第73話【幕間:セドリック家の封印の書】
これは今から36年前の話――
「アリスター、話がある。来なさい」
長期休暇で自宅に戻っていたその日、アリスター・セドリックは父トリスタンに呼び出された。
応接室にはローテーブルとソファがあり、トリスタンに座るよう促される。
「もうすぐ卒業だが、その後はどうするか決めたか?」
アリスターは全寮制の王立魔術アカデミーに所属している。王立魔術アカデミーとは、王都『アクアス』にある15歳以上の選ばれた者しか入学を許可されない、大陸内でも屈指の魔術学校の事だ。数か月後には卒業試験が控えており、アリスターの実力なら合格は間違いない。
代々魔術師の家系であるセドリック侯爵家は、その魔術に特化した才能を人々の為に貢献する事を家訓としており、アリスターも例外ではなかった。
「質問に質問で返す事をお許しください。父上は……いつ結界術師になる事をお決めになりましたか?」
結界術師とは、別名【都市防衛魔術師】と呼ばれ王都や国境に巨大な防衛結界を張り、維持管理を行うのが仕事だ。時には魔物の侵入を防いだり、自然災害の直撃を魔術で逸らすなど未然に防ぐ事もある。
「私は父……お前にとっての祖父バルサザールから結界術師を継ぐよう言われて選択肢はなかった」
「そうですか……」
アリスターは察していた。父トリスタンも自分の跡を継ぐようこの場で説得をしようとしていると。
「だが……時代は変わった。家系で同じ職に就くのも、今の時代は疎まれる。それに優秀な結界術師は他にもいるからな」
「え……? それでは……」
「アリスターがやりたい事をすればいい。ただ……1つだけ、心残りというか……負の遺産というか……」
それまで真面目な顔をしていたトリスタンが、深いため息を吐きながら項垂れていく。
「父上……? どうされました?」
「いや……少し厄介な物を渡されてな。困っている」
眉間に指先を押し当て、ため息混じりに呟く。
「厄介な……物?」
トリスタンがローテーブルの上に出したのは、ブックバンドが巻かれた一冊の魔術書に見えるものだった。
「これは……?」
皮で出来た表紙からは、まだアカデミー生のアリスターでもわかるほど禍々しい魔力が漏れ出ていた。
「若かりし頃の父、お前の祖父が……1匹の魔獣をこの本に封印してな」
「封印……? それ程までに凶暴な魔獣なのですか?」
「狂暴と言えば狂暴なのだが……結界術師の仕事として封印したものではない。その……守護契約をしようとして……失敗……した、らしい」
最後は口籠り、歯切れの悪い言い方になるトリスタン。身内の恥じと言わんばかりだ。
「祖父上が失敗……? それは何かの間違いでは……」
アリスターの祖父、バルサザールは王都『アクアス』の結界術師だ。彼の功績は数えきれないほど、そして王都にいる魔術師で知らぬ者はいないほどだ。
「……この中に封印されているのがフェンリルだと言ったら……わかるな?」
「なっ!! フェンリル!?」
伝説級の魔獣の名前が出てきて、アリスターは驚きを隠せない。
「封印をして既に44年、私が引き継ごうとしたのだが……とても守護契約など結ぶ事ができないほどまだ中で暴れている」
「未だに……それ程までに強いと言う事ですか?」
「そうだ。そこで……アリスター、お前にこれを引き継いでもらいたい」
「私が……ですか?」
「お前はまだ若い……これから先、この魔獣の力を有効に使い魔術師として飛躍してもらいたい」
大義名分としてはそうなのだろうが、先程までの話を聞いてからだと厄介払いをしたいと受け取らざるを得ない。少し考えたが、もしこの魔獣フェンリルを従える事ができれば、それはとても強力な助けとなるのは間違いない。
「……わかりました。お引き受けします」
しかし――
トリスタンから困り顔で頼まれてしまい、下心が有りつつ勢いで引き受けてしまったアリスターは直ぐに後悔する事となった。
「本を開かなくても中のフェンリルが暴れているのを感じる……」
それは衰えることなく、時に本がひとりでにカタカタと動くこともあった。想像していたよりも遥かに強い魔獣が手元にいると思うと、安心して眠る事もできない。
「……私には荷が重すぎる……」
深いため息を吐くアリスター。この封印の書を持つには、まだ自分は力不足だと痛感した。そう思ったアリスターは、長期休暇明けに王立魔術アカデミーの学長アゼル・ドラグニルに相談をしに行くのだった。
***
「失礼します。アリスター・セドリックです」
学長室には穏やかな笑顔の中年男性がいた。人の姿をしているが学長のアゼルは竜人で、齢500を超えている。
「セドリック家の倅か。卒業試験の準備は順調か? 今日はどうした」
「その、ご相談があって参りました」
アリスターは神妙な面持ちで、封印の書をアゼルの前に出した。
「これは……? ……ふむ、なんと元気のよい……」
一瞥しただけで中身の事がわかったようだ。
「実は、この封印の書を父トリスタンより受け継ぎました。しかし……アゼル先生が見た通り……中身は未だ元気が良過ぎまして、守護契約をするよう言われたのですが今はまだ無理そうです……」
「はっはっは! これはあれか? バルサザールの置き土産か?」
アゼルはアリスターの祖父の名を出すと、封印の書を受け取り机の上に置いた。
「アゼル先生はご存知だったのですか?」
「あぁ、捕まえたは良いがどうにもできなかったと聞いた。そうか、トリスタンも匙を投げたか」
アゼルとセドリック家は家族ぐるみでの付き合いがあったのだろう、封印の書の経緯もわかっているようだ。
「私はこれをどうしたら良いでしょうか……」
「うーん……そうだな……」
2人が唸りながら考えていると、突然学長室の扉が勢いよく開いた。
「アゼル! いるか!?」
「! オーレリア……部屋に入る時はノックくらいするよう言ったじゃないか」
呆れた顔をしたアゼルが視線を向けるのは、オーレリアと呼ばれたハイエルフの女性だった。長い金の髪を振り乱し、エルフの特徴的な長い耳にエメラルドの瞳、その女性は美しかった。だが――
「ッんだよ、取り込み中だったか? やっと完成したマナ・ベリー酒の試飲をさせてやろうと思ったのに」
舌打ちをしながら学長室にドカドカと入ってくるその手には、ラベルの無いボトルが握られていた。その様子から美しい見た目に反し、口を開けば言葉遣いが荒く、とても残念だとこの時アリスターは思った。
「マナ・ベリー酒? ……あぁ、遂に完……いや、ごほん! ……じゃなくて……良いタイミングで来たな。オーレリア、これをどう思う?」
何か慌てた様子のアゼルだったが、机に置かれた封印の書を指さしオーレリアに問う。
「ん? なんだこれ……へぇ……フェンリル……今のフェンリルはコイツか」
学長室の大きな机に、持っていたラベルの無いボトルを封印の書の隣に置く。
「(な……! アゼル先生と同じく、触れもせずに中身がわかるなんて)……今の、フェンリル……?」
「小僧、知らないのか? フェンリルはこの世に1匹しか存在しない。コイツが死んだら別の個体が突然変異体としてフェンリルになって生まれるんだ。と言ってもほぼ不老不死だから、滅多に新しい個体は生まれないんだが……あぁ、そうか……コイツはまだ若いから元気で当然か」
机に置かれた封印の書を、覗き込むようにして見るオーレリア。
「こぞ……? 失礼ですが、貴女はどちら様ですか? 私はアリスター・セドリック、導師《 マスター》です」
導師とは、魔術アカデミーの4年生にあたる。
触れてもいない、封印の書から溢れる魔力で中身を知る。アリスターはこの女性は只者ではないと察した。
「あぁ、私はオーレリア・フレイム。ここの卒業生だ」
覗き込む姿勢のまま、チラリとアリスターを見る。
「……オーレリアはこう見えて叡聖だ」
本人の自己紹介があまりにも簡素だったので、アゼルはわかりやすい肩書を追加する。
「えぇ!? 叡聖!?」
先程まで静かに語っていたアリスターだったが、若い女性が叡聖だと言われ大袈裟なまでに驚いた。そう言われたオーレリアは腕を組み、頬を膨らませる。
「それっぽく見えなくて悪かったな。こういう時エルフだと損だよな。男だったら髭でも生やせば貫禄も出るか?」
見た目が若い女性なので、熟練の魔術師にはとても見えない。顎をさすりながらオーレリアは封印の書をまじまじと見つめる。
「これ、どうしたんだ?」
「あぁ、このアリスターの祖父が封印したものだ。封印してからどれくらい経ったかわかるか?」
「父からは44年と聞いています」
「あーダメだダメだ! たった44年じゃフェンリルは弱らねぇな」
「やはりそうですか……」
父のトリスタンも諦めたくらいだ、長寿の魔獣なら44年間の封印では弱まらない。
「それで? これがどうしたって?」
急かすように続きを促すオーレリアはせっかちなようだ。
「正直……これを受け継いでから恐ろしくて……」
肩を落として答えるアリスターは、受け取ってからまともに眠れていないのだろう、顔色が悪い。
「まぁそうだろうな。だが安心しろ、中身が勝手に出てくることはない。ただ、こちら側から本を開いてはダメだ。今の状態で解放したらすぐに飛び出してきて、目の前の人間を咬み殺すだろうな」
「そう……ですか」
アリスターは自分の実力ではどうにもできない物を前に、やりきれない顔をする。
「……小僧、お前の歳は?」
「19です。もうすぐ卒業試験を……」
「へぇ、浪人も留年もしないなんて優秀なんだな。卒業後はどうするのか決まっているのか?」
「それが……」
「おや、結界術師になるのではなかったのか?」
アゼルはセドリック家が代々結界術師をやっているのを知っているので、当然アリスターもその道に進むものだと思っていた。
「そのつもりでいましたが、先日父に別の道を歩んでもいいと言われました」
「結界術師〜? やめとけ! あんな縛られた仕事、ジジイになるまで魔力を搾られるだけだ」
オーレリアは顔を歪ませ大袈裟な程結界術師を貶す。
「オーレリア! ……どんな仕事も尊いものだ、そんな言い方は良くない」
「ハッ! 縛られる人生なんて! ……まっぴらだ……」
アゼルに咎められるが、オーレリアは悪びれる様子もなく腕を組みそっぽを向く。その表情は暗い影が差していた。
「……結界術師を侮辱するのは許せません。そう言う貴女は何をしているのですか?」
アリスターはオーレリアは睨みつける。父と祖父が結界術師のアリスターにとって、そこまで仕事を貶す人を見たのは初めてだった。国や街を護り、人を護る。父も祖父もその仕事に誇りを持っていたからだ。
そんなアリスターの表情を見たオーレリアは、バツが悪そうに謝るのだった。
「……悪かったよ。私は冒険者だ。世界中を飛び回る根無草だ」
「冒険者……?」
一瞬、アリスターの瞳が輝いた。様々な魔術師を見てきたアリスターだったが、叡聖まで上り詰めた目の前のハイエルフが選んだ道は、冒険者という未知の世界だった。
「馬鹿にするなよ? 私は世界を回るのが目的だ。そして……この世界の価値を見定めるために旅をしている」
「世界の……価値?」
「……まぁ、箱入りの坊ちゃんにはわからねぇ話か」
「なっ!」
アリスターは弾かれたようにオーレリアに向き直る。
「だってそうだろ? 爺さんから親、そして子に引き継がれる封印の書なんて、家がちゃんとしてる証拠じゃねーか。今まで何不自由なく生きてきたんだろ?」
「それは……そうですが……」
人に言われて初めて、恵まれた環境だったと改めて思わされた。
「ぬくぬくと温室で育てられたって感じだな」
「ば、馬鹿にしていますよね……」
「いや……羨ましいと思うぞ」
ただ言葉通りに思ったことを口にしたオーレリア。
「貴女は……そうではなかったと?」
「……フッ……温室にいると見えない物が多い。世界は広いぞ、小僧」
多くを語ろうとしないオーレリアは、屈託のない笑みをアリスターに向ける。その表情はこの部屋に入ってから初めて見るオーレリアの素直な笑顔だった。
「っ!」
粗野な言葉遣いに結界術師を貶す、第一印象が悪すぎたオーレリアに対し、この笑顔を見て一瞬心を許しそうになったアリスター。
「……」
そのアリスターの表情を見逃さなかったオーレリアは提案をする。
「なぁ、そんなに怖いならその封印の書、預かってもいいか? ギルドの書庫に置いといてやる」
「ギルドの……書庫?」
「あぁ、ランクA以上じゃないと入れない場所だから滅多に人は来ない。誰にも触れないようにしておいてやる。そしてフェンリルが弱って小僧が強くなったら取りに来い」
「……確かに、ギルドの地下書庫なら安全だろう。オーレリアにしてはいい考えだな。アリスター、そうしてもらうといい」
「……はい」
オーレリアに封印の書を渡すと、まじまじと見る。掌を表紙にかざすと、片眉を上げ少し苦い顔をした。
「これはまた……本当に元気の良いフェンリルだな。――確かに預かったぞ」
そう言うと悪戯な笑顔を浮かべ、オーレリアは学長室を去って行った。オーレリアを見送ったアリスターは決意する。
「――アゼル先生、決めました。私は……冒険者になります」
「なっ! ま、まさかオーレリアを見て決めたのか?」
今のオーレリアを見て決意をしたのなら、止めねばと思ったアゼルは慌てた。冒険者を愚弄する訳ではないが、この優秀な学生が一時の感情で決めてしまうのを教育者として思い止まらせなくてはと思ったからだ。しかし、アリスターのその表情は気まぐれに決意したものではなかった。
「温室にいると見えない物が多い、と言われてしまいましたからね……世界を見てから結界術師になるのも、悪くないと思います」
その言葉を聞いたアゼルは、やはり優秀な学生だとアリスターを見直した。
「……そうだな、世界を知るのは大事な事だ。結界師も冒険者も、人を護る事と言えば同じ仕事……存分に世界を学んでくるといい」
「! ……はいっ!」
希望に満ちた表情をアゼルに見せ、アリスターは学長室を去った。
この青年は大物になると、アゼルは直感的に思った。
***
「しかし……あの小僧が人生の中で一番強くなった時でも、このフェンリルは弱ってないだろうな……うーん……」
オーレリアは封印の書を小脇に抱えながら唸り、どうするか考えていた。強くなったら取りに来いと言ったが、下手に封印を解かれてフェンリルに暴れられても困る。
「そうだ……防御結界でも張って物理的に誰にも触れないようにしておこうか。仮に結界を破れるくらいの実力者が現れたら、ソイツが使役すればいいだけの話だ」
我ながらいい考えだと、上機嫌に歩いていく。
「……やはり番がいないとフェンリルの凶暴性は抑えられんか。セラフィーナはどうやって先代のコイツを黙らせていたんだ?」
オーレリアはフェンリルの番を親しげに、『セラフィーナ』と呼んだ。
「まぁ、セラフィーナは綺麗な子だったから、フェンリルが惚れるのも頷ける……か。それだけじゃないとは思うが……」
オーレリアは立ち止まり、封印の書を改めて正面に持ち直し表紙を見つめた。
「……良いタイミングであの子が、見つけてくれればいいが……」
封印の書が解かれるまであと36年。それまでザークは本の中で暴れるのだった。
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