神様の石
男は神様を信じない。それが神様を恭しく奉り、男に厳しくあたる父と祖父に対する単なる反発だとしても、男はそれを誇りにしている。
父は何かと、神様は見ているぞ。罰当たりめ。神様に恥ずかしくないのか。と、男を叱る際に神の威厳を持ち出す。
そして最後には庭に設けられた小さな祠に、男を小突いて、蹴飛ばして、引っ張っていくのだ。
もちろん神様に謝る為だ。父に逆らっても。母を困らせても。家をかき乱しても。ご近所に迷惑になっても。最後に謝るのは神様だ。
男は小さい頃、泣きながら神様に謝った。そこに収められているご神体の石に向かって謝った。
「神様。ごめんなさい、もうしません」
男はその一言を言う為に、しゃくり上げ、喉を詰まらし、泣きながら、苦労して声を出したものだった。
少し大きくなっても、男は悪戯ばかりしていた。
「神様。ごめんなさい、もうしません」
男はその一言を、その頃には泣かずに言えるようになった。心底反省してその言葉が喉を通るようになった訳ではない。生意気にも、謝ればいいんだろうと口だけ言うようになったのだ。
父はそれを見抜き、時に拳骨を食らわせたが、男は痛い以外はどうということはなかった。
聞けば父も祖父から似たようなしつけを受けたらしい。悪さをしては、最後は神様に謝られさせられたとのことだ。
男は神様が嫌いだ。何をしてくれる訳でもないのに、最後はふんぞり返って男の謝罪を聞くだけなのだ。
父も祖父も、小さな祠の中のこの小さな石を、ご神体としてたいそう敬う。
「神様。ごめんなさい、もうしません」
ある日また少し大きくなった男は、そう神様の石に謝罪し、内心舌を出していた。
この祠の石を、父も祖父もまるで神様そのものの様に崇めている。
男はそんな父と祖父に意趣返しをしてやろうと、そっとその石をすり替えたのだ。
祠の石はただの石だった。
そして今や、本当にそこらに転がっていた普通の石ころに変わっていた。
それを知らず、父も祖父もまだ神様として、その石を拝んでいる。
滑稽だ。男はそう思う。ただの石を神様扱いして、何かご利益などあるものか。男は内心ほくそ笑む。
父と祖父は、石がすり替えられたとも知らずに、神様の石に今日も祈りを捧げていた。
そんな男の祖父も天寿を全うした。最後まで男がすり替えた石を、神様の石だと思って死んでいったのだろう。
そう考えると男は少し良心が傷んだ。
男も子供を持つ親になっていた。今は父がこの子の祖父だ。
血は争えないのか、男も子供の教育には手を焼いた。子供は男のいうことを全く聞かない。
父に逆らい、母を困らせ、家をかき乱し、近所に迷惑をかけても、けろっとしている。
男は仕方なく、神様の力を借りることにする。別段不思議な力を借りたい訳ではない。威厳を借りようと思ったのだ。
「神様。ごめんなさい、もうしません」
神罰の恐怖はてきめんなのか、子供は泣きじゃくりながら庭の祠の前で謝る。
そんなに怯えなくともいいのにと、男は内心思う。本物の神様の石は男の手によって、どこか庭のそこら辺に転がっているからだ。
今祠にあるのは、普通の石だ。神罰などあろうはずがない。
「神様。ごめんなさい、もうしません」
神様が本当にいるのなら、男がそう言いたい気分だった。石を放り投げていなければ、男の子供に神罰で教育してくれたかもしれないからだ。
だが神罰などないことは、石を放り投げた当の本人が一番よく知っている。それだけの不敬を働いて、男はのうのうと生きているからだ。
男の父の天命が尽きる時がきた。
父は男を枕元に呼び寄せる。
神様の石な。父は男に唐突に語り出す。
あれは小さい頃にな。小さい頃とは父の小さい頃だ。
神様の罰がどうのと、うるさい父に反発して。このうるさい父は男の祖父だ。
どっかそこら辺の石と取り替えてやったんだ。父はそう告白する。
だから、あの祠の石はただの石だ。父はとても嬉しそうだ。
そうかい。男は心底笑って応える。
俺も小さい頃やったよ。男はやはり笑って応える。
そうか、実はお前の祖父もやったらしい。
父は笑って死んでいった。
父の葬儀が終わり、家が日常を取り戻すと、また子供を叱りつける日々が始まった。
「神様。ごめんなさい、もうしません」
子供は泣きながら謝る。だが心底謝っているようには見えない。
男はさてはと思い、そっと祠を覗き込んだ。
その石は、男が小さい頃入れ替えた神様の石とは――やはり違う石だった。