サクラチル ~ロボットのアイ~
「私の願いを叶えてください」
そこにいた傷だらけの女性は道の端で座り、縋るように俺を見ていた。
「願い?」
彼女は俺の目線に怯みながらも話し出す。
「私は…。どうしても…桜が見たいのです。
この通り、動くことさえ儘ならぬ体です…どうか力を貸してください」
「………」
確かに彼女の体は、動かす度にギギギ…と音をならしている。
「お願い、します」
「…分かった」
この時、そこにいた古くて錆びた女性型ロボットの強く透き通った目に惹かれていることに気付かなかった。
「ありがとう、ございます」
影が東に傾きかける時間。彼女を背負い、街一番綺麗な桜並木へと歩き出した。
数十年前。ちょうど今のように、桜が咲き誇る季節にある革命が起きた。それは「機械革命」というもので、人間の時代に終止符を打つものだった。
医学、科学、工学などの発展によって人間が延命に成功する。そして、これらの発展の背景では欲と憎悪が増大し、各地で戦争が起こった。
その戦争は、過去にあった同族同士が殺し合うものではなく、死を免れるために全世界で人間とそっくりのロボットを造り上げ、戦地で殺し合いをさせる悲惨な争いだった。
ロボット達の意思や感情、思考なども人間同様だ。そんな彼らが戦争で、ましては人間の遊び道具として存在を散らしていった。
やがて、多くの国が戦争による財政難、戦地の放射能などによる環境汚染などの名目で、和睦と戦争で生み出されたロボット全てを処分することを宣言した。その時、世界は予想以上に疲弊しきっていたからか、和睦はすぐに執り行われ、人間はロボットの処分を始めた。
ロボット達は世界の在り様、人間の過ちを見て考え、見限って革命をやってのけた。彼らは平和と自由、共存を唱え、疲弊した世界を人間から奪い統治した。
ロボット達が行ったのは、人間をロボットに改造し、必要な欲以外は全て制限した。そして、人口は増減することなく、ただ平和のために働くだけになった。俺も同じで、この体にされて歳を取ることがないだけでなく、家庭を築く気持ちや将来の夢などが綺麗さっぱり無くなった。
そして今、俺の背には彼女のエンジンの稼働が弱々しく、温かく伝わる。
ギギギ…
背負い直すと今にも壊れそうなのが分かってしまう。いつのまにか彼女を大事に運んでいた。
「背中、大きい…です、ね」
「男だからな」
お互い苦笑した。それでも、頬をこんなに動かすのはいつ以来だろうか?
「ゴホッ、ゴホッ…」
「平気か?」
「ゴホッ…もちろん」
彼女は穏やかに笑うものの体は冷え、手足に力が入らなくなっている。技師に診てもらおうかと思ったが、目的地に近付くにつれてそんな気が失せていった。
だって、こんなにも幸せそうな顔をしているのだから――
その場所は、かるく車一台は通れる道で、両側にはそれらがトンネルのように咲いていた。
「さぁ、ここなら文句ないだろ」
「……っ」
「…だめか?」
「やっぱり…」
「えっ?」
「いえ…とてもお綺麗な桜ですね」
そう、とても綺麗だ。こんな時代の桜でもあの頃となんら変わらず清楚で、それでいて引き寄せられる程の美しさと存在感を持つ桜が目の前にある。
舞い散る花びらは俺達に向かって来るように降り注ぐ。俺はそれを甘んじて受けとめて先に進んだ。この先にある収容所を目指して…
それでも彼女は穏やかに笑っている。
「なぜ、桜が見たかったんだ?」
「…好き、だからです」
「本当にそれだけか?」
彼女は少し困った顔をした後、もちろんと笑顔で答えた。
もうすぐ収容所に着く。彼女はある実験の実験体が逃げ出したとして、指名手配されていた。本来は平和のために即対処しなければいけないのだが、実際は彼女の願いを聞き入れてこの場にいる。
俺はその場に立ち止まった。
「どうしたのですか?」
「少し、話がしたい」
「そうですか」
頭ではやるべきことは分かっているが、心はそれを拒絶する。
「…すまない。恨んでくれていい」
「いいのですよ。むしろお礼させてください」
「やめてくれ!」
思わず声を荒げてしまった。こんな気持ちは久しく味わってなかった。
「…ねぇ、クロくん」
どこか、懐かしい響きだ。
「俺の名はナンバー9611708だ」
「…そっか。あのね、私はクロくんに出逢えたことが一番の幸せでした」
なんのことかと思ったが、徐々に彼女のエンジンが弱まり、上から温かい液体が桜と一緒に俺に降りかかった。
やがて、その傷のようなしわくちゃの老婆は静かに息を引き取った。俺は温かい液体が何であるか理解した時に思い出した。
革命の日。それは俺達の別離の日であった。
ユキ…最愛の人は、桜咲く季節に出逢い、この道で別離し、またこの道で永遠に別れてしまった。
「思い出したのに…」
今では彼女の胸のエンジンが感じられない。
泣きたいのにこの体と世界がそれを許さない。
「また、二人で桜を見よう…!」
舞い散る花びらは、まるで俺の代わりに桜が涙しているようだ。