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せっちん!  作者: 濱野乱
澪標編
73/97

刺客

 

新幹線の座席で、セーラー服姿の丑之森螺々はノートパソコンを膝に置いていた。PCは薫子の家から持ち出してきたものだが、それを使ってこれから向かう目的地の情報の収集に余念がない。


「くくく、叩けば叩くほど埃の出そうな女だぞ。こいつは」


灰村香澄が若女将を務める旅館のページを閲覧したり、口コミ情報を漁る。パンフレットだけでは得られないリアルタイムの情報に螺々の心は踊った。


香澄は現在、三十歳。早稲田大学文学部卒業後、東京の大手旅行会社に就職。大学の山岳部で知り合った恋人と結婚したものの二年半で離婚した。子供はいない。一年前に会社を辞め故郷の福島に出戻っている。


螺々は香澄がかなりの確率で何らかの情報を知ると睨む。せっちんが何の意味もなくパンフを落としたとは考えにくい。罠の可能性もあるが、回りくどいことをする理由が不明だ。うまくいけば支配者に繋がる糸を手繰りよせることも可能かもしれない。


「行けばわかるさ。その時私は」

螺々は支配者の処遇を決めかねていた。この運命すら書き換える力に少なからず怖じ気付いていたのもあるが、自分を巻き込んだ理由は是非とも知りたい。それを知るのが半ば目標になりつつあった。


「ん……」

螺々はパソコンのキーを叩く手を止める。奇妙な違和感に襲われた。それも束の間、新幹線がホームを離れ、滑り出すのが窓を透かして視認できた。

「新幹線、何年ぶりかな。できれば今回で最後にしたいものだ」

自分を戒めるように呟いた。

 


 二


伊藤嘉一郎が用意したのは、グリーン車の切符だった。

美堂薫子は嫉妬で気が狂いそうになりながら、それを表面上穏やかに受け取った。その際、言いたくもないお愛想まで言ってしまう。縦社会にどっぷり漬かった弊害である。


憤懣やる方なく、新幹線の通路側の席に座る。

薫子は真面目にコツコツこれまで働いてきたのに、グリーン車に乗ったことがない。それなのに、このロリコン教師は三人分の切符を易々と用意した。やせ我慢や、見栄でないのは、伊藤の身なりを見れば一目瞭然だ。スーツとシューズは一教師に似つかわしくない程上等だった。


「ねえ、貴方、今でも教師をしてるの?」

「ええ。中学校の教師をさせてもらっていますよ。元気のある子たちばかりで骨が折れますが、楽しいです」

意味ありげな伊藤のほほえみに、薫子は身震いする。より獲物の年齢が引き下がったことで生理的嫌悪が増した。この男なら、やりかねない。

「あれ……?」

薫子も、螺々と同じ奇妙な違和感にはたと考え込む。


「どうか、しましたか?」

伊藤の手が薫子の手に添えられた。鳥肌は必定、払いのける。

「触らないで!」

「ふふ……、失礼」

悶着の最中、発車アナウンスが流れた。

 

 十一時十七分発、山陽新幹線 のぞみ岡山行き まもなく発車いたします。

 

「えっ……!!」

薫子は窓際に張り付く。目的地の東北とは真逆方向の電車に乗ってしまった。伊藤がやたらと話しかけてきたせいで乗り場を間違えたことに気づかなかったのだ。


「伊藤……、あんた!」

澄まし顔の男の胸ぐらを掴んで揺さぶる。

「あんたやっぱり支配者の手先だったのね。怪しいと思ってたのよ。私と螺々をこの電車に乗せてどうするつもり?」

伊藤は窓際に頬杖をついたまま余裕を滲ませる。

「美堂さん。君を待つ人物が大阪にいます」

「大阪?」 

「行けばわかります。今は僕と新幹線の旅を楽しみませんか」


薫子は、通路を挟んだ座席にいる螺々を横目で見やった。彼女もまた苦虫を噛み潰したような顔で伊藤の奸計を非難していた。


「気に食わんが、従う他あるまい。嘉一郎に新幹線の手配を任せた我々の落ち度でもある。考えようによっては大阪に支配者がいる可能性もあるしな。どうなんだ?」


「ご想像にお任せしますよ、博士。僕は案内を任されただけですので」


放言を聞いた薫子は伊藤をここで潰すべきと考える。この車両に三人の他、乗客はいない。狼藉に第三者を巻き込む心配もない。螺々と二人がかりならと、目配せをしようとした考えた矢先、伊藤に機先を制される。


「美堂さん、今考えていることを忘れて席に戻ってください」

思考を読まれ、薫子は冷たい汗をかく。ここは誤魔化しに徹するべきだろう。

「勘違いしないで。トイレに行こうと思っただけよ」

「電車に乗る前に済ませませんでしたか?」

薫子は、伊藤の隣に大人しく腰を下ろした。

「それでいい。今、僕と戦えば大変不幸な結果になっていたでしょうから」

「今じゃなきゃいいわけね? 楽しみにしてるわ」

薫子の衰えを知らぬ闘気に、伊藤は目を細める。

「僕は見届けたいのです。この新秩序の結末を。美堂さんの求める答えもきっとそこにあるはずですよ」



 三


どうして座席は空いてるのに、伊藤と隣合った席に座らなければならないのだろう。発車して間もなく薫子は異議を唱えずにはいられなかった。

「ねえ、ちょっと丑之森、席替わってくれない?」 

「すまん、薫子。今忙しいんだ。少し辛抱してくれ。おい、嘉一郎、女を退屈させるとは何事だ。ちゃんともてなせよ、得意だろ」

「御意」

螺々はパソコンにかかりきりで埒があかない。近づいて横からのぞき込むと、ソリティアに夢中らしい。道中が不安になってきた。

「これだけ空いてるんだし、他の席に移ってもいいわよね」

「いけませんよ、美堂さん。次の停車駅で乗客が来たら迷惑になります」


伊藤の正論は火に油を注いだ。もう一言も口を利くまいとだんまりを決め込む。

「しりとりでもしませんか? 僕得意なんですよ」

「知らねえよ! 話しかけんな、ペド野郎」 

叫んだらのどが渇いてきた。駅で買っておくべきだったと後悔する。

「怒ると体に毒ですよ。どうすれば機嫌を直してくれますか?」

「今すぐあんたが視界から消えてくれたら、どんなに清々するかしらね」


紛れもない本音である。今も何かされるのではないかと気が気でない。


薫子は通路側に座っていたのだが、その時かすかな物音がしたので、通路を振り返る。通路に小さいワゴンが置いてあった。先ほどまでなかったはずだが、いつの間にか移動したのだろう。台車には、駅弁やお菓子、飲み物が積んである。


手すきだった薫子は、カラフルな包装の駅弁に手を伸ばした。

「……、フリーズ」


ワゴンの陰から、ぬっと黒いピストルを突きつけられる。よく見ればプラスチック製のレプリカである。

「うわっ!」


薫子は一応、驚いた振りをして両手を高く上げた。騒ぎを聞きつけた、伊藤と螺々も台車に気づく。


「勝手に商品に手を触れられたら困るですぅ。欲しいものがあったら、吾輩に言うですよ」


「ごめんごめん、貴女が後ろにいるの知らなかったからさ」


台車の背後にいたのは、ロイド眼鏡をかけ銀髪のおさげの上に四角い帽子を載せた幼女である。紺のジャケットにスカート、白いブラウスという出で立ち。その上にピンクのエプロンをしていた。


「ビールと、シュウマイ弁当くれる?」

「了解ですぅ」


幼女はピストルをエプロンの前ポケットにしまい、ワゴン上にある弁当と、クーラーボックスに入っていた缶ビールを薫子に手渡した。

「二千百五十円(税込み)ですぅ」

「高っ……」


薫子の財布を漁る手が止まる。幼女は悪びれず、手のひらを差し出した。


「適正価格ですけど? そっちの吾輩好みのイケメンさんも欲しいものはありませんか。サービスするですよ?」


幼女は薫子を押し退け、伊藤を上目遣いでそっとうかがう。

「そうですね……」


伊藤は顎に手を当て考えていたが、ふと幼女と目が合う。その時、彼の顔に明るい光が差した。


「やや! 君はハクアじゃありませんか」


ハクア(?)は派手な動作でエプロンを宙に脱ぎ捨てる。


「ヒッヒッヒッ! よくぞ見破られました。さすらいの労働者とは仮の姿。吾輩こそは、支配者ルーラー第一の刺客、嫉妬のハクアですぅ!」


名乗りが聞こえなかったように、薫子はビールのタブを上げて、泡をすする。螺々は車窓の景色に目をやっていた。


「さて、美堂薫子」


ハクアは薫子に指を突きつける。


「お前、吾輩の存在に気づいていながら、よくも今まで無視しましたね」


これまでハクアの存在がちょこちょこ視界に入っていたことには気づいていたが、指摘しなかった。関われば、障りがありそうだったからである。


「懸命に働いてるのに、水差すのも野暮じゃない」

「吾輩好きで働いてたわけじゃねえです。お前を監視していたですよ」

ハクアは伊藤の膝の上にちゃつかり腰を下ろした。


「お前、平日なのにどうして会社に行かないでこんな所にいるです?」

無垢な好奇心をのぞかせ、ハクアは尋ねた。


「わかんないからここにいるんでしょ。私だって好きでこんな所にいるわけじゃ」 


「自分の意志じゃないわけですね。聞きましたぁ? 嘉一郎様」

伊藤は軽く顎を引く。


「では吾輩がお前を送り届けてやりましょう」

「いや、それは……」


何を迷うことがあろう。こんなわけのわからない連中と縁を切るチャンスだ。そう結論づけるのが妥当だが、薫子は即答しかねた。

薫子が逡巡している間に、ハクアは両手を叩いた。

 

「まあ、イエスでもノーでもどっちでもいいですぅ。この電車は、どうせ地獄行きなのですから」


「えっ!」


薫子の緩んでいた体に力が入る。しかし先手を打ったのはハクアだった。

先ほど、ポケットに仕舞っていたピストルを取り出し、至近距離の薫子の顔に向けて、引き金を引いた。銃弾も発射されず、銃声もしなかったが、代わりに出たのは琥珀色の液体だ。


「わっぷっ! やめなさい! こら!」

薫子は手で顔を覆うも、だいぶ水鉄砲の洗礼を受けた。目、鼻や口にかかった液体からはアルコールのきつい臭いがした。手から缶が滑り落ち、中身がこぼれる。


「おっと」

人事不省となり、通路側に倒れそうになった薫子の腕を伊藤が掴んで引き寄せた。


「やれやれ、問答無用だな」

螺々が立ち上がり、ハクアを見下ろした。

「丑之森螺々。何か吾輩に用ですか?」

ハクアはつまらなそうに目を滑らせる。


「薫子に用があって、私にないことはないだろう。やるか?」


戦闘の余波に螺々はいきり立つが、ハクアは鼻でせせら笑う。


「ぶち殺したいのは山々ですが、螺々。今のお前は、俎板の鯉のようなもの。”新秩序”はお前に似合いの死に場所を用意してるですぅ。それまで楽しみに待ってるといいですよ」


面前で唾を吐きかけられたような侮辱に、螺々は震える。拳を振り上げそうになったが、伊藤がその前に口を開いた。


「ハクア、今の君は支配者の虜なのですか?」


ハクアは伊藤の膝の上でもどかしそうに三つ編みをいじった。


「はうぅ、面目ないですぅ。今の吾輩はキャストではなく、秩序の守護者。ですが、嘉一郎さまに危害を加えたりは致しません。ご安心くださいですぅ」

伊藤は薄く笑い、ハクアの帽子に手を置いた。


「構いませんよ。君の心の望むようにしなさい。僕には君を縛り付けることなどできないのですから」

ハクアをそれを聞くと寂しそうに笑った。


螺々は意識不明の薫子を気にかけた。呼吸、脈拍は荒いが、命に別状なし。高濃度のアルコールをかけられたと思われる。


「さーて。大阪まではまだまだ時間があります。嘉一郎さまは新幹線の旅をお楽しみあれ! 吾輩は仕事に戻るですぅ」


伊藤のお墨付きをもらったハクアはようようと薫子の足首を引きずり、別の車両に移動して戻ってこなかった。


「ふむ……、厄介なことになった」


螺々は伊藤の隣に腰を下ろし、アームチェアーに肘を置いた。


「嘉一郎、ハクアをコントロールできないのか?」


「できないでしょうね。ここは以前とは勝手が違うもので。仮にできたとしても、美堂さんの奪還には反対です」


螺々は伊藤の冷静な態度に納得がいった。初めからハクアと示し合わせていたに違いない。少し考えればわかることだった。


「お前だって今のままじゃ困るだろう。このまま意思のない木偶に成り下がる気か?」

「残念ですが、今のところ博士の意向には添いかねます。充実した日々を送らせて頂いていますので」


元より援軍は期待できない。一人で事を為すしかないことを知る。邪魔されるよりはマシだとため息をついた。


これまでの道程が全てまやかしだったとは、思いたくない。しかし、このまま手をこまねいていては真実は闇に葬られ、そこに残るのは虚無に他ならなくなるだろう。


「ですが。東北に行くなら僕も付き合います。美堂さんはハクアに任せませんか?」  


大阪に重要な何かがあるのかそれとも、単に薫子を始末するのが目的か。いずれにしろ、確実なヒントになるであろう東北に向かう方が、合理的だという結論に至った。


「しかし、薫子がハクアに遅れを取るとは思えんがな。あいつはしぶといぞ。私が保証する」


「だといいのですが。ことによると美堂さんは東京にとんぼ返りすることになるのでしょうね」


この後、伊藤と螺々は大阪につく前に下車し、折り返しの電車で東北、福島を目指した。

 

 

 

 

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