15
「わかりました。話を戻しましょう」
わたしは追及を切り上げ、再び兄に向き直った。
「何者かがこの領内に魔導師を送り込み、アルカロンという付与術を蔓延させようとしている。それは理解しました。ではそれはいったい誰か。そして目的は何か。お兄さまがたは見当をつけていらっしゃるのですか?」
「そうだな。お前はどう思う?」
そう問われて、しばし口を噤んだ。これは言うべきか言わざるべきか。ことがことだけに、まだ推論の段階で軽々しく口にするべきではない。けれど。
「城門の衛兵たちの目を盗んで、この領内へ人を潜入させる方法に、ひとつ思い当たるものがあります」
意を決して、わたしは再び口を開いた。何となくではあるが、兄たちもすでにこの推論には辿り着いているのではないかという気がしたのだ。
「騎士団特別行李です」
案の定、兄たちの顔に驚きは浮かばなかった。ウォレンだけが、やるじゃないかと言わんばかりに短く口笛を鳴らしただけだった。
「なるほど、お前たちもそこまで突き止めていたか、ビビ」
そう言って、兄アルフォンスはどこか満足げに頷いた。
「おそらくはその通りだ。魔導師たちは、騎士団特別行李を使って領内に送り込まれている」
「でもわたしはあくまで、ルヴァン商会の事件の犯人がそうやって倉庫に侵入した可能性を検討していただけです」
そう答えて、わたしはウォレンをちらと見た。あの事件についても、この男には聞きたいことがある。けれどそれはあと回しでいい。
「まさかその手口が以前より繰り返されていて、多くのヤミ魔導師が送り込まれていたなんて考えてもいませんでした。ですがお兄さま」
「何だい、ビビ?」
「それでは多くのヤミ魔導師の潜入、そしてアルカロンの蔓延にはルヴァン商会、そして騎士団が関わっているということになりませんか?」
そんなわたしの問いにも兄は動揺することなく、「……そうなるね」と静かに頷いた。それも、先刻承知というわけだ。
「そんな……いったい、この街で何が起こっているんですか。彼らは何の目的でそんなことを?」
そう問いかけたわたしに、先に口を開いたのはウォレンだった。
「お嬢さまは、今ボールドウィン領がどうなっているかはご存知ですかい?」
ボールドウィン領。確かここから街道を進んで数十キロ先にある城壁都市だと聞いている。人口だけで言えば、このグレインディール領よりも大きな都市だとか。それと先日モルガン商会に押し入った賊の背後にいる、フィールズ一家の拠点でもある。
「もちろん行ったことはないけれど、名前くらいは聞いたことがあるわ。そのボールドウィン領がどうしたの?」
「あそこは今酷いもんでな。街中をフィールズんとこのゴロツキが平気で暴れ回り、アルカロンのスクロールが白昼堂々売り買いされてる。街の治安は最悪だが、騎士団も見て見ぬ振りだ。そんな中で一部の商会だけがやけに羽振りがよく、生活必需品の値を吊り上げて領民から搾り取るわ、街道で勝手に通行税を取るわでやりたい放題やってる」
それではもはや無法地帯だ。いったいどうしてそんなことになっている。
「何のことはねぇ、騎士団と商会とフィールズがべったりとくっついてやがるのさ。何もしねぇで放っといたら、ここもいずれそうなる」
「ボールドウィン伯爵はいったい何をしているの。まさか伯爵まで、そんなことに加担しているわけじゃないわよね?」
ボールドウィン領の主であるアレクシス・ボールドウィン伯爵は、経済に明るく一代で領地を現在の規模にまで発展させた英明な人物という評判だった。神殿にも多額の寄進をし、伯爵でありながら王宮にも強い影響力を持っているとのことだ。そんな伯爵が、自分の領地が荒れ果てているのを見過ごすはずもない。
「伯爵サマはもう長いこと、屋敷の外に姿を見せないらしい。表向きは病気の療養中とされているが、その実は重度のアルカロン中毒だ。常に幻覚と幻聴に悩まされ、まともに政務につくことも望めないらしい。自分から手を出したのか盛られたのかは知らないがな」
「おそらくは後者だろう」兄は間を置かず、妙に確信めいた声音で言った。「まあこの場合、『盛る』という表現はどうかと思うがね」
どうしてそうも断言できるのか。疑問に思って目を向けると、彼は困ったように苦笑して続けた。
「彼らはここでも同じことをしようとしているからさ。今も外からこの本邸に向けて、アルカロンの術式を放ち続けてる。魔導師は全部で四人……いや、五人かな。これだけの距離があるのに、たいした腕だとは思うけどね」
わたしは驚いて、思わず小窓の外に目をやった。しかしそこにはただ夜の暗闇があるだけで、当然何も見えない。
「安心していいよ、ビビ。もしも危険があるなら、そんなところにお前を呼び出すはずがないだろう?」
兄の口調は相変わらず落ち着いたものだった。今自分が狙われている真っ最中だと言いながら。
「どういうことでしょうか、お兄さま」
「おいおい、代理どのは、自分の妹にすら秘密主義ということかい?」
からかうような口調に、少しは理解した。おそらくは、兄のグレインディール公爵家の一員としての力のおかげなのだろう。
「お嬢さまよ、あんたの兄貴は王国でも随一の結界術師だ。いまこの本邸はすっぽり対魔結界に覆われてる。これを破れる術師はおそらく王国中探しても見つからねぇよ」
「別に隠していたわけじゃない。ただこういう状況で、ビビにはなかなか会うこともできなかったからね。説明する機会もなかっただけだ」
確かこの身体の本来の持ち主であるヴァイオレット嬢は、ごく最近まで自分が魔術に覚醒しないことを気に病んでいたのは聞いている。それではなかなか、家族も魔術の話はしづらかっただろう。説明がなかったのも仕方ないことだ。
「じゃあさっき言っていた、羊皮紙を検知する結界を領内に張り巡らせたというのもお兄さまが?」
「術式を組み上げたのはみんなの協力でだよ。私はただ、それを詠唱しただけだ」
それだって十分凄いものだった。さすがは魔導師一族の後継者と言うしかない。
「私なんてまだまだだよ。何しろ、これしかできないからね。父上のように系統の違う魔術をいくつも行使できるようにならないと、グレインディールの家を継ぐ資格などないんじゃないかって思ってる」
「謙遜も過ぎれば嫌味だぜ、代理どのよ」と、ウォレンは皮肉めいた口調で言った。「おまけにその妹はかの城塞公以来の顕現術師ときた。俺たち悪党からすりゃあ悪夢だね。どこまで守りを固めるつもりだっての」
「そうだった。そのうちビビの魔術も見せてもらいたいものだね。系統は違えど、力になれることもあるだろうし……」
いやいや、わたしの顕現魔術なんてまだまだヒヨッコもいいとこだ。とてもじゃないけどお披露目できるようなものじゃない。それよりなにより、まだ肝心のことを説明してもらってない。
「ともかく、状況はわかりました。それでわたしがここに呼ばれた理由は何なのでしょうか。こんな事態に際して、わたしごときでできることなどないように思うのですが」
兄は「ああ、そうだったね……」と表情を引き締めて、また話を戻した。
「このような事態を鑑みて、独自の武力を持たない我が公爵家は、ウォレン氏と秘密裏に協力関係を結ぶこととなった。しかし騎士団の目はこの公爵家の内部にも光っていて、このような会合をたびたび持つことも難しいと思われる。ついてはビビ……いや、ヴァイオレット。お前には、ウォレン氏との連絡役を頼みたい」
「連絡役……というと、具体的にはどのようなことを?」
「実際の連絡役は、後日ウォレン氏のところから派遣してもらうことになっている。その者をお前につける。あとはその都度、適切に判断してほしい」
つまり男だか女だかはわからないその連絡役を、騎士団から派遣されている衛兵たちに気付かれぬよう偽装して、その上でできる限り行動の自由を与えてやれということか。まあいったいどのような人物が送り込まれてくるのか次第だが、マリーの協力を仰げばどうにかなるだろう。
「できるか?」
「それが公爵家の者の務めなのであれば。ですがその前に、マーカスさまにお尋ねしたいことがあります」
わたしはそう言って、ウォレンに目を向けた。どうやらこのならず者の頭目も、わたしが何を訊きたがっているのかは察しがついているようだった。
「ルヴァン商会の事件。あれは、本当にあなたのところの人がやったのですか?」