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せっちん!  作者: 濱野乱
澪標編
71/97

襲撃


早朝、起き出した薫子がトイレの扉に手をかけると、内側から施錠がなされていた。


薫子の住むアパートは、バスタブとトイレが同じ部屋に併設されている。


そのため、どちらかの用途で独占されれば、閉め出される他ない。一人暮らしの間は何の問題もなかったが、今は不本意な同居人がいることを失念していたため、焦る。


「シャワーは、朝浴びる主義でね」


螺々は吐息混じりにシャワーノズルを締めた。未成熟な肌は容易に水をはじく。


「嘘つけ。あんた昨日の夜も浴びてたわよ。出てよ! 早く」


薫子はいよいよ切羽詰まり、ドアを乱打した。もったいぶった態度に頭に来たのだった。


「ふん、融通のきかん奴だ。今出るよ、髪を乾かしてからな」


「ふっざけんなああっ!? 分かっててやってるでしょ、あんたは」


螺々はそれから間もなく白いバスローブ姿で現れた。薫子は入れ違うようにトイレに飛び込む。


用を足し終えると、螺々が髪を濡らしたままキッチンで野菜を刻み始めている所だった。


薫子は、螺々の髪に鼻を近づけふんふんと鳴らす。


「ねえ、丑之森。私のシャンプー使うなって言わなかったっけ?」

螺々は包丁に目を落としたまま聞き流している。


「それに!」

螺々のバスローブを容赦なくひっぺがす。


「いやん」

螺々はわざとらしく二の腕で胸を押さえた。黒いレースの上下の下着が若い体を取り巻いている。カップが余っているので胸のサイズが合っていない。 


「私の下着つけてんじゃねえ! ブカブカだよ。こ、この貧乳が。今すぐ脱げ。今すぐ脱げ」


薫子と螺々はそりが合わない。それは初対面の時に遡る。かつて螺々は幼少の薫子を実験動物として扱った。その確執は数日程度過ごしただけでは拭えないのである。


「何度でも言うけれど、私はあんたとつるむ気はないんだからね」


いくら薫子が嫌悪を表しても、螺々は平然と自分のリズムを崩さずにいる。それがさらに反感を買うサイクルを作っていた。  


「一つ屋根の下に暮らしていても、無理に相手に合わせる必要はないよ。夫婦だって同じだろ」


「良い事風に纏めるな!」

薫子は丸めた新聞紙で螺々の頭をはたいた。


「どのみちキャストと出会えば、そんなこと言ってられなくなるんだからね」


ゲストと出会うことになれば戦闘は避けられない。しかし薫子はあくまで自分の人生の意義を探すのが目的だ。螺々とはそもそも目的が違う。


「それで、他のゲストの居所は掴んでるの?」


螺々は都合が悪くなったのか、新聞で視界を塞ぐ。薫子も心当たりがないため、八方ふさがりだ。


「なあに、ちょっと歩いてみればぶつかるさ」


「犬も当たれば棒に当たるみたい。適当だなぁ」


螺々は新聞を下ろし、頬を膨らませた。その仕草が陽菜そっくりで薫子は目をそらした。


「ところで薫子、君の父親のその後はどうだ?」


それから数十分後、薫子が恐々と会社の有給の申請を済ませた後で、螺々が訊ねた。


「何よ、いきなり。もう知ってるんじゃないの」

薫子はいともたやすく耳を塞いだ。自分を懐柔するための手段に肉親を使われ、気分を害した。

「パパは、もう死んだわ」


ふと父親との関係も芝居の範疇だったらと夢想する。どこからが芝居だったのか境が曖昧になっている今だからこそできる贅沢だ。


螺々は壁時計を見上げた。時刻は九時丁度だ。


「出かけてくる。君はどうする?」

会社を休んだ以上、家に閉じこもっているわけにもいかない。無謀な探索の準備を始める。


「会社行くわけじゃないのにスーツ着るか? 普通」


アパート玄関の姿見の前で螺々がけちをつけた。


薫子は、赤いフレームの眼鏡、昨夜アイロンをかけた白いシャツ、タイトスカート、ベージュのストッキングという出で立ち。短い断酒でも顔色は幾分ましになって、笑顔も増えた。


「勝負服みたいなものよ。気が引き締まるの」

螺々には鼻についたと見え、皮肉で返してくる。


「私服がないだけじゃないのか? これだから社畜は」


「その言い方やめてよ! まじめに働いてるのに」


「社畜はみなそう言うね」


十代中頃の華々しい姿を見せつけられて、薫子も気が気でないのは事実である。しかしへたに張り合えば余計に老けてみられるので、無難な所に落ち着いた。


「セーラー服着てみるか? 動きやすいし、あの時のような力が出るかもしれんぞ」


薫子は少し返答をためらい、きっぱり断った。


今更、高校生になりすますなど考えられない。あれはフィクションだ。 


あの男は、不倫が露見すると薫子を容易に捨てた。学校の調査など頼まれてもいないし、潜入調査など持っての他だ。


何のためにあの菊と刀という芝居は演じられ、薫子もまるで参加していると錯覚したのだろうか。あれは薫子への罰ではなかったか。不倫の代償を自ら演じることで帳消しにしたかったのかもしれない。都合のいい解釈に自然と自虐的な笑みがこぼれた。


「何一人で笑ってるんだよ。それが御社の社風か気持ち悪」


「あんたには負けるわ、化け物。あんたって、買収だけが取り柄のベンチャー企業みたいよね」


「私の崇高な理念を理解出来ぬとは、愚かな奴め」


「何が理念よ。嘘つき」


二人はしばらくにらみあったものの、体力の浪費を避けるために同時に離れた。


「パパ、行ってきます」

薫子は、父の仏壇に好物だったこんにゃくを備え、手を合わせてから部屋を出た。


アパートの大家のおばさんが、階段下で笑顔を振りまいた。待ち伏せされていたようで、気分は良くない。薫子は苦笑いで応える。


「あらー、おはようございます。美堂さん」 


「あはは、どうも……」 


面倒な相手に見つかった。今更身を隠すわけにもいかず、やり過ごすしかない。

 

「どうしたんです? 遅い時間でしょ? 会社。寝坊? ねえ、またお酒飲み過ぎたの? 駄目よねえ、いつまでも若いつもりでいたら。ねえ、もっと節度を持たないと婚期も逃すわよ、あら大変」


この女性、悪気はないのだが、逐一薫子の生活を監視しているような節がある。不要な人間関係の軋轢を避けるのは定石だが、螺々と一戦交えたばかりで気が立っていた。日頃の鬱憤が顔に出そうになるのをこらえる。


「あらまー、どうしたの、ねえそれ」


薫子は肌荒れを指摘されのかと思い、とっさに両手で頬を押さえた。しかし大家の視線は、その背後に注がれている。


「まーあ、可愛いお嬢さん。顔ちっちゃ!」


薫子の背後に螺々がぴったりとくっついている。内股気味、男殺しの上目遣いで猫を被るつもりのようだ。


「こ、この子は親戚の子です。アイドルを目指して上京したんです」


でたらめな紹介に、大家はおおげさに頷いた。


「えーっ、いいわねぇ。若い子は夢がなくちゃ。でも親戚なのに、あんまり似てないのね」


薫子は答えに窮するが、螺々はうつむき笑いをこらえている。


「わ、私も、昔、モー娘の書類審査通ったことありますけどね」


苦し紛れの薫子の抵抗に大家は聞く耳持たず、螺々ばかりを上から下まで吟味している。


「あらそー、それにしても顔ちっちゃ。まるでワンコイン、おほほ……」


あまり上品でないたとえでひとしきり笑うと、大家は引っ込んだ。


「畜生……」


薫子は自尊心を傷つけられ、その場でうずくまった。螺々は気の毒に思ったらしく肩に手をかける。


「大したもんじゃないか。普通書類審査もなかなか通らんぞ」


「本当は書類審査も通ってないの。つい、悔しくて」


薫子はつまらない見栄を張ったことを心の底から悔いている。螺々は手を引っ込めた。


「気にするな……、女の価値は顔だけじゃないさ」


六月にしては、雲の少ない晴れた日だった。湿度はあり、汗ばむが前日ほどではない。螺々は気晴らしにパチンコにでも連れていこうと決めるが、前を向いた時点でその考えは消し飛んでいた。


アパートの前面にカーブミラーが設置されていたが、そこに絣の着物の子供が腕を組んでいる姿が映りこんでいた。螺々は気づかない振りをして、薫子の脇で空を見上げる。


二人は二十メートル四方のアパート駐車場の中央にいたが、子供は敷地の手前で規則正しく立ち止まった。 


「そろいもそろって、しけたつらをしておるのう」


幼女の同情は、薫子の傷をさらに抉った。と、同時に緊張の度合いは増す。


「きょうは、ちゅうこくにきた」


薫子はおもむろに腰を上げる。


「かおるこ、なぜ、かいしゃにゆかぬ?」

「だって……」


言葉を選ぶも、明確な動機はなかった。自分探しなどという軽薄な目標を語れば、鼻で笑われるだけだろう。


「かいしゃに、ゆけ。でなければ」


せっちんは、太刀の柄に手をかける。幼子の手と道具としての太刀の剛毅さは異質なコントラストを形成している。


「無断欠勤したわけじゃないからいいだろ。有給は被雇用者に認められた権利なんだから」


螺々が話に割ってはいると、せっちんは目を怒らせる。


「せいとうなりゆうもなしに、けっきんするのは、”さぼたーじゅ”じゃ。ちつじょにたいする”はんぎゃく”じゃ」


「一体ここはいつからソ連みたいな国になったのかね。幼女までもが、勤労に奉仕せよと説くか」


せっちんは、柄に手をかけたままコンクリートを踏みしめ摺り足で進み出る。


「ずにのるな、うしのもり。ちつじょをみだすものは、わらわが、きりすてる。それは、そなたもれいがいではない」


肌を刺すような殺気に、薫子は怯むが螺々は泰然としている。


「それが今の君のレゾンデートルというわけか。支配者の犬に成り下がって満足かね。寺田君はどうした? あんなに慕っていただろうに」


「くちをとじろ」


「口の巧さだけで生き延びてきたからね。それはできんよ」


距離約四・五メートルから、せっちんは腰を深く落とし、抜刀の構えを取る。


螺々はこの後に及んで笑みを絶やさない。肝の据わりようが群を抜いている。それは根拠なき自信というわけでなかった。


「忘れたか? 今の私は、西野陽菜の体を借りている。つまり、ニーナ、ナノも私の支配下にあるということだ。あの極悪姉妹を相手にいつまで戦えるかな? さあ、来い」


螺々はナノたちを呼び出そうと腕を伸ばしたが、一分待っても、何事も起こらない。


「おーい、どうした。光の国からやってきて、敵を殲滅せんか」


強制的な仕切直しにせっちんは戸惑い、刀から一瞬だけ手を離した。それを見計らい、螺々は薫子を突き飛ばす。


「えっ!?」


薫子は訳もわからずせっちんの前に倒れ込む。せっちんは刀を抜こうとためらい、結局鞘から動かさなかった。


「どうした、斬らないのか? ま、別にどっちでもいいがね」


螺々は一足で、せっちんに接近し、狭い額に手のひらを押し当てる。手を離すと、せっちんの体は重力を失ったように軽々と吹き飛び、アパートに面した住宅のガレージに背中から激突した。薫子の目には決壊した川に飲み込まれる藻屑のように映った。


螺々の能力は、威力が使用者と対象の距離に反比例する。直接触れれば最大の効果が得られるものの、物体の抵抗や硬度は無視できないため、キャスト戦の決定打というにはあまりに弱い。


「この、しれものが……」


その証拠に、せっちんはへこんだガレージの前で身を起こそうとしていた。


「うしのもりらら。そなたは、”にしのひな”としてのやくわりを、すいこうするぎむがある。わらわとともに、きてもらうぞ」


せっちんの背中から三本目の腕が触手のように生え、ガレージを押し退け立ち上がる。


「やれやれ。私は義務を押し付けられるのは嫌いだよ。君らと違って」


螺々は座り込んで動けない薫子に目配せする。薫子は歯を食いしばり怒りを堪える。


せっちんは、睫を伏せた。浅からぬ懸念を示す仕草だ。


「わらわも、なにかになるのにつかれたよ。もはや、なにものでもないなかもしれぬ。いまも、これからもずっと」


薫子の背後のアパートの屋根できしむような物音。野良猫か、鴉かと思いきや違った。ガレージの前にいるせっちんとは別のせっちんが腹ばいで薫子を見下ろしている。真ん丸の目玉とかち合うと、ニヤリと笑ったように見えた。


「薫子」

螺々が駐車場を通りに向け走り始める。


「一分耐えろ」

薫子に考える暇は与えられない。


せっちん、集結。


通りからも群衆となったせっちんが、土埃を巻き上げ道を埋め尽くす。それだけに止まらない。どこから侵入したのか、内側からアパートのドアを開け、わらわらと外に出てきてしまった。屋根にも数人のせっちんがおり、駐車場に飛び降りている。ねずみ算式に増えたせっちんにあっという間に包囲された。


「あ、あ……」


薫子は逃げ場をなくし、硬直する。

数十人規模のクローンせっちんは、ナイフや、金属バットなどの獲物で武装し、薫子を円形に取り囲んだ。


「おぶつは、しょうどくじゃあ!」


血気にはやったクローンの一人が、涎を垂らし木刀を振りかぶる。


「いやっ、こないでええ!」


薫子は目を閉じ、中腰で拳を前につきだした。堅いものにぶつかる感触。


「あべし……!?」


木刀せっちんは、あえなく拳を鼻にくらい、ひっくり返った。鼻血を吹き出し、白目をむいて痙攣している。


その惨状を目の当たりにした他のクローンたちは、薫子から放射線状に距離を取る。


「ごりら、ばばあじゃ……」


一人のクローンが不用意につぶやく。薫子は無駄のない動きで木刀を拾い、不届きなクローンの脳天に打ちおろす。一撃で意識を失い、もんどり打って倒されると、ざわめきが波紋のように広がる。


「ふふん。なかなかやるね」


螺々は路上で倒れている失神したせっちんの頭を掴んで持ち上げる。左右の道路には、逃げ道を塞ごうと所狭しとせっちんが居並ぶ。


「せっちん、独楽遊びは好きか?」


各々不安げに顔を見合わせるが、答えるものはいない。


「独楽で遊ぼう。但し、独楽になるのは君らだよ」


螺々が掴んでいたせっちんを地面におろすと、両手を広げ、酔っぱらったような足取りで、ふらふらと進んでいく。


「はらほれぬみ*`=”##1!」


目が完全に正気を失い、竹トンボが回るようにじょじょに、廻転速度を増しながら群に突っ込んだ。

「こいつ、らりってやがる」

「こっちくんなあ」

「まきこま……、うわー!」


間接の動きを無視した勢いすさまじい廻転せっちんに群れは将棋倒しになる。阿鼻叫喚の騒ぎ。


指揮系統は元より整っていなかったらしく、簡単に総崩れになった。


「ひけー、せんりゃくてきてったいじゃ! おぼえてろ」


言うまでもなく蜘蛛の子を散らすように、多くのせっちんたちは背中を向けていた。現れるのも素早かったが、消えるのもまた風の如し。


薫子は逃げ遅れたクローンの一人を捕まえて、背後からコブラツイストをかける。


「ほら、きれいなお姉さんにやられましたっていいなさい!」


非情な要求にクローンは歯を食いしばり耐えていたが、痛みと心細さから涙を溢れさせていた。


「おい、そのくらいにしといてやれ。真実を話すには勇気が要るんだ」


螺々が近寄って遺憾の意を表すと、薫子は納得した。


「それもそうね」


薫子がロックをわずかに緩ませると、クローンは袖で顔を拭って朋輩たちの後を追い、角を曲がって見えなくなった。去り際、彼女の袖から旅行パンフレットのような冊子を落ちた。


「ふん、どうやら初めから本物はいなかったらしいな。こすい幼女だ」


螺々が憤慨していると、薫子に胸ぐらを掴まれた。

「こすいのは、あんたでしょうが! 私が斬られたらどうするつもりだったのよ」


薫子を囮にし、初めのせっちんを攻撃した手際を責められていると気づく。


「あれは脅しだよ。支配者権限があるからな」


薫子は説明を要求するように、力を強めた。


支配者権限は、ルールを破ったゲストとキャストを裁く仕組みである。裏を返せば、ルールを守る限りゲストは安全だ。今の薫子は、会社に行こうか迷っている状態だ。白でも黒でもないため、せっちんは攻撃しなかったのであろう。


「でもここは、現実よ」


「支配者権限は、もはや法律や憲法のような強固な仕組みとなったのかもしれない。ルールを破れば罰せられる。法治国家となんら変わりない」


薫子は手を離した。指先が震えている。


「ね、ねえ……、キャストが支配する世界はどうなるのよ」

薫子の脳裏には、ハクアがかつて支配者を定義した言葉がよぎっていた。

破滅。


「もうこの世界は破綻を来している。それを正すには、支配者の力が不可欠だ。協力しろ、薫子」

 

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