おや、ヒロインの様子が…
決意の入学式から早一ヶ月が過ぎました。
あのヒロインさん。
いえ、ここはちゃんと名前を呼ばないと失礼になりますね。
『辰宮 優』
ショートカットで綺麗系というより可愛い系の顔立ちで向日葵のような笑顔が見る人を惹き付ける。
少し小柄な身体で元気にあちこち駆け回る姿は子犬のように可愛らしく見る人の庇護欲をそそる。
裏表が無く快活で名前のとおり優しく、また間違った事が許せない正義感の強い性格。
以上がゲームで描かれている彼女です。
そして一カ月ほど辰宮さんを観察しましたが上記の人物像とさほど変わりないように思えます。
入学式のイベントこそありませんでしたが、その後順調に俺様生徒会長とのイベントを発生させているようです。
廊下を走って会長とぶつかって抱き止められるイベントや、重い荷物を持った辰宮さんを見た会長が代わりに荷物を持ってあげる、などのイベントが起きたのを確認しました。
また、もしも記憶があるのなら悪役である私に対して何らかのリアクションがあると思いましたがそう言った事はありません。
ごく普通のクラスメイトとして接しています。
ならば彼女は転生者でもなく入学式はただの偶然なのか。
と聞かれれば首をかしげざるを得ません。
まず、全てのイベントが起きている訳ではありません。
眼鏡風紀委員がやっている風紀検査に引っ掛かるイベントが無かったり。
落としてしまった制服のリボンをホスト系教師が拾う事もありませんでした。
何より衝撃的だったのは体育でのイベント。
これは強制イベントで徒競争の時、転んで膝をすりむいてしまった辰宮さんは、その時一番好感度の高いキャラに保健室までお姫様だっこで連れて行かれると言ったイベントのはずでした。
辰宮さん、転ばなかったんです。
それどころか見事な走りで並み居る運動部の人たちを追い抜いて華麗に一位でゴールインを決めました。
その後、陸上部を始め物凄い数の運動部の人たちが勧誘していましたが本人は家業の手伝いで忙しいと断っていました。
ゲームでは元気だけれど体育の成績は普通という設定だったはずです。
また、イベント自体にも変化があります。
先ほどの廊下で会長とぶつかるイベントも本来は、ぶつかった後に俺様言語で嫌味にも取れる心配の仕方をする会長と辰宮さんが言い争うと言う場面。
ですが彼女は。
「あ、すいません」
と言っただけで、スタスタと去って行きました。
会長ちょっと寂しそうにしてましたよ?
この他にも細かい事を言ったら限がありません。
「どうにも判断しづらいですね…」
お昼を頂きながら今までの事を整理していましたが余計に分からなくなってしまいました。
取りあえず頭をリセットするために卵焼きを一口齧る。
だし巻き卵の旨味がじんわりと舌に広がる。
「うん、美味しい!」
作ってくれた家政婦さんに感謝しながらもう一口。
美味しい物を食べると自然と顔が綻びます、難しい事は食べた後に考える事にしましょう。
ちゃんと味わわなければ、お弁当と作ってくれた人に失礼です。
ここは学園の名所の一つで生徒達の憩いの場所である中庭。
中庭を囲むように植えられた木々が外の排気や騒音を遮断し、地面はふかふかの芝生に覆われ。
花壇からは優しい花の香りが漂い、気持ちの良い風と共に鳥達の鳴き声が響く。
街の中とは思えない自然豊かな場所で昼休みともなればここで弁当を広げる生徒達も多い。
私も中庭の隅に生えている大樹の傍に腰かけお弁当を頂いています。
この大樹、中庭にある木々の中でも一番大きく、聞く所によれば学園創立以前からこの地に根付いていたそうです。
この学園たしか創立が明治初期だったような……
大きく立派な大樹ですが、中庭の端という場所柄か私以外ここを訪れる人は少なく、賑やかな中庭の中にあって異質な静寂さを保つ場所。
少しさびしい気もしますが考えごとをするにはもってこいの環境で、入学以来何かと重宝しています。
お昼時の喧騒もここからだと遠く、見上げると風の音や鳥の声が暖かな日差しと一緒に大樹の枝の隙間から降りてくるような感覚がする、そんな場所です。
沈んだ気分も大樹を見上げているとポカポカするナニかが胸の中に広がって行くような気がします。
「そうですね、悩んでもしかたありません!」
決意が固まりました。
結論が出ない事をあれこれ悩んでもしかたありません。
来週は新入生の親睦会を兼ねたオリエンテーションのハイキングが予定されています。
今日のホームルームの議題はオリエンテーションでの班分け。
ここで勝負を仕掛けようと思います。
「それじゃあ班分けを始めたいと思います」
委員長の声と共にクラスメイト達が思い思いにグループを作って行きますが、何時もより少しぎこちない雰囲気です。
それというのも今回の班分けでは内部生と外部生の混合班を作る事が条件なのです。
今回のオリエンテーションは内部生と外部生の溝を無くすために企画されたイベントですが中々思うよういかないのが現実。
それぞれ内部生と外部生のグループで固まって中々決まりそうにありません。
予想通り、でもこれで良い口実になります。
私は外部生のグループの一つに近づきます。
「少しよろしいですか?」
「あ、は、はい?」
クラスメイトと言えども余り交流の無かった私が話しかけてきた事に戸惑っているようです。
ここは余計な事を挟まず単刀直入に。
「私を貴女方の班に入れてもらえないでしょうか?」
「「「えええええええええ!?」」」
突然の申し出に驚きの声を上げるグループの人たち。
「ひ、日比野さんが!え、良いんですか!?」
「ええ、そちらが宜しければ」
何故かグループの子達だけでなく周りの方が騒がしくなってきましたが今は関係ありません。
「今回のオリエンテーション是非とも皆さんとご一緒したいと思いまして」
ニッコリと頬笑みグループの子達を見回す。
驚きの表情で固まっている中に目当ての辰宮さんもいます。
驚いている彼女の表情は、他の子達と同じように今まで交流の無かったクラスメイトの突然の申し出に戸惑っているだけのような気がしますがどうでしょう?
「駄目でしょうか?」
そう言って少し悲しげに小首をかしげると。
「そ、そんな事無い!日比野さんが来てくれて凄く嬉しい!!」
いち早く正気に戻った辰宮さんが嬉しそうに歓迎してくれました。
「日比野さんが私達の班に入ってくれるなんて思ってなかった!」
そう言ってニコニコと嬉しそうに笑いながら班に招き入れてくれる彼女の姿に心の底で良心がチクチク痛みます。
実はこれ、バットエンドの条件なんです。
攻略キャラの好感度が足りてない状態でオリエンテーションのイベントが始まると彼女の班に私が無理矢理入ってきてそのままバットエンドルートに突入する仕様になっています。
ですが、辰宮さんは純粋に今まで交流の無かったクラスメイトと仲良く出来る事を嬉しく思っているようです。
少しぎこちない班の子達と私の橋渡しを積極的に買って出てくれています。
良心がザクザク痛みます。
やはり辰宮さんは転生とも無関係なこの世界を生きる一個人なのでしょうか?
もしそうなら、このオリエンテーションが終わったらちゃんとした友達になりたいな。
そんな事を考えながらも時は過ぎ。オリエンテーション当日。
「日比野さん喉渇いていませんか?」
「日比野さんお腹すいてませんか?」
「あ!あそこに尖った石があるから気を付けて下さい!」
何故か班の皆さん全員から物凄く気を使われています。
「日比野さん疲れたら何時でも言って下さいね、私こう見えても結構、力あるから何時でも抱えて行きます!」
やだ辰宮さんったら男らしい。
いや、そうじゃ無くって。
「ありがとうございます、でも私も体力には自信有る方のなのでお気使いにはおよびませんわ」
何かあった時、ダッシュで逃げるのに体力は必要ですから。
それにここは、初級のハイキングコースで道も確り整備され山道と言うより、なだらかな坂道と言ったほうがいいような道です。
もっとも原作での私はこの道すら歩くのを嫌がっていましたが。
「そう言えば日比野さんって弓道やってたんだっけ?」
「ええ、少々嗜んでおります」
ようやく納得してくれたのか、お気使い攻勢は沈静化してくれたようです。
「あ、知ってる!幾つか大会で優勝した事あるよね、弓道小町って雑誌で特集組まれてたの見たよ!」
おおぅ、思い出したくない中学時代の黒歴史が。
「いえ、そのような大層なものでは」
目立ちたくないのにうちの両親のつてを使って強引に取材してきたんだよねあの出版社。
「え、でも弓道部には入って無いよね?」
「はい、家の事が色々ありますから部に所属するには何かと不都合で」
もともと弓道は精神修行の一環として始めたため部には所属して居ない。
何より学園の弓道場の近くには攻略キャラの一人の『爽やか剣道少年』が居る道場があり、近づくなど全くの論外だった。
「やっぱお嬢様らしい習い事でもしてるの?」
「特別な事は特には、お茶とお華をなどを少し」
「わー!やっぱりお嬢様っぽい!」
皆さんも大分慣れてきたようで大分砕けた話し方になって来ました。
こういうのは久しぶりのような気がします、転生してからこの方、気が張ってこんな風に軽口なんて話すような友人も作らずにいました。
何だか心が暖かくなるような気がします。
そうやって楽しくお喋りしている内に目的地の広場に到着しました。
ここは、アスレチック施設があったり、綺麗な水が流れている小川があったり。
少し離れた場所にはちょっとした森があったりと色々楽しめるようになっています。
早速アスレチックなどで遊んでいる人達もいますが、私達は小川の傍でお昼にします。
「日比野さんのお弁当すっごく綺麗!」
「本当だ料亭とかに出てきそう!」
「家の家政婦が腕によりをかけて作ってくれましたの」
「すごーい家政婦さんとか居るんだ」
「あ、この卵焼き頂戴」
「だが断る!」
「いきなり真顔!?」
そんなこんなで騒がしい昼食を済ませた後、それぞれが思い思いにこの場所を楽しんでいます。
楽しくお喋りしたり、小川を眺めて魚を探してみたり、あっという間に時は過ぎて行きます。
そこでふと気付きます。
「あら、辰宮さんは?」
何時の間にか彼女の姿が何処にも見当たりません。
「あれーさっきまでいたのに?」
「トイレじゃないの」
班の皆さんも知らないようです。
嫌な予感が背筋を駆け昇りました。
このゲームにおけるバットエンド。
それはオリエンテーションで辰宮さんが怪我を負って病院に運び込まれると言うものでした。
今まで彼女は多少の違いはあってもゲームのイベントを起こしています。
もしかして私が強引に班に入ってしまったせいで強制的にバットエンドに入ってしまったとしたら?
血の気が引く、とはこの事を言うのでしょう。
「わ、私!探してきます!!!」
「あ、日比野さん!」
気が付いたら走りだしていました。
アスレチックや小川の周りには辰宮さんらしき姿はありません。
後残っているのは……
「森!」
あそこは少し離れているせいで人影などは見えません。
違っていたならそれはそれで構いません、その時はただハイキングでの笑い話が一つ増えるだけ。
でも、もしも本当に辰宮さんに何かあったなら!
「辰宮さーーん!いますかーーーーーー!!」
森の奥から何か騒がしい気配がします。
藪をかき分け森の奥へ奥へと向かった私が見たもの。
それは……
「竜撃拳!」
ズドーーーン!
熊を一撃で倒す彼女の姿でした。
「え、バトル物?」
どうやらこの世界、私が考えているよりも複雑そうです。