長く短い祭り
「あふぅん……、嘉一郎さま、吾輩にそんな大胆な下着を穿かせてどうされるおつもりですかぁ。も・し・か・し・て、食べられちゃうんですか? 吾輩。困りますぅ、あへ、えへへ……」
ハクアが、だらしない口元で寝言する傍らで、せっちんは静かに起き出していた。ハクアと寝床を共にしていることを奇異に思ったが、温いので布団から出ずらかった。
時間の感覚が掴めない。カヲリを介抱し、ハクアに後を頼んだことだけは覚えていた。
細胞の分裂、消滅を通常ではありえない頻度で行った副作用なのかもしれない。自分の境界を失いつつあったのだ。
現在の細胞のおおよその残量は、二割ほど。活動を行うことのできるギリギリの容量しかない。
「わらわは、なにもなさなかった……、これからもそうやもしれぬ」
自分はこれからも満足に戦えるのか。ハクアに説教をしている場合ではなかった。今夜は眠れそうにない。
「ぐおー、ぐおー」
ベッドでは、カヲリがひどいイビキをかいている。鼓膜が振動して、体の内側が揺さぶられるようだ。
ハクアは幸せそうに頬を緩めて眠っており、寝ぼけてせっちんに抱きついてくる。脇に押しやり、布団から出た。
「こやつ・・・・・・、よくねむれるの。わらわはたいさんさせてもらうぞ」
せっちんはハイハイして、窓辺に向かうと、懐に入れていた草履を履いて、外に飛び出した。
アパートは二階だが、跳躍はためらわない。彼女は人間ではなく、超常のキャストだ。
身を切る寒風が、今は心地良い。
アパートの外は石塀を挟んで、駐車場だ。そこに降り立つ。
つま先から着地した瞬間、つんのめりそうになった。肉体の脆弱さは予想を上回っていた。危うく足をくじくところであった。
夜風に当たるだけのつもりだったが、意外な先客がいた。
駐車場に白い軽自動車が停まっている。屋根には、白い振り袖姿のナノが一人で腰掛けていた。顎を上げ、天を仰いでいる。
「”つきみ”には、あいにくのてんきじゃな」
せっちんは、仇敵に気安く声をかけた。
空には、重い雲が垂れ込めている。ナノは気だるそうに視線を落とす。
「うるさいな。さっきまでは見えていたんだよ」
「さようか」
ナノが現れたことに、せっちんは驚かなかった。むしろ今まで襲われなかったことの方が不思議だ。
「何?」
頭に載せた白い百合の花弁を揺らし、ナノが訊ねた。
せっちんが逃げもせず、無防備に突っ立ていたのが気になったのだろう。
「いや、そなたひとりか?」
「悪い? 誰かさんのせいで可愛い妹は、支配者にオシオキされてるし」
「しかえしにきたか?」
「かもね」
ナノがとぼけて、髪を触っている。
せっちんは、ハクアを呼ぶべきか迷っていた。ニ対一なら分は悪くない。どのみち一人では手に負えない相手だ。
「怖がらなくてもいいよ。いきなり黄泉の国ってことにはしないからさ」
冗談に聞こえないから怖い。ナノの腕なら、せっちんに気づかれる前に、首と胴を切り離すことは可能だろう。
「勝負、しない?」
ナノが車から降りる。煉瓦のように重そうな高下駄が、じゃりをはね飛ばす。
せっちんは、下腹にぐっと力を入れた。
「どういういみじゃ?」
「言葉通りの意味だよ。しがらみを忘れた純然たる殺し合いをしようってこと。正々堂々、一対一で」
意図が読めない。困惑した。せっちんはナノに手傷を負わせたものの、全盛期のような戦いは到底無理。ナノもそれは見抜いているはずだ。
「”ふくしゅう”、というならわかるが。そのしょうぶ、わらわに、”めりっと”がなさすぎるのではないかの」
ナノは、しのび笑いを漏らす。
「そうは思ってないみたい。貴方は、切り札を隠し持っている。それを使えば私を倒せる自信もある。渡りに船って、顔に書いてあるよ」
「かいかぶるな。わらわは、いまや”たんなるわらべ”にすぎぬ」
腹の探り合いに飽きたのか、ナノはきびすを返した。すねたように言う。
「わかった。じゃあいいもん、単なる気まぐれだから。遊び相手をさがしていただけだから」
それだけとは到底思えない。せっちんは、用心深い。それでも誘いに乗ることにした。
「まて。そのしょぶ、うけよう」
ナノが、首だけでふりかえる。目は血に飢えた獣そのもの。見目麗しい童女のため、一層凄惨であった。
「いいの? 負けたら死んじゃうよ。私負ける気ないけど」
せっちんの目の前まで、けんけんしながらやってくる。
「どうせ、あのままだまっておれば、わらわをころしただろうが」
「あはっ♪ バレてた?」
隠し切れぬ殺気は、せっちんがアパートにいる時から放たれていた。ナノが戦いを目的にやってきたのは疑いようがない。
「して、ばしょはどうする? ここはすこしてぜまでの」
「良い場所を考えてあるよ。ちょっと待ってて」
ナノは目を閉じ、細く長い息を吐いた。
強力な力の波動が、彼女の背中に集中するのが、せっちんにはわかった。
ガラス片が吹雪のように大量に舞う。目をこらすとただのガラス片ではなかった。
精巧な鱗を模したガラス片が、ナノの背中に吸い寄せられ、瞬く間に蝶の羽の細工を形成する。全長約一メートルのガラスの両羽は厚さ一センチにも満たない。羽ばたくと、土埃を舞上げ、アパートの安普請を揺さぶった。
「さあ、行くよ」
ナノはせっちんの背後から銅に手を回し、抱きついた。
羽を前後に大きく動かすと、突風と共に少しずつ足が地面から離れる。目線が遠くに届く。二人は空へと舞い上がった。
あまり高度は期待できないらしく、三十メートルがせいぜいだ。羽の推進力は機械とは比べものにならないほど鈍く、吹き付ける風は壁のように厚い。快適な空の旅ではなかった。
羽は街の光を反射するたびに極彩色に輝き、繊細な鱗を落としながら飛行した。
「たいりょくのむだづかいではないか」
「は? 無理してないし。黙って運ばれてなよ、おっこどすよ」
五分もしないうちにナノ息切れしている。いつ落下するのではないかと、気が気ではなかった。
街の灯りから離れ、黒々とした森を眼下に飛行する。野鳥の鳴き声がほど近く聞こえてきた。
時間にして十分ほどで、高度はみるみる落ちてくる。ナノが体力の限界を迎えたわけではなく、目的地に迫ったことを意味していた。
上空から見下ろした楕円形の構築物が、ぽっかりと口を開けている。せっちんは知らなかったが、そこは国立競技場だ。ニ千人は収容できる座席がぐるりと巡っているが、観客は当然いない。照明も消えている。
ナノは旋回し、競技場の真ん中に降りられるように位置を調整していた。そのたびにぐるぐる回るのでせっちんは気分が悪くなってしまった。
やっと満足する位置を見つけたのか、着陸態勢に入る。
そこからが一番ひどかった。
ナノは何を思ったか、頭から急速な下降をした。不吉な風切り音と共に、もろい羽がばらばらになりそうなほど振動した。
せっちんは競技場のトラックに半ば放り投げられるように、着地した。固い地面は、せっちんをやさしく受け止めてくれない。
「う、うう・・・・・・、なんで、こんなめにあうんじゃ」
栄光の舞台の威容は、アスリートの特権だが、今宵は二人のわがままのために使われることになりそうだ。ここならある程度の大盤振る舞いにも耐えられるであろう。
せっちんは起き上がり、暗い競技場内にナノの姿を探す。ナノは五十メートルほど離れた場所で、尻を押さえてうつ伏せで倒れていた。
「ふざけんなっ!」
せっちんが近づくと、怒鳴られた。
「なんじゃ、いきなり。そもそもおこりたいのは、わらわのほうなのじゃが」
最上の扱いとは言えないまでも、もう少しましな空の旅を期待していたのだ。一言文句を言いたかった。それなのにナノは逆ギレしてくる。
「お尻、いたーい。物を創るのが、こんなに難しいなんて知らなかったよ。まして動かすとなると・・・・・・、はー、疲れた」
ナノは上気した顔を、手で扇いでいる。疲労はしているようだが、内心の満足が顔に表れている。
「さて、と」
休憩を終えたナノが立ち上がる。ぬるい空気が一新され、いつもの寒々しい気配が立ち上る。
「やろう」
二人の間に、もはや言葉はいらない。
せっちんは、両の手に凶器を握った。両腕の線にそうように密着する棒状の武器、トンファーである。
照明が突如、白くまばゆい光を放つ。二人は歯をむき出し、獰猛に笑った。
せっちんは、ナノの頭蓋を割るべく踊りかかる。
祭りの夜が始まった。
(2~)
右側から横なぎに放たれた鋼のトンファーが、ナノのこめかみを直撃した。骨を打撃する確かな感触にせっちんは驚愕したものの、そのまま腕を振り抜く。
ナノの体は独楽のように回転し、受け身も取らずに地面に倒れた。打撃の勢いは止まらず、ニ、三度地面をはねて、競技場の際まで吹っ飛んでいった。
「やってしまったかのう・・・・・・」
せっちんは、苦虫を噛みつぶしたような顔でつぶやいた。
ナノがあまりに隙だらけであり、せっちんも本気で殺すつもりで殴ったので、斯様な展開になったのである。
解せないのは、ナノならいくらでも後手から有利な手を指せたはず。光子に変化したり、ガラス片を使ったり、せっちんもそれを予想していたため、気が動転している。
ナノはうつ伏せで倒れたまま動かない。下駄が片方脱げていた。
近づくのは得策ではない。トンファーを変化させボウガンを作り、ナノを的に定めた。
トリガーに指をかけたまま、動静を見守る。
「いたた・・・・・・」
ナノが頭を押さえて、身を起こした。せっちんのいる位置から逆光で、怪我の程度はわからない。
「ふざけておるのか?」
せっちんは怒ったような声を出した。侮辱された気がしたのだ。
ナノは、うつむきがちに言葉をつむぐ。
「ニーナがさ、言ってたんだ。喧嘩した分だけ強くなるって。不思議だよね、敵のはずなのに・・・・・・、まるで」
「それいじょういうな」
迷いを振り払うように、ボウガンの矢を射出する。矢はわずかな弧を描いて、ナノの心臓に向け飛びすさる。だが、矢は計ったように小さな手のひらに掴まれた。
「貴方だってわかっているはず。私たちは、同じ心臓から生まれた姉妹だということを」
ナノの周りに小さな光が結集した。
せっちんは、手でひさしをつくり、ナノの姿をとらえようとする。
ナノの周りには、細かな蝶が飛びかっていた。ガラス片で創られた偽物であることは、明白だ。羽音が鈴に似ていていて涼しい。
「もうやめよっか? 私たちは支配者から生まれた七つの罪。こんな争い、不毛じゃない?」
ナノの声は真に迫っていた。
せっちんは、がっくりと、肩を落とした。最大の障壁に交戦の異議を唱えられれば、嗚呼それは意気をそがれるものだ。キャストは抹殺すべしと内心、言い聞かせていたのに、こんなにも自分の心は弱かったかと、せっちんは嘆いた。
ナノが創った蝶が、せっちんの側まで舞ってきた。羽にはドクロの模様が彫られているのが、間近で確認できた。
「なーんちゃって♥」
すーっと、音もなく蝶が接近し、せっちんの頬を掠めた。鋭利な剃刀が走ったように冷たい。一瞬遅れて、血が糸状に垂れた。
夢は夢に過ぎぬ。ここは地獄の闘技場、気を引き締める。
「ねえ、ねえ、期待した? わかりあえるかもって。油断したら駄目だよぉ。殺し合おうねって、言ったじゃーん」
夥しい数の蝶が、せっちんに殺到した。せっちんは背中を向け、蝶の群れから逃れようと走った。
「月光蝶。試しに創ってみたけど、イイ感じ。複雑な操作は無理だけど、血液に反応して自動で追尾する。鮫みたいにね♪」
得意になったナノが、蝶の利便性を語る。
逃げ回っていたせっちんだが、勢いよく転んだ。血をすする蝶に包まれたが、すぐに地面に手をついて起きあがる。無傷で、何事もないように蝶を払いのけた。蝶は、せっちんが見えなくなったように四方八方に散った。
「なんでなんで?」
ナノは、不思議そうに小首を傾げる。
「そなたのめは、ふしあなか?」
せっちんの頬の傷は、既に塞がっている。体を硬化すれば、蝶の鋭い羽も通さない。
「うっそぉー!」
ナノがわめきながら、袖を振り回している。
「丸一日かかったんだよ! それ創るの。シンジランナイ・・・・・・」
よほどショックだったのか、拳を握ってうつむいた。
せっちんと戦い、新しい能力を開発することを思いついたのだろう。一朝一夕でこのレベルの能力を創る才に舌を巻くが、所詮は付け焼き刃の能力だと印象づけたかった。
月光蝶自体は、さして驚異ではない。ただ、ナノと乱戦になった場合、無視はできない。早期決戦が望ましい。
ナノは、ぶつぶつ言って動きを止めている。
せっちんは、鉄砲玉のように突っ込んでいった。筋力だけでなく、能力の質も低下している。刀のような繊細なものは、もう創れない。再びトンファーによる打撃を狙う。
「二番煎じはつまんないね。別の手できなよ」
左手の人差し指と中指で挟んだ薄いガラス片で、トンファーは軽くいなされた。
舞散る火花を、月光蝶が反射する。
激しい打ち合いの末、ナノのガラス片が、せっちんの右肩に一断ちを浴びせた。ポンプのように出血。怯めば後はない。完全治癒まで約三秒。長すぎる。硬化を優先させれば、治癒はできないし、ナノとの接戦は継続している。
距離を取るべきと、判断する。
と、ナノは読んでいた。
せっちんが後方に逃げると先読みし、月光蝶の大半を離れた場所に待機させていた。その読みが勝敗を決した。
せっちんは、逃げなかった。それどころか、臆することなくナノに猛進してくる。トンファーを楯にし、体ごとナノを押し倒した。
光子の変化が間に合わない。月光蝶に意識を取られすぎた。付け焼き刃を後悔した時には、既にせっちんが馬乗りになっている。
手にはメリケンサック。ナノの鼻梁に振りおろされる。鮮血がはねようが、うめき声を上げようが、せっちんはお構いなしに拳を何度も叩きつけた。唇が裂け、美しいかんばせが、青あざに覆われる。
「う・・・・・・、やめ・・・・・・、ぐっ!」
意識が途切れがちになり、月光蝶が消滅した。せっちんは、ナノの顔面を原型がなくなるまで、殴り続けた。
「なにかいいのこすことは、あるか?」
戦意を失い、横たわるナノに声をかける。返事を聞こうが聞くまいが、すぐさま首をはねるつもりだ。それが、二人の祭りの結末にふさわしい。
「貴方・・・・・・、美堂薫子の約束を果たすつもりなんだね・・・・・・」
せっちんは、応えずナイフを両手で握った。
「いいよ、殺りなよ。私が死ねばニーナも死ぬ。でも忘れないで。美堂薫子との約束を優先させて支配者を倒せば、幸彦君は永遠に救われない。貴方はどっちを選ぶのかなぁ、楽しみだよ。アハハ・・・・・・」
ナノの嘲るような笑い声が、ナイフの一閃で静かになった。長く短い祭りの夜は終わりを迎えた。
月光蝶が一頭だけ残っていた。ふらふらと、せっちんの頭上をすりぬける。
「ふふ・・・・・・、楽しかったね」
せっちんが、素早く振り返ると、ナノが無傷の状態で立っている。
「残念。私とニーナはガラスを操るだけのキャストじゃないんだよ」
せっちんの足下には、大量のガラス片が散乱していた。
「私たちは、光を司るキャスト。ガラスは姿を映す媒体に過ぎない。光は至るところに存在するからね、簡単には捕まらないよ」
あまりにあっけなく、物足りなさを感じていたせっちんは、得心していた。
「して、どうする? つづけるのか」
「うーん・・・・・・、そうだね・・・・・・」
(3~)
二人は互いの体にしなだれかかるように歩いて、競技場を後にした。
既に空は白み始めて久しい。結局、仕切直して三、四時間は戦った。決着はつかずじまい。疲労の波がどっと押し寄せてくる。
歩いているとナノの頭の百合が、不意に地面に落ちた。激しい戦闘にもビクともしなかったのに、何故今なのだろう。せっちんが拾ったが、受け取らない。
「だって縁起悪いじゃん。落ちた花なんて。新しいの挿すから捨てといて」
百合は造花ではなく、生花だ。妙なこだわりを持った娘である。
「さっきの話だけど、どうするの?」
「なんのことかの」
ナノは首をすくめる。二人とも人間くささが、やけに顕著だ。特別な夜だったのだろう。
「悠長に構えてると、大事なものはあっさり指からすり抜けて行っちゃうよ」
「どういういみじゃ?」
「別に。経験者のおせっかい。何だか貴女は他人の気がしなくてね」
ナノの体が細かな蝶に分散を始めた。朝日を浴びて、嬉しそうに鈴のような羽音を鳴らす。
「またね、傲慢のキャスト。今度会うときには、”色欲”の本当の力を見せてあげる」
蝶の羽音が完全に途絶えると、せっちんは、力なく地面に腰を下ろした。
ひどい夜だった。もう一歩も動きたくない。正直、朝日を拝めるとは、思っていなかった。よくて相打ちを覚悟していたのである。
競技場前の道路を、新聞配達のバイクが通り過ぎる。ジョギングする人の姿が目についた。
「こまったことになった」
突如せっちんは、おろおろと辺りに目をやった。競技場の周囲は自然公園になっているらしいが、せっちんには土地勘がない。人に道を尋ねようにも、せっちんの姿は一般人には見えないのだ。
「だれか……、ゆきひこ、たすけにきておくれ」
緊張が解けたせっちんは、幼い迷子のように我を忘れ、泣き崩れた。




