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せっちん!  作者: 濱野乱
澪標編
96/97

新世界へ


シナリオは繰り返す。言葉によるコミュニケーションは出尽くした。テレビのコメディも、俺たちの会話も台本に過ぎない。


    カート=コバーン


 

 「あいたた……」


薫子は肩の傷を確認するため制服の袖を裂いた。極光剣による傷口は思いの外小さく、出血も少ない。針で刺されたような染みが残っているだけだ。少し違うが腹腔鏡手術と同じ要領だろうか。肩を回しても違和感はないし、自身の底なしの体力に感謝した。


「ちょっとお訊ねしますがね」


薫子の目と鼻の先に、赤い提灯を下げた見知らぬ中年男が立っていた。長身、痩せ型で狐目、シャツにベストを着ている。どこかの事務員のような風体だ。

 

「出口はどっちかわかる?」


出し抜けに訊ねられた薫子は首を曲げ、自分が来た方向を指す。


「あっちに美術室があります。そこを道なりに遡れば出口です」


「そうか。あいやー、参っちゃうよ。迷路みたいなんだもの。君は丸岡の生徒だね、一緒に戻るかい?」


薫子は、気さくなおじさんに好印象を抱いたものの、決然と頭を振った。

 

「まだ、やり残したことがあるんです」

 

「若いのに使命感にあふれてるねえ。早く帰んなさいよ。私の提灯を貸して上げよう。この先の鳥居で人を見かけたよ。彼を捜してるんじゃないの」

 

薫子は快く提灯を借り、夢遊病者のような足取りで去る男の背中に一礼する。


彼こそが、十年以上前に行方不明になった丸岡高校の校長だとは、薫子は当然知らなかった。

 

出涸らしの茶葉のように枯れきった寒々しい百合園を抜け、朱色の鳥居が延々と続く階段に足を踏み入れた。


洞窟内部は固い石灰岩でできているが、現在地は定かではない。向かう先がたとえ地獄だったとしても、薫子に引き返す謂われはない。


彼を連れて帰るまでは。


提灯の明かりを頼りに幅広の階段を一歩ずつ上がった。


上りきった先に、小さな木造のお堂を目にする。岩盤を掘った箇所に投げ込まれるように建てられている。


お堂からほのかに明かりが漏れだしていた。薫子は提灯の明かりを消して、息を潜ませ近づいた。

 

階段に足をかけ観音扉の隙間から、中の様子を伺う。


お堂の中は六畳ほどのスペースがあり、奥まった所に神棚のようなものが設えられていた。厳かな佇まいに我知らず圧倒され、階段を踏み抜いてしまう。中から誰何の声。

 

 「誰? 美堂さん?」 


薫子は観念して、お堂の扉をくぐる。蝋燭の明かりに照らされて、寺田幸彦と対峙した。




薫子がたどり着くまでに、幸彦はお堂の中で、せっちんと対話していた。


「ゆきひこ、なにをかんがえておる」


せっちんは、胡座をかいた幸彦の膝の上にいる。 


「妹とこんなに触れあったことなかったと思ってさ」

 

幸彦は、雪乃をそこまで好いていなかった。癇癪を起こして、問題を起こすし、いなければいいと思ったことがある。

 ただ家族の責任として、面倒を見なければならないと自分に言い聞かせていた。雪乃の情緒不安定さは、離婚が原因でもあるし、幸彦は対岸の火事ではいられなかった。

 

 「つようなったの、ゆきひこ」

 美堂薫子が、かつて幸彦の元に身を寄せていた事実は、ほとんどの人間が知らない事実だ。知っているのは、幼い頃から二人を知る来栖未来と、西野陽菜だけだった。


「でもあの美堂さんが、あの子だったなんて今でも信じられないよ」


幸彦はせっちんの頭を撫でる。


飢えた女の子が、丸岡高校の敷地にいた。幸彦は彼女を、旧校舎に続く空き地で発見した。段ボールを抱え、眠っていたのだ。


年は、幸彦と同じか年下のように見えた。髪が背中に届いていた。服は垢にまみれていた。名前も名乗らないし、字もろくに書くことができなかった。警察に保護してもらう必要を感じたが、家に帰りたくなさそうなのが気がかりだった。


当時、灰村香澄と同棲していた幸彦は、彼女を妹だと紹介し、一緒に暮らすことにした。周りに発覚するのを恐れ、名前を聞かれたら、小林雪乃と答えるように教えた。

 

一緒に暮らしていたと言っても、その”雪乃”は家にじっと籠もっていられずに、一日のほとんどを外で明かした。何でも黒猫を探していると言っていた。時々、学校まで幸彦に会いに来た。陽菜とは、その時知り合っている。


陽菜には、正直に雪乃ではないと教えればよかったのだ。陽菜は嘘に敏感だった。それが第一の過ち。   

 

そして、第二の過ちは、本物の雪乃が予想以上に過酷な環境に置かれていたことに無知だったこと。

 

結果的に、安穏としているうちに大切なものを二つ一辺に失い、幸彦の前から名前を知らない少女も姿を消していた。


あの少女の顔はあまり思い出せない。どこかの訛りがあって、いつもクマ五郎のぬいぐるみを大切そうに抱えていた。

 

幸彦は、支配者の力を用い、過去を改変しようとした。キャストを送り込み、運命を変えようと試みたもののできあがるのは混沌だけ。


それにゲストは幸彦の思い通りの駒に成り得ないし、キャストも一筋縄にいかない。


それもそのはず、幸彦の間違った結論から生まれたナノが正解にたどり着けるはずもないのだ。

 

「無い袖は振れない……、か。君の言うとおりだ。僕に西野たちを救う力なんて初めからなかったんだろう」


 せっちんは不安げに手を握った。

 

 決別の言葉を拒否するように、せっちんは幸彦にしがみついて離れない。


「うしろを、ふりかえってはいけないのか? それは、はずべきことではないぞ」

 

「振り返りながらでもやれることはあるよ。それは僕にしかできない。他の僕に任せてはいけないことだったんだ。勝手を言ってすまないと思ってる」

 

せっちんは、幸彦の決意を受け取ったのか、神棚から鏡を持ち出した。

 

 「せかいと、せかいをつなぐもの。しはいしゃが、のこしたいぶつ。やたのかがみじゃ」


 かつて、文明と呼ぶにもおぼつかないほど未熟な世界では呪術が大きな権勢を振るうこともあった。 

 

 古代人は、ある時その統治者を支配者と呼び崇めた。


呪術が大衆を纏めるためには、権威付けが不可欠だ。そのために用いられたのがこの八咫の鏡だった。

 

 

 せっちんたち、キャストの元となった光はその時代に何らかの方法で鏡の中に封じこめられた。原初の光から切り離し、呪術に利用するために。


その強大な力を使い、古代人もキャストを生みだし、戦争に利用した可能性もある。彼らは既に滅んでいるし、痕跡も残されていなかった。


せっちんは幸彦の胸に飛び込み、すすり泣いた。

 

「じゃが、わすれるな。”みなもにうつるつき”は、ほんものかのしれぬぞ。すべては、ひとよのゆめにほかならぬ」


それは恨み言のように幸彦の耳に響いた。

 

せっちんが消えた直後、薫子が踏み入ってきた。 

 

幸彦は神妙な面もちで薫子と向き合った。


「せっちんにも、ナノにも悪いことをした」


幸彦の口からまず贖罪の言葉が出て、薫子はほっと息が漏れていた。

 

「彼女は西野じゃないのに、西野であるかのように錯覚していたんだ。悪いのは嘘を受け入れた僕だ」

 

薫子も覚えがある。自分に都合の良いストーリーになぞらえ自分をなぐさめる。しかし一人遊びの時間はいつか終わりを迎える。


「西野や、雪乃たちを忘れたくなくて。でも逆だった。せっちんたち、キャスト見れば見るほど、亡くした人たちを忘れていくんだね」 


彼は心底後悔しているのか、ただでさえ聞き取りにくい声がさらに聞き取りづらくなった。

 

幸彦は握っていた鏡を薫子にのぞかせた。年代を経ていたが、まるで年代を経たとは思えないほど光彩を放っている。エメラルドのような宝石がはめ込まれ、装飾は派手だ。古代の異物ではなくまるでオーパーツのような代物である。


「その鏡は?」 


幸彦が丁重に扱う謎の鏡の存在を訊ねる。


「これが、支配者の正体、螺々さんが言っていたレンズのことだよ」


薫子は思わず一歩跳びのいて、臨戦態勢に入る。


「安心して。いきなり蛇が出るわけじゃないから」 


幸彦は鏡に危険がないことをアピールするためか、鏡を振り回す。


「この場所が、実験施設だったのは知ってる?」


薫子はどこかで耳にしていた話だったので、首肯した。

 

「子供たちは一人残らず帰ってこなかったんだ」

薫子は自然と喉を鳴らす。


この場所が初めて発見されたのは、江戸時代。銅山として採掘され後、堀り尽くされ、明治には一端役目を終えている。


そして第二次世界大戦、旧日本軍が軍需工場として利用するため、再び拡張のための掘削した際、旧校舎の存在が明るみになった。


件の実験で犠牲者の数はようとして知れず、戦後の混乱に乗じて真実が明るみに出ることはなかった。


幸彦がこの場所を知ったのは、知り合いの編集者から校長の行方不明事件の噂を聞いたのが発端だった。調べるうちに、深部に迷いこみ、支配者の虜になった。


「いなくなった人たちはどこへ……」


「校長にはもう会った?」


薫子は言われてから、先ほどの男性に思い至った。


「彼のように時間を忘れて、ここを歩き回っているのかもしれないね」


キャストは時間を超越して移動できる存在だ。


鏡は呪術的な意味を持つ。古代人は、鏡の向こう側を別の世界に捉えていたのではないか。此岸と彼岸、男と女、肉体と、魂を分かつ境界を作り上げたのだ。


「この鏡を壊せば、終わるんだ。やっと」


せっちんから託された鏡は鈍い光を放っている。

 

「じゃあさっそく……」

 

「そんな上手い話があると思うかね」

 

話に割って入られて、薫子は怪訝に眉をひそめた。


薫子の頭部に蝸牛がのろのろと這っている。声は蝸牛から聞こえてきた。

 

 恐る恐る、正体を確認する。

 

「丑之森、螺々。なの?」

 

「うむ。念のためキャストにコピーを残しておいて正解だった。さて寺田君、君が嘘をついていない保証はどこにある。我々は散々騙し討ちに合っているからね。易々と信頼を勝ち取ることができると思わない方がいい」


どの口がほざくかと、薫子は内心で毒づく。大方、支配者の力が惜しくなったのだろう。


「じゃあどうする? このまま永遠の迷路をさまようのか。僕にはもうできないよ」 


幸彦は贖罪の真の意味を悟ったのだ。忘れるでもなく逃げるでもなく、共に歩む方法を。それを助けるキャストは、自転車の補助輪のようなものだったのかもしれない。


幸彦の成長を無駄にしたくない薫子は決断した。


「私が割る」


螺々が真っ先に制止する。


「おいおい、君まで支配者につくのか。念のために言っておくが、人を呪わば穴二つ。それも時間を超越するような強力な呪いに、社畜が叶うと思うのかい? 死ぬだけじゃすまないかもしれないぜ」


「前にあんたも壊せって言ったでしょ。誰かがやらなきゃ……」


涼しい顔で受け流すが、手は震えていた。幸彦はそれを見て取り、薫子の手を握る。


「ありがとう。でも、君には任せられない」

 

螺々の言葉を受け、恐怖を抱かずにいられようか。放置して亀裂がこれ以上広がるのは看過できないからここまできた。迷っている時間はない。


「物知り博士の言うとおりだ。そいつは丁重に扱うことをお勧めするぜ」


螺々に助勢したのは消えたはずの、暴食のキャスト、クロだった。


「お前たちは既に物語の住人なんだ。芝居小屋がなくなったら役者はどこに向かう。荒野にでも出るつもりか」


「覚悟があるならどこでだって生きていける。誰も知らない物語を私たちは歩く」


「威勢がいいな。ま、それができないから俺らは負けたわけだが」


クロは感慨に耽るような間を置き、


「方法ならあるぜ」

 

「ほんと!?」

 

クロを抱き上げ、薫子は感激する。


「ああ、なかったことにしちまえばいい」

 

「逃げるのはたくさんだって言ってるだろ!」


興奮する幸彦を手で押しとどめ、薫子はクロに目線を戻す。


「早とちりすんなよ、ぼっちゃん。狂っちまった時計の針を戻すんだよ。お前たちは今は、生まれる前の時間をさまよっている状態にある。俺が時間を巻き戻して、寺田幸彦が八咫の鏡を見つける前の時間に戻せばいい」


それはキャストが存在しない時間軸に戻るということを意味する。観測するものが存在しなければNew orderは白紙に戻る。


光明が開けた途端、クロが不気味な牙を覗かせる。


「ただし、代価は頂くがな」

 

「やったー、え?」

 

ぬか喜びに、薫子は打ちひしがれる。


「ちなみにいかほど……」


「大体、千年分の時間が必要だ」


「詐欺よ! 確かこの世界で寺田君がこうなったのは半年前のはずよ。それなのに」


レンズ最後の金庫番は、ナノではなくクロなのではないか。要諦である時間を司る者なのだから、当然といえば当然だった。


「対価ならここにありますよ」


薫子に気絶させられたはずの伊藤がお堂の戸にもたれていた。顔は無惨に腫れ上がり、伊達男とはほど遠かったものの、ポーズと構図の概念は忘れていないらしい。彼は薫子の肩にいた螺々をまっすぐ指さす。


「博士は悠久の時を生きる妖怪のような存在です。体内に内在する時間は我々の比ではないでしょう。それを使っては?」


「おい! 嘉一郎、勝手に話を進めるな。そんなこと絶対に」 

 

「それでいきましょう。これでみんなの所に物語が還る」


薫子は場の空気を制圧することに成功した。螺々の持つ時間は、他人から勝手に奪ったものだ。それがあるべき時間に還るのなら、因果応報。案外正しい使い方かもしれない。


薫子は一端、クロを連れてお堂を出た。


「薫子、お前が次の支配者だ」

 

「寝ぼけたこといわないで。あんた、私の知ってるクロじゃないわね」


キャストに死がない以上、New orderの上演は終わることはないのだ。そのためにはエンジンとしての支配者が必要なのだろう。


「そこが俺たちキャストとお前たちとの違いだな。嘘か真かなんて、ほじくり返したところで何か良いことあったか? 何もなかったじゃねえか」


薫子は言い返せず打ちのめされた。勝利の余韻も一瞬で消し飛ぶ。


「それが嫌なら目を閉じ、耳を塞いで生きていけ。俺からの最後の忠告だ」


結局はクロが正しいのかもしれない。ほとんどの人間は、ナノのように自分が正しいと見なす物語を生きている。

 

資本主義、共産主義、ナショナリズム、何かに縋らなければ生きていけない程弱いのは、何も幸彦だけではない。


しかし、社畜にも花嫁にも超人にもなれなかったこの女は自分の答えを得ていた。誰のものでもない一つの答えを。 

 

「嘘でも笑うのが大人の女。そこに喜びと悲しみがあるし、酒があるのよ。でもあんたたちは本物になりかわろうとして、その悲しみを忘れようとした。本物じゃないって自分で認めたの」


「強がるなよ、小娘が」


クロが黄色い目を牙をむきだし、すごむと、すさまじい重力波が生じる。薫子の首や肩に鉄の重しが乗ったように苦しくなった。

 

「俺たちは犠牲者だ。大昔に本体から引き離された。それを元通りにして何が悪い」


「寂しいのね、あんたたちは。私たちもきっとそう。でもやさしいパパも、可愛い彼女も、もうどこにもいないの。それを捻じ曲げるのはもうたくさん。きっと他の世界の私達もそう言うわ、今回の勝利はその一歩」

 

クロは返事をせず、薫子の脇をすり抜け、お堂に入った。尻尾を高々と振りながら。

 

「さあて、坊ちゃん、嬢ちゃん、夢の時間はそろそろ終わりだぜ。覚悟はいいか?」


螺々を除いた銘々がクロの誘い文句に重々しく頷く。


「くそ……、私はあきらめんぞ。別の時間軸で必ず八咫の鏡を手に入れてやる」 

 

螺々の負け惜しみを伊藤は楽しげに聞いた。彼が顔を上げると、ハクアがいた。


「嘉一郎様、お暇を頂きに参りました」


「それはいい。僕はね、やっとわかったんですよ。僕を罰して欲しかったのは君でも、西野さんでもなく、亜矢子だったんです。地獄に行くのが今から楽しみだ。今までありがとう」


伊藤は目を閉じる。ハクアはもうそこにはいなかった。


薫子と幸彦はたがいに離ればなれにならないように、肩と肩を触れあわせていた。

 

「私は今でも貴方のこと、兄のように思ってるから。勘違いしないでよね」


薫子はついでとばかりに幸彦の肩を掴み、キスをした。唇と唇が癒着するほど強く押しつけ、かれこれ一分ほど二人は繋がっていた。お互いこれまでの人生で最長記録に匹敵することを確信した。

 

「さっき、伊藤にキスされて最悪な気分だったの。人生最後のキスがあいつとなら、死んでも死にきれない。それならあんたの方がマシだわ。深い意味はないけど、すっきりした」

 

幸彦は、放心状態で固まっていた。まるで精気を吸い取られたように虚ろな表情だ。

 

彼らの行方はようとして知れない。丸岡高校は更地になり、旧校舎はいつ終わるとも知れぬ長い眠りについた。


薫子のアパートに枕が届く。薫子が不在だったので、大家が受け取る。


大家は薫子の帰りをじっと待ち続けた。

 

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