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せっちん!  作者: 濱野乱
空蝉編
29/97

約束(前編)

カヲリは、たいがーますくこと、謎の着物幼女をベッドに寝かせ、濡れタオルを幼女の額に置いた。幼女の頬がのぼせたように赤みをおびてきた。

医者を呼んでもいいのだろうか。しかし、彼女をとりまく事情は複雑そうだった。特異な体質を持っていたし、それを第三者に知られるのはまずい気がした。

幼女の頬を指で押す。マシュマロのような弾性で押し返してくる。幼女が苦悶の表情を浮かべたので、指をひっこめた。

「傷は見あたらないけど、やっぱり病院に連れていくべきね」

カヲリは早合点し、幼女の処遇を決める。近くの病院にはタクシーで行けば、それほど時間はかからない。

ただ、金銭的な負担は少なくない。雪乃やその他のことは仕方のないことにしても、出費はかさんできていた。カヲリの家は裕福ではない。それでも人の命には代えられない。カヲリはその点、迷わなかった。

幼女の顔に目を落とす。カールした長い髪に細い眉、鼻梁の形、ある娘にあまりに酷似している。

「本当、雪乃ちゃんにそっくりだわ。双子かしら、でもあの子、そんなこと一言も言ってなかったし、寺田君に聞いてみようかな」

カヲリは偶然の一致程度にとらえた。他人のそら似などそう珍しいことではない。それ以上の危機を乗り越えたからこそ、感覚が麻痺してしまっていた。

押入からみじろぎの気配がした。常人の耳には届かないほどの、音とすら呼べない日常音に混じったノイズのようなものである。

カヲリの耳は、鋭敏になっていた。わずかな音も判別し、聞き分けた。それどころか、他人の匂いを覚え、追跡することもできそうだった。

幼女の匂いを嗅いでみる。彼女の匂いは、雪乃とは違っていた。汗と、血の臭いが漂っている。 

部屋には、カヲリのものとも、母のものとも、幼女とも、雪乃とも違う匂いが存在した。賃貸のため、前の住民の可能性もあったが、確認しないと落ち着かない。警戒感を強める。

もっとも強く匂ったのが、押入だ。カヲリは威圧を与えるように、力を込めて押入を開けた。

押入の上段には、布団が押し込まれている。下段にある、木箱にはアルバムなど、すぐには使われないものが入っていた。

木箱の蓋を取る。中にはカヲリの思い出が詰まっていた。楽しいものもそうでないものも、今の自分の糧となった器物だけが、占有していた。

杞憂に終わったかに見えた探索だったが、上段の布団の隙間に、白い布の切れ端のようなものが挟まっているのを見いだした。

ひっぱると、

「うっ・・・・・・!?」

うめき声がはっきりと聞き取れた。

まごうことなき人声に、カヲリは一端飛びのいた。

よもや、さらなる侵入者が潜んでいようとは、思いもよらない。現実は想像の上を容易にまたぐものである。

白い布は真新しい包帯だった。カヲリは布団の隙間に手を入れ、まさぐってみた。鋭い痛みが手の甲を見舞う。

「いたっ! 何?」

カヲリの手に歯形がついている。噛みつかれたのだ。カヲリは意を決し、布団を一枚ずつ床におろした。

布団の隙間に潜んでいたのは、ミイラのように全身を包帯で覆った人型である。背格好からしてかなり小柄だ。カヲリが抱き抱えると、身をもじって暴れた。鼻息が何故か荒い。

カヲリはミイラを床に寝かせた。とりあえず、危険はなさそうと判断したのである。

「病人が二人になったわ・・・・・・、でも誰なのかしら、これ」

包帯をはがそうとすると、また噛みつかれそうになって、断念した。

ミイラと遊んでいる間に、たいがーますくが体を起こしていた。

「ここは・・・・・・」

今いる場所の見当がつかないのか、彼女は首をぐるりと回した。それでおおよそ経緯を掴んだらしい。カヲリと視線を交わす。

「そなたが、わらわを・・・・・・」

「え、ええ。それより体の具合はどう?」

「だいじない、めんどうをかけた。わらわたちは、すぐにここをはなれよう」

そう言って、ベッドを下りようとするも、バランスを崩し、カヲリの懐に飛び込んできた。

「無理しちゃだめよ。助けてもらったんだから、今度は私が貴方を助けるわ。遠慮はなし」

幼女の表情がゆるむのを見て取り、カヲリは安堵する。やはり意志の疎通は問題なさそうだ。

目を離した隙に、ミイラが芋虫のように畳を這っていた。カヲリの視界を盗むように少しずつ移動していたが、幼女の目をごまかすことはできなかった。

「たわけ!」

幼女が蝶のように舞い、芋虫ミイラの上にのしかかる。カヲリの度肝を抜いた。

「ぐええっ!? 何するですかぁ。こんな女のお情けで生き延びるくらいなら、死んだ方がましですぅ・・・・・・ううっ」 

ミイラがすすり泣く。カヲリはそっとミイラの包帯をめくった。包帯から豊かな銀髪と、大きなそうぼうが露わになる。顔のあちこちに小さな切り傷、鼻には絆創膏が貼ってある。

「あ、貴方、ハクアだったのね。どうしてこんな姿に・・・・・・」

ミイラあらためハクアは、顔を隠すように下を向く。

「お前に関係ありません。吾輩たちはもう出ていくです。邪魔したなです」

強がるものの、背中に幼女の重石があるため、身動きはできない。

ハクアは憎たらしいが、包帯が哀れを誘う。カヲリは布団をしいて、ハクアを仰向けで寝かせた。

「病人が一人増えたくらい、変わらないわよ。それに、助けを必要としないならウチに来ないでしょう?」 

カヲリの指摘に反論できないハクアは憤慨したが、あまり長続きせず、すぐに眠ってしまった。

「寝顔だけは、可愛いわね」

ハクアは顔だけを包帯から出し、寝息を立てている。

たいがーますくが、部屋を動きまわっていた。柔軟体操をし、体の動きを確かめているようだった。

「お腹空かない? 何か食べたいものはある?」

「・・・・・・、いや」

たいがーますくは、すぐに部屋を発つ予定を変えるつもりはないらしい。口数は少なく、打ち解けない。

彼女は柔軟を繰り返していたが、どこか精彩に欠けた。カヲリはあえて口に出さなかったが、幼女の意気は確実に低下している。死闘によるケガが原因というより、別人のように、気配が薄くなったという印象を受けた。

「貴方、たいがーますくって名乗ってたけど、本当の名前は別にあるんでしょ? 教えて」

当然のごとく無視された。意固地なところが雪乃に似ていて、カヲリは微笑んだ。飲み物くらいは提供できる。台所に向かおうと、部屋の出口に立つ。

「せっちん」

幼女が、カヲリに背を向けたまま言った。

「わらわのなは、”せっちん”。じゃが、みだりにくちにすることは、ゆるさぬ」

カヲリが振り向いた時には、せっちんは部屋から消えていた。窓が開いて、カーテンがはためいていた。

せっちんが少し心を許してくれたように感じ、カヲリは嬉しくなった。

窓を閉め、託されたハクアに布団をかける。ぐっすり眠っているのを確認し、そっと襖を閉めて部屋を出た。

一時間ほどたって、ハクアの咳払いが聞こえた。カヲリは、うたた寝をしていたので反応が遅れた。

「何やってるですか! 早く水を持ってくるです」

ハクアの大声が轟く。カヲリは目をこすりながら、コップに水をあふれんばかりに注いで、ハクアの枕元に持っていった。

「水差しはないですか?」

「ないと思う」

ハクアは鼻をならす。

「気が利かない女ですぅ。吾輩はけが人ですよ、身をおこすのも難儀してるというのに、全く」

「ずうずうしいわね。まあいいけど」

ハクアの上半身を支えてやり、コップを近づけてやった。腕もろくに上がらないらしい。相当乾いていたのか、勢いよく飲み干した。

「ふう・・・・・・、水道水も捨てたもんじゃないですね。吾輩、普段は硬水しか口にしないのですが、今はこれで我慢してやるです」

喉を潤したハクアは、お礼(?)を言って、また横になった。

「もしかして、貴方も戦ってけがしたの?」

ハクアが剣呑な目つきで、カヲリを見定める。

「それがどうしました? 吾輩は自分の意志で、命をかけています。お前には関係ないです」

「あるよ」

カヲリは、ハクアの上に覆い被さるようにのしかかった。

「私、襲われたの。せっちんが来なかったら危なかったわ。もう関係ないとは言わせないわよ」

カヲリの体を張った威圧に、ハクアは避けるようにもぞもぞ体を動かした。

「たまたま居合わせただけじゃねーですか。それとも、吾輩がお前に謝ることを期待してませんか?」

「そんなの期待してないよ。ただ、教えて欲しいだけ。私の周りで何が起こってるのか」

ハクアは、少し考えるように、わき見をした。

カヲリは必死であった。ハクアたちがここにいる以上、ニーナもここを突き止めないと限らない。さらにハクアをこんなになるまで追い込んだ別の敵の存在も気になる。

「教えてやってもいいですが、一つ条件があるですぅ」

「え? 本当?」

「ここから二駅先に、とある西洋菓子店があります。そこでモンブランを買ってきてくれませんか」

どんな無理難題をふっかけてくるのか、身構えていたのだ。意外にも簡単なおつかいに拍子抜けする。

「それだけでいいの?」

「不満なら、もっと厳しい条件でもいいですよ。イーヒッヒッ!」

 怖気がして、布団から離れる。ハクアの気が変わらないうちにおつかいをすませるべきだ。

「わ、わかった、買ってくるわ。でも貴方、一人で大丈夫?」

「自分のケツは自分でふけます。お前の世話は無用ですぅ」

カヲリの気遣いは、かえってハクアの神経を逆撫ですることにしかならないようだ。

気難し屋は放っておいて、制服のままアパートを出る。菓子店に向かう足取りは軽い。こんな機会でなければ、高級菓子に手を出そうとは思わない。ぎょうこうを与えてくれたハクアに感謝さえしていた。

さて、とカヲリ不在の部屋で、ハクアは身を起こす。さらりと包帯のドレスを脱ぎ捨てる。細いリボン付きの白いブラウスと紺のスカートは、洗い立てのように清潔だった。鼻の絆創膏をはがすのに手間取る。きれいにはがした後には、毛穴一つ見えない青白い肌が光った。

「くくく、バカは扱いやすくて助かるですぅ。天才の吾輩が、こんな深手をおうわけねーです」

抱腹絶倒するその姿に、怪我の影響は見受けられない。 ハクアは、一昨日の夜、単身でナノに挑んだ。ニーナ、ナノが別行動をすることは滅多にないことだった。密かに同盟を結んでいた、せっちんと示し合わせ、戦闘に突入したのである。

一対一なら負けないという慢心が、ハクアにあったのかもしれない。それを差し引いてもナノは強すぎた。不可解な能力を前に、敗走。

ナノがニーナの元に駆けつけたのは、その戦いの直後だった。

しかし、ハクアの撤退が早かったことで、結果的にせっちんの命は救われる。

分身の自爆攻撃を敢行し、瀕死の状態で逃げたせっちんを、ハクアは拾うことができた。次に問題になるのは潜伏場所だ。安全に身を隠す場所を探していた二人が行き着いたのが、このアパートだった。

せっちんは反対したが、灯台もと暗しとハクアが説得し、押入に隠れていた。一昨日の夜から、カヲリが帰ってくるまでずっとである。包帯をしていたのは、カヲリの同情をひくための詐術だ。ハクアの思惑通りにカヲリは動かされていた。

「あの雌豚が帰ってくるまで、甘味でも探して時間をつぶすです」

飛び起きたハクアだったが、すぐに表情を固くした。部屋の出口に、せっちんが地蔵のように立っていたのである。

「まだいたですか、お前。出て行ったと思ったです」

せっちんは重そうに体をひきずり、部屋に入ってきた。

「このようなやりかたは、すかぬ」

「好かぬも何も、お前の作戦が失敗したせいでこんなクサイところにいるんです。弁解するならまだしも、吾輩に八つ当たりしてんじゃねーですよ」

ハクアは、どかっと布団に腰を下ろす。せっちんはベッドに浅く腰掛け、うつむいた。

「そなたが、”なの”を、もうすこしおさえこんでおれば、”にーな”からじょうほうをひきだせたやもしれぬ」

ハクアは眼鏡をかけ、おさげをはらった。

「また責任転嫁ぁ。お前、どんだけあまちゃんなんですか。戦地では臨機応変、自分の命を最大限生かすと、約束したはずですが?」

「むいみにいきのびることを、”いかす”とは、よばぬ」

ハクアは、我慢ならなくなり、せっちんの胸ぐらを掴んだ。

「お前、吾輩が死ねばいいと思っていたのですか? ナノの強さ、知ってたんですよね」

「ああ、じゃがそなたならかてるとおもうておった」

ハクアはあきれて、せっちんを掴む手をゆるめた。ナノと戦うと宣言したのは、ハクアだったが、せっちんは何の忠告もしなかった。下手をすれば死んでもおかしくなかった。事前に情報があれば、戦い方も選べたのだ。不信はつのる。

「ご立派な同盟者ですぅ。吾輩の目もいよいよ曇ってきたかもしれないですね、助けるんじゃなかったです」

大の字で寝ころんだハクアは、歯がみした。

「それについてはかんしゃしておる。よくかけつけてくれた」

「それがむかつくんですっ!」

ハクアは金切り声を上げる。

「余裕ぶっこいて、ニーナを軽く倒しちゃうし、ナノにも手傷を負わせるなんて、それに比べて吾輩は・・・・・・」

せっちんはベッドから下り、ハクアの脇に正座する。

ハクアの焦燥が、臨界点を超えたのだ。他のキャストはどんどん強くなっている。自分は以前のレベルのまま止まっているのではないかという危惧だ。

「そなたのきもち、りかいできる。わらわもそうだった」

「嫌みにしか聞こえません。前は力を隠してたんじゃないですか?」

「そうではない」

キャストは、各、業に縛られている。

せっちん、傲慢

ハクア、嫉妬

という風に、支配者が定めたルールは厳密であり、それに逆らうには根気がいる。

「おのれの”ごう”にさからうことが、そもそも”るーらー”にていこうすることになるのではないか?」

「屁理屈です、そんなの。吾輩はどうせ、嫉妬深いただの女狐ですぅ。そんなだから嘉一郎さまにも愛想を尽かされたんです・・・・・・」

ハクアは腕で顔をおおう。女々しい面をこうまで見せるは珍しい。よほど敗北が応えたのだろう。

メンタル的な強さにおいて、彼女がせっちんより、劣るということはない。それでも格上が相手との戦闘では、能力よりもメンタルが重要だったりする。

せっちんは根性論を説いたつもりはなかったが、結果的にハクアにはそう伝わった。

「吾輩はヘタレですか。まあ現状把握は重要です。時間はあるし、考えてみるですよ」

ハクアは、割りあいあっけらかんとしていた。あくまで見た目の上の話である。

彼女の頭の切り替えの早さは、キャストの中でも優れていると、せっちんは考えている。引き際が早いという短所があるが、飛躍する可能性は十二分にある。ゆえに、同盟を結んだのだ。敵に回せば恐ろしいが、味方になれば頼もしい。思い悩むのも成長のステップに他ならない。

「そもそもお前、吾輩の心配している場合ですか?」

「なんのことじゃ」

急に水を向けられた、せっちんはうまくとぼけることができない。有意義な同盟に誤魔化しは不要だと、ハクアの目が脅してくる。

「力、だいぶ弱まってますね。こんどニーナと戦って勝てますか?」

「・・・・・・」

楽勝とはいえないだろう。万全の状態で挑み、辛くも勝利したのだ。さらに細胞の大幅な消滅は、せっちんの存在そのものを揺るがし始めている。

 それでも勝たなければならない。それが”彼女”とせっちんの約束だ。

「聞いてるですか?」

「ああ」

せっちんは、拳をつきだす。ハクアも拳を伸ばし、つき合わせた。

「そのための”どうめい”じゃろ」

「調子のいいやつです。ま、螺々より話がわかる奴ってのはわかりました。骨くらいなら拾ってやりますよ」

丑之森螺々。

ハクアは彼女と決裂したかに見せていたが、内実では切れぬ縁を結んでいる。せっちんと雪乃のように、ある約束で縛られていたのだ。

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