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捜索×令嬢  作者: 神木 有
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 わたしは、また真っ白で何もない空間にいた。これが二度目だ。もう戸惑いはない。

わたしはおそらく、あのまま意識を失ったのだろう。塔から落ちたとき怪我はしていないと思ったが、やはり頭を少し打ったのかもしれない。あるいは何か他の原因で。

 ともあれ、前と同じであるならじきにまた目が醒める。それならその前にと、わたしは目を巡らせた。するとすぐに、もうひとりの姿が見えた。スリムなパンツスーツ姿の、背の高い女性。今度は何か見えない椅子のようなものに腰掛けて足を組み、こちらを覗き込もうと上体を傾けている。顔は相変わらず靄でかかったようによく見えないが、それでも意地悪げに笑っていることはわかった。

 わたしによく似た、しかし今はわたしではない、もうひとりのわたし。

「……さて」

 と、『わたし』は言った。今度は、ちゃんとその声が聞こえた。

「そろそろあなたも、ここがいったいどこかわかってきたかしら」

「わからないよ。ますます、わからなくなった」

 わたしは答えた。その声も、ちゃんと向こうに届くようだった。

「いいえ、あなたにももうわかっているはずよ。あとはただ、それを受け入れるだけ」

 言われて、わたしもそうかもしれないと思った。そう、ここがどこなのか。この世界は何なのか。わたしは薄々気付いている。

「……魔術って何よ。それを、わたしが使ったって」

「見た通りよ。あなたはさっき、何もないはずの場所に大きな木を顕現させた」

 しかし魔術なんて、現実にはあるはずがない。少なくともわたしのいた世界には、そんなものは存在しなかった。

「ていうことは、何。ここには、あんなふざけた魔術なんてものが、当たり前に存在するっていうこと?」

「正解」

 そう言って、『わたし』は揶揄うように手を叩いて見せた。

「つまりここは……わたしが元いた場所とは違う、あんなものが存在する異世界ってことなの?」

 今度こそ本当の絶望がやってきた。つまりここからでは、どうあがいてもかつていた日本には戻れない。

「そんなこの世の終わりみたいな顔しなくていいんじゃない?」

『わたし』はなおもふざけた口調で続ける。

「本当ならあなた、あのまま死んでいたはずなのよ。けれどこうして、第二の人生を送るチャンスが与えられた。この剣と魔法の世界で、しかも公爵家のお嬢さまなんていう上級国民。第二の人生ガチャでSSRを引いたようなものよ。ラッキーって小躍りしたっていいところだと思うけどね」

「……そんなもの、望んだ覚えはないわ」

 わたしはやっとの思いで、それだけ吐き捨てるように言った。そう、わたしはそんなもの望んでない。

 そりゃあ不満を言えば色々あるが、それでもわたしは望んだ人生を歩んでいたつもりだ。刑事だった父親の背中を見て育って、自身も警察官になることを夢に見た。そうして血を吐く思いで自分を鍛え、念願だった警察官になり、しかも捜査一課の刑事になった。その自分を誇りに思っていたし、他の人生なんて考えたこともなかった。

 しかしその夢も、誇りも、すべて奪われた。刑事となって四年、強行犯係の先輩たちのノウハウもひとつずつ吸収して、これからますますその人生を充実させようとしていたところだったのに。すべて失った。どうして。なぜ。

 公爵家だと。魔法だと。そんなものどうでもいい。そんなもの要らない。欲したこともない。

「望んだ覚えはないって、あなたそういうゲーム好きだったでしょ。そんな世界に行きたいって思ったことだってあるんじゃない?」

「あるわけないでしょう。あんなもの、ただの気晴らしの趣味じゃない。考えごとをリセットするのにちょうどいいからやってただけよ」

 そう、ただそれだけだ。誰だってそうだろう? ファンタジーが好きだからって、本当にそんな世界に行きたいと思ってる人なんているもんか。

「どうして……どうしてこんなことになったの」

「そんなの知らないわよ。わたしがあなたを撃ったわけじゃないし。ただ単に、あなたがヘマをしただけ」

 それは確かにその通りだった。あのとき、わたしは迂闊すぎた。バディである井手とも離れて、ひとりでマル対に接触しようとした。認めたくはないが、やはりわたしは平常心ではなかったのだろう。

 しかしいくら何でも、いきなり撃たれるとは思わないじゃないか。あの男もどうやら、何者かに脅され踊らされて、わたしを殺すために待ち構えていたようだった。ではいったい誰があの男に、わたしを殺せと指示したのか。いったいなぜ、わたしは殺されなければならなかったのか。

 わからない。わからない。そりゃあわたしも刑事をやっていれば、恨みを買うこともあったろう。けれどそれならどうして、そんな手の込んだ殺されかたをしなきゃならない。

「どうして……」

 しかしもう、それを確かめる方法もない。つい今まで、自分が死んだとわかってからも、ぎりぎり平静を保てていたのは、まだ自分にはできることがあると思っていたからだった。自分はどうして殺されたのか、それを明らかにするまでは落ち込んでもいられないと。まだ、できると思っていた。たとえ他人の身体を得たとしても。もしもここが日本でないなら、日本まで行けばいいだけだ。どんなに遠くても必ず帰り着いてやる。そう考えていた。

 しかし、その望みも絶たれてしまった。ここはわたしがいた世界とは違う、まったく別の異世界。どこまで行こうと、日本に帰り着くことはない。だって世界が違うのだから。つまり、わたしはわたしの死の真相を永遠に知ることはできないということだ。あの男にわたしを殺せと指示した何者かに、この手で落とし前をつけることも。

「それなら、どうしてあのまま死なせてくれなかったの。こんなことをして何が楽しい」

「だから、それもわたしじゃないわ。あなたが勝手に死んで、勝手にこの世界にやって来たの。わたしはただ、あなたに自分の置かれた状況を説明してるだけ」

 どこか投げやりな口調で言って、『わたし』は見えない椅子から立ち上がった。そうして足音も立てずにこちらへ歩み寄ってくる。それでも相変わらず、彼女がすぐ近くにいるのか、あるいは遥か彼方にいるのかもわからなかった。多分今いるこの空間には、距離も時間もないのだろう。

「大事なのはわたしのことじゃない。あなたがこれからどうするかよ」

「どうするって……いったいどうしろって言うのよ」

 たった今すべての望みが絶たれたばかりで、何と答えればいいのか。自分がなぜ殺されたのかもわからないまま、こんな妙ちくりんな世界でこれからどう生きていけばいい。何のために。何を目的にして。

「諦めるの?」

 突然耳元で囁かれて、俯きかけていた顔を上げた。けれど傍らには誰もおらず、憎たらしい『わたし』の姿は依然として元の場所にあった。

「何て言ったの、今?」

「だからこれで諦めるのかって訊いたのよ。諦めて、絶望して、すべて放り出すのかって」

「あなたがそう言ったんじゃないの。もう元の世界には帰れない。だからこの世界で、新しい身体で生きていけと。だいたいそんなようなことを言っていたでしょう」

「まあそうかしらね。で?」と、『わたし』は挑発するように足を組み替えた。「諦めろと言われて、あなたはあっさり諦めるの?」

「それはどういう意味?」

 わたしはゆっくりと立ち上がった。そうして一歩ずつ、『わたし』に歩み寄って行く。けれど歩を進めても、その距離はまったく詰まったようには思えなかった。

「別に意味はないわよ。ただ、ふーんって思っただけ。あなたはここで、簡単に諦めてしまう女なんだって」

「だったら何よ。じゃあここから、わたしが元いた世界に帰る方法があるとでも言うの。あるならそれを教えなさいよ」

 それに対する答えはなかった。しかし『わたし』の言葉は、そうとしか解釈できない。

「教えて。教えなさい。どうすれば、わたしは元の世界に戻れるの!」

 確かにわたしはもう死んでいるのかもしれない。けれどもし戻れるなら、わたしの身体でなくたって構わない。まったくの別人であっても、その身体で必ずやるべきことをやり遂げてみせる。

「そんな方法はない、と言ったらあなたは諦めるの?」

『わたし』はなおも、謎かけでもするように問いかけてくる。

「それとも、方法ならあると言えばあなたは信じるの。誰とも知らないわたしの言葉なんかを?」

 確かにそうだった。ここで『わたし』が何を言おうと、その言葉が真実である保証など何もない。ならばここで、どんな言葉が返ってくるかなんて意味はない。

 大事なのは、方法があるかないかではないのだ。方法があるなら探せばいい。方法がないなら作ればいい。来ることができたなら、確かに道は繋がっているのだから。本当に大事なのは、その意志があるかないかだ。

「そうよ。方法なんてあろうがなかろうが、あなたはやるしかないの。だってそれが『わたし』だから。諦めるなんて許さない」

 さっきは耳元から聞こえた声が、今度はどんどん遠ざかっていく。『わたし』の姿も、徐々に白い霧に包まれてかすてれゆく。

「まずは、今のあなた自身のことを知りなさい。そしてこの世界のことも。そうすれば、あのずと自分のやるべきことが見えてくる。いつもやっていることでしょう?」

 そうだ、それはいつもやってきたことだ。自分の能力を把握する。捜査状況を分析する。そうすれば、自分にやるべきことも見えてくる。

 自分の力を過信せず、できることをひとつずつ、地道に積み上げて行く。わたしはずっとそうやってきた。突然のことに混乱していた頭が、すっと冷えてゆくのがわかった。そうだ。やることは何も変わっていない。

「まずは、自分を知る。そして世界を知る」

 そうよ、と満足げな声が聞こえた。けれどもう、ひどく遠い。

「頑張りなさい。信じてるわ」

 また調子のいいことを言いやがって。そうは思いつつも、わたしは無言で頷いていた。

 いいだろう、やってやる。わたしは必ず、元の世界に帰る。どんなに道が険しかろうと。どんなに時間がかかろうと。


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