表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
捜索×令嬢  作者: 神木 有
転生したら公爵令嬢でしたが、元刑事なので殺人現場に乗り込みます!
7/10

2

 それから一週間ほど経って、決行の朝がやってきた。 いよいよ、この屋敷の外へ出るのだ。

 確かに書庫には豊富に資料があって、この世界の地理や文化のあらましは理解できた。わたしが今いるこの場所は、大きな大陸の西側にある『王国』であるらしい。そしてその王国から力を持った貴族たちが領地を与えられ、それぞれに治めている。その領地の中に、高い城壁を備えた都市が点在しているとのことだ。

 そしてここは海岸沿いの王都から東に離れること二千キロ、国境に近い要地であるグレインディール公爵領の中心。半径五キロほどの城壁の中に二万人が住む領内最大の都市だという。城壁の外には肥沃な平地が広がっているだけに農業も盛んで、また他家領へと繋がる街道も集まる交易の中心地でもあるとのことだ。なるほどなるほど。

 しかし資料はしょせん資料に過ぎない。この世界を真に知るには、まずはこの目で見聞を広める必要がある。でなければ、元の世界へ帰る方法など見付けようもないだろう。

 とはいえ、この服を借りるときもあくまで、マリーには体力作りのために中庭を周回するだけと言ってある。それだけならと快く貸してはくれたが、さすがにひとりで街へ抜け出すのに協力してくれるとも思えなかった。下手に話せば騒ぎになって、警備が厳しくなる可能性だってある。それならひとりで、皆の目を盗んで抜け出すしかなかった。

 いつものように中庭を塀沿いに一周したあと、正門方面へ向かう細い抜け道に入る。この一ヶ月の観察で、衛兵たちの目が届かないポイントもいくつか発見してあった。この抜け道もそのうちのひとつだ。そして途中で一部、塀が低くなっている場所もある。こっそり越えるにはうってつけの場所だった。

「灰は灰に、塵は塵に。在らざるもの、在りうべからざるものにも容を与え給え……」

 すっかり慣れてソラで唱えられるようになった呪文を詠唱し、両手を掲げる。

顕現魔術(リアライズ):脚立!」

 詠唱とともに発生する光も、日中の屋外であればほとんど目に止まらないはずだった。はたして、目の前にはお馴染みの二メートルほどの折りたたみ式脚立が現れる。

 あれからも色々試してみた結果、自分がよく使って手に馴染みがあるものほど、正確に顕現させられて消費魔力も小さいことがわかった。現場検証のたびに、こいつを担いで走り回らされた刑事一年目の日々。今ばかりは、それに感謝したい気分だ。

  普通に立てた状態ではこれでもまだ届かないが、蝶番を広げて一本の梯子のように伸ばせば、三、四メートルはあろうかという高い塀も悠々越えられそうだ。

 もう一度、道の両側を見やる。やはり、魔術の光も衛兵に気付かれてはいないようだ。わたしは髪を隠すためのつば広の帽子を深く被り直し、大きくひとつ息をつく。そうしてすぐに塀の向こう側へと飛び降り、魔術を解除した。もう見えないが、脚立もいつものように黒い霧になって消えたはずだった。

 降りた先が人気のない街はずれだったのも好都合だった。あたりには建築資材になるのだろう丸太や角石などが積み上げられていて、人が出入りするときは騒がしくもなるのだろうが、今は誰の姿も見えない。

「次もここを使うなら、同じ時間にしないとね」

 部屋に戻ったら忘れずにメモしておこう。そう決めて、わたしはまた走り出した。ここは街の南端に近いはずだから、このまま北に向かっていけば中心街に出るはずだった。

 しかし街の中心まで行かずとも、しばらくすると人通りも増えてきた。仕事に向かう労働者に、店の開店準備に勤しむ女性たち。物資の運搬はもっぱら人力が主流のようで、広い道を荷車が行き交っている。建物は木造か煉瓦積みがほとんどで、デザインは中世ヨーロッパ風。そうかと思えば窓の庇や店先の縁台など、どことなく和風の意匠が混じっているのが不思議だった。

 活気はある。が、ガラはあまりよろしくない。子供は徒党を組んで野放図に走り回るし、道を譲らない荷車の運び手同士が怒声を上げて罵り合っている。老人が道端に座ってそれを見ているが、呑気に煙管を燻らせているだけで止める気配もない。建物の壁はくすんでいて、路面には消し残った落書きの跡などがあちこちに見て取れる。

 とはいえそんな風景も、どことなく生まれ育った西新井(にしあらい)の街を思わせて懐かしかった。ここから西に向かうと大聖堂があるとのことで、参道沿いには土産物屋や飲食店が並んでいる。そんなところも、お大師さまの周辺と似ていた。わたしも子供の頃は、こんな街を小銭握りしめて買い食いして回ったものだ。

 しかし今はその大聖堂も改修工事中とのことで、人の姿もまばらだった。どうやら周辺の立ち入りもできなくなっているらしく、迂回を促す看板が立てられ参道の店も休業中だった。残念、工事が終わった頃にまた来るとしよう。

 途中、警邏中の衛兵と何度かすれ違ったが、誰もわたしに気付くことはなかった。その数からして、ガラは悪いものの治安はちゃんと守られているらしい。街並みも概ね綺麗で、石畳の舗装も乱れたところがないところを見ても、公爵家の治世もなかなか行き届いているようだ。多少埃っぽくはあるけれど糞尿の匂いがほとんどしないのは、下水道がきちんと布設されているためだろう。おかげで、ランニングも快適だった。

 ところでこの世界の警察はどのように運営されているのか。職業柄どうしても気になるところだった。見回りの衛兵がそれを兼ねているのだろうか。彼らも本来は公爵屋敷の警備にすぎないはずなのに、だとしたら勤勉なことだ。

 そうして足を進めるうちに、中心街が近付いてきた。ここは屋敷の正門近くで、大商会の店舗のほか、下級貴族や王都から派遣された役人たちの邸宅、さらには彼らの子弟が通う学校などが集まっていると聞いている。

 それだけに、街の様子も随分と違う。道は煉瓦のように切り揃えられた石を並べて綺麗に舗装され、夜はそれを照らし出すのであろう街灯らしきものまで設置されている。人の姿はまださほど多くはないだが、その装いもなかなか上等そうだ。

 まあ中心街の様子に興味もあったが、今日のところはここまでにしておいたほうが良さそうだった。作業着姿でうろつけばかえって目立つし、万一素性が知られたらまた厄介なことになるだろう。

 道端の木陰に入り、足を止めて息を整えた。少し休憩したら、ゆっくりとクールダウンしながら引き返すことにしよう。ここまで体感でだいたい二キロといったところ。息はともかく、両脚にはだいぶ乳酸が溜まっているのがわかる。このお嬢さまの身体では、まだこのくらいが限界のようだった。

「おう坊主、これでも食っとけ!」

 通りがかった荷車を引く男が、こちらに向かって何かを投げてきた。慌てて受け取って手の中のものを見ると、少し小ぶりなリンゴだった。

「いいの?」

「どうせ昨日の売れ残りだ、遠慮すんな!」

 男はそう言って、歯をにっと見せて笑った。売れ残りと言っても、特に傷んだり虫が食っていたりもしない。

「ありがとう」と手を振ると、男は満足げに頷きながら去って行った。なかなか、気のいい人も多いようだ。リンゴを素のまま齧ってみれば、少し固かったものの十分に甘く瑞々しかった。



 そうして休憩がてらに街を観察していると、ひとりの少年が目に入った。年は現在のこのわたしの身体と同じ十三、四歳と言ったところ。伏し目がちに俯き、ときおりちらちらと周囲を窺う目線を巡らせながら、通りを進んで行く。彼を見かけるのは、今日これで二度目だ。おそらくこの調子で、通りを往復しているのだろう。

 彼が何をしているのかは、詮索するまでもなくわかっていた。こういう子供たちはどこの街にもいるものだ。そして、どこの世界にも。わたしはどうしたものかとしばし迷ったものの、結局は小さくため息をついて、彼の後をついて歩き出す。

 別に難しい尾行ではなかった。そもそも、気付かれぬようにする必要はない。むしろ、早々に気付いてもらえるようにわざと距離を詰めて、その背中を追跡する。追跡しながら、その挙動、また彼自身を観察した。

 身なりこそは質素だが、ことさらに汚れているわけでもない。肉付きも普通。栄養状態も、さほど悪いとも言えない。つまり決して裕福ではないものの、最底辺の貧民というわけでもなさそうだ。歩幅も標準的。足の運びに乱れはなく、身体的な障害もあるようには見えない。つまりは食うにも困って、ということでもないようだ。

 そして、こうした行為に手慣れてもいない。おそらく年齢からして『デビュー』から間もないのだろう。あるいは今日が『デビュー』である可能性もある。明らかに挙動不審で、周囲から浮き上がっていた。場所が場所なら、速攻で職質食らうレベルで。それがないということは……うん、おそらくはそういうことなのだ。

 少年がわたしの尾行に気付いたのがわかった。はっきりとこちらを視認したのかどうかは不明だが、明らかに背後を気にしながら、足を速めて裏通りへと折れて行く。

 この通りはさっきも確認したが、通り抜けのようでいて行き止まりである。つまり彼は、このあたりについて土地勘もないということだ。安心して、わたしは彼との距離を詰めにかかる。

 案の定、裏通りに入って間もなく彼は走り出した。しかしそのぱたぱたという足音もすぐに止まる。落ち着いて足取りを保ったまま近付いていくと、彼は突き当たりの重そうな鉄扉に取り付いて、必死に開けようとしていた。しかし内側から閂がかかっているのか、扉はびくともしないようだった。

「そんなに慌てなくていいよ。別にどこかに突き出そうとか考えてないから」

 少年はわたしの声にびくりと身を震わせると、ややあって恐る恐る振り返った。近くで見ると顔立ちは思っていた以上に幼く、もしかしたら現在のわたしより二つ三つ下かもしれない。

「誰だよ、お前……」

「別にわたしが誰でもいい。ただ、今回はやめときなって言っておきたくてね。帰って仲間たちにも、ほとぼりが冷めるまでは大人しくしとくよう伝えなさい」

 彼が単独ではなく、グループのうちのひとりであることは間違いなかった。ざっと見渡したところ、彼と同様の挙動をしている少年をあとふたりは目にしたからだ。まあそっちのふたりは、彼よりはうまく周囲に溶け込んでいたが。

「君たちが目をつけていたのは、あの大店の倉庫だよね。残念だけど、狙いはとっくに向こうにバレてるよ。今夜君たちが忍び込んだら、衛兵たちが大挙して待ち構えているはずだ」

「そんなわけないだろ。だったらどうして、誰も俺たちを捕まえようとしないんだ!」

 彼はとうとう、震える声で叫んだ。そんな大声、出さないほうがいいのに。

「君みたいな雑魚を捕まえたって意味がないからさ。捕まえるなら君たちのグループを、リーダーまでまとめて一網打尽にしないと。向こうはね、全部わかった上で君を泳がせてるんだよ」

「嘘だ、嘘ばっかりだ。どうしてお前にそんなことがわかるんだよっ!」

 それはね、少年。わたしもかつては、そうやって泳がせる側にいたからだよ。

 辰沼署に配属され、二年間の交通課勤務のあと、配属されたのは少年課だった。わたしはそこでまた二年間、少年少女たちの犯罪と向き合った。

 少年犯罪というものは、単独犯であるケースは思いの外少ない。複数人のグループの尖兵として犯行を行うケースが、その過半を大きく超えている。そしてグループのリーダー格は常に少年たちを盾として、安全なところに隠れているものだった。

 だからこの少年のような、末端の尖兵を摘発しても効果は薄い。リーダー格たちは、また別の少年たちを手駒にして犯罪に引き込むからだ。だから彼らは泳がせて行動を監視し、もっと大物を引きずり出す。そうしてグループそのものを一網打尽にしなければ、少年犯罪の撲滅も望めない。

 しかしそうは言っても、まだ右も左もわからないような子供たちが道を踏み外そうとしているのを、止めもしないで見すごさなければならないのは心が痛んだ。ここで止めてあげれば、少なくともこの子自身は正しい道に戻れるのかもしれないのに、と。けれどもっと多くの子供たちが道を踏み外すのを防ぐためと、歯を食いしばって泳がせ続けた。

 だったらなぜ、わたしは彼にこんなことを言っているのか。その罪滅ぼしでもしているつもりか。今この時だって、心を痛めながら彼らを泳がせている衛兵たちもいるかもしれないのに。わたしの行動が、彼らのそんな我慢を無為(むい)のものにしてしまうかもしれないのに。

「忠告はしたよ。いいね?」

 わたしは最後にそれだけ言って、彼に背を向けた。返事はなかった。それでも、彼がわたしの背中を、刺すような鋭い目で睨み続けていることはわかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ