第6話 朝の祈りとパンの香り
夜が明けた。
昨夜まで冷たかった空気に、かすかな焼きたての香りが混ざる。
アレンとブレイは、村外れのパン屋の軒先で腰を下ろしていた。
「こんなところに、まだ店が残ってたのか」
ブレイが感心したように言う。
「焼き手はおばあさんですよ。村の人が皆いなくなっても、
毎朝ここで、誰かのために焼くって決めてるそうです」
「……誰か、ね」
アレンがパンを割ると、湯気が立った。
小麦の匂いと、木の煙が混じり合う。
小さな村に、ようやく“日常”が戻りつつあった。
「なあ、アレン」
ブレイは少し間を置いて言った。
「お前のその“光”……怖くねぇのか?」
アレンはパンの欠片を口に運びながら、首を傾げた。
「怖い……ですか?」
「訳も分からねぇ力だろ。
お前みてぇに“無能力”扱いされてたやつが、光るなんざ、
どこの神が見たって“異端”だ」
アレンは、膝の上で手を見つめた。
薄明の中で、まだ微かに温もりが残っている気がした。
「僕は……誰かの気持ちを感じるとき、
胸の奥が熱くなるんです。
それが怖いとは思いません。
むしろ、誰かがちゃんと“生きてる”って分かるから」
ブレイは黙ったまま、少しだけ笑った。
「……ほんと、お前は変わってるよ」
「変ですか?」
「いや、悪くねぇ。俺は剣でしか何もできなかったからな。
誰かの心を“感じ取る”なんて器用な真似、俺にはできねぇ」
アレンは首を振った。
「僕も、剣は振れません。だから代わりに――聞くんです」
「聞く?」
「はい。怒っている人も、泣いてる人も、
その心の奥に“言葉にならない声”がある気がして……
それをちゃんと、聞きたいんです」
ブレイは静かにうなずいた。
パンの香りの向こうで、朝日がゆっくりと昇っていく。
◆
村を出るとき、老神官がふたたび二人を見送りに来た。
「王都へ向かうのじゃな。……心灯を持つ者よ」
アレンは少し戸惑って振り返る。
「僕は、そんな大層なものじゃ――」
「謙るでない。心灯は、持ち主を選ばん。
心が灯るたび、その光は強くなる」
老神官はそう言って、懐から小さな護符を取り出した。
白い糸に包まれた、丸い石。
「これは“心の羅針盤”と呼ばれた古き道具じゃ。
行く道で、迷いの声が聞こえたら、これを握るとよい。
光が差す方へ、導いてくれるはずじゃ」
アレンは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
ブレイが軽く手を上げる。
「じゃあな、じいさん。俺ら、行くわ」
「おぬしも、剣の影を恐れすぎるな。
剣は心を守るものでもある」
ブレイは少し驚いたように笑い、背を向けた。
◆
街道を歩きながら、アレンは護符を手に取った。
白い石が、まるで小さな呼吸をしているように温かい。
「なあブレイさん」
「ん?」
「この石……もしかしたら、誰かの声が閉じ込められてるんじゃないかと思うんです」
「どういう意味だ?」
「たとえば、昔この石を持ってた人が、
誰かを思って泣いたとき、その気持ちが残ってるとか」
ブレイは笑った。
「面白ぇ考えだな。……それなら、お前の胸の光も、
きっと誰かの願いの残り火ってとこか」
アレンは少しだけ笑い返した。
その瞬間、風が吹き、護符の石が淡く光った。
ブレイが目を細める。
「今、光ったか?」
「ええ……たぶん、“誰かの声”が、呼んだんです」
風の先、遠くの丘に王都の塔が見えた。
高く、白く、陽を受けて輝いている。
アレンはその光を見つめながら、静かに言った。
「行きましょう。きっと、あそこにも……聞いてほしい人たちがいます」
ブレイは無言で頷いた。
二人の影が並んで伸び、朝の風が背を押した。




