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せっちん!  作者: 濱野乱
空蝉編
39/97

幕間 愛欲天使


丸岡高校の屋上に、人一人分くらいの大きさの”なすび”が展転としていた。


乾いた風が吹き、なすびが一回転して体勢が変わると、人間の顔が現れた。

それは、せっちん。

彼女は暖かな寝袋にくるまって、惰眠を貪る。無害な幼子の顔がなすびと同化していた。


「ヒッヒッヒッ……」

その眠りを邪魔するような大きな足音を立てて、近づく一人の幼女。強風に飛ばされぬように帽子を手で押さえるハクアだ。


なすびの上部にゴムでできたへたが付いており、ひっぱると寝袋のサイズを調節できるようになっている。

ハクアは躊躇することなく、へたをひっぱった。


「うっ……!?」

せっちんは、苦しげなうめき声を上げ、ぱっちりと目を開ける。


「よくお休みですね。ここがどこかわかりますか?」


せっちんは意識がはっきりしないのか、ハクアの声が聞こえていないようだ。しきりに瞬きを繰り返していた。


「ゆき……、そこは、さむかろう。どうかこちらに……」

譫言を聞き取ったハクアは、顔をしかめる。

「締め付けが足りなかったようですね。ほれ!」


へたをさらに締め上げると、ようやくハクアに焦点を合わせた。

「ここは」

「屋上ですぅ」

ハクアは銀の懐中時計を開いた。

「十四時五十四分。やはり”奴”の能力は時間が関係しているようです」

淡々と経過を報告され、せっちんは自分のおかれた悪夢のような状況に思い至る。

屋上の細いフェンスの上に、一頭の黒い虎が後ろ足だけで佇んでいた。二人が戦うべき相手だ。

あの暴食のキャストが奪うのは、存在と時間。

虎の鳴き声を聞いた者は、一定時間この世界から消失する。一定時間が過ぎれば、復帰可能なことは何度か試して確認ずみだ。主にせっちん、そしてナノを実験台にして。


「せっちん、お前が消えたのは、十三時五十四分でした。つまり丁度、一時間経過したってわけです」

せっちんは疲労からまぶたを下ろした。今日だけで消失を三回繰り返している。消失から戻ると、体内の時間が失われた時を取り戻そうとして、負荷がかかるようだ。

「つい十分前、入れ違いでナノが消えました。まあ戻るのは、三十分後くらいですかね」

消失する時間が、虎の鳴き声を聞いた時間に比例しているとハクアはにらみ、計算式を作って、おおよその消失時間を割り出していた。気休めにしかならないが、それでも少しは不安を解消する役に立った。

「そなたも、いっぺんあじわってくるとよい。くせになるぞ」

「あんなの一回でごめんですぅ」

せっちんは寝袋から出て、固まった間接をほぐし始めた。ハクアは離れた場所から虎を観察する。

「あいつは……、何故このようなことをするのでしょうね」

「さあの」

二人が襲われたのは昨日の午前中だった。つまりそれからカヲリのアパートには帰っていない。虎はまるで計ったかのように二人のどちらかを消してしまう。やがてナノもその犠牲者の列に連なることになった。

「ことばも、つうじぬしな。あやつがあきるまで、つづけるほかあるまいよ」

「そんな、楽天的な」

ハクアが絶句していると、屋上のフェンスを飛び越え、セーラー服姿のニーナが颯爽と参上した。校舎の壁を垂直に駆け上がってきたようだ。

「おおー、早かったですね、足りない方の妹。支配者は連れてきましたか」

「ああん? そんな危険なことできるかよ。つーか、何だ、足りないっていうのは」

ハクアとせっちんは顔を見合わせ、ため息をついた。

「お前……、どこまで残念な奴なんですか。言葉が通じてなかったようなのでもう一度言いますけど、支配者が来ないと収拾がつかないんですよ」

「うるせーな。あたしにも考えがあんだよ。黙ってろ、チビ」

舌を出して、幼稚にあっかんべーするニーナ。

ハクアはせっちんを伴って、ニーナに声が届かない場所に移動した。

「ここでニーナを畳んじまった方がよくはないです? せっちん」

ナノとニーナは強い絆で結ばれたキャスト、どちらかが倒れれば、もう片方にも累が及ぶらしい。

思案顔のせっちんだったが、首を縦には振らなかった。

「やつらが、”まこと”をかたっているというほしょうもない。はやがてんは、きんもつじゃ」

せっちんが慎重になるのも無理はない。未だナノは全力を出しておらず、奥の手があると考えるのが自然だ。この場にいなくても警戒する必要がある。

「ま、あの妹は単純で扱い易そうですから。今のところは大丈夫ですね」

ハクアはニーナの警戒をだいぶ下げていた。

せっちんが、くすりと、笑う。含みのある笑い方だった。

「何です?」

「いや。きにするな。それよりあの”とら”もひへいしてきたようじゃぞ」

フェンスに載った虎が、鼻ちょうちんを膨らませていた。うとうとして、バランスを崩しかけているのが見て取れる。

「確かに……、二度目にナノが消えた時は三時間を超えていました。これはもしかすると」

キャストの体力は無尽蔵ではない。虎の限界が近づいているようだ。

「てめーら、何こそこそやってるんだよ」

ニーナが痺れを切らして近づいてくると、ハクアは神妙な顔で時計を開いた。

「心外ですね。こっちはお前の姉が帰ってくる時間を計算してやっていたというのに」

「マジか! お前、そんなことできんのかよ。スゲーじゃん。ナノ、早く帰ってこねーかな」

敵の言うことも、簡単に鵜呑みにしてしまうニーナである。彼女は一度せっちんにひどい目に遭わされているためか、ハクアにばかり話しかけてくる。

ハクアはこれ幸いと、彼女から有益な情報を聞き出そうとする。

「参考までに聞きますけど、お前とナノはどうして運命共同体みたいな関係なんです?」

敵対しているハクアに、重大な情報を漏らすとは考えられないが、ニーナはうっかり口を滑らせてくれる。

「運命共同体っていうか、”合せ鏡”なんだ。あたしたち。どちらかが壊れるとお互いの姿が見えなくなる」

「ふーん、なるほど。ためになるです」

見えなくなるだけで、消滅するかどうかは明言しなかった。やはり自分の能力に関することは無意識に避けているようだ。

「これ秘密だからな。喋ったらぶっ殺すぞ」

「安心するですぅ。吾輩、口は堅い方ですから」

ハクアは一度された仕打ちを忘れるほどお人好しではない。腹の内では煮えたぎるような怒りが渦を巻いている。

「む、いかん!」

せっちんの目線の先にいた虎が、とうとうバランスを崩し、フェンスからまっさかまに落下していった。

「お、おい!」

ニーナが愕然としながらも、真っ先にフェンスをのぞき込む。

「どうなんだよ、ナノは。帰ってくるのか」

「……、呼んだ?」

ニーナの背後に消失したはずのナノが立っていた。予定時刻よりだいぶ早い。桐柄の着物が着崩れ、髪も少し乱れている。漆塗りの高下駄の片方を拾ってきて、素足に履いた。

「傲慢」

ナノはフェンスの下に目をやりながら、せっちんを呼んだ。

「なんじゃ」

「あいつを倒して。今すぐに」

せっちんは瞼をこすり、ナノの隣に立つ。

「たわけ。それができればくろうせぬ」

ナノは乱暴にせっちんの襟を掴んだ。

「あんまナメてんじゃねえぞ。いつまで駆け引きできると思うなよ」

殺気だったナノが語気荒く凄む。

せっちんは笑って取り合わず、ハクアに仲裁を頼むという視線を送る。

と、その前に、臆病風に吹かれたニーナが割って入ってきた。

「おい、落ち着けよ、ナノ。もういいだろ、めんどくせーし」

「あいつは絶対追ってくる。泥棒猫だし。私にはわかるんだ。ここで倒しておかないと」

ナノはよろけてニーナに抱き止められた。疲労が蓄積しているのだ。

「なんでそこまでこだわんだよ。らしくねえぞ」

「デート」

ナノに決意の炎が宿るのを一同は目視する。

「私たちのゲストは、今デートをしているんだよ。ニーナ」

「は? それがどうした」

「意識低すぎぃ!」

ナノは唾を飛ばして、ニーナの顎を掴んだ。

「女子にとって、デートは戦争なんだよ。参加することに意義があるんだよ。それがわっかんないかなー」

「お、おう……」

「私は別に楽しみたいわけじゃなくて、応援したいだけなんだけどね。ニーナもそうでしょ?」

「あ、そうですね」

「ニーナは意識が低すぎるんだよ。そんなだから……」

「でも虎、上がって来ねえぞ」

「……」

二人は目を凝らしたが、眼下に動くものはいなかった。

「ここは私たちの戦場じゃない。そうだね? ニーナ」

「はい」

ナノとニーナは、せっちんとハクアのいる方に向き直る。

「さっきは怒鳴って悪かったね。つい興奮してしまって。恥ずかしい所を見せちゃったよ。それもこれも私が愛欲天使を自認しているからなんだけれど」

「きにするな。それより、いくがいい。”るーらー”には、おぬしらのてがひつようじゃ」

せっちんとナノは固い握手を交わした。

「ありがとうありがとう。貴方たちのことは忘れない」

「けんとうをいのる」

せっちんとハクアは、螺々に教わった軍隊仕込みの敬礼をして、愛欲天使たちを見送った。

世界は愛にあふれている。そう、貴方の側にもきっと。

 

 (Fin?)


 



 




「ちょっと待ったですぅ!」

屋上で撤収作業をしていた、せっちんの手が止まる。

なすびの寝袋を気に入った彼女は、実生活を充実させるためにこれを持ち帰ろうとしていた。

そこに物言いが入ったのである。もしやハクアが一人寝が寂しいと駄々をこねようというのかと、淡い期待をしていた。

「いや、その発想はなかったです」

「そうか、むねんじゃ」

ハクアは、なすびをせっちんの手から奪い取った。このなすびはハクアのお手製である。手先が器用な彼女は武器だけでなく、生活用品も自作してしまう。なすびが惜しくなったのかもしれない。

「せっちん。いい加減にしなさいっ!」

ハクアのピコピコハンマーが、せっちんの頭部を直撃した。特殊な効果はないが、ピコッ☆というふぬけた音が鳴る。

「今は戦闘中ですよ! あいつらもあいつらですぅ。たるんでるんですぅ」

せっちんは、いたって真剣だ。虎が行方不明になった以上、ナノとニーナを音便に退場させるために話を合わせたまでである。虎は普通の人間には関知できないため、一応解決したと言えた。

「とりま、ここにいてもしかたないの。かをりのへやにでも、もどるとしよう」

「それも……、そうですね。お腹も減りましたし、眠いですぅ」

せっちんがなすびを畳んでいる。ハクアはあくびをかみ殺しながら疑問を口にする。

「とりまって、何ですぅ?」

「さあの。すてきなことばじゃ」

「今日のお前何か変ですね。カヲリが見たらなんて言うか」

ハクアは口を閉ざし、急ぎフェンス縁に走った。

「どうした?」

「せっちん、あの虎はゲストにも視認できるんですよね?」

「ああ……、あっ!」

二人は表情を引き締めるとフェンスに手をかけ、空に軽々と身を投じた。

カヲリがまだ校内に残っていたとしたら、虎と鉢合わせする可能性は十分ある。これまでキャストしか狙われなかったため、盲点だった。

虎狩りはまだまだ終わらない。

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