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気が付くと、見覚えのある白い空間にいた。
ウォレンと別れたあと、さすがに眠気を覚えて部屋に戻り、倒れ込むようにベッドに身を横たえたところまでは記憶にある。しかしそこから先は曖昧だ。もしかしたら、自分で思っていた以上に疲れていたのかもしれない。ベッドに横たわるなり眠りについて、そして今ここにいるというわけか。
「ずいぶんとご活躍だったようね」
声が聞こえた。いつかと同じ、それは『わたし』の声だった。声の主を探すと、振り返った先にその姿が見えた。かつてよく着ていたグレーのパンツスーツに、踵の低い靴。けれどやっぱり、その顔だけが白い靄で隠れてよく見えない。
「でもあんなことをしてる暇があるの、あなたに。ちょっと寄り道が過ぎるんじゃないかしら?」
「だからって、放っておくわけにいかないじゃない」
「だからって、あなたがあそこまで頑張る必要があったの?」
相変わらず、声に責めるような調子はない。まるでわたしに興味でもあるかのように、答えを促してくる。
「必要だったに決まってるじゃない。これから元の世界に帰る方法を探すにしても、この世界でのわたしの居場所がなくなってしまったらどうしようもない。すべてわたしのためよ」
わたしは立ち上がり、まっすぐ『わたし』を見返して言った。と言っても、その顔は変わらず見えないままなのだけど。
「それにわたしは警察官なの。たとえ身体は違っても、名前も身分も変わっても、それだけは変わらない。目の前で不法がまかり通ろうとしているなら、それを許さないのがわたしなの。それを許してしまったら、仕方ないと見逃してしまったら、わたしはわたしじゃなくなる」
そう。わたしがもうわたしでなくなってしまっては、元の世界に帰る意味さえない。そんなわたしの抜け殻が帰ったところで、それからわたしの死の真相を突き止め、わたしを殺した者を追い詰めることなどできるとも思えない。
「それにね、今回のことが寄り道だったとも思ってない。あなたが言ったんじゃないの、この世界のことを知りなさいって。おかげで、わたしも少しはそれがわかってきた。この世界の人たちのことも、そしてこの世界でのわたしのことも」
わたしによく似た顔のない女は、わざとらしく肩をすくめながら「そんなこと言ったかしら?」などととぼける。まあいい、好きに言わせておけ。
「もちろん道のりはまだ長いけど、捜査というのはそういうものよ。無意味かもしれないものを無数に拾い上げ、積み上げて、少しずつ真実に近付いていくの。時間はかかるわ。でも諦めない」
むしろ、道が険しければ険しいほど燃えるのが刑事というものだ。その無数の証拠かもしれないものをかき集め、一面に並べ、やがてそれが一枚の複雑怪奇な絵を形作ってゆく。その絵がある一点を指し示す。それこそが捜査の醍醐味というものだった。大事なのは、無駄足無駄骨に心折れないこと。
「まあ、あなたが寄り道だと思ってないならそれでいいわ。もしかして元の世界に戻るのを諦めて、こっちで生きてくことでも決めてしまったんじゃないかと心配になっただけだから」
「そんなつもりはないから安心して。諦めてなんていないわ」
そう、わたしの今のこの身体はわたしのものではない。この世界で生きていたはずのヴァイオレットに、いずれ返さなくてはならないものだ。わたしが諦めてしまえば、彼女の存在は消えてしまうのだろう。そんなことが許されるはずはない。
「ただ、ここから先は少し手詰まりなのは確かなのよね。今のわたしの立場だと、自由に動き回れるのはこのグレインディールの領内だけだし。城壁の外に出ることができても、近場を見て回るのがせいぜいだわ。でもこの世界をもっと知るためには、それじゃあぜんぜん足りない」
この世界だって、もっと広いはず。このグレインディールなど王国のはずれに近いとも聞いたし、わたしが知ったことなどまだこの世界のほんの一端でしかない。けれどそれ以上を知るには、わたしのこの身は不自由に過ぎる。
ではどうするか。公爵令嬢の身分を捨てて旅に出ることでもできたらいいのだが、ヴァイオレットの今後を考えればそれもできない。
「……安心なさい」
不意に優しげな声で、『わたし』は言った。
「あなたが望むチャンスは来るわ。そう遠くないうちにね」
「えっ……それって、どういう……」
わたしはそう尋ねかけたが、例によってはっきりとした答えは返ってこない。顔のない『わたし』はまた思わせぶりに笑って、白い靄の中に溶けてゆく。
「すぐにわかる。でもそのチャンスをものにできるかは、あなた次第よ」
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