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せっちん!  作者: 濱野乱
空蝉編
43/97

役不足

「本気の恋って、したことある?」

灰村香澄は首をかしげ、歩道橋の中程で立ち止まった。

見慣れた通学路に思いを馳せる。この道を歩くことができるのも、後わずかだ。

「未来、今何て言ったの? トラックの音がうるさくて聞き取れなかった」

澄まし顔の香澄に、気分を害することなく、来栖未来は問いを繰り返す。

「初恋っていつ? 香澄」

「質問が変わっているわ」

「え、同じだろ」

未来は香澄の隣に立って、歩道橋下に目を落とす。国道の先には、魔窟のようなトンネルが口を開けていた。

「初恋が本気とは限らないでしょう?」

「初恋だから、本気にならないとだろ」

通勤客を満載にしたバスが、トンネルに吸い込まれた。

「初恋って勝率が低いって聞くわ。それに・・・・・・」

黒いポルシェが静かに速度を減じ、トンネルに突入していく。助手席に、未来たちと同じ黒いセーラー服の女子がいるのが垣間見えた。

「恋はいつか冷める。引きずるのも見苦しいわよ」

香澄は、未来の肩を軽く叩いて、歩きだした。

未来は拳を固く握りしめ、苦き血潮ほどばしる。

涙のように、歩道橋を染めた。


 (2~)

 

 一九九九年十二月十三日月曜日

 

カヲリは丸岡高校に到着すると、教室ではなく、体育館脇の小道の先にある空き地に足を向けた。

そこは、ほうぼうたる草の室。金属性の巨大な檻に虎がうずくまる。

「おはよう。虎、さん」

黒い巨体はカヲリに背を向け、反抗の構え。三角形の耳が、本能に従い揺れた。

カヲリは鞄からビニール袋を取り出し、中に入っていた牛肉の肩ロースを、檻の中に放り込んだ。

「私の朝食になるはずだったの。貴方にあげる」

キャストとゲストは一蓮托生、呉越同舟、三途の川。もっと親身に世話をなさいと、ハクアに注意された。 

「ぼぼぼぼぼ」

奇声を上げたせっちんが、竹馬に乗って空き地を駆け回っていた。ハクアが、その後を物欲しそうについて歩いている。

カヲリが虎の様子を見ていると、いつの間にか二人は空き地から飛び出していた。レトロな遊びにはまっているらしい。

竹馬の高速歩法を編み出したせっちんは、わき目もふらず校舎の周りを疾駆する。

「吾輩が作ったのにぃー! 吾輩にも乗らせるですぅ!」 

「”きば”は、”いくさ”のかなめぞ。わらわの、てにわたったのが、”うん”のつきよ」

ごうつくばりの、せっちんは、竹馬を独占して離さない。ハクアが懸命に縋っても耳を貸そうとしない。 

竹馬の足が、コンクリートの段差に引っかかった。せっちんの手が竿を離れて、転倒した。

「あーっ!」

顔面から倒れた、せっちんを指さし、ハクアは抱腹絶倒する。

「ギャハハハハ、マヌケぇ! ざまあねえですぅ。吾輩に遊ばせなかった罰ですぅ」

せっちんがつまずいて倒れたのは、昇降口付近のスロープ近くだ。だが、行き交う生徒が目をくれることはない。

面立ちのやさしい一人の少年が、うつむきがちにやってきた。彼もまた、せっちんの前を素通りした。

「ううっ・・・・・・、ゆきひこ」

鼻の頭を擦りむいた痛みよりも、幸彦が自分を関知しない方が堪えた。涙が目の縁に溜まっている。

「仕方ねえですよ。この世界では、お前の姿は視えないんですから」

ハクアは、せっちんを慰めた。竹馬の恨みはもう忘れかけている。

と、ハクアの目線の先を、高身長の男性が通り過ぎようとしていた。細面のどこか陰ある美男だ。

ハクアは目の色を変え、その男性の足首にしがみつき、引きずられていく。

せっちんも、竹馬で幸彦を尾行し始めた。

まるで足枷のような絆である。


 (3~)


カヲリが教室につくと、一角が熱狂していた。静かな熱狂だった。

西野陽菜、未来、香澄の三名が机をつけて、対面している。香澄と陽菜は、いつになく真剣な表情を浮かべ、トランプを手にしている。未来はそれを落ち着きなく見守る役らしい。

陽菜が札をひらひらと振り、香澄に笑いかける。

「灰村先輩って、鉄面皮って言葉がよくお似合いですね」

嫌みとしか受け取れない発言に、香澄の肩眉が持ち上がる。

陽菜の背後にいたマイが耳打ちをする。それもはっきりと周りに聞き取れるように。

「それを言うなら、ポーカーフェースじゃね?」

「あー、そっか間違えた。すみませーん。不勉強で」

陽菜側のギャラリーが沸き立つ。香澄の動揺を誘うための方策と思われる。

「ならこの機会に覚えておくことね。鉄面皮に無表情という意味はないわ」

香澄は、くそまじめを装い、陽菜をあしらった。陽菜は狙いが外れ、マイとひそひそ話に興じる。

「あのー、何してるんですか?」

カヲリは、未来に事情を訊ねた。

「ああ、ポーカーやってんだけどさ。あたしは弱いから観戦してんの」

「そうそう、未来ちゃんすぐ顔に出るからカワイーんだ」

陽菜が未来をからかうと、香澄が機を得たように割って入る。

「西野さん! 無駄話が過ぎるわよ。役が決まったのだから、早く出しなさい」

陽菜の目がほんのわずかに泳ぐ。叩きつけるように手札を開示した。

絵柄は約に満たない不揃いのものが目立つ。陽菜は天を恨むように仰いだ。

「・・・・・・、ワンペア。あー、ムカつく。カヲリが来たせいだ」

対して、香澄の開示したのは、10からJ,Q,K,A,それも同じマークの続く最も難しい役。ロイヤルストレートフラッシュだ。

勝敗は、三勝二敗で、香澄の勝ち越しで終了したらしい。

クラスメートたちは遠巻きに、上級生の戯れを眺めている。三年のきれいどころ、未来と香澄がいれば、緊張するのも無理からぬことかもしれない。

ポーカーは、幸彦とカヲリの席が使われて行われていたが、当の本人が現れたため、お開きとなった。カヲリのすぐ後に、遅れて幸彦が到着したのだ。

幸彦は、あまりこの三人の組み合わせがお気に召さなかったようだった。露骨ではなかったにせよ、まっすぐ自分の席に向かわず、時間を潰していた。

「どう? このスリーペア。幸彦君、もっと嬉しそうにしなよー」

陽菜がうまいたとえを持ち出すと、幸彦はぎこちない笑みで応える。

「よくわからないけど、もうホームルーム始まるから、机戻して」

香澄は、幸彦が席に来る前に既に教室を出ていた。未来は幸彦に小さく手を振ってから、名残惜しそうに出ていった。

「ムシューダさん、僕の顔に何かついてる?」

定位置に机を戻し、席についた幸彦が、カヲリに訊ねた。

「いやー、何でかなって思って」

カヲリは、幸彦が陽菜に愛される理由が知りたかった。言っちゃ悪いが、幸彦よりルックスの良い男子なら、このクラスにも散見している。なおかつ、陽菜の交友関係は、学内に止まらない。男を見る目も自然と磨かれているはずだ。

「はあ・・・・・・、寺田君は罪な男だよね」

「今日のムシューダさん、何かおかしいね。僕のせい?」

「決まってるでしょ。でもさ、私にじゃなくて、陽菜に対して誠実になって欲しいな」

「誠実、か」

幸彦は考え込むように、腕を組んだ。

「幸彦君!」

陽菜が血相を変え、すっ飛んできた。

「数学の宿題忘れた! 見せて」

「自分でやらないと身に付かないよ」

「今日私、問題当てられる日なの。恥かきたくない」

陽菜が上目遣いで泣きつくと、幸彦は簡単に折れた。

「僕は精一杯、誠実に振る舞っているつもりなんだけどね」 

彼は、あきらめ混じりにそう語った。


 (4~)


カヲリは、放課後、げた箱付近に陣取った。足下には募金箱を置き、手にはアルトリコーダーを携えている。

奏でるメロディーは哀切漂う旋律。小牛が売られていく曲、ドナドナだった。

カヲリが無心でドナドナを演奏していると、皆、見て見ぬふりもできず、募金箱に銭が吸い込まれていく。まるで虚無僧のような佇まいに、教師ですらおいそれとは注意できずにいた。

「なかなかやるわね」

香澄が、気のない拍手をする。カヲリは、リコーダーを吹く手を休めた。

「あのう、お金はどれくらい集めればいいんですか?」

「ノルマは、だいたい五千円くらいかしら。お金よりもむしろ宣伝が大事よ、ペテロ」

気が遠くなる話である。カヲリの他にもクリスマス大使が活動しているため、目を引く行動が求められるのだ。

「ここも人が捌けてきたわね。場所を変えるわよ」

「うい」

カヲリは首から段ボールで作った看板を下げて、背中に垂らしていた。

「クリスマス会。参加者、企画立案、熱ゐ意見求ム 寄付金大歓迎」

体育館の中に二人が踏み込むと、部活動をしていた生徒たちの動きが激しくなった。活気あふれたバスケットボール部の試合運びを、生徒会OGとペテロが見守る。

「私たち、絶対邪魔ですよ。灰村先輩」

ペテロが気を遣って、香澄に進言した。

「俗物が。この程度のプレッシャーに気圧される程度では本番で実力を発揮できないわ」

香澄が腕を組んで目を光らせると、コート内の選手たちの声が神経質なほど甲高くなる。

「ペテロ、もしかして、この役目が嫌になったんじゃないでしょうね」

図星を突かれたのを誤魔化すように、カヲリはコートに声援を送った。

「別にいいわよ。ところであの男とは仲がいいの?」

「あの男?」

香澄は一歩、カヲリに近づいた。

「寺田のことよ」

「まあそれなりに」

カヲリが曖昧な返事をすると、結構な力で肘うちされた。

「隣あったよしみで、話すだけですよ。私がまだクラスに馴染めなかった時に、少し助けてくれました。ほんの少しですけど」

香澄が幸彦の話に食い入るように聞き入っているのが、カヲリには疑問だった。

「灰村先輩って、寺田君と知り合いなんですか?」

「まあ、それなりに」

カヲリは肘うちできなかったが、興味ありげに香澄に顔を寄せた。

「あいつは、一年の時、クラス委員長を務めていたわ。目端に入るから、その縁でね」

「ほほう」

「本当に手際が悪くて手間のかかる奴だったわ。もう顔も見たくないくらい」

香澄は迷惑そうだったが、口は滑らかである。一方ならぬ思いが感じられた。

「手間のかかる子ほど可愛いって言いますよね?」

「この恋愛脳」

香澄に額を小突かれた。

「下種の勘ぐりとはこのことね。何もないわ、何も」

ふと、カヲリは陽菜が言っていたことを思い出した。幸彦には恋人がいる。もし、香澄が幸彦の隣にいたらどうだろう。案外、香澄は情にもろくて、幸彦の世話を甲斐甲斐しく焼いているかもしれない。

「そんな姿、想像できないけど・・・・・・」

カヲリが妄想に浸っている間に、香澄は体育館を抜け出していた。一人つぶやく。

「本当は逆よ。役不足なのは彼の方。私が悩んでいる時に支えてくれたの。嗚呼憎らしい。どうして私なんかにやさしくしたの? 根暗な私なんて放っておいてくれてよかったのに」

    

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