撃つ、汚い言葉の応酬である。
「アーサ、僕の方はだいたい決まったから。お前の武器を選ぶよ」
「やっぱりあの剣は駄目ですか」
「あの剣が手に入るとしても、お前はもう一つ武器が必要になる。弱い魔獣にまであれを使ったらスキルの消費のせいでマナ収支がマイナスになるし。それとね。お前のレベルが今後適正な高さまで上昇したとしても、やっぱりサブの武器は必要になってくる」
「どういうことですか」
「冒険者のレベルは変動する。戦いのさなかで表層レベルが下がって剣に拒絶されたらどうする」
「スキルで……」
「その発想はよくない。レベルが下がりきるってことは、それだけ厳しい戦いを強いられているってことだ。スキルにまで意識を回す余裕はないと考えられる。アーサ、武器を選ぶときはここまで考えてからじゃないと駄目だよ」
「…………」
アーサはしょんぼりと肩を落とした。猫耳がぱたりと倒れる。
と、殴り合いに移行していた師匠と弟子の争いに決着がついたらしい。
大の字に伸びるのは弟子の少年。額にこぶを作って天井を見上げている。
師匠はぜえぜえと荒い息をしたまま片膝を床についていた。
彼はもう一方の膝に肘をくっつけた状態でアーサをびしりと指差した。
「もってけ嬢ちゃん。くれてやる」
アーサはラフィータをちらっと見た。
ラフィータは苦笑いしながら頷いた。
「もらっておけ。かなりの業物だし、使える場面がないわけでもない。大切にするんだぞ」
「ありがとうございます」
「僕じゃなくてあの人にお礼するんだ」
アーサは小さな鍛治士に頭を下げた。
「……ご主人。では、お言葉に甘えさせていただきます。それと、先ほどは連れが店内で失礼をいたしました」
「爆音の原因も嬢ちゃんか。いい、気にせん」
その後、鍛冶士を交えてアーサの剣を選び、ラフィータのものと合わせて購入した。
店を出たアーサはご機嫌な様子で鼻歌を歌っていた。
彼女は黒金の剣を胸に大切そうに抱えている。
(魅了は非生物にも有効なのか)
思わぬところで得られた有用な情報を脳内にしっかりと刻み込み、ラフィータは次の目的地に向かった。
被服店に入り、魔獣の皮をなめした頑丈な服をいくつか見つくろい、そのあとは昼食をとった。
昼食の後は新調した装備を試すために街の外に出た。
場所は街壁付近。
鉄と鉄のぶつかる音が響く。
ラフィータの手にした鋼鉄の剣がキースの喉元を突かんとする。
キースが半歩下がってそれを避ける。
「すきあり!」
キースの剣が素早く弧を描く。
叩きつけられるような一撃をラフィータが剣で迎え撃つ。
瞬間、舞い散る火花。
柔らかな地面が足の形に沈み込むのが分かる。
そのままつばぜり合いになるかと思われたが、キースは突然後ろに飛びすさり、剣を鞘に収めてしまった。
目をぱちくりとするラフィータにキースが言葉をかける。
「ラフィータ、休憩しよう」
キースは笑いながらも息を荒げ、額の汗を腕でぬぐっている。
ふと自分を顧みると、ラフィータも肩で息をしていて、服の下は汗でびっしょりと濡れていた。
「そうだね。ちょっと疲れたかも」
「軍配はどっちに上がったかな~。エルメス! 判断して!」
「うるせっ! 忙しいから後にしろ!」
甲高い音が鳴る。
アーサの剣をエルメスが同じく剣で受け止めている。
アーサは新調した鉄製の剣を、エルメスはラフィータのククリナイフを使用している。
普段槍を扱うエルメスは慣れない剣での戦いに苦戦を強いられているようだ。アーサの動きが初心者ゆえにデタラメすぎて予測がつきづらいのも彼が消耗するのに一役買っている。
アーサが飛びだした。
剣を胸の前に突きだした純粋すぎる刺突。
エルメスの目が細められる。
彼の腕が霞む。振り上げられたククリナイフがアーサの剣を斜め下からなぎ払う。
剣が宙を舞う。
武器を失ったアーサがエルメスの胸にドンとぶつかる。
「あ、あれ」
アーサが驚いた顔で手元を見ている。
と、アーサの後ろで剣が地面に突き刺さった。
ドスッという音に気づいたアーサが振り返って、自分の剣が遠くにあることに驚愕する。
「アーサ、身体強化はまんべんなく行わなきゃ意味がない。例えば今の。脚力を強化したのはいいが、そこに意識を割きすぎて握力の強化がおろそかになっていた。だから簡単に剣をはじき飛ばされる」
「ごめんなさい……」
「まあそもそも素人丸出しの動きから問題なんだが……。今日はここまでだ。武器の扱いはある程度慣れただろう」
エルメスが懐から布を取り出して自分の汗をふく。
「エルメス、厳しすぎるよ。少しくらい華を持たせてあげてもいいじゃん」
「キース、遊びじゃないんだ。俺たちは日々死地におもむいている。根拠のない自信ほど危険なものはない」
「その真面目さはどうにかならないのかな。堅物を通り越して修行僧に思えてくるよ」
「不真面目な猫よりはまだマシだ。俺はこれでいい」
ラフィータは水筒に口をつけながら二人の言い合いに耳を傾けていた。
幼なじみだというこの二人。口喧嘩ばかりしているのでいつも不安になるのだが、本人達曰く仲が悪いわけではないらしい。
衝突しながらも相手のことを最低限尊重している。
ラフィータには新鮮な関係性だった。見ていて飽きない。
「負けちゃいました……」
アーサがとぼとぼと近寄ってくる。
ラフィータはその垂れ下がった猫耳の上にぽんぽんと手を置いた。
「落ち込むことはない。対人の動きは魔獣と戦うのとは別の技術が必要になる」
「…………」
「動きにもキレが出てきてる。前に言った『強化すべき点を絞ってマナの消費を最小限に抑える』、さっきはこれを試していたんだろ。まだ慣れないみたいだけど、こうして訓練していればすぐ上達するよ」
アーサは安心した顔をしてラフィータに抱きついてきた。
エルメスが微妙な表情でラフィータを見てくるが、今回は見逃してもらいたい。
飴はやはり必要である。
「甘やかすなと言っているんだが……」
「気をもみすぎ。アーサちゃんはあれでいいんだよ」
日も傾いてきた頃、ラフィータ達は街中で解散した。
馴染みの屋台で軽食を買い、宿に直帰した。屋台の娘が何かを言いたそうにしていたが、結局何も聞けなかった。
夕食を食べたあとで風呂場に向かう。
水を浴びて汗を洗い流し、宿の主人が取り込んでおいた洗濯物を回収する。
先に体を洗って部屋に帰っていたアーサは、疲れが出たのか寝台の上ですでに寝息を立てていた。
その体に布を重ねてかけてやると、ラフィータは寝台の下から一冊の本を取り出し、椅子に腰掛けた。
付与スキル式のランプを灯し、古ぼけた表紙をめくる。
書き記してあるのは膨大な量の魔法陣、そして魔法陣の周囲を埋め尽くす大量の書き込み。
魔導書は師匠から受け継いだものだった。
書き込みはラフィータが記したものだ。
「…………」
マナも溜まり潜在レベルも70を越した今、彼は新たな魔法の習得を考えていた。
ただし書き記してある魔法をただ覚えるのではない。というより、彼はすでに記してある魔法のうち必要とするものを全て習得してしまっている。これ以上は蛇足に他ならない。
考えているのは自力でくみ上げた魔法陣を行使する、すなわち『新式魔法』の構築だ。
生物大陸のどの空にも描かれていない、ラフィータ独自の魔法陣。
ラフィータは魔導書にはさまれていた紙を数枚取り出し、テーブル状に広げた。
それは新たな魔法の構想をしたためたものだった。複雑な術式の周りに細かな計算式が連なっている。
筆ペンが紙面をはしる。
長い夜がゆっくりと過ぎていく。
深夜を回り、誰もが寝静まった頃、ラフィータは寝台に向かった。
猫耳の少女を寝台の奥に転がし、寝るスペースを確保する。
あくびをしながら寝台に横になると、寝ぼけたアーサが早速抱きついてきた。
振りほどこうとしても離れない。寝づらくてかなわなかった。
(もう少し稼げるようになったら二人部屋を借りよう)
抱き枕と化したラフィータはため息をつきながら目を閉じた。
年内の更新はここまでです。
年末年始でちょっとわたわたしてるためです。
ごめんなさい。
更新再開は新年5日を予定しています。
よいお年をお迎えください。