第3話 涙の理由
夜が明けるころ、焚き火の灰が白く冷えていた。
アレンが荷をまとめていると、茂みの向こうから足音がした。
「……来い」
姿を現したブレイは、昨夜よりも少しだけ顔色が良かった。
「借りがある。取り返したいものがあるんだ」
二人は森の奥へ入った。朝露に濡れた葉が足首を撫でる。
やがて開けた場所に出る。倒木が幾本も折れ、土は黒く抉れていた。
戦いの跡だった。
ブレイは膝をつき、草をかき分ける。
「ここで、仲間を失った」
彼は土の中から小さな銀の飾りを見つけた。
手のひらにのせると、指先が震えた。
アレンは少し離れて見守った。
声をかけるべきか、黙るべきか。
迷いの末、そっと言葉を置く。
「大切な人のもの、ですか」
ブレイは頷く。
「副隊の少女の護符だ。あいつは……俺を信じて前に出て、倒れた」
風が、枝葉を鳴らした。
その音に紛れて、低い唸り声が木陰から漏れる。
灰色の影が三つ、地を這うように間合いを詰めてきた。影狼だ。
ブレイの手が柄にかかる――が、止まる。
いつもの震えが戻っていた。喉がかすかに鳴る。
アレンは一歩、前へ出た。
影狼が牙を剝く。
「ブレイさん、僕のほうを見てください」
呼ばれて、剣士の視線が揺れる。
アレンは無理に笑ってみせた。
「あなたの手が震えるのは、逃げたいからじゃない。忘れたくないからです」
「……忘れたく、ない?」
「傷は、守りたい人がいた証拠です。なら、その人が望むのは――あなたが前を向くこと、じゃないですか」
影狼が跳んだ。
アレンは身を竦めたが、目は逸らさなかった。
その瞳に、ブレイは自分が映っているのを見た。
痩せた少年の、まっすぐな視線。
「……ったく」
ブレイは小さく息を吐く。震える右手を左で包み、柄を握り直した。
剣が、抜けた。
銀の軌跡が朝の光を裂く。
影狼の爪が空を掻き、二歩、三歩と退いた。
「下がってろ」
短く告げる声は、もう揺れていなかった。
踏み込み。半身。払い。
無駄のない動きが続く。
倒木の影で唸っていた二匹が逃げ、最後の一匹が地に伏した。
静けさが戻る。
ブレイは剣を収めると、その場に膝をついた。
握っていた護符を胸に当て、深く頭を垂れる。
「……すまなかった」
それが、誰に向けた言葉かは、言わずとも分かった。
アレンは近づき、そっと傍らに座る。
「守れなかった、と思っているんですね」
「ああ。何度も夢に見る。俺が遅れなければ、ってな」
「遅れた自分を責め続けることはできます。でも――その人が今ここにいたら、なんて言うでしょう」
ブレイの肩がわずかに震えた。
長い沈黙ののち、かすれた声が落ちる。
「……生きろ、って言うかもしれない」
「はい。きっと」
アレンは微笑む。
「だから、泣いてもいいと思います。泣いて、それでも、前を」
堰が切れたように、ブレイは顔を両手で覆った。
声を殺して、肩を震わせる。
アレンは何も言わなかった。
ただ、そばにいた。
朝の風が二人の間を通り過ぎ、落ち葉の香りがやわらいでいく。
やがてブレイは目元を拭い、護符を丁寧に革紐で結った。
「……軽くなった」
「よかった」
「不思議なもんだな。剣を振るったのは俺なのに、立たせてくれたのはお前だ」
アレンは首を振る。
「僕は、話を聞いただけです」
「それが、どれだけ難しいことか。――アレン」
ブレイは立ち上がり、朝日の差すほうを見た。
「王都へ行く。呼ばれてる。厄介な匂いがする。……一緒に来い」
「僕が役に立てますか」
「立ってる。もう、立ってるさ」
その言葉は、どんな称号よりも温かかった。
アレンは小さく笑い、頷いた。
「じゃあ、お願いします。道中、たくさん話をしましょう」
二人は森を出る。
背中には、同じ朝の光。
足取りは昨日よりも確かで、風はどこか、やわらかかった。
――涙の理由は、弱さじゃない。
誰かを想う強さが、形を探して流れるだけだ。
アレンはそう思いながら、王都へ続く道を見つめた。
次の誰かの心に、そっと触れるために。




