22
翌朝は、まだ薄暗いうちに目が覚めた。というか、寝返りを打ったはずみで目覚めてしまった。
「……きんっ!」
まず背中に電流が走るような痛み。それから二の腕が引き攣り、勢いで両脚が海老のように反り返る。
「に、く……つう!」
これも昨日限界を超えた代償なのだろうか。とにかく全身が硬直していて、わずかに動かすだけでも悲鳴が漏れそうになる。
こんなことは、道場に通いはじめた中学生の頃以来だった。こちらの世界に来てからそれなりに鍛えてきたつもりでいたが、まだまだ足りなかったらしい。
「どうかなさいましたか、お嬢さま」
ドアが開いて、マリーが入ってきた。もしかしたら我慢して堪えたつもりが、少し声に出てしまっていたのかもしれない。
「いや、大丈夫……何でもな、いっ……」
慌てて身体を起こそうとしてまた妙な声を出してしまったわたしを見て、彼女も察してくれたらしい。
「そうですか。まだ朝も早いです、もう少しおやすみになっててください」
「うん、でももう十分寝たからね」
それならもう、このまま起きてしまったほうがよさそうだった。それにこういうときは無理にでも体を動かしたほうがいいと、経験上知っている。
「でも、マリーたちはすごいわね。毎日、こんな早くから起きて仕事してるの?」
「いえ、今日は特別で……」
と、彼女は言いかけて口ごもった。まるで何か、わたしに知られてはいけないことを隠すかのように。
「……何か、あったの?」
マリーは珍しくしばし逡巡して、けれど諦めたように首を振った。隠せるようなことではないと判断したのだろう。
「昨夜、街道で荷馬車の隊列が襲撃を受けたそうです。襲われたのはルヴァン商会のものでした」
「ルヴァン商会ってことは、もしかして?」
「はい。騎士団特別行李も積まれていました。それも奪われたとのことで、狙いはそれだったのかもしれないとのことです」
「でも騎士団特別行李なら、護衛の騎士も同乗していたんじゃないの?」
わたしのその問いに、マリーはさらに表情を曇らせた。
「現地では荷馬車の乗員六名全員と騎士二名の遺体が確認されたとのことです。現場に残されていた足跡から、賊は中隊規模の武装集団であったと推定されているようで、おそらくはひとたまりもなかったのではないかと」
わたしはベッドから飛び降りた。筋肉痛などもう気にしてもいられなかった。
「すぐに騎士団の屯所に行くわ。着替えをちょうだい、マリー!」
「行ってどうするというのですか、お嬢さま?」
「どうするって……」
マリーは素早く動いてわたしの前に立ちはだかった。その姿には、それこそ有無をも言わせぬ威圧感があった。
「大丈夫です。亡くなったのは街道警備隊の騎士さまで、お嬢さまが存じられている調査隊の皆さまは無事です。ですがお仲間が亡くなられて、騎士団も一丸となって事態に対処されているでしょう。邪魔をしてはいけません」
それは確かにその通りだろう。わたしが行ったところで何ができるというわけでもない。ただいてもたってもいられなかっただけだ。けれどこの世界では、わたしは警察官ではないのだ。
「公爵家からも情報収集のために人を出しています。どうやら襲撃はフィールズ一家によるもので間違いないようです。騎士団も城門を固めて、本格的な攻撃に備えています」
「攻撃って……」
けれどその言葉が大げさではないことはもうわかっていた。中隊規模の武装集団ともなると、わずか二名の護衛をつけただけの荷馬車を襲撃するには多すぎる。もっと大規模な行動のために組織されたと考えるべきだった。
「またすでに潜入しているメンバーが事を起こす可能性もあり、公爵邸も警備を強化しております。お嬢さまもどうか、屋敷にお留まりください」
「……わかったわ」
仕方なくそう答えて、わたしはまたベッドに腰を下ろした。それを見て、マリーもほっと息をつくのがわかった。
「それではもう少し、夜が明けるまでお休みください。屋敷の中にいる限りは決して危険はありませんので、ご安心くださって結構です」
おそらくは兄アルフォンスも、屋敷を守るためにさらに結界を張り巡らせていることだろう。少なくとも、自分の身を案じる必要はなさそうだった。
けれど屋敷の外では、いったい何が起こっているのか。それを考えると、もう眠ることができそうになかった。
じっとしていられない気持ちを抱えたまま時間が過ぎ、しばらくすると窓の外が明るくなってきた。わたしは体を起こし、両手を上げて伸びをしてみる。相変わらず背中も腕も痛んだが、そう言ってもいられない。こんな状況だ、何かあればすぐに行動に移せるよう準備しておかなくては。
そうしてベッドを降り、痛みに歯を食いしばりながらストレッチをしていると、ドアが開いてアンジュが入ってきた。
「何……してんだ、お嬢さまはよぅ」
「何って、ストレッチよ」
ちょうど股割りの姿勢から交互に肩を入れながら前屈しているところだった。まあ知らない者からすれば、何とも珍妙なポーズに見えるのかもしれないが。
「へぇ……まあ、あんたが変なお嬢さまだってことはわかったから、もう驚きゃしないよ」
彼女はそう言って、水の張られた手桶をベッドの脇に置いた。その脇には、乳液のような化粧水が入った小瓶も置かれている。毎朝マリーが用意してくれるものだが、この世界では肌のケアなんてその程度しかないのだろう。あるいは若いこの身体ならまだその程度で十分ということか。
「もう少ししたら朝飯も持ってくるよ。今日は部屋でとってくれってさ。下は朝から色々出入りがあるみたいだ」
「ええ、わかってるわ」
窓から見るだけでも、警備の衛兵が増員されているらしいことがわかる。他にもマリーたちメイドも、せわしなく本邸と離れを行き来しているようだ。
「街の様子はわかるかしら。騒ぎは起きてない?」
「今のところは、特に何も聞いてないな。静かなもんだよ」
それならいいが、まだ早朝だ。何か起こるにしてもこれからだろう。
「でも警戒するに越したことないわ。あなたもウォレンから、外から潜入してきてる魔術師のことは聞いてるでしょう?」
「ああ、一応ね。でもそいつらが何をするつもりかは知らないけど、本格的にことを起こすまでは大人しく潜んでるんじゃないか」
「そうとも限らないわ。ついこの前、騎士団のワッツ魔検士が襲われたばかりだし……」
「ああ、そんなこともあったか。でもあれば兄弟のやったことだからそこまで心配しなくてもいいだろ」
なんか彼女、今聞き捨てならないことを言った。
「えっと……今何て?」
「だから、騎士団の魔術検査士を襲った件だろ。あれやったのは親父たちだよ」
「ちょっと待って、いったい何でそんなこと……」
アンジュの口調はまったく悪びれた様子もなく、平然としたものだった。だからわたしも何かの聞き間違えかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。
「そりゃああなたたちからすれば騎士団も敵なのかもしれないけど、でもわざわざこの面倒くさい時期に……」
「面倒くさい時期だからだよ。あれはあくまで警告だ。だから大した怪我もしなかっただろ?」
警告とはどういうことだ。わたしはストレッチの手を止め、立ち上がった。朝起きたときは身じろぎするのも苦しかった筋肉痛も、いくらかはやわらいできていた。
「あの男って、魔紋を読むことにかけては誰より長けているんだろ。少なくとも、今この街にいるやつらの中では」
「ええ……そうでしょうね。今のグレインディール騎士団には、他に専門の魔検士はいないと聞いてるわ」
元々かなり希少な技能でもあるらしい。魔紋の採取は先の現場のように、特殊な処理を施した銀の粉を撒いて浮かび上がらせて行うが、それとてまず魔検士が魔紋の存在を感知してからの話だ。しかしそのように何の処理もされていないところで魔力の残滓を読み取ることは、熟練の魔術師でも難しいとされている。ワッツのようなまず魔力を「視る」ことに特化した才能はきわめて貴重らしい。
「そして今この街に潜入してきてるやつらが魔術で何かをしようとしてるなら、一番邪魔になるのはあいつだろうに。あたしがやつらの側ならば、真っ先に排除するのはあの男だ」
兄の話では、公爵邸に向けてアルカロンの術式を放っている魔導師は五人はいるとのことだった。潜入してきている者はそれ以上、倍かあるいは三倍以上いるだろう。そうした者たちがことを起こすそのときまで身を隠すには、確かにワッツは邪魔だろう。確かにそれが狙われた動機かもしれないとは考えていたが。
「その鍵になるかもしれない男が、護衛も付けずにひとりでブラブラ歩きまわってるんだ。騎士団は何を考えてるんだって親父も呆れてたよ。だから大怪我しない程度に加減して警告したんだ。これで、あいつらも少しは思い知ったろ」
「いや、だからってあれはやりすぎじゃ……」
「人間、痛い思いをしないと懲りないだろうが」
なるほど、それがウォレンのやり方か。確かに今後はワッツにも護衛が付けられることになるだろうから、結果オーライと言えば言える。しかしそれはあくまで結果論だ。
「じゃあ、まさか今回の荷馬車襲撃も?」
「いや、それについては何も聞いてない。でもやり口は親父らしくない」
「どういうところが?」
「たとえ相手がどんなクズ野郎でも、皆殺しにはしない。それが親父のやり方だ。必ず目撃者を生かして残して、兄弟の恐ろしさを広めさせる」
なるほど、やり口としては理解できる。いやそれはそれでどうかとは思うが、犯行を隠すでもなく自らを誇示しようと思うなら、そのほうが効果的だった。




