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4・賢者たり正直者たる青年ギー

 王子、登場すると言っていいのか微妙です。

 サァァァ。

 私の頬を、風が撫でる。むんと熱気が籠もった会場ならば涼しく感じるだろうが、生憎、私は先程からバルコニーでそれにさらされつづけているので若干肌寒いくらいだ。

 いや。

 寒いと感じるのは外にいるせいではない。風は、助長させているだけにすぎない。この寒さの正体は、悪寒……?

 じわり、じわり。「それ」は私との距離を詰めてくる。その度に私はじりじりと後退しているわけだが。

「それ」と言うより「そいつ」が正しいか。そいつは、言った。

「貴女を見つけた瞬間、僕は確信したんです」

 何をだよ。

「僕とともに堕ちてくれる、と」

 お、おちっ!? 落ちるって……diveってことか! 

 じょ、冗談じゃない!

 私はちらりと後ろをうかがい見た。やばい、手すりがすぐそこではないか。これじゃぁ本当にダイブしなければいけなくなりそうだ。

 どうして、こうなった。

 私は悪くない。

 とは、言い切れないかもしれない。

 貧乏王国の平凡王女が色仕掛けしようなんざ百万年早いということか。




 私はアシバネー、じゃなくて、アバネシー伯爵子息を誘惑しようとした。

 はじめは、そのつもりだった。だが、やったことは至極まともだ。二人で談笑(オラディア王国の話ばかりでよくわからなかったため、愛想笑いを浮かべるくらいしかできなかった)しながら料理をつまんだり、そりゃぁ舞踏会ですから踊ったり、お酒勧められたから飲んだり、楽しく(?)、健全(ここ重要!)に過ごした。

 私達の関係は嘘偽りなく、それだけだ。

 本当なら女性らしさをアピールしたりするべきだろうが、私は王女らしく振る舞うことで精一杯だったた。だからお酒の力で相手をオトすつもりが、自分がお酒をおすすめされるという状況になっていた。しかも。悲しいことに、私にはさっぱりお酒がきかない。理性が薄れたところで大胆になろうと思っていたのに、薄れるどころかうるさいくらいに存在感を主張してくるのでなかなか上手くいかない。

 未成年のくせして赤ワイン二杯、白ワイン三杯、蒸留酒二杯でもまったく酔わないことを確認した私は、ぱたぱたと手で自分を仰ぎながら言ったのだ。

「あつい、ですね? 少し、酔ってしまったみたいです……」

 こってこてだな! そう思ったが、ハトリ、じゃなかった、ハドリーさんはだまされてくれたようだった。涼みましょう、と言われ、彼にエスコートされながら私はバルコニーに来た。

 そこからが問題だ。何故なら、その先のことを私は全く想定していなかったからだ。

 私は色仕掛けだ誘惑だなんだと言ったが、さっぱり、これっぽっちも、誰かと恋愛をするつもりなんてなかった。いや。こちらが利用するならばそれを恋だとは言えないだろうけれど、とにかく。そういう関係にはなりたくないのだ。

 お姉様の思いを叶えたい、なんて偉そうなことを言いながら、やっぱり私は怯えているのだ。十五歳の魂で転生した私は達観して生きてきたけれど、大切な人のためだからって自分を道具と割り切れるほど大人ではなかった。

 残された道は一つ。


 相手に惚れてもらう!!


 いや、無理だけどね? 限りなく不可能と言うか、可能に限りなく近い不可能と言うか、なんてのはこの際どうでもいい。この容姿は親のおかげで美人とまではいかずとも、ぎりぎり、愛らしい。面倒を見るなら最後までみてほしいものだ、とお母様に言いたい__っと。話がずれた。ともかく、まあ、そのゼロに近い希望を握りしめ、私はバルコニーでハドリーさんに話しかけた。

「今日初めてあったとは思えないほど、気が合いましたわ」

 夜の闇が落ちた白い手すりにもたれかかりながら笑う。

「とても、とぅっても、楽しい時間でした。まるで夢のよう!」

 恋する乙女がどんなものかは知らないから、そこは想像でそれっぽくした。目を大きく開いてできるだけ可愛らしく見せた。ドライアイだから、目尻にうっすら雫が溜まった。それも、きっと効果的になるだろう。

 私は、人としての経験が足りない。

 前世でも現世でも経験が浅い。人並みの恋をしたこともなければ、積極的に物事に関わったこともない。そんな私だから、さくこに追いつけなかった。だけど、私は考える。思いを巡らせ、創りだすことができる。できないことを、想像することで、補う。

 なんて打算的なんだろう。

 正直、こんな自分が嫌だ。私なんかに転生されなかったら、この身体の本来の持ち主はもっといきいきと、楽しく、日々を過ごせたんじゃないかと思う。でも、残念なことにクリス・二ア・ライティアは私だ。ごめんね。鬱々とした日々で。

 私を支えてくれるのは、お姉様の面影。

 だから、報いたい。

 __そう、思っただけなのに。

「僕もです」

 ハドリーさんは、やわらかく微笑んだ。そっ、と伸ばした手が私の頬に触れる。一瞬身を固くしてしまったが、それだけで耐えた。

「今日は、最高の一日だ」

 長い間そこにあった手が離れたときの私の安堵といったらなかった。やっぱり、私に向いていないということだろう。

「貴女のように、気さくで、優しくて、可愛らしい人と出逢えたなんて、僕こそ信じられない」

 相手を惚れさせるのは難しいようだが、ハドリーさんは人がいいのか、はたまた惚れっぽいのか、脈ありとみてよさそうだった。

「クリス嬢」

 ハドリーさんが、目を細めた。猫みたいに、細く、ほそく。

「貴女は他の誰とも違う」

 まさか、そこまで褒められるとは思ってもいなかったので、つい、素で「どうも…」と言いそうになってしまった。だって、出会ってまだ……どれくらいだ? 多分、小一時間ほどだろう。話して、食べて、踊って、飲んで。それだけなのに、まさか、ねぇ?

 私が言葉を紡ごうとハドリーさんを見たとき。私の視界に、嫌な物が映った。

 月光を受けて鈍く輝く、ナイフ。

 ハドリーさんは、どこからか取り出したそれを、構えるように持った。

「だから」

 彼が、一歩、歩み寄ってきた。とっさに、私は二歩後退してしまう。

 嫌な汗が、贅沢なドレスに包まれた私の背を伝った。とても、冷たかった。

「貴女を見つけた瞬間、僕は確信したんです」

 



 まいった。本当に、まいった。何がまいったって、この状況だ。丁度、影になっている場所なので、舞踏会の会場からは見えにくいだろう。というか、皆楽しんでいるので助けに来てくれるなんて考えない方が懸命だ。下手な希望は絶望に変わる。

 不本意ながら見つめ合った状態の私達は、獲物とそれを狙う肉食獣のように下がって、前に出て、を繰り返していたのだが。

 とん。引けていた腰が手すりにぶつかり、ぶわっと汗が噴き出す。ついに、私は追い込まれた。

 どうしよう。殺されてしまうのだろうか。

 クリス・二ア・ライティア。享年十五歳。

 なんて。

 嫌すぎる!

 私は十五歳で死ぬ運命でも辿っているのか。ああ。先週なったばっかりなのに。

「逃げないでください。僕は貴女に危害を加えない」

 ナイフをいつでも使える状態の人間が言う台詞にしては、どうも信憑性がなかった。

「だって!」

 右手にナイフを持ったまま、腕を広げるアバネシー家の長男は、とても恍惚とした表情を浮かべていた。申し訳ないが、悪い意味で鳥肌ものである。

「運命の相手とは一緒に墜ちなければ意味がないのだからっ!」

 ……この人は、愛した人と落下したい性癖をお持ちなのかもしれない。いや、愛した人、というところを撤回しよう。そんな人間に愛されるのはごめんだ。

 私とハドリーさんの間はもう、一メートルもなかった。これはもう、絶体絶命?

 ああ。

 ミーナ。もし私がバルコニーから転落死して、それが私の意に添わない無理心中だったとしても、貴女が私を止めなかったせいじゃない。

 お父様、ごめんなさい。親不孝な娘で、ごめんなさい。せめて、死ぬのならそれが国の顔に泥をぬらないことを願う。

 ルークお兄様。いつもにこやかで明るくて、家族思いの貴方が大好きでした。今度一緒に遠出しようと言ってくれたけれど、できそうにない。

 カイルお兄様。お父様と国を支えようと努力してくれてありがとう。ぎこちなく頭を撫でてもらえると、なんだかとても優しい気持ちになれた。

 お姉様。貴女が私に残してくれたものを引き継いで生きるのは、私には少し重たい仕事だったみたいだ。せめて、その夢だけは叶えたかった。

 遺言も残せないのだろうか。それは、いささか寂しい__。

 ぱらぱら、と音がした。私はぎゅっと閉じた瞼を開けて音の正体を探した。

 ?

 それは、茶色い小さな粒だった。それも、一つ二つではなく、五つくらいあるかもしれない。

 不審に思ったのはハドリーさんも同じようで、どこからそれがきたのか、と視線を私から外していた。逃げるなら、今しかない。

 そろりと手すりに沿うようにして横にずれる。そぉっと、そっと。

「あっ」

 気がつかれてしまった。レースを重ねたこのドレス。それだけに、衣擦れが聞こえやすいのだろう。盛大にしたい舌打ちを堪えて、私は伸ばされた腕をよける。

 キィィィン。

 私はとっさにしゃがみこんでしまう。鋭い光が頭を突き抜けていくような音が耳を通り過ぎた。そして、

「芽吹け」

 声の主は、ただ命令しただけだと思う。それでも、絶対に抗えない、有無を言わせない迫力があった。それでいて、とろけるようなあまさが残る。

 呆然としている私をよそに、茶色い粒たちがパチパチバチバチいいながら弾けた。我先にと競うようにわさっ! っと中から緑色の管を生やしていく。その管はぐねぐねと急速に成長しながらもハドリーさんに絡みついている。場違いだと自分でも承知しているけれど、うねうねしたものが体を這って伸びていくのは気持ち悪いだろうな、同情しそうになった。無論、その余地なんざ一ミリも存在しないが!

 国とお姉様のために人を利用しようとした私が言えることではないが、ハドリーさんは悪い。会って一時間やそこらの人間にナイフを突きつけるような相手をまともだなんて思えな__カランっ。

 何かが落ち、我に返る。今は誰がどうだとか言っている場合ではなかったのだと思い出したからだ……が、私はもう、逃げなくてもよさそうだった。正体不明の管に絡みつかれたハドリーさんは、もはや人を模した緑の物体と化していたし、ナイフは床に落ちていた。

「俺のキック、サイコー」

 いつの間にかハドリーさんの右側にやって来ていた少年が満足げに言って、空中で維持していた足を降ろした。もしかしたら、彼の蹴りでナイフが落ちたのかも。

「やぁやぁ、翔凰シャンファンくん。期待どおりの働きだ」

 私より場違いに、ぱちぱちと手を叩きながら歩み寄ってくる男が一人。出で立ちは青年貴族といった風で、長い髪を一つに結んでいる。

「本当に、見せ物小屋で軽業師にしておくにはもったいない人材だよ。はい」

 男がぽいっと紙に包まれた何かを投げた。私の見間違いでなければそれは湯気を立ち上らせている。食べ物ではないだろうか。投げちゃうってどうなのよ、だ。だが、シャンファンという少年は不満を言うでもなく、ぴょんと飛んだ。「クリス」が見慣れない、東洋風というか「なこ」のいた世界で言う中国風の赤い衣服がひらりと舞った。着地した彼は手に食べ物(推測)を持っていた。

「だから、今こうやってあんた配属の騎士サマとやらになってんじゃん、ギーさん。お、うまいな。これ、何?」

 紙から取り出してシャンファンが頬張っているのは、パンみたいだ。外はカリッと中はふわっとしているようで、表面がきらきらと黄金色に輝いているのはバターが塗って焼かれているからではないだろうか。あー、美味しそう。

「菓子パンですよ。ご褒美です。そして、訂正しますが、君は正式にはまだ小姓です」

 ふふ、とギーさん(?)は胡桃色の自分の前髪をはらって笑った。

「ふーん。ってか、うっま!」

 シャンファンは、もふもふとパンを食べる姿が異常なほど愛くるしい。男の子から少年に映り変わる頃合いに見えるのだが、どうも幼い印象を受ける。無邪気なほど屈託のない笑みのせいかもしれない。

「さて」

 ギーと言うらしい青年は、パン! と手を叩いた。

「本題に参りましょう」

 すぅっと細められた目が、どうも私をとらえているような気がしてならない。危機から脱したはずなのに、冷や汗はノンストップ。

「お怪我はありませんか。クリス王女」

 もとに戻ったギーさんの目は、感情がとても読みとりづらい。本当に心配しているような声音なのに、瞳だけ笑っているみたいなのが気になる。器用な人だなぁ。とりあえず私は自分にかすり傷一つないことを相手に伝えた。

「それはよかった。一国の王女を我がうち貴族バカが傷つけたとあっては、外交問題になりかねないですからね。おまけにライティアの国王陛下は親バ……失敬、とても家族を愛している方だ。それに」

 なんだ。私は警戒する。目の前にいるこの男は、試すような目つきだった。

「金銭的に余裕がない。賠償金、なんて話になるやもしれません」

 ああ。そうか。

「確かに」

 え。息を呑む、というか、唖然とする雰囲気が伝わってきた。いや、でも。気まずかったので、弁解のように恐る恐る口を開く。

「事実ですから。ライティアは、はっきり言って貧乏です……」

 王女直々に色仕掛けしなければいけない国を、裕福とどう言えるだろう。実際、さっきそれで命が危ういところまでいったし。

「ご自覚があるというのはいいことですよ。王族の一人として国の現状を理解することは重要だと思いますよ。うん」

「はあ、どうも」

 ありがとうございます、とは言えなかった。何気にけなされてないか、私。とライティア王国。

「あ、ところで、僕の名前わかります?」

 ギーさんはにこりと微笑む。残念ながら、私はシャンファンが呼んでいた「ギーさん」しか知らないし、この国の貴族についての知識もない。

「すみません。わかりません」

「そうですかぁ? よくよく思い出してみてくださいよ」

「……」

 どうしてだろう。

 このギーさんって、人から礼儀を奪う能力でも備わっているのかもしれない。身なりといい、容姿といい、完璧に貴族以外の何者にも見えないのに、清々しいほど敬う気になれない。いや、私は腐っても王女だから敬われてしかるべきなんじゃないか? 

「正直者は素晴らしいですが、馬鹿正直者は痛い目を見ます」

 唐突だな。私はギーさんを見た。彼は相も変わらず笑っていた。

「貴女はどちらでしょう」

 いっそう深くなる笑み。取って食おうなんて思っていませんよ、と言う空腹の狼だったら、こんな様子で笑ってみせるかもしれない。

 とりあえずわかったのは、この人が厄介だということで間違いないだろう。

「賢者たる僕は前者です。嘘偽り含めて「正直」ですからね」なんて意味のわからないことをのたまった後、彼は名乗った。

「僕はギー・アイビニス。またの名を、王子殿下の第一補佐官と言います」

 実は、王子は隠れているだけでいるんです。どこにいるかは…ご想像にお任せします。詳しくは「5」で。

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