18
十分ほどの休憩ののち、訓練も再開となった。いよいよ本格的な立ち合いだ。
「それではお嬢さま、準備はよろしいですか?」
「ええ。いつでもいいわよ」
わたしはそう答えて、貸してくれた木剣を手に立ち上がった。彼らが来る前に、軽いランニングとストレッチで身体はほぐしてあった。いつでも準備はできている。
「それではまず、お嬢さまの力量を確かめさせていただきます。ユリアン、お相手しろ」
「はいっ!」と緊張した声で返事をし、ビトーが立ち上がった。まずは小手調べに、この中でもいちばん若い彼の相手をしろということだろう。
そうしてわたしは前に出て、ビトーと相対した。この広い中庭でなら同時に何組かで仕合えそうなものを、全員が集まってわたしたちを注視していた。緊張はなかったが、少し気恥ずかしい。
「お嬢さまはお好きに打ち込んで下さって結構です。ユリアン、お前は寸止めだ。いいな?」
「わたしにも打ち込んでくれても構わないわよ。稽古をお願いしているのはわたしのほうなのだし」
「お嬢さまは構われなくとも、万一お怪我をされたとき、飛ぶのは私の首なので」
オハラはそう苦笑したあとで、「まあ、お嬢さまであればそのようなことはないかと思われますが」とひとり言のように続けた。わたしのことを見下しての皮肉やおべっかでもないようだったが。
審判役には、いくらか年嵩の隊員が立った。そうして高く手を挙げ、「両者剣捧げ!」といい声で言う。ユリアンは胸の前に垂直に剣を立て、目を閉じた。これが彼らの礼なのだろう。わたしも見よう見まねでそれに倣う。
「では寸止め一本勝負、始めっ!」
号令とともに目を開き、剣を構えた。まっすぐ相手に正対し、構えは正眼中段。摺り足で一歩進み、ユリアンの出方を待つ。わたしの剣の基本は後の先。相手を出方を見た上で、その先を取る。
初めて道場に行ったのは、確か中学二年のときだったと思う。わたしはその頃から警察官を志していたので、武道の段位を持っていると採用に有利だと聞き、剣道を修めることにしたのだった。しかし高校に入るころには、剣の奥深さにすっかり魅了されていた。警察に入ってからも出来る限り時間を作って剣を振り、月に一、二度は師範代の道場を訪ねてもいた。
やはり剣はいいな。久しぶりにそう感じた。もちろん、いつもの道場とはだいぶ趣も違う。下は芝生だし防具もないし、自分の腕のリーチも以前より短い。でもこうして互いに剣を持って向かい合う緊張感は、やっぱり同じものだった。
ほう、とオハラが興味深げに声を漏らすのが聞こえた。おそらく今のわたしのように、相手に正対する構えはこの世界では珍しいのだろう。対するビトーは上体を斜にし、片足を大きく前に出してくる構えだ。なるほどそのほうが振り下ろしに力を籠められるのだろうが、同時に死角も生んでしまう。数人でその死角をカバーし合う集団戦ならそれもありなのだろうが、一対一の立ち合いには向いていないと思われた。
それに、少し力み過ぎだ。年下の女の子相手に無様な立ち合いはできないと気負っているのかもしれない。しかし下手に動けば死角に回り込まれるということもわかっているのだろう。じりじりと横に動きながらも、なかなか初太刀を打ち込めずにいる。
数秒のせめぎ合いで、彼の剣はだいたい把握できた。よく鍛えているし膂力もある。技術も磨かれているのは日頃の立ち振る舞いなどを見てわかっている。けれど力みからか、持っているものをほとんど発揮できていない。歩様もばらついているし、目の動きで何を狙っているかも丸わかりだ。
しかしそうしたメンタル的なものまで含めてが実力なのである。できれば本来の彼と立ち合ってみたかったし、あまり恥をかかせるようなことはしたくなかったが、そこは仕方ない。とにかくオハラ隊長に仕合ってもらうためには、ここで手加減もできなかった。
「何してる、ユリアン!」「睨み合ってるだけじゃ稽古にならねぇぞ!」
隊員たちから声が飛んでくる。それに押されて、そろそろ攻撃に出てくるだろうと察した。ならば、とわたしは剣先を前後に揺らして誘いをかける。おそらくこちらの剣先にのみ集中している彼は、わたしとの間合いを読み違えるだろう。
そうして頃合いを見て、剣を大きく上段に振りかぶった。それを隙と見たか、ビトーは「はあっ!」という気合いとともに、渾身の力で剣を振り下ろしてくる。寸止めの約束もすっかり忘れたようなその斬撃は、確かにまともに受けたら剣ごとへし折られていたかもしれない威力がこもっていたが、いかんせん遠かった。どうやらこちらの狙い通り、彼に間合いを錯覚させることはできたのだろう。
わたしはその斬撃を鼻先数ミリで見切って躱すと、足元の芝を蹴って一気に間を詰めた。そうして上段の構えからまっすぐに面を振り下ろす。ただし剣先は彼の頭蓋の手前、跳ね上がった髪にわずかに触れるほどの距離で止めた。
「勝負あり!」
審判役の隊員の声が響き、ビトーがその場に崩れ落ちるように膝をつく。どうやら彼もひどく緊張していたようで、さしたる運動でもなかったのに大汗をかいていた。どうやら今の立ち合い、彼も本気で受けてくれたようだ。公爵令嬢であるわたしに気兼ねして、花をもたせてくれたわけでもなく。
見ていた隊員たちも、一様に驚いた表情をしていた。その中にあってオハラひとりが、まあこんなもんだろと言わんばかりに平然としている。
「大丈夫、ユリアン?」
と、わたしはビトーに手を差し伸べた。彼のプライドを傷付けてしまわなかったかと今更ながらに不安を覚えながら。けれど彼は汗だくの顔を屈託なくほころばせて、「いやあ、参りました」と答える。
「隊長からもお嬢さまは強いって聞いていたんですが、予想以上でした。まるで隙がなくて焦りました」
オハラ隊長がそんなことを。わたしが驚いて彼のほうを見ると、なぜだか気まずそうに目をそらしてしまう。
「まあ、そういうのは何となくわかるもんですよ。日頃の足運びや立ち振る舞いなどで」
そういうものなのだろうか。しかしそれがわかるのも、オハラが剣の達人だからでもあるのだろう。ますます、彼と剣を交えてみたくなった。
「ところでお嬢さまのその剣技は、東方のものではないですか?」
オハラは話題を変えて、そう訪ねてきた。どうやらこの世界にも、わたしが修めた日本の剣道と似た技があるらしい。
「東方というと、帝国の剣技ということ?」
「いえ、帝国のさらに東の海に小さな島国があり、大陸とはまるで違う文化を持っていると聞きます。その国の騎士たちが使う剣技と似ているように感じられたのですが、違いましたかな」
「オハラ隊長は、実際にその剣技を見たことは?」
「何度かは。といっても、もうずいぶんと昔のことですが。戦争中は、王国にもその島国から来たという傭兵がちらほらおりましたので」
東方の島国。書庫の書物にも、そんな記述は見当たらなかった。おそらくこの王国では、そんな島は存在すらほとんど知られていないのだろう。
「もしや公爵家には、東方から来た指南役でもいらっしゃるので?」
「いえ、わたしはただ書物で読んで、理に適っているなと取り入れただけで」
「そうですか、それは残念。もしもそのような方がいらっしゃるのなら、一度お会いして話を伺いたいと思ったまで」
この調査隊隊長は、今でも剣については貪欲らしい。そうした驕りのない姿勢には好感が持て、適当な嘘で誤魔化すことにちくりと罪悪感も覚える。
けれどそれはそれ、帝国のさらに東方にあるという島国のことは心に留めておく。もしもその国が日本とよく似ているのなら、あるいは元の世界に戻るための鍵もそこにあるのかもしれない。