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捜索×令嬢  作者: 神木 有
第二章 ~婚約者はイケメン竜騎士でしたが、簡単に心は許しません!~
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 いつもは広いばかりで無駄にさえ思えていた大会議室が、今日はまるで様相が変わっていた。可能な限りに連ねた長机に、各課からかき集めてなお足りなくて、公民館からも借りてきた折りたたみのスチール椅子。そしてその椅子と同じ数の広い背中、まるで肩を寄せ合わんばかりにずらりと並んでいた。

 ただ息苦しく感じるのは、酸素が足りないせいばかりではなかった。それだけの人数がみな押し黙って、事前に配られた捜査資料を真剣に読み耽っている。彼らはそれぞれ、警視庁管内の各署から集められたエース級の刑事たちだ。誰もがその背中から、自分が必ず犯人逮捕に繋がる手柄を上げてやるという決意を漂わせている。そのえも言われぬ緊張感が、まるではっきりと質量を持ってのしかかってくるようだった。

 なるほど、これが合同捜査本部。警察官たるもの誰もが憧れる晴れ舞台。わたしもいよいよ、その末席に名を連ねたわけだ。

「なぁにをビビってやがるんだ、お嬢。顔が引きつってんぞ」

 からかうように小声でそう囁いてきたのは、先輩刑事の甲村だった。わたしが強行犯係に配属された際、指導役のような形で最初に組んだバディでもある。「お嬢」というのは、その頃からのわたしの呼び名だった。

「いい加減その『お嬢』ってのはやめてもらえませんか、甲村さん。わたし、これでももうすぐ三十なんで」

 彼はあしらうように「……へいへい」と答えたが、どうせやめてくれないのはわかっていた。刑事課の中でもまさに鉄火場とも言える強行犯係に二十年というベテランからすれば、わたしなどまだまだひよっこなのだろう。

「ともかく、そうビビるこたぁないってことさ。ここに居並んでるのも、お嬢と同じ刑事だ。呑まれんな」

「わかってますよ。別にビビってなんかいません」

 そう。ここにいるのは本庁からの数人を除けば、みな所轄の警察署から集められたヒラの刑事たちだ。おそらく中には、わたしよりも経験が浅い若手だっているだろう。呑まれることはない。むしろ逆に、こちらが呑んでやるくらいの気概でいないと。

「まあ、だからと言って気負いすぎることもねえやな」

 と、横合いからそう口を挟んできたのは同じく強行犯係の権藤だった。すでに六十を過ぎてはいるが、係長や捜査一課長からの信頼も厚い大ベテランだ。今回この合同捜査本部に送り出された辰沼書チームのリーダーでもある。髪もすでに白くどことなく好々爺然とした風貌ではあるが、今でも現役の機動隊員を軽々と組み伏せる柔道の達人にして猛者だ。

「こんなもん、格好付けに数だけ揃えただけさ。ちゃんとやってますよって体裁を整えるだけにな。どうせお偉方は、本庁の捜査一課だけで十分ホシ挙げられるっって内心じゃ思ってるだろ」

 それはその通りだろう。本庁の人間からすれば、所轄の刑事なんてただの働き蟻でしかない。蟻の一匹一匹に期待などしていないし、そもそも何かができるとも考えていない。

「だがそこで俺たちでホシ挙げちまったら、面白ぇだろうなあ」

 そう続けて、権藤は凄みのある顔でにやりと笑った。見下しているのはこっちだって同じだ。本庁の優等生どもに何ができる。この土地のことを誰より知り尽くしているのは所轄の自分たちだ。

 管内で起きた事件なら、所轄のわたしたちが解決する。それは、すべての警察官が持っている当然の自負だった。まあこうして合同捜査本部が組まれてしまった以上は、成果はすべて本庁が吸い上げていくのだろう。それならそれでいい。名はくれてやる。だが実はわたしたちが貰っていく。

「しかしどうなのかねぇ……はたして、本庁もどこまで本気で捜査する気なのか」

 そこで甲村が、どこか不安げにぼやいた。

「どういう意味ですか。甲村さん、何か変な情報でも掴んでるんですか?」

「いんや、特には何も。ただ、政治絡みは色々あるからなぁ……」

 事件の被害者は都議会議員の秘書。それも議員に転身する前から、タカ派の論客としてメディアにも登場していた久住邦正氏の、である。与党にいながら問題発言も多く、何かと毀誉褒貶の激しい人物でもあり、噂では来年とも予想される衆院選に新党を立ち上げて挑むとも言われている。そんな注目度の高い政治家の秘書が殺害されたともなれば、政治信条からのテロとも推測されていた。

「政治絡みの事件ってのは、たいがいは色々横槍が入る。まあ、尻を叩く程度ならそれも構わないんだが」

 結局は警察も役所のひとつに過ぎない。迂闊に政治権力の一端に触れでもすれば、不愉快な圧力をかけられることだってある。

「まあ、そんなことを今から気にしていてもしょうがないけどな。一応、覚悟はしておけってだけだ」

「……はい」

 と、頷いてみるだけは頷いてみた。とはいえ、覚悟なんて今から持ちようもない。何しろこんな場に身を置くのも初めてなのだ。

「それと……」

 甲村は三白眼をぐるりと巡らせて、声を落とした。

「気に入らないといえば、アレもだ」

 そうして彼が小さく顎で指し示したほうへ目をやると、ちょうど扉が開いて一団の男たちが入ってくるのが見えた。おそらくこの捜査本部を仕切る本庁のお偉方たちだろう。しかしその中心にいたのは、意外にも若い男だった。年齢は見たところ三十いっているかいないか、わたしともほとんど変わらないと見える。

 上背は百八十はあるだろうか。細身には見えるが、スーツの下は意外に鍛えられ引き締まっているのがわかる。彫りの深い細面は整っていて、どことなくひ弱そうな印象はそこだけ太い眉が補っていた。

「……あの人が?」

「ああ。あれがこの合同捜査本部の管理官だとよ。よりにもよってこの大事な事件に、捜査一課のプリンスを送り込んできやがった。まったく、上は何を考えているのやら」

 管理官とは本庁捜査一課において、課長・理事官に次ぐナンバー3にあたり、複数の係を統括して指揮をとる役職である。また今回のような合同捜査本部が組織された場合、その現場指揮を司る立場でもある。

 階級は最低でも警視。あの若さでその階級ということは、ほぼ間違いなくキャリア組ということだ。キャリアというのは難関と言われる国家公務員総合職試験を突破してきた、最初から警察という組織の幹部となることが定められているエリート中のエリートだ。

「皆さん、今日はお集まりいただき有難うございます。この捜査本部の管理官を務めます、東堂類です」

 正面の壁一面を埋める巨大なホワイトボードの前に立ち、中央の男性はそう名乗った。その名には聞き覚えがあった。あくまで噂で、ではあったが。

 甲村の言う通り、警視庁捜査一課のまさしくプリンス。元警視総監にして、のちに政界に転身して国家公安委員長や総務大臣を歴任した東堂巌を祖父に持ち、父は現警視副総監、母は元神奈川県警本部長の娘という、究極の警察一族の御曹司である。

 しかしそんな血筋だからこそ、現場の警察官からの反感は激しいだろう。コネと縁故でのし上がった、ろくに経験もない若僧に何ができる。現場は実力がすべて、結果がすべてだ。現実も知らないバカ殿が素っ頓狂な指示を出しやがっても、大人しく従うと思うなよ。居並んだ各署の猛者たちの目は、ありありとそう伝えている。

 しかしそんな中で、わたしは奇妙な感覚を覚えていた。一同の燃えるような視線を集めて立つその人は、はたして本当にそこにいるのか。そう疑いたくなるほど、その人は存在感が薄かった。といっても、決して気後れしたり萎縮したりしているようにも見えない。むしろ堂々と背筋を伸ばし、よく通る声で事件の概要の説明に入っている。

 それなのになぜか、彼の周りだけ現実感がないように思えたのだ。まるでそこだけ空間が切り取られ、別の場所の映像が映し出されているかのような。はたしてあの人にはわたしたちの姿は見えているのか。それさえも怪しい。

 なるほどこれが雲上人というものか。わたしはそう納得しつつも、不思議と嫌悪感も抱かなかった。まあ雲上人なら住む世界が違っても仕方ない。それでは嫉妬も反感もぶつけるだけ無駄なことと諦めるしかない。下々は下々で関係ないと勝手にやらせてもらうだけだ。

 なんてことをぼんやりと考えていたときだ。不意に雲上人がぐるりと目を巡らせ、その視線がわたしのところで止まった。そうして会釈とまでも言えないわずかな動作をこちらに送り、すぐにまた話に戻っていった。

 何だ、今の。むしろ意味がわからなくて気持ち悪いんだが。

「お前、あのプリンスと面識あったのか?」

 甲村もその一瞬に気がついたのか、小声で尋ねてきた。わたしも周囲に訝られないように、小さく首を振る。

「……まさか」



「お目を覚まされましたか、お嬢さま」

 そうマリーに声をかけられても、状況を飲み込むのに少し時間がかかった。そうして、ようやくうたた寝をして夢を見ていたのだと理解する。それほどに生々しい夢だった。合同捜査本部のピリついた緊張感、そして人いきれで酸素が薄くなっていたのかとも思える息苦しさまでがリアルに感じられた。今のは本当に夢だったのか、とさえ疑ってしまう。

 そもそも、『前の世界』でのことを夢に見るのも久しぶりだった。この世界にやって来てはや三ヶ月、この状況にもすっかり慣れてしまった。最近ではともすれば、『前の世界』の記憶が曖昧でリアリティのないものと感じてしまうことすらある。しかし今の夢は違った。変な話だが夢ではあっても夢ではなく、確かにわたしが経験したことだと思い出させてくれた。

 そして同時に、あの夜のことも思い出す。腹を銃弾で撃ち抜かれ、倒れ伏したアスファルトの冷たさ。血液とともに、生命がこの体から流れ出ていくのを止めることもできない絶望感。あれも確かに現実だった。間違いなく、わたし自身が経験したものだ。

 だから忘れるな。そう、あらためて自分に呼びかける。この世界は、この身体はかりそめ。決してわたしのものではない。必ず本来の持ち主であるヴァイオレットに返して、わたしはあるべき世界に帰る。今のこの時間は、すべてそのためにあるのだと。決して忘れてはならない。そう思い出させてくれたなら、今の夢に感謝だった。

「わたし、どのくらい寝てた?」

「ほんの小一時間ほどですよ。昨夜は旅籠の慣れないベッドでよく寝付けなかったのではないですか。よろしければ、もう少しお寝みになられてはいかがでしょう」

 そんなことはない。昨夜だって睡眠はちゃんととれた。そもそも枕が変わった程度で寝付けないような軟弱な身体はしていない。覆面パトカーの運転席でも、署の硬いベンチでも、必要なときに必要な睡眠がとれるのが刑事の身体というものだ。

 それなのについ睡魔に負けてしまったのは、この延々と続く単調な窓からの景色のせいだろうか。目覚めてまた外に目をやっても、相変わらず変化は見られない。どこまでいってもどこか殺伐とした岩と砂ばかり。ところどころに気休めのように潅木。もうずっと丸一日ほど、変わらぬ景色を見続けている。

 けれどそんな荒地を走行しながらも、馬車は不思議なほど揺れなかった。これも魔術で衝撃を和らげているからのようで、せいぜいが静かな水面を舟でたゆたう程度にしか感じない。しかしそんなゆったりとした揺れが、いっそう眠気を誘うのも正直なところだった。

「まあ、つい居眠りしちまうのも仕方ねえでしょう」

 と、わたしに対してのいつもの口調で言ったのはアンジュだった。それもマリーにひと睨みされて、慌てて「……ないでしょう」と言い直す。このところは公爵邸での礼儀作法もだいぶ身についてきたようだが、それでもまだ気が緩むと地が出てしまうようだ。

「こうも似たような景色がずっと続くんじゃ、わたしも退屈でアクビが出そうです」

「アンジュも居眠りしていいんだよ。屋敷の仕事は朝早くて大変でしょ?」

「そうしたいのも山々なんですがね……」

 アンジュはそう声を落として言い、ちらりとマリーを見やった。もちろん、怖い上司はそれを認めてはくれないだろう。

「それにしても本当にこのあたりは何もないのね。こんな道があとどのくらい続くのかしら」

「おそらく今日中には到着するとのことです。たがし深夜になるだろうとのことですが」

 となると昨日早朝に出発して、実に丸二日ということだ。こんなことなら無理に駄々をこねてでも、彼らの竜に乗せて貰えば良かったとまた愚痴りたくなる。

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