第二十九話 試練
第二十九話 試練
清廉な空気を纏った森の中を、ゆっくりと進んでいく。
ダンジョンらしい、おどろおどろしい空気はない。それが返って、クレイジー・ボアを仕留める際の感触を強調している気がした。
歩きながら、剣を握る指に力を入れる。硬い柄の感触で、あの時伝わってきた肉を裂く感触を上書きする為に。
養豚場で働く人達を尊敬する。ブラックラットの時も思ったが、自分はこの感覚がどうにも苦手だった。
「矢広さん」
「うん?」
小鳥遊さんに声をかけられ、振り返る。
ラピスラズリの様な彼女の瞳が、真っ直ぐにこちらを射抜いた。
「大丈夫ですか?」
「……うん。大丈夫だよ」
幸い、魔物は死ぬ際に黒い霧へ変わる。それが、アレらが真っ当な生物でないと証明してくれていた。
こちらの返答に納得したのか、小鳥遊さんが頷く。
「なら、良かった」
「というか、分かるものなんだ。後ろ姿でも」
「人型の魔物と交戦した兵士が、似た様な雰囲気を放っているのを何度も見てきました。生物に似た存在を殺めて、罪悪感を抱くのは普通の事ですから」
「そうなんだ……」
やはり、経験が違う。
それはそうと、『人型の魔物』か……。
「人型って言うと、見た目じゃ人間と区別がつかない魔物もいるの?」
「はい。そういった存在が、人間のコミュニティに紛れ込んでいる場合もありました。姿だけではなく、知能も人間並かそれ以上のケースも確認されています」
「そういう事が、今の日本でも起きている可能性がある、と。勘弁してほしいな……」
「そうですね。しかし、高い知能を持つ魔物の存在で、助かっている事もあります」
「え?」
予想外の言葉に、思わず立ち止まって再び彼女へ振り返る。
「人間と同等以上に知能が高い個体が複数いるという事は、争うという事です」
「あー……」
言われてみれば、納得しかない。
動物にとって、同族と争うのは日常茶飯事である。そして知能が高い程、その規模も大きくなるものだ。
「前に、知能の高い魔物は侵略に動くって聞いたけど」
「はい。私のいた時代でも、高位の魔物達がそれぞれ覇権争いをしていました。そのおかげで、人類は何度も窮地を脱した事があります」
「なるほど……」
魔物も、一枚岩ではないという事か。
だったら人間に友好的な魔物とかと協力を……なんて。そんな事が可能なら、小鳥遊さんのいた時代はもっとマシな状況だっただろう。
スクロール作成の異能に関する、何故か頭の中に入っている魔法の知識。
それすらも、魔物との共存は不可能である事を告げていた。
奴らが本当に生きていた神代の時代ならいざ知れず、今の魔物達は影法師に過ぎない。いわば、当時の魔物達を模倣するロボットの様なものだ。
人を食って魔力を補給する関係上、和解は不可能に近い。
「雑談をし過ぎましたね。探索に集中しましょう」
「あ、うん。ごめん」
「いえ。私も喋り過ぎました」
小鳥遊さんに一言謝ってから、再び前を向いて歩き出す。
そうして歩いていくと、視界に自分達とは別の魔力を捉えた。動きと大きさからして、間違いなくクレイジー・ボアのものである。
「小鳥遊さん。1時の方向に1体。まだこっちに気づいていな……いや、気づいた。向かってくる」
「了解」
自分の言葉に小鳥遊さんがボーラを構える。
クレイジー・ボアはそれを気にした様子もなく、木々の間を駆けて自分目掛けて走っていた。
隣を、ボーラが飛んでいく。回転して魔物へ迫るその一投は。
「あっ」
外れて、近くの木にぶつかった。
『ブブブブァァァ!』
「げっ……!」
雄叫びを上げて、魔物が突進してくる。
小鳥遊さんは軌道上からずれた位置にいるはず。正面から受け止めるのではなく、マスターに言われた通り横へ避けた。
自分がいた位置を通過したクレイジー・ボアが、十数メートル行った所で反転。豪快に土煙を上げながら、牙を振り回す様にして再びこちらを睨みつける。
「こっの!」
その蹄が地面を蹴りつけるより先に、駆け出す。身体能力自体は、こちらの方が高い。
一息に間合いを詰め、思いっきり頭部へ剣を振り下ろした。
クレイジー・ボアは牙を突き上げて刀身を迎撃しようとするが、僅かに遅れる。片刃の片手半剣が、怪物の脳天に直撃した。
『ブギャッ!?』
短い悲鳴を上げ、血をまき散らすクレイジー・ボア。返す刀で、その側頭部に剣を叩き込もうとした。
しかし、刀身は牙にぶつかる。構わない。そのまま振り抜く。
乾いた枝を折った様な音と共に、魔物の長い牙がへし折れた。衝撃によって、クレイジー・ボアが横転する。
すかさず側頭部を踵で踏み抜きながら、剣を首に突き立てた。激痛に暴れる怪物を押さえつけ、刀身を横に動かす。
本当に、嫌な感触だ。それでも、やりきる。
クレイジー・ボアが動かなくなってすぐ、その体が黒い霧に変わった。乗せていた足が地面につき、少しつんのめるも耐える。
「ふぅぅ……」
一応周囲を警戒しながら、息を吐いた。どうにか、なったらしい。
「矢広さん、大丈夫ですか……?」
少し不安そうな顔で、杖を両手で構えた小鳥遊さんが近づいてくる。
それに、小さく頷いた。
「大丈夫。怪我はないよ」
「すみません。外してしまいました」
「いや、いいよ。練習も兼ねているわけだし」
頭を下げてくる小鳥遊さんに軽く手を振った後、魔石を拾い上げる。
むしろ、普通のやり方の練習も出来たと、喜ぶべきだ。自分達はまだまだ駆け出し。経験は何よりも優先される。
「……はい」
気持ちを切り替えたのか、小鳥遊さんが敬礼をしてくる。それが、彼女の癖なのだろうか。
その際に揺れる爆乳に、理性が同じく揺れ動く。自分の視線も上下に動く。
助けて璃子先輩……!僕の理性が、泣いています……!
自分の中で理性がミシミシと音を立てている錯覚を覚えながら、ボーラも回収して探索を再開した。
それから5分程歩くと、切り立った崖が見えてくる。
高さは約10メートル。目の前にすると、より高く感じられた。
ごつごつとした表面は足を引っ掛ける事が出来そうだが、ロッククライミングなんてやった事がない。ましてや、崖の表面には苔がまばらに生えている。そこにうっかり手や足を置いてしまえば、滑ってしまうのは明白だった。
対霊庁のホームページにも、異能による突破方法がない場合は迂回する様に書いてあったはず。素手でよじ登ろうとはしない方が良い。
「ここは、『浮遊』のスクロールを使おう」
「そうですね。異能者でも、転落は危険ですので」
そう言いながら、小鳥遊さんは念の為に構えていた銃型の杖をしまった。
なぜに?
「では、お願いします」
だが、すぐにその意図に気づく。なるほど、彼女は魔法なしでもいけるのか。
「ああ、なら僕が先に上って、ロープを垂らすね。端の方を、念の為近くの木に巻き付けておいた方が良いかな」
「いえ。私も一緒に浮遊で連れて行ってください」
「……はい?」
小鳥遊さんが、まるで抱っこをせがむ子供の様に両手をこちらへ向けてくる。
無表情の彼女の美貌から視線を下に滑らせると、豊満な胸とそれに反して細い腰、そしてシースルーな素材のせいでハイレグに見える股間が視界に入ってきた。
気合で、視線を小鳥遊さんの顔に戻す。彼女はなおも、無表情であった。
え、なに。この人僕の理性破壊RTAでもしてんの?
「……なんで?」
「ケニングを使い崖や山を登った事はありますが、生身では未経験です。専用の装備がない事も考えると、ロープを使っても転落の危険があります」
「……なら、小鳥遊さんが先に魔法で上って、僕がロープを頼りに」
「矢広さんは、登山の経験が豊富なのですか?」
「……いや。全然」
「では、魔法で2人一緒に上りましょう」
催促する様に、小鳥遊さんが一歩近づいてくる。
それに対し、自分も同じだけ後ろへ下がった。訝しげに、彼女が眉間に小さく皺を作る。
「なぜ嫌がるのですか?」
「いや、だって……恥ずかしいし」
自分の耳が赤くなるのを自覚する。
こんな美人を抱きかかえるとか、心臓がもたない気がするのだが。
「恥ずかしがっている状況ではありません。ここはダンジョンです」
「それは、そうなんだけど」
「それに、魔法ならばすぐの高さです。少しの間ですので、我慢してください」
ずい、と小鳥遊さんが近づいてくる。
困った。正論である。
スクロールの節約を話した後な為、2人で1つずつ使うと言っても頷いてはくれまい。
ここは、役得……もとい、仕方ないと受け入れるしかないだろう。
決して、急接近する爆乳の谷間に屈したわけではない!
そう自分に言い聞かせないと、理性がもたない!泣くぞ!?理性が!!
「……分かった」
「では、お願いします」
小鳥遊さんが、こちらへ抱き着いてくる。
ざんね……幸いな事に、自分の『霊装』の胸当によって、彼女のオッパイの感触は伝わってこない。
だが、触れ合う耳から伝わる彼女の熱が、鼻腔をくすぐる彼女の香りが、視界に入る彼女の長く美しい髪が、思考をかき乱してしょうがない。
「左手でこちらの腰を支えてもらえますか?」
「は、はい」
言われるまま、彼女の華奢な腰を抱いた。
本当に内臓が入っているのかと疑う様な細さ。こちらも籠手のせいで感触がよく分からないが、それでも僅かに自分の腕を押し返す感触が伝わってくる。
きっと、素手で触ったら細いのに柔らかいのだろうな。そんな考えが浮かぶも、頬の内側を噛んで煩悩を振り払おうとする。
相手が『ダンジョン探索の為』と許している行為で、邪まな考えを抱くなど言語道断。あまりにも失礼過ぎる。
そう理屈では分かっているのだが、やはり胸の高鳴りは治まってくれない。
「の、上りまぁ⤴す!」
自分でも分かるぐらい、声が上ずる。
剣帯に取り付けたスクロールを起動させ、宙に浮いた。足が地面から離れ、小鳥遊さんの腕に籠められた力が増すのを感じる。
胸当で、きっとこちらの心音は伝わっていない。でも、今の熱くなった耳から自分の心情が伝わってしまわないだろうか。
それが、余計に恥ずかしい。相手が気にしていない様子だから、余計に。
小鳥遊さんの言う通り、崖の上にはすぐにたどり着いた。しかし、体感時間は別である。
だと言うのに、彼女が体を離した瞬間から、あの時間が酷く短い様に思えてきた。
随分と、杜撰な体内時計である。
自分で自分に呆れながら、そっと左手を彼女から離した。
「周囲にクレイジー・ボアはいなさそうですね」
「うん、そうだね」
考えるより先に、小鳥遊さんの言葉に頷く。慌てて、周囲を見回して実際に敵がいない事を確認した。
魔物の魔力がない事に胸を撫で下ろし、彼女の方を見る。
「じゃあ、探索を続けようか、小鳥遊さん」
「了解」
小鳥遊さんの方に視線を向けて、気づく。
いつもの無表情だが……その耳が、ほんのり赤い気がした。
「なにか?」
「あ、いや。何も」
彼女の問いに首を横に振った後、前へ向き直った。
小鳥遊さんも、恥ずかしかったのだろうか?それとも、自分の熱が伝わっただけなのだろうか?
分からない。でも、前者である方が、少し嬉しい。
自然と頬が緩む。面頬のある『霊装』で良かった。いや、そもそも彼女は後ろにいるので、顔を見られる事もないのだけれど。
ダンジョンに相応しくない熱が、自分の胸中を満たしていく。
「……あ、11時の方向。1体接近中」
「了解」
───なお。
この後出口用のゲートに到達するまでに20体以上のクレイジー・ボアと遭遇。交戦する事になった。
稼ぎ的にも霊格の成長的にも美味しかったのだが、想定以上の数にボーラは早々に底をつき、魔法を使って戦う事になったのは言うまでもない。
スクロールの節約は、やっぱり難しそうだ。
* * *
ダンジョンから帰り、喫茶店へと向かう。
そこで報告と魔石の提出をした後、マスターが真剣な面持ちで自分達に告げた。
「今日、石山ちゃんの加入試験をしたよ。結果は合格。やっぱり、悪い人には見えなかった」
「私も一緒に行ったけど、おかしな人だけど良い人だと思ったよ」
「……そうですか」
マスターと璃子先輩の言葉に、小鳥遊さんが一瞬だけ間を置いて頷く。
「今度の土曜日、顔合わせの機会を作りたいんだけど、2人とも良いかな?」
「はい。私は問題ありません」
「……僕も、大丈夫です」
石山岩子。小鳥遊さんがいた未来では、悪鬼の類として語られる人物。
あの日見た、痛みで涙を流しながらも避難所を守ろうとしていた姿とは、どうにも重ならない。だからこそ、興味があった。
彼女は、はたしてどんな人なのだろう。
「その時、一緒に君達と石山ちゃんの歓迎会をしたいと思うんだ」
「えっ」
「見定めるのも大事だけど、クランの皆と仲良くなってくれると嬉しいな」
「えっ」
ニッコリと、楽しそうに笑うマスター。
小さく頷く小鳥遊さんの横で硬直する自分の肩を、璃子先輩が叩く。
「諦めも大切だぜ、オタク君」
誰か、助けてください。
過ぎ去ったかと思っていた試練が、再び牙を剥こうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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