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とはいえ、どう戦えばいい。力の差は歴然だ。このまま無策で挑めば、何度やったって同じことの繰り返しだろう。ならばどうする。
「確認させてもらっていいかしら」
「何でしょう」
「この勝負……『何でもあり』でいいのよね?」
オハラはわたしの言葉の意味を推し量るように一瞬の間をおいて、それでも頷いた。
「はい、構いません。王道だろうと邪道であろうと、どうぞご自由に」
「邪道というのは、魔術もありでいいのかしら?」
「もちろん」オハラはまた堂々と答えた。「お嬢さまのすべてを使ってください。戦いとはそういうものです」
オッケー言質は取った。次は、わたしの武器をどう使うかだ。
考えてみれば、わたしの剣筋はすでに見せてしまっていた。オハラほどの相手に手の内まで晒しておいて、まともな勝負になると考えることが甘かったのだ。だから使うなら、まだ見せていない武器。ここから先は、引き出しの数が勝負を分ける。
ただしどんな武器を使うにしても、まずはちゃんと動けてからの話だ。先ほどのように無言で威圧され、蛇に睨まれた蛙のように固まってしまったら何の意味もない。呑まれるな。気圧されるな。そのために必要なものはただひとつ、気合いだけだ。
わたしは頼りない自分の両脚を掌で叩きながら、暗示をかけるように繰り返す。動け。動け。わたしの両脚よ、ちゃんと動け。
「では再び……両者剣捧げ!」
号令がかかり、わたしは顔を上げた。大丈夫、今度は行ける。威圧は気合いで押し返せ。
「寸止め一本勝負、始め!」
その声とともに、再び正眼中段に構えた。変化を入れるにせよ、それを最初から見せる必要はない。
再び空気が変わり、ずしりと質量をもってのしかかってくるように思えた。けれどそんなものは錯覚だ。気の迷いだ。わたしの弱気が、恐れが、足を地面に縫い止めるのだ。まずはそれを払いのけろ。動け。
距離を保ったまま、すり足でスライドしていく。オハラを中心に円弧を描くように。斜に構えたその死角へと回り込むように。大丈夫、足はちゃんと動いている。けれど、死角を取ったと思った瞬間に横薙ぎの一閃が来た。
予期せぬ斬撃ではあったが、辛うじて剣で防御する。まともに斬り結べばまた押し切られるので、まっすぐ受け止めずに剣の腹で滑らせるように受け流した。おそらくはほんの小手調べ、あるいは距離をとって死角を探ろうとするのを牽制しただけか。続く追い討ちはなかった。
一拍遅れて、冷や汗が背中を伝ってゆく。受け流しはしたが、それでも柄を握る掌がじんじんと痺れていた。剣が届く間合いではなかったはずだが、いったいどうやって。あるいはわたしが間合いを測り違えていて、彼の距離はずっと広かったのか。
もしそうだとしたなら、さっきからの重圧の理由もわかる。わたしはとっくにオハラの間合いの中にいたのだ。そしてそれにも気付かずに、呑気に探りを入れているつもりになっていたのか。
しかしそれに気付いたところで、わたしはどうすればいいのか。これ以上距離を取れば、わたしの間合いはますます遠くなるだけだ。仮に隙を見つけられたところで、剣が届くところまでひと息で飛び込むこともできなくなる。
「と、なれば……手はひとつってことね」
おそらくこれ以上いくら探りを入れたところで、この人には隙はない。死角もない。もしもさらに距離をとったところで、一足で捉えられてしまうだろう。今この場で、その剣から逃れられる場所はただひとつだけ。
オハラにとって唯一のネックは、その剣の長さ。だからその斬撃の内側、長い剣の取り回しが利かない懐に潜り込んでしまえばいい。もちろん言うのは簡単だが、行うは至難の技だ。ライオンの口に飛び込むほうがよっぽど気は楽だろう。でもやるしかない。
そう心に決めて、わたしは足を止めた。そうして体を低くし、後ろ足を引く。
「……天には星。地には岩。海は水を湛え、風は木々を揺らす」
気づかれぬよう、声には出さず口の中で詠唱をはじめる。目はしっかりと開いて、オハラのわずかな挙動も見逃さぬように。ここからは、おそらく瞬きすらも許されまい。
彼もどうやら、わたしが何かしようとしていることに気付いたらしい。口角をかすかに上げて、はじめてまともに剣を構え直した。少しは楽しんでもらえたらいいんだけど。わたしも思わず口元が緩む。あるいは恐怖で引き攣っただけか。
「在るべきものは在るように。容は容のままに……されど容は常ならず」
そうして剣を上段に振りかぶると、同時に地を蹴った。そこへ予期していた通りに、さっきと同じ横薙ぎの斬撃で迎え撃ってくる。けれど今度は受け流さず、まともに受け止めた。受け切れないのはわかっていた。激しい衝撃に掌は感覚を失い、弾かれた剣が回りながら宙を舞う。
けれど、それも狙い通り。元よりオハラの懐に飛び込めば、わたしも剣を取り回すことはできなくなる。なら、もっとリーチの短い武器に持ち替えるべきだろう。
「在らざるもの、在りうべからざるものにも容を与え給え。仮初めの姿を与え給え」
対するオハラのほうは、わたしが剣を取り落としたことで勝負あったと思ったのか、わずかに気を緩めるのがわかった。切り返しの剣は来ず、重圧もほんの少しだけ和らぐ。オハラがはじめて見せた、ほんの一瞬の隙。それはわたしがようやく掴んだチャンスでもある。
「顕現魔術ーーー」そうしてわたしは、詠唱の最後を声に出して唱えた。「……特警!」
フラッシュのような閃光とともにわたしの手の中に現れたのは、懐かしき伸縮式の特殊警棒だった。そう、剣道の時間はここで終わり。ここからは警察官として八年間叩き込まれた、警棒を使っての逮捕術の時間だ。
しかしこの警棒も、伸縮部をすべて伸ばしてしまえばいささか長すぎる。だからほんの一段だけ伸ばして、トンファーの要領で逆手に握り込む。
「……っしゃっ!」という声とともに放った顎への一撃は、あっさりスウェーで躱された。けれどそれで止まることはない。接近戦でも簡単に互角になるとも思ってない。だから攻撃の手を止めてはいけない。
彼が油断を見せたのもほんの一瞬だった。今はすっかり落ち着きを取り戻し、こちらの手数を体捌きでやり過ごしてくる。躱し切れまいと思えた攻撃も、肘当てや木剣の柄尻を巧みに使って受けられた。けれどこの距離なら、向こうに攻撃の手段がないのは確かだ。どこかで焦れて、距離をとろうとしてくるはずだった。
そして案の定、肘をかち上げようとした攻撃を体をひねって避けながら、バックステップで間合いを取ろうとしてきた。まだだ。まだ離されてはいけない。だから勇気を振り絞り、なおもその懐に飛び込んでゆく。離れない。この息がかかるほどの距離で、間髪入れずに攻撃を続ける。
日頃のランニングの成果もあってか、まだ息は上がっていない。それでも、限界が近いことは確かだった。その前に決着をつける。そのためには、オハラにはもう少しだけ焦れてもらわないといけない。彼がもっと強引に距離をつくろうとしたときが勝負だ。一か八か。鬼が出るか蛇が出るか。
「くっ……はっ!」
警棒の回転が緩み、大きく息をついた。半分は本気できつかったのだが、もう半分は演技。けれどその誘いに乗って、オハラは強引にわたしとの間に肘をねじ込んできた。そうしてそのまま、横薙ぎに剣を振るおうとしてくる。この瞬間を、わたしは待っていた。
「顕現魔術……防護盾!」
今度は完全に無詠唱。はたして本当に顕現させられるのか、まったくの賭けだった。けれど一瞬の閃光とともに、確かに見知ったものが目の前に現れた。機動隊仕様のポリカーボネイト製の大盾。ご丁寧に、警視庁のマークとロゴ入りだった。
「……っ!」
さすがにこれにはオハラも戸惑ったようだった。横薙ぎの斬撃はその振りはじめに盾で弾かれ、その反動で大きく後ろによろける。達人というものは相手をとらえる瞬間こそ剣を強く握りしめるが、それ以外のときは常に緩く持っているものだった。だから予期せぬタイミングで斬撃を阻まれると、つい剣を取り落としてしまうことさえある。このときのオハラもさすがに剣を手放しはしなかったが、大きく姿勢を崩してすぐには二の太刀を放てそうにはなかった。
これがおそらく、唯一無二のチャンス。わたしは警棒を順手に握り直し、即座に盾の魔術を解除した。防護盾はいつものように黒い霧となって視界を遮り、それがかき消える前に乾坤一擲の突きを放つ。
驚いたことに、ここまでやってもオハラは反応してきた。わたしの動作を黒い霧越しにも見て取り、大きく上体を反らして間合いを外そうとする。だが彼は知らない。この警棒は、近距離で取り回すためにまだ一段階しか引き出していない。だからこうして強く突き出せば、もう一段、およそ二十五センチほど―――
「……伸びるっ!」
次の瞬間、時が止まった。わたしも息を詰めたまま、それ以上動くことはできなかった。周囲の隊員たちもみな何を見たのかも理解できないように、ただ茫然と立ち尽くしていた。そしてわたしの手にした警棒の、完全に伸び切ったその先端が、無精髭の浮いたオハラの顎先にわずかに触れているのがわかった。
「しょ……しょっ、勝負ありっ!」
我に返った審判役のその声を聞いて、わたしはその場に膝をついた。安堵とともに、全身からどっと汗が噴き出してくる。どうやらまだ息が続くと思っていたのは錯覚で、わたしはとっくに限界を超えていたらしかった。あるいは無詠唱で魔術を使ったために、また魔力切れでも起こしたか。足にも手にも力が入らず。そのまま芝生の上に突っ伏してしまった。
「お嬢さま!」
ずっとわたしの立合いを見守ってくれていたマリーが、そう叫んで駆け寄ってくるのがわかった。しかしその足音が辿り着くより前に、わたしの身体は太い腕に抱き上げられた。目を開けると、険の取れたオハラの顔が間近にあった。
「まんまとしてやられましたよ。お見事でした」
そんな褒められた戦いじゃなかった。オハラにとっては初見の武器で、その上ハメ技にハメ技を重ねてようやく一本かすめ取ったようなものだ。おそらく二度は通じまい。いつかは剣だけで、この人といい勝負できるくらいにならないと。
そうは思ったけど、今は口を開くのもひと苦労だった。だからやっとのことで、「ご褒美は……この次に」とだけ伝える。
「わかりました。何をお願いされるのかはわかりませんが、覚悟しておきましょう」
低くひび割れたその声が、妙に心地よく耳に響く。わたしがこのていたらくでは、このあと捜査会議を開くというわけにもいかないだろうな。そんなことを思いながらも、わたしはまた目を閉じた。