第十三話 ヘカトンケイル、始動
「では、これでパーティー申請の手続きは終了です。パーティー用術式は二階の十一号室で行われます。すぐ準備が終わりますので、それまで館内でお待ちください」
「フィーちゃんありがと! あ、でもその前に補填分のマナを受け取りたいかな。パーティー組んじゃうとごっちゃになるし」
「緊急クエストのマナ補填ですね。書類をお持ちしますので少々お待ちください」
「三人分お願いねー。待ってるよー」
ギルドの受付でキースがにこにこと笑っている。
機嫌がいいのも仕方がない。待ち望んだパーティー結成の日である。ラフィータ達に背を向けた位置上、黒い尻尾がふりふりと揺れているのが丸わかりだった。
「お待たせいたしました。ギルド証の提示をお願いします」
「だってさ! エルメス! ラフィータ! アーサちゃんも! 来て来てー!」
「いつ見ても気持ちが悪い」
「え、可愛くない?」
「キースの感性はいつまで経っても理解できない」
エルメスが眉をひそめている。
緊急クエストでは討伐隊を編制する。討伐隊で働いた冒険者にはそれ相応の報酬金と、そしてクエストで消費したマナの補填がなされる。
人間がマナを得る方法は一般的に一つしかない。何かを殺すことだ。
ということで、四人の前にはとある生き物が置かれていた。
樽の中に入ったそれはうねうねとのたうちながら樽から脱出しようとしている。
ネラースライム。
球状の核にジェル状の体をまとった魔獣である。スライムは生物大陸のいたる場所で誕生する。その利用用途は多岐にわたり、もはや人間の生活とは切り離せないとまで言われている。食用としてはもちろん、掃除用具として代用したり、下水機能の中枢を担ったり。スライムの幼体に至ってはギルドカードに閉じ込められていたりする。
数多くのスライム種が存在する中、ネラースライムは一際異彩を放っている。ほとんどのスライムが人間に害を及ぼさない中、ネラースライムは攻性魔獣に分類されている。ネラースライムは生き物を攻撃して生きている。
ギルドではマナ補填にネラースライムの習性を生かしている。
冒険者は半殺しにした魔獣を『溜まり』の外に運び出し、魔獣を拘束した上でネラースライムを顔付近に放つ。時間が経つと魔獣は窒息死し、ネラースライムの体にマナが吸収される。これを繰り返すとマナをたんまり蓄えた高レベルのネラースライムが誕生する。更にこれを殺すことで冒険者は大量のマナを得られる。
この方法は緊急クエストのマナ補完に限らず、至る所で利用されている。
と言うより、これがギルドの通常業務だったりする。この方法はマナの『運搬』と『販売』を可能にする。買い手は国防の中枢を担う『魔術師ギルド』。練習や研究等の目的で、魔術師は魔術を日常的に行使する為に大量のマナを使用する。そのマナはギルドが用意した高レベルのスライムを殺して補給されるのだ。マナに支払う金額は国家予算でまかなわれており、魔術師ギルドが『穀潰し』と呼ばれる由縁でもある。
「さあやるぞ!」「う、ぬめってる……」「アーサも手伝ってよ」「…………。(後ずさりをする)」
四人は殺戮作業に取りかかった。
スライムの核に無心で刃物を刺していくキースとエルメス。
ラフィータも一人だけ魔法を使うとは言い出せず、しぶしぶククリナイフの柄を握った。
「おっさーん! パーティー術式、受けに来たんだけどー!」
「キースだな。中に入って、ちょっと待ってろーい。あー忙し忙し」
ラフィータ達はギルド館のとある一室に足を踏み入れた。
ほこり臭い一室だった。壁際には分厚い書物が山のように積まれている。書類やら荷物の散らばった床は足の踏み場もない。整頓されていない部屋の様子が住人の性格を表していた。
「キース、おっさん呼びはよせよな。俺はまだまだ若いんだぜ」
黒いローブをはおった男が姿を現した。ギルド専属の魔術師である。ギルドの運営にかかわる様々な魔法の維持と点検を生業とする存在だ。
「その台詞が出るならそれはもうおっさんの証なんだよ、おっさん」
「マジかよ、悲しいなあ。でもへこたれない。じゃ準備もできたし。別の部屋に移動するぞ」
四人はローブの男に連れられて隣室に来た。
その部屋の中心には金属製の板が置かれていた。板は一辺が三メートル弱の正方形で、高さは二十センチほどある。物見台のようなそれの表面には複雑な魔法陣が描かれていた。
男はキースに首輪のようなものを手渡した。
キースがそれを首に巻きつけ、魔法陣が描かれた台に上った。
「見事に飼い猫だな。猫じゃらしはいるか」
「にゃろう。顔面ひっかいてやろうか」
「ふははっ。おし、始めるぞ。じっとしてろよ」
男が台の魔法陣に手をかざす。
行使される魔法は俗に『パーティー術式』とよばれるもので、術式を身に刻まれた冒険者達は魔獣から得られるマナをパーティー単位で均等に分け合うことが出来る。
これはドールの首に出現する『服従呪印』を研究しているうちに得られた副産物である。ドールの呪印は主人のマナを流すことでドールの心に服従心を生み出せる効果と、得られた魔獣のマナを自動的に二分して主人とドールに均等に供給する効果を持っている。このうち前者の効果が注目され、呪印は古くから研究されてきた。幸い、得られた効果は後者のみにとどまっている。
室内のマナが渦巻く。
魔法陣が青白い光を放つ。
「一月くらいしたら効果切れだ。そんときはまたここに来い」
「寂しがり屋だよなー。ほんとはもっと期間伸ばせるんじゃないの?」
「馬鹿猫め。めんたまひんむいて見ろ。俺が進んで仕事を増やすような男に見えるのかよ」
「確かに」
四人の首には灰色の紋様がうっすらと刻まれていた。
アーサの首は呪印も刻まれているため、皮膚がほとんど塗りつぶされたような見てくれになっている。
「ほらさっさと散った! このあとギルカ読み取り機の点検作業が待ってるんだよ。そのあとは溜まりまくりの書類処理しなくちゃだし……」
「多忙だねえ」
「ホントだよまったく。楽だって言うからこの仕事ついたのによ。
……じゃあお前ら、パーティー組んだからって浮かれてへましねえようにな。一応、無事を祈ってやる」
「ありがとおっさん! 今度また飲みに行こうぜ! じゃねー!」
「あーい。ばいばーい」
「いいクエストは先に取られちゃったなあ……」
緊急クエストの折に魔獣を大量に狩ったため、そもそもクエスト自体が少ない。
「キース、いい加減にしろ。初動だぞ。森の活性化の疑いもあるし、見栄を張らず堅実にクエストをこなすべきだ」
「そうだけど……。じゃあこれかな」
キースが掲示板から一枚のクエスト用紙を手に取った。
「スウィングノーム三十体の捕獲。ランクDの依頼だけど、妥当でしょ」
「そのくらいなら……。ラフィータはどう思う?」
「いいと思う。ただ捕獲クエストは僕たち初めてだから、そこはよろしくね」
キースとエルメスが驚いた顔でラフィータを見てくる。
「捕獲クエストはマナを得られないからさ。レベルを伸ばすのを重視して狩猟クエストばかりこなしてたんだ。採集クエストはやったことがあるけど」
「ほう。あとでもう一度お前が受けてきたクエストの内容を聞く必要があるな。とりあえず今はクエストを受付に持って行こうか」
「賛成ー」
四人は受付にクエスト用紙を提出し、受領証と捕獲印紙を受け取った。
「フィーちゃん。『コの字鉄』もお願いね」
「はい。こちらにサインをお願いします。はい、たしかに。ではこちらを隣館に提出してください。コの字鉄を紛失すると貢献度がマイナスされます。注意するようお願いします」
「うん。ありがとね。じゃ、行ってきまーす」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
エルフィーが控えめに手を振っている。
人のまばらなギルド館を四人が歩いて行く。
「しかし凄い面子よね。やばくない、あれ」
口紅の濃いギルド職員が若手の同僚に話しかけた。
「ですよね。ハクマのイケメン勢揃いって感じ。たまらねえよって叫びたい」
「そっちじゃないわよ。なんでそうなるのよ」
「え、どういうこと?」
「実力的な意味よ。『滅火のルイン』の主力エルメスに疾風のキース、そこに新星ラフィータ=クセルスアーチよ。とんでもない勢力がぽんと出来たもんだわ」
「ああー。確かに、確かも」
「『アザト』は近々解散するらしいし。しかもAランクがいないって噂を聞いた高レベル冒険者がハクマに集まりだしてるでしょ。この支部も一波乱あるかもね」
「言われてみれば、荒れるかもですねえ。面倒くさいなあ……」
「はあ……」
「パーティーの名前、なんて言いましたっけ」
「ええと、そういえば聞いてないわ。フィーちゃん! パーティー申請の書類持ってきてくれるー!?」
エルフィーは返事をしなかった。
彼女は受付に座ったまま、ギルド館の出口をぼーっと見ている。
心ここにあらず、といった様子だった。
「何、あれ」
「何って、恋ですよ」
「恋? エルフィーが? 誰に?」
「ラフィータ君ですよ。人気凄いんですよ。突き抜けたべっぴんですし、物静かで神秘的な雰囲気に惹かれる女子が多数いるみたいです。ま、私としてはエルメスの方がおすすめなんだけど……。ていうかあれ、先輩知らないんですか。先輩のせいじゃないですか」
「わ、私っ?」
「そうですよ。先輩がエルフィーに言ったんでしょう。『ラフィータ君にアタックしてみたら』って」
「そ、そんなこと、言ったような言ってないような……」
「もともと気にはなってたみたいですけど……。エルフィーは超絶純真うぶだから。先輩の一言で余計に意識しちゃったんでしょうね。そうなったら止まらないのが乙女心。彼が来るたびずっとああなんですよ。気づきませんでした?」
「うっそ……」
ギルド職員は頭を抱えた。
冒険者に恋をしてはならない。
彼らに恋をして幸せになった例はほんの一握り。ほとんどは枕を濡らす羽目になる。
職員としての自覚より以前に、女の常識だった。
知らぬうちにカルマを背負っていたギルド職員は、とりあえずエルフィーのもとに行ってみることにした。
「エルフィー?」
エルフィーはやはり返事をしなかった。
彼女は出口を眺めるのをやめ、今はある書類に目を落としていた。
彼女は書類のとある場所に指をあて、物憂げに文字を引っかいていた。
文字はラフィータの名前だった。
(手遅れね……)
エルフィーがため息をついている。
窓際で騎士を想う姫のそれだった。
「感心しないわね。書面が汚れたらどうするの」
ギルド職員はエルフィーの手から書類を奪い取った。
「あ、先輩……」
「何をふぬけてるの。仕事はまだまだあるのよ」
「ごめん、なさい」
「ねえフィーちゃん」
「はい」
「ラフィータ君が好きなの?」
エルフィーの顔が一気に真っ赤になった。
彼女はおろおろした態度で視線をあちこちに彷徨わせている。
「好きって、その……」
「異性として意識しているかってこと」
エルフィーはうつむいたまま顔を両手で覆った。
「分からないんです……」
「え?」
「分からないんです。初めてで……。胸、苦しくて。心臓はドキドキするし……。病気かなって、思ってたんですけど……」
「…………」
「これって、好きってこと、なんでしょうか」
(うわあ、めんどくさ……)
ギルド職員はため息をこらえた。口元が引きつるのが分かる。
「そうよ。あなた恋してるの」
「こ、こい……」
「相談、乗ってほしい?」
エルフィーは上目遣いで職員を見たまま、こくりと頷いた。
「分かったわ。今はとりあえず仕事を片付けましょう。話はお昼休みに、ね?」
「はい……。ありがとうございます」
エルフィーは少し気力を取り戻したようで、再び書類整理に手をつけ始めた。
ギルド職員はほっと息をついた。
同時に、彼女は内心で悪態をついていた。
(ラフィータ=クセルスアーチ。いろいろと面倒を起こしてくれるわね……)
職員は手元の申請書類に目を落とした。
「へかとんけいる……。『嵐を纏う巨人』、かしら。たいそうな名前ね」
彼女は知らない。
その書類の持つ意味を。
歴史が変わった瞬間だった。
ヘカトンケイル。
誰もが予想だにしない事態は遠い未来で現実となった。
今日誕生したこのパーティーはやがて大陸中にその名を轟かせることになる――――。
「ということでやって参りましたヘクトールの森! 気分はいかがかな、エルメス!」
「うるさい」
キースがぶーぶーと文句を垂れている。
「他の魔獣が寄ってくるだろうが。少しは考えろ」
「はーい。でも、少しくらいはしゃいだっていいだろう。パーティー結成だぜ。新生メンバーで初めてのクエスト、わくわくするでしょ」
「そりゃ、少しは……。だけど、それとこれとはだな……」
エルメスは仏頂面でキースを叱りつけている。
パーティー結成の日とあって改めてメンバーの親睦を深めたいキースと、結成の日だからこそ慎重にクエストをこなしたいエルメスのすれ違いだった。
「二人とも、落ち着いて。キース、キースはこのパーティーのリーダーだけど、だからこそメンバーの言葉もちゃんと聞かなきゃならない。特にエルメスはパーティーでの経験が長いんだから、意見はきちんと取り入れていくべき。エルメスもエルメスだ。『滅火のルイン』ではクエスト中の私語が禁止されていたの?」
「ラフィータに怒られた……」
「いや、禁止されてはいないが……。加減があってだな……」
エルメスはキースに向き直った。
「少し声を抑えて会話するなら、俺も認めようと思う」
「分かった。じゃあ、今の気分はいかがかな! エルメス!」
キースが若干声を抑えてエルメスに問いかける。
エルメスは視線をキースから外しつつ次のように答える。
「そ、そりゃまあ。自分たちで名前をつけて、自分たちで立ち上げたパーティーだし。責任は重く付きまとうけど、その分自由度も増していて……」
「分かりづらい! もっと簡潔に!」
「分かったよ……。自分たちで立ち上げたパーティーの名前が有名になるのを想像すると、正直にやけが止まらない。功名心なんて俺には無いと思ってたけど。夢見がちな新米冒険者の気分も、今だけ理解できる」
エルメスは苦笑しながらそう言った。
「でしょっ。それを共感してもらいたかったんだよ。ラフィータはどう?」
「エルメスに同意かな。個人で名を上げるのとパーティーで名を上げるのじゃ趣が違うし」
「うんうん。分かっていらっしゃる! やっぱしパーティーっていいよねー」
キースは上機嫌で頷いている。黒い尻尾がふりふりと揺れていた。
そんな様子をラフィータが眺めていると、服の裾をくいくいと引かれる感覚を覚えた。
振り返ると、猫耳の少女が寂しそうにたたずんでいた。
キースとエルメスもそれに気づく。
「アーサは今の話、分かるかな」ラフィータが問いかける。
「マスターは有名になると嬉しいのですか」
「冒険者にはそういうところがある。アーサも自分が努力して力量が上がって、それが周りに認められたら嬉しいでしょ」
アーサは目をぱちくりした後で、あごに手を当てて考え込んだ。
「マスターに褒められたら嬉しいです」
アーサは満面の笑みでそう言った。
「ラフィータ限定なの、アーサちゃん」
「前々から思ってたが独特の関係だよな、お前ら」
つっこみが入ったところで、アーサの猫耳がぴくりと動いた。
「何かいます」
その言葉を聞いてラフィータ達も気づく。
「凄い。気づくんだ」キースがロングソードを引き抜く。
「この三日でもう発生してるのか。まったく」エルメスが背中から槍を取り外す。
茂みの中に魔獣の目が見える。
「ハーミットか。何体かいるね。囲まれてるかもしれない」
ラフィータがククリナイフを魔獣に向ける。
ハーミット。蛇型の小型魔獣。
粘性のある皮膚に葉っぱを大量に付着させ、茂みに潜んで獲物を待ち構える。
麻痺毒のある牙が厄介だが、それにさえ気をつけていれば危険はない。
「じゃ、小手調べといきますか」
キースの言葉を皮切りに、ラフィータ達は魔獣に飛びかかった。
ハーミットを殲滅したラフィータ達はさらに森の奥へ踏み入った。
大木が乱雑に生えそろう森を進む。
ぴよぴよとひな鳥の鳴く声が聞こえる。頭上のどこかに鳥の巣があるのかもしれない。それが魔獣だとすればヒーコーと呼ばれる青い肉食小鳥だろう。
ラフィータがそんなことを考えていると、キースが突然声をかけてきた。
「ラフィータさ。装備、買い換えるつもりないの?」
「え。ないよ、間に合ってるし」
キースが唇をとがらせてラフィータを見てくる。
その意味に気づいて、ラフィータは苦笑した。
「一応、数日前までランクEだったしね。装備にかけるお金はまだ貯まってないんだ。みすぼらしいのが一緒じゃ嫌かな」
「別にそういうわけじゃないけど。装備は冒険者の命だし、少しは気をつけた方がいいと思うんだ。お金なら出すからさ。明日、買いに行こうよ」
「え、でも悪いよ。けっこう値が張るし」
「いいんだって。その分、クエストで活躍してもらうから」
「遠慮なく働かせるつもりだね、リーダー」
「えへへ。期待してるんだぜ」
「キース、お前だけに出させるわけにはいかん」
「お、エルメスもついてくる?」
「当然だ。お前に任せるととんでもない武器を選びそうだからな」
「助かるよエルメス。安心した」
「どういう意味だラフィータ」
しかめ面のキースをなだめながらラフィータ達は歩を進める。
目標のポイントまであと少し。
「アーサ、あれが『スウィングノーム』だ。見えるな」
ラフィータがアーサに小声で説明する。
視線の先ははるか頭上。
二本の大木から横に突きだした平行な枝の間を、何本のもの黒い糸が連絡橋のように繋いでいる。
人体で簡単に説明するなら、『前ならえ』のように突きだした両腕の間を、数十本に及ぶ糸が交わることなく張り巡らされているといったところだろうか。目の粗いブラインドとも見て取れる。
「しましまです」
「鈍い色だけどね。あそこの下を気づかずに通るとスウィングノームがいっせいに落下してきて、一瞬で食い殺される。これまで何人の冒険者が骨の髄までしゃぶり尽くされたことだろう」
「怖いです……」
と、ラフィータの背中が叩かれた。
振り返るとエルメスがギルドの備品を片手に持っている。
「ラフィータ、コの字鉄だ。二つ渡す」
「ありがとうエルメス。じゃあ僕らは右手の木に登るから」
「分かった。手はず通りにいくぞ」
「了解。アーサ、高所での作業だ。気を抜かずにいく」
「はい」
空中に投げられた音響玉が破裂し、凄まじい音が森にこだまする。
直後、ジジジジジジ!! という蝉に似た鳴き声が上がり始めた。
驚いたスウィングノームが枝の上からぼろぼろと落下していく。
スウィングノームの体は目と口のついた球型の本体と、それに付属する長い長い紐状の筋組織で構成されている。紐状の筋組織の他端は樹木の枝にひっついていて、そこを支点としてスウィングノームは振り子のように滑空しながら地上の獲物に喰らいつく。数十匹のスウィングノームがヒュンヒュンと揺れ動く光景は壮観とさえ言える。
ただし、そんなもの枝の上に上ってしまえばまったく問題ない。
「落ち着いてきたかな」
獲物を発見できなかったスウィングノームが振れ幅を弱めていく。
枝の揺れがおさまったのを見計らい、ラフィータは行動を開始する。
「また枝が揺れるから注意しろ。万一転落した際は焦らず身体強化をする。いいね」
「はい」
ラフィータは『コの字鉄』を手に持った。文字通りコの字になった鉄である。ラフィータは横につき出した枝の根元付近にコの字鉄の二つの鋭利な先端をあてがい、あらかじめ取り出しておいたハンマーを使って鉄を枝に叩き込み始めた。
カンカン! と森に似合わぬ作業音が響く。
コの字鉄の二つの先端は枝にしっかりと埋め込まれた。
作業音に気づいたスウィングノームが鳴き声を上げ始めた。
紐状の筋組織を伸縮させ、再度揺れ始めようとする。
「二、五、六……。七匹か。よし、刈り取り作業を開始する」
枝の上をラフィータとアーサが歩いて行く。
バランス感覚はむしろアーサの方に軍配が上がるのだが、それでも心配なラフィータはたえず彼女の方を確認しながらの作業になる。
ラフィータは枝の上でククリナイフを握り、スウィングノームの筋組織と枝の癒着点に刃を差し入れた。一度では断ち切れず、何度か刃を入れてようやく筋組織と枝の分離に成功する。
ラフィータは筋組織の端を掴んだまま次の個体に足を向ける。
未だ振り子のように揺れ続けるスウィングノーム。枝から切り取った細くも強靱な筋組織がラフィータを枝の上から引きずり下ろそうとする。根気と集中のいる作業だ。
「よし、アーサも終わったね」
「はい」
計七匹の筋組織を枝から切り離したラフィータとアーサはコの字鉄に足を向ける。
枝に固定したコの字鉄は完全に枝に埋め込まれたわけではなく、枝の表面とわずかにすき間が空いていた。その長方形の形をしたすき間に筋組織を通していく。
「アーサ、頼んだよ」
「いってきます!」
コの字鉄を通した筋組織の束を抱えたアーサが、笑顔のまま枝の上から飛び降りた。
枝と筋組織がこすれてシュルシュルと音が鳴る。
ラフィータがコの字鉄を踏んだまま数秒待つと、
ガガガガガガッ!!
そんな音を立てて、スウィングノームの本体がコの字鉄に衝突した。
その数七匹。コの字鉄と枝のすき間は筋組織こそ通すが、球型の本体は通さない。
動きを封じられたスウィングノームは、今や排水溝に詰まったゴミも同然の存在だった。
ジジジ……
魔獣の目がラフィータをとらえる。
彼らの表情は等しく恐怖に彩られていた。
「こんにちわ」
ラフィータがククリナイフを振りかぶる
「大丈夫。すぐには死なない。あと五時間は生き残れる」
ククリナイフが振り下ろされる。
場所は本体と筋組織の根元。
情け容赦ない一撃がスウィングノームを襲う。
次の瞬間、肉食振り子からただの騒ぐボールに降格した魔獣たちが地面に勢いよく落下していった。
―CHIP―
スウィングノームの筋組織を枝との癒着面で切断し、そのまま地上に落とすと面倒な事になる。
地上でのたうつ筋組織が近づいた冒険者に巻きつき、捕縛された冒険者は骨の髄までしゃぶられる。
「全部いっぺんにやったのか。危険だな。コの字鉄が外れたらどうする」
「その可能性は考慮した。ブーツの裏に吸着魔法が仕込んであるんだ。それで対応できる」
「お、おお……。まったくどうして、型にはまらない奴だ」
エルメスとそんな会話をしながら、ラフィータはスウィングノームの回収に勤しんでいる。
具体的には、ククリナイフの柄にスウィングノームを噛みつかせ、それを木製の樽の上でたたき落とすという作業だ。
スウィングノームは死んでいない。筋組織を断ち切られた状態でも三日は生き続ける。だからこそ生きたまま運搬しやすく、ネラースライムの養分となれる。
「アーサちゃん、違うよ! たたみ方そうじゃない!」
「え、あ、う……。ごめんなさい」
「いいってことだよ! 大丈夫大丈夫! もう一回やろう!」
キースとアーサは長い筋組織をたたむ作業をしている。もともと弾性のある筋組織は適切な加工をすれば高い靱性をほこる素材に早変わりする。ギルドに提出すればそれなりの値段で買い取ってもらえるのだ。
「アーサはいまだに不器用そうだな」
「そうなんだ。少し困ってる。整頓も苦手だし、なにより紐が結べなくてさ。防具も僕が着せてる」
エルメスがラフィータの顔をガン見した。
「言いたいことは分かるけど。ある程度は仕方のない面もある」
「ラフィータ、俺がアーサの育て方に文句を言う筋合いはない。それでも一つだけ言わせてくれ。甘やかしすぎだ。いや、正確じゃないな。アーサがお前に甘えすぎなんだ」
「うーん」
「叱るのをやめて褒めるようにしたんだったな。実際それで成功してるからあまり強く言えないんだろう。でも叱るのもやっぱり必要なことだ。飴と鞭って言葉、お前なら知っているだろう」
「うん。挑戦はしてるんだ。でも一人二役はやっぱりつらいものがある」
「分かるさ。……じゃあ、俺が鞭役をやる」
「え?」
「アーサの教育はお前らだけの問題じゃない。忘れたか、俺たちはパーティーを組んだんだ。そういう問題にも全員で取り組むべきだと思っている」
「でも、嫌われ役をエルメスだけに押しつけるのは……」
「気にするなって。アーサの技量があがればラフィータの負担も減るし、そうすればパーティーとしてもっと上を目指せるようになる。メリットの方が大きいんだから」
ラフィータは静かに微笑んだ。
「エルメス、ありがとう」
「感謝されるのは早いな。実践してから聞きたい言葉だ」
「分かった。このこと、キースには言うべきかな」
「伝えるのはいいが別に何も変わらんぞ。あいつは他人にベタ甘な性格だ。怒るなんて無茶。……以前もそれで失敗してる」
以前というのが、内部崩壊したキースのパーティーの件であることは想像がついた。
「ただ、俺はそれを直すべき点だとは思ってない。長所にも欠点にもなる特徴ってのはな、周りがサポートしてやれば立派な長所になるんだ。俺は前回、滅火のルインにいて、それができなかったから。今回こそはしっかり見守ってやろうと思ってる」
「キースはそうだと思ってたけど、エルメスも十分に気遣い屋だね」
「よせよ。言葉では何とでも言えるんだ。しっかり行動してから評価してもらいたいな」
「ラフィータごめん! アーサちゃんの指導、手伝って!」
「呼んじゃ駄目……!」
キースが手を振っている。
アーサはラフィータの方をしきりにチラ見しながら手元を忙しなく動かしている。冷や汗びっしょり涙目なのは遠目からでも確認できた。なんとしても自力で完遂させて主人にたくさん褒められたい。そんな思惑が透けて見えた。
ラフィータはエルメスを見た。
エルメスはその意図に気づき、苦笑した。
「じきに運び屋が来る。時間もないし今回は見逃そう」
「じゃ、助太刀に行ってくるよ。回収は任せるから」
「仕方のない奴らだ。まったく」
ラフィータがアーサに近づいていく。
アーサは地に膝をついてがっくりと肩を落とした。
「焦るとできるものもできなくなるんだ。大丈夫。手ほどきするから、最初からやってごらん」
ラフィータが猫耳の生えた頭をぽんぽんと撫でながらそう言うと、アーサはやる気を取り戻して作業に集中し始めた。
「アーサちゃんにはラフィータだね。覚えた」
なかば意味不明な言葉をキースがつぶやいた。
一度目の遭遇で十五匹のスウィングノームを捕獲し、それを運び屋のドールに預けた。
二度目の遭遇で同数の捕獲ができれば丁度クエスト指定の三十体に届いたのだがそう上手くもいかず。結局三個目の群れを探すはめになる。
三度目の遭遇ではキースが特技を披露した。
彼はスウィングノームの真下に飛び込み、振り子のように襲いかかってくる魔獣を次々とかわしていく。なんでもソロ時代に鍛錬を兼ねた遊びとして磨いていたものらしい。そして、その動きに夢中になっていたアーサが枝の上から転落し、それをかばったラフィータも一緒に枝の上から落下する事態に陥った。ラフィータが空中に障壁を出現させたため二人とも大事には至らなかったが、のちのちアーサに涙声でしこたま謝罪された。
こうしてクエストが終了する。
ヘカトンケイルの始動の日、課題が見えた一日でもあった。
「おっちゃーん! ヘカトンケイルが帰ってきたよー!」
「お、キース! 帰ってきたか! クエストはどうだった」
「そつなくつつがなく。ま、所詮ランクDの依頼だしね」
キースがえへんと胸をはる。「偉そうな野郎だ」とエルメスがつぶやく。
運び屋の親父が「ぬははははっ」と快活に笑った。
「ま、これだけのメンバーが揃ってるんだ。当然だわな」
「はい、これ。受領証と捕獲印紙」
親父が捕獲印紙にサインをし、受領証を魔導機器に差し込む。
「お前ら、明日は早めにギルド館に行った方がいいかもしれねえぞ」
「どうして? なんかあったの」
「ああ、低層にマウントマッドが出たらしい。ランクDの奴らが泡くって逃げ出してきたんだとよ」
「マウントマッドかあ……。討伐依頼、明日には出ちゃうかな」
「うーん、そこはなんとも言えねえな。狩りすぎた森の魔獣を再生させる目論みもあって、今はクエスト自体が少ねえしな。しばらくほっとかれる可能性もなきにしもあらず。なんだ、明日用事でもあるのか」
「ラフィータの装備を買いに行こうと思ってるんだ」
「なるほど。……たしかにな」
ラフィータの着用するボロボロの防具を見て、親父はうんうんと納得した。
「僕は別にこのままでもいいんだけど……」
「駄目! 明日はラフィータの日だからね。……ということで、ヘカトンケイルの華々しい活躍はまた今度ってことになるかも。ごめんねおっちゃん」
「なあに。すぐ機会は巡ってくるさ。楽しみが伸びただけだよ。ほれ」
親父は捕獲印紙の半券と受領証をキースに差し出した。
「ありがと! じゃまた来るねえ」
「おう。またな」
運び屋の棟をあとにしたラフィータ達は、このあとの予定について話し合った。
結果、パーティー結成の日なので盛大に飲み食いしようという事になった。
場所はヤジ亭。
酷い騒ぎようだった。
途中で乱入してきた『ダンプスダンプ』というパーティーとキースがどちらが全裸になるかをかけて腕相撲をしていたのが印象に残っている。勝ったのはキース。全裸になった『ダンプスダンプ』はヤジ亭の主人によって店外に追い出された。彼らが何をしたかったのかラフィータには分からない。
「じゃ、エルメス。頼んだよ」
「おう、気をつけてな」
完全に飲みつぶれたキースをエルメスが、酔って眠りについたアーサをラフィータが背負い、それぞれがそれぞれの寝床へ向かった。
「マスタ~。褒めて~」
「何を褒めるんだ。まったく……」
耳元にアーサの寝言を聞きながら、ラフィータは暗い夜道を歩いて行った。