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せっちん!  作者: 濱野乱
澪標編
82/97

ソクラテスの弁明


ビルの谷間を、エイのように滑空する巨大なほむら。アスファルトに影を投じることもなく、無音で空をたゆたっている。


と思いきや、突如鳥の形態を取り、音速に近い速度で地面に急降下した。戦車に乗るハクアを狙っていることは明らかだった。


「せいぜい徒花を咲かせるです、美堂薫子」


ハクアが生きたまま炎の柱に飲まれる光景を前に、薫子は立っているだけで精一杯だった。


「おい、しっかりしろ!」


虎に叱咤されてもなお、意気を立て直すのは困難だ。


怪鳥の姿をした炎は殺気立っている。無理にでも体勢を立て直さなければ、ハクアの二の舞になる。


「来るぞ! 伏せろ」


虎は薫子を押し倒し、その上に覆い被さる。入れ違うように熱風と衝撃波が猛スピードで真上を過ぎる。


虎の背中の毛が勢いよく燃え上がる。すぐにアスファルトにこすりつけ消火したものの、地肌が露出するほどの傷を負った。


鳥の姿は忽然と消えたと思ったが、上空に舞い上がり、円を描きながら滞空している。


衰弱した虎を気遣いながらも、薫子の怒れる瞳は正面に向いていた。


炎熱冷めぬ戦車の残骸の前に、場違いなほど美しい少女が佇んでいる。八頭身を包む黒のジャンプスーツに、ワンレングスの髪が背中に届く。彼女は両手を広げ、獰猛な笑みを見せる。


「よお、感動の再会って奴かな? オバサン」


「……、ニーナ!」


雰囲気は様変わりしていたが、怠惰のキャストは薫子を小馬鹿にするのを忘れなかった。


「あの鳥は、あんたの能力ね。何で、ハクアを。もう勝負はついていたのに」


「だからだよ、あいつはもう戦えない。だからオシオキしたまでさ」


良心の呵責を感じさせず舌すら出すその悪態に、薫子は音が鳴るのも構わず歯ぎしりした。


「あの子は自分で生き方を選ぼうとしていたわ。それなのに」


「それが許せねえ」


ニーナは、ハクアのものと思われる眼鏡のフレームを踏み砕いた。


「あたしたちに課せられた使命は、ゲストのための世界作り。それなのにあいつはそれを放り出そうとした。支配者に対する明白な裏切りだ」


「貴女がそこまでするのは陽菜のため?」


ニーナは白い眼で薫子を見た。


「丑之森がこそこそ調べて回ってたみたいだな。そーだよ、あたしが陽菜を幸せにするんだ」


「でも本当の陽菜は」


薫子は動揺を隠しきれなかった。ニーナが守ろうとしているものの重大さを知っていたのだ。


「ゴチャゴチャうるせえんだよ!」


地団太を踏むニーナ。彼女もまたハクアと同様に差し迫った状態に置かれているのが見て取れた。


「関係ねえ。陽菜は、ユッキーと幸せになるんだ! ずっと一緒にいるんだ。もう誰にも邪魔はさせない。後はお前を消せば全ては終わる。来い! 八咫烏」


ニーナの呼び声に、上空の鳥が大きく羽ばたき、地表を目ざす。


「ナノが言ってた。お前が全部悪いんだって。消えろー!」

 


 二


薫子は鳥を見上げたまま迎え打つ構えを見せた。


「馬鹿、野郎……、一端退け」 


虎の火傷の傷はことの他深い。立ち上がるのもやっとの有様だった。


「あいつは、お前が東京に帰ると言えば攻撃をやめる。ルールを守らせるのが、支配者の目的だからだ。New orderは、まだ不完全だ。あいつらが恐れているのは、針の穴も通らないような無欠の秩序にケチがつくこと。これだけ暴れればもう十分だ」


「いいえ、戦うわ。このままじゃハクアが浮かばれない」


虎は首を曲げ薫子を睨んだ。


「お前、まだ死んだらやりなおせると思ってるのか? 気づいてるだろ。支配者の力はどんどん強くなってる。次があったとしても反抗する気持ちは存在しない。さすがの丑之森螺々も今回失敗したら後がないだろうしな。死んだら終わりだ」


新たな力を手にしたニーナは、手負いの薫子が戦える相手ではないと、虎は察する。それは事実だったが、薫子は退かない。


「もう勝手にしろ……、俺の一日の融資限度も越えちまってる。邪魔になるだけだから消えるぜ」


「ありがとう。また後でね」


虎の姿が背景に溶け込むように見えなくなった。


それと入れ違うように火の鳥が地上を襲った。息もつかせぬ強風と過剰な熱に、酸素が燃え尽きる。生物はひとたまりもないと思われた。


「ふん、あっけねえな。二度と会うこともないだろうけど。ばーい♪」


ニーナの手を振る動きが止まる。八咫烏の様子がおかしかった。地上に縫いつけられたように動きが鈍い。


「確かに熱いわね」


八た烏の足下からその巨体に比べれば小さな人間が見え隠れする。


「でも不倫バレた時、専務から頭にぶっかけられたコーヒーの方が何百倍も熱かったぞおおおおおおお!!!」


薫子は渾身の力で鳥の三本足を束ね、遠心力を用い投げ飛ばした。鳥は数十メートル離れたビルに激突し、アメーバのように形状を失った。


「……、オバサン。何してくれてんだよ」


ニーナの表情が緊張で引き締まる。


「飛び道具なんかに頼ってないで、直接きなさいよ。得意でしょ」


薫子の挑発にニーナは易々と乗った。


「上等だ! 後悔するんじゃねえぞ!」


薫子は、ニーナの右ストレートを回避し、足払いをかける。それには失敗し、逆に反撃を許してしまう。


「はっ!」


ニーナの右拳が一瞬だけ赤く光った。異変を察知し、手首を掴んで食い止める。


「年の割にカンいいじゃん。よく気がついた。でも止めたからって安心してんじゃねえよッ!」


精密かつ、豪速の蹴りが肋骨を直撃する。薫子は鞠のように吹き飛んだ。 


「がはっ……、強い」


肋骨が数本折れている。予想を超えてニーナは手強い。小細工をしない分、際だってそう感じる。


「これでわかったろ? 守護者には勝てないってよ」


ハクアに勝てたのは、虎の助力があってこそだ。それも頼ることができないとなると、別の力に頼るしかない。


「ねえ……、あの鳥」


薫子は天を指さす。八咫烏が形状を取り戻し、所在なさそうにビルを迂回していた。


「引っ込めないの?」 


「関係ねえだろ。つか、殴り合おうって言ったのオバサンじゃん。それとも何? 殴り合いが無理だから八咫烏を倒そうってのか」


「あれ、自動で動いてるの?」


「簡単な命令なら聞くよ。セミオートって感じかな」


「そう。賢いのね。……、貴女と違って」


わざと語尾を強調する。横目でニーナを伺うと、唇を噛んでいるのが視界に入った。


「今、何っった?」


「感心したのよ。ペットのしつけくらいはできるんだなあって」


ニーナは直情に駆られ、無策で薫子に突っ込んできた。


「あたしを馬鹿呼ばわりしていいのはナノだけだ! ぶっ殺す」


薫子はニーナの右手に目を留める。冷静になった今なら、赤黒いオーラが感じ取れる。ニーナが余裕をなくしたせいもあるが、これで隙は生まれた。


伸ばしてきたタイミングに合わせ、両拳でニーナの腕を挟み込み、橈骨と尺骨をへし折った。


「ぐぬっ……!」


予期せぬ激痛に顔を歪めるニーナ。


薫子は、昇竜のように前蹴りを繰り出しつつ、バクテンの要領で体を後方に倒した。勢いのついた前蹴りでニーナの顎を粉砕した。


「げふっ……!」


一回転して後方に降り立った薫子は、厳しい口調ではねっかり娘をしかる。


「次来る時までに自分のしつけをしてくることね。貴女、目上の人間に対する礼儀がなってないわ」

 

 三


ニーナが失神すると、八咫烏の纏っていた炎も同時に消滅した。黒い雨のように燃え殻が辺りに降り注ぐ。


大量の石炭を燃やし続けることで高温を維持していたようだ。どうりで煤くさいはずだ。


「ちょっとやりすぎちゃったか。でも死んじゃいなわよね」


口の周りを血塗れにしたニーナはこぎざみに痙攣している。とっさのことで手加減ができなかった。もし死んでしまったら寝覚めが悪い。


「あー、もう無理。限界。ハクア、仇はとったわよ」


わき腹を押さえ、片膝をつく。連戦の疲労で足が動いてくれない。この場を離れなければ、新手が来る。


予想に違わず、今一番耳にしたくない下駄の音が背後で鳴った。


「ま、このまま終わりってことはないか」


覚悟を決め、和傘をさした振り袖の少女に向き合う。


ニーナの片割れ、ナノは傘についた燃え殻を邪魔そうに振り払っていた。


「ニーナ、また負けちゃったんだ……、潮時かな」


ナノは、侮蔑するようにニーナを見下ろしながら、ゆっくりと口を開く。


「貴女とは会いたくないと思ってたわ」


薫子はナノの顔から視野に収めないように俯いた。


「そうだよね。オバサンには関係のない話だし」


「無関係ならどうして私を巻き込んだの?」


別の世界で起こった出来事に、どうして薫子は巻き込まれるのか。それを知りたくなっていた。


「その眼鏡」


ナノが薫子の鼻の上にあるレッドフレームの眼鏡を指す。


「全然似合ってない。外したら?」


「悪いけど、気に入ってるから無理。カヲリも同じのをしてたし」


ナノが眉間に皺を寄せた。


「やっぱりあの子が大阪にいるのは、偶然じゃないのね。私の知らない真実がどこかに眠っている」


ナノが傘を高く放り投げ、猛進してくる。


薫子は横に大きく飛びのき、距離を取る。間髪入れずに飛んできたガラス片も辛くも避けることができた。


「それを知ってどうするの? オバサンにできることなんて何もないんだよ」


「わからないわよ! でも、そうしないと前に進めない」


薫子はためらいなく背を向け、逃走を計る。気持ちの整理も、体力も追いつかない。これが最善の策だ。


しかし、そんな浅はかな思考をナノは見抜き、布石を打っていた。


ナノが投げた傘は風に舞い、薫子の上空を漂っている。傘下に入るとは正にこのことだ。傘の影が厚みを帯び、鋭い刃のように薫子の脇腹に食い込んだ。


「何これ、影が……、刃物みたいに……」


胴体が切り落とされる予感に寒気がした。


ナノは背後から、薫子の恐慌を楽しげに眺めている。


「月影刃。私の影に入ったものを強制的に切断する能力だよ。傘も私の一部でできてるからね。下ばっかり見てるからだよ、バーカ」


ナノの新しい能力に、薫子は絶体絶命だ。しかし、


「いいことを聞いたわ。影も一部なら。ふんッ!」


薫子は背筋と、腹筋を締めた。鋼鉄をも容易に切断する刃は通らず、筋肉の壁はむしろそれを押し返している。 


「ちょっ……、何それ、反則」


ナノに動揺が走る。


薫子は刃となった影を地面からひっぺがして四つ折りにして、たたきつけた。子供の頃遊んだめんこを彷彿とさせる。


「きゃー!」


ナノは悲鳴を上げ、地面に倒れ込む。


「ど、どうだ……」


薫子は両膝に手をつき、息を切らす。


起死回生は成功した。影も本体の一部なら、連動してダメージを与えることはできるらしい。


「痛い……痛いよ…、助けて、ニーナ」


か細い声で妹に助けを求める。しかしニーナが助勢に来る気配はない。


「もう終わりにしましょう。貴女に勝ち目はない」


ナノは、大気を震わせるように大笑いした。


「ねえ、もう知ってるんでしょ? 私のゲストがどうなったか? どう思った?」


「残念だけれど……」


ナノは、はねおき指を突き立てる。


「残念? あはは、お笑いだよ。他人事みたい。あんたが元凶なのに。あんたとカヲリのせいで」


薫子は卒倒しそうになった。しかし今倒れれば二度と立てない気がした。


「西野陽菜は、死んだのに」


薫子の目に強い光が飛び込んできた。夕日が沈もうとしていたのだ。


逆光になったナノの影が、薫子の足下まで伸びてきた。


「この時を待っていたんだよ。日が沈んで影が伸びるこの時を。刃の威力は影の長さに比例する。これは断罪のギロチン! 何度でも地獄に叩き落としてあげる! アハハハハハ!」


得意になったナノの足元から、より勢いと鋭さを増した影の刃が走る。


数瞬先に真っ二つにされるとわかっていて、薫子は動けなかった。うわごとのようなつぶやきが口をついた。


「違う……、私は陽菜を殺してなんか……いな、い」


それは苦し紛れの弁明のように響いた。

 

 

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