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深夜であるだけに詳しい話は夜が明けてからと、オハラたちは数人の護衛を残して屯所へと戻って行った。それでもわたしはすぐにベッドに入る気にはなれず、マリーたちメイドの控え室へと足を向ける。彼女もまた、眠らずにいたようで、わたしを部屋に招き入れた。
「アンジュは、もう落ち着いた?」
「はい。少し薬を飲ませて、今は眠っています」
「乱暴なことはしなかったわよね?」
「それはもちろん。お嬢さまは私を何だとお思いで?」
まあそういう心配はしてなかった。彼女なら相手がどれだけ抵抗しても、傷付けることなく無力化する術くらい身に付けていそうだ。
「それで、お嬢さま。その……」
と、マリーが何かを言いかけた。珍しく、言いにくいことでもあるかのように言葉を詰まらせながら。
「何?」
「いえ、アンジュのことですが……できましたら、今後も私にお任せいただけましたらと」
彼女はあくまでも、ウォレンと公爵家の連絡役だった。だから今回の件が解決すれば、またあの連中の元へ帰すことになるはずだ。けれどマリーには、何か思うところがあるようだ。
「そうね。わたしもそれがいいと思うわ。ちょっとこれから、その件についても話をつけてこようと思う」
「私も同行したほうがよろしいでしょうか?」
「大丈夫よ。もう危ないことはないから」
そう言って、わたしは部屋を辞した。そうして離れを出て、本邸へと向かう。夜明けまではまだまだ時間があるようで、空は暗いままだ。けれど半分ほど欠けた月の光だけで、足元に不安はないくらいには明るかった。
そして、どうやら本邸の中にまで入らずとも用は済みそうだった。目当ての相手は正面玄関前の石段にどっかと腰を下ろして、どことなく惚けたような顔で細い紙巻きの煙草をくゆらせている。
「吸殻は中庭に捨てないでね、マーカス。あと一応、公爵邸の敷地内は禁煙だから」
マーカス・ウォレンはちらとわたしに目を向け、忌々しげに眉をひそめた。
「お前らのルールなんざ知るか。勝手にさせろ」
「まあ今回のことではあなたにも世話になったから、そのくらいは大目に見るけどね。それで、こんなところで何をしてるの。お兄さまの護衛もサボって」
「代理どのの部屋の前には、ザールが残ってるさ。安心しろ、あいつはあいつで十分腕は立つ」
そう言って、彼はこれ見よがしに煙を吐き出した。
「それにもう、今夜は何も起こらんだろう。あんただってそう思ってるから、ひとりでフラフラ出歩いてるんじゃねえのか?」
それは確かにその通りだった。今も公爵邸の外では、夜を徹してフィールズの残党狩りが行われているだろう。連中もそれから逃げるので必死で、わたしたちにちょっかいを出してくるような者はもういないはずだ。
「それで、何の用だ」目を虚空に向けたまま、ウォレンは尋ねてきた。「俺に用があるから、わざわざ来たんだろう?」
「ええ、そうね。何の話かは、あなたもわかってるんじゃない?」
ウォレンは何も答えなかった。たぶん図星だったのだろう。わたしと彼との間で、話すことはもうひとつしかなかった。
「アンジュのことよ。彼女も、パターソン修道院にいたのね?」
そしてそれに気付いていたことも、彼にとっては驚きではなかったのだろう。まあ、それを窺わせる材料はいくらでもあった。
まず先ほど、ビトーは彼女のことを知っているかのような反応を見せた。公爵家に来てから、彼女が騎士団の面々と顔を合わすことはなかったというのに。
そもそもウォレンも、公爵家にも隠されていたというパターソン修道院の実像について詳し過ぎた。修道院を襲ったニミッツたちですら、真の姿は知らなかっただろうと言っていたのに。それも、当の孤児のひとりから聞かされていたのなら納得だ。
「彼女はニミッツに襲撃を受ける前にすでに売られていたという、ふたりの少女のうちのひとりだった。違う?」
「……ああ、そうだ。少なくとも、あいつはそう言っていた」
ウォレンはあっさりそう頷いて、わたしの問いを肯定した。
「まさかあなたを狙ってきたのを返り討ちにしたとか?」
「そんなんじゃねえ。パターソンのガキどもは貴族御用達だったらしいしな。俺たちのようなゴロツキの相手させるなんて勿体ないことはしねえだろ」
つまりは貴族社会の暗闘に使われる『特上品』だったわけだ。しかしそんな彼女がどうしてそのゴロツキのところに。
「拾ったのは本当にたまたまさ。あるときこの郊外で、貴族の荷馬車を襲う計画を立てた。しかしその荷馬車は、俺たちの前に何者かに襲撃されてた。乗員は皆殺しにされ、襲ったやつらも返り討ちにあって全滅していた。あとに残っていたのがあいつだった」
「売られた女の子はふたりだと聞いていたけど、もうひとりは?」
「死んでた。まああいつも無傷じゃなかったしな」
なるほど、たとえ殺人機械とはいえそこまで無敵ではなかったということか。おそらく無傷であれば、ウォレンたちだって危なかったかもしれない。
「それで、彼女を連れて帰ったの?」
「最初はそのつもりもなかったがな。残った金目のものをかき集めて、それでさっさとずらかるつもりだった。あいつが手に負えない厄ネタだってのは見てわかったからよ」
「でも、そうはしなかった」
「さすがにガキをあの場に放置するわけにもいかなかっただけだ。せめて怪我の手当てぐれえはしてやろうと思って、来るかと訊いたんだよ」
けれどアンジュにとっては、その問いはそうではなかった。もっと特別な、天上から降りてきたか細い蜘蛛の糸にも感じられたのかもしれない。だから彼女は、必死でそれにすがりついた。
「それであの子は、そのままあなたのところに身を寄せたってわけね。まああなたたちとしても歓迎だったんじゃないの。使いようによっては大きな武器になる」
「まあな。考えなかったとは言わねえ」
だとしても、結局彼はそうしなかった。彼女に殺しはさせず、魔術に覚醒したら召喚術を学ばせ、連絡役に育てた。それはなぜか。こんな男にも、子供に暗殺などという暗い世界を歩ませたくないなどという真っ当な感情があったというのか。
正直、素直には信じられない。でもあのとき、刃を振るう彼女を見て狼狽していたその顔は、まるで娘の非行にショックを受けている父親のそれにしか見えなかった。
「まあいいわ。それで、あの子のことはこれからどうするの」
その問いには、ウォレンは何も答えなかった。かといって、考えがないようにも見えない。その『考え』については。わたしだって察していないわけではなかった。ただそれを、わたしのほうから言わせようとしているところが小狡い。
「わかった言い方を変える。わたしは、あの子をどうすればいいの」
「……それはあんたに任せるよ、お嬢さまよ」
「わたしたちが彼女を都合よく使い潰すとは思わないの。公爵家のために殺し屋でもさせて捨てるとか」
「好きにしろ。そんときゃそんときだ」
わたしやアルフォンスにそういうことはできないと見透かしているようだった。確かに少なくとも、あの兄には無理だろう。
「もちろん逆に、まったく無駄に使い潰してやってくれてもいい。そこらのメイドと同じように、あんたの身の回りの雑用係としてこき使ってくれてもな。たぶんそれはそれで、あいつにとってもいい」
マリーとしてはその気のようだった。もしかしたら彼女はわたしなどよりよほど、ウォレンの真意を読み取っているのかもしれない。
「いいわ、そうさせてもらう。ただアンジュは、あなたのところに戻りたがるでしょうね」
「そこはあんたがうまく誤魔化してくれ。なんなら俺たちはしばらく、アジトを引き払って地下に潜伏してもいい。連絡がつかなければ、あいつもじきに諦めるだろう」
「別にそこまでしなくてもいいわ。ただ当面は、あなたたちとの連絡役を続けるってことにさせて欲しいけど」
ウォレンはわたしのその言葉に、投げやりな笑みを返してきた。
「それは何か。兄貴だけじゃなくあんたも、俺たちを都合よく使いたいってことか?」
「まあ、そういう機会もあるかもね。でもあくまでも口実よ。そう言っておけば、アンジュも納得するでしょ」
彼はため息まじりに煙を吐き出して、「……好きにしろ」とだけ答えた。まあこの男としても、彼女から定期的に報告を聞けるのは悪いことではないだろう。




