挿話1・昔の私、憶えていますか
遅れたバレンタインの話です。
読まなくても支障はないですが、今後の展開の参考に。
ハロー、昔の私。
なんて、言ったりして。日記なのに、変なの。
いつものように、静かに、淡々と、そうやっていられればいいと思うけど。やっぱり、クールなキャラなんて、私には似合わないのかもしれない。
さて。
今日、日記帳を新しくしたから、久しぶりに回想でもしようと思う。
まだ、憶えているといいな、って思う。
前世の私を。今の私を形作る、大切な、パーツを。そして、私自身でもある、思い出を。
あれは、私が中学一年生になった二月の__そう、十四日。
お姉ちゃん、とさくこは言った。聞き慣れた呼び名だけど、今日は何回も何回も、彼女が口に出していたので、私は少し辟易していた。
「どうしたの?」
そう、振り返る。物心ついた頃には既に私の後をついてきた妹は、その日も一歩ほど後にいた。
「なんでもないよ!」
さくこは、言い切った。断言した。でも、何か物言いたそうな表情だ。それは多分、気のせいとかではないだろう。「お姉ちゃん」には、なんとなく伝わるのだ、妹の心の機微が。でなくとも、私の前ではよく感情を表に出してくれるのだが。
キラキラと、期待するような二つの瞳。大きくてまんまるのそれが、ひたと私を見上げる。きゅんとする光景ではあるけれど、私はどうしてあげればいいのかまったく理解できなかった。だから、度重なるこの応答に困ってしまう。
さくこは、可愛い妹だ。
ひいき目で見ようが見まいが容姿も良い。騒がしくもなければ、構いたがりでもなく、とにかく「手のかからない」というイメージ。問題も抱えておらず、我が侭を言わないというのは、姉としてとても助かっていた。
それでも、堪えるように唇を噛んで俯く姿をときおり見せる。お父さんとお母さんが目を離しているときに、さくこはかなしそうに目を伏せて、気づかれないようにしていた。
そういうとき、私はもやもやした気分になった。
人見知りで積極性のない私を、さくこは助けてくれた。大げさかもしれない。でも、何の屈託もなく慕ってくれる彼女を見ていると、守らないと、しかっりしないと、って、いつもの私から少し変わることができる。誰かの前に立つことだってできる。
やる気もなくて下を向きがちな自分に勇気を与えてくれた、さくこ。つらいことがあれば、その不安を取り除いてあげたいと、思う。
だから……できるだけ、お願いならきいてあげたいんだけど。
「……!」
「……うーん」
もう一度きた、「お姉ちゃん」コール。唸ってみても、答えは出ず。
「ごめん、さくこ。わからない」
お手上げだ、と片手をあげてみせると、さくこの表情はぱっ、と不満げになった。
「お姉ちゃん、本当にわからないの?」
「う、うん」
こんなに考えても、わからないのだから仕方がない。
「じゃあ、どうして今日、ここに来たの?」
「だって、命日に来られなかったから」
桶にはもう、たっぷりと水が入っていたので蛇口をしめて、苦笑する。それから水場のすぐ近くのバケツに突っ込んであったたくさんの柄杓を一本抜いた。
「そういうことじゃなくて……」
さくこはまだ納得いかなそうにぞうきんをしぼる。それが終わったのを確認してから私は桶と柄杓を持って歩き出した。
入学式用に買った、真新しい黒のローファーに包まれた足で、石畳を進む。墓地は、湿った空気を纏っていた。
二月十二日になくなった友達がいる。私は、命日も月命日もお墓参りに来ていたのに、今月は忙しくて二日も遅れてしまった。
「……おねえちゃん。今日、何月何日かわかる?」
「二月十四日でしょ」
「そうだよ。バレンタイン」
「ああ、うん。そうだね」
だからこそ、今日に来たってこともあるけど。
食べられないのは重々承知のうえで、つい、チョコレート菓子を作ってしまったから。置くだけでも、いいよね、なんて考えていて。
「あ、そうだ。家に帰ったら、さくこにもチョコあげるね」
「本当っ!?」
ぱっ、とさくこの表情が華やぐ。すごく嬉しそうな笑顔が浮かんだ。
バレンタイン。
私にとってそれは、あまり良い思い出はないけれど、でも、さくこのこんな顔が見られたんだから、きっと素敵な日になってくれるはず。
そう、思った。
うん、よかった。ちゃんと憶えていられたみたいだ。
いつか、忘れてしまわないようにしたい。
転生したこの国に、バレンタインの文化はないけれど、いつかチョコレートをあげたいと思うくらい好きになれる人ができればいいと思う。まあ、小さくて田舎なライティア暮らしなら、恋愛結婚なんて難しいかもしれないけども。
そんな日記を書いたのは、その数ヶ月後に政略結婚が決まるなんて知らないある日のこと。