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捜索×令嬢  作者: 神木 有
転生したら公爵令嬢でしたが、元刑事なので殺人現場に乗り込みます!
18/26

13

 帰りしなに本部でオハラ隊長を探してみたが、調査隊の皆は出払っていて誰にも会えなかった。おそらくは今も騎士団上層部の目を誤魔化しながら、ルヴァン商会事件を探っているのだろう。もしかしたらすでに街を出て、ウォレン兄弟(ブラザース)の拠点にも探りを入れているのかもしれない。

 仕方なくそのままマリーとともに屋敷に戻った。部屋に入ってひとりになると、ビトーから受け取った木剣をまた手に取ってみる。

 やはり材質のためか見た目よりも重さがあった。けれど振れないほどではない。柄には獣の鞣し革が巻かれていて、しっとりと掌に馴染んだ。刀身は両刃の直刀を模した形をしていて、先に向かってわずかに刃が広がっている。とはいえその幅はせいぜい三センチほどで、斬ることよりも突くことに特化した剣というイメージだった。

 試しにその剣を上段に構え、振り下ろしてみる。やはりいい剣だった。重心がちょうど振りやすい位置に設えられているためか、軽く振ったつもりなのに鋭い風切り音を立てて刀身が走ってゆく。まるで剣に振らされているかのような感覚。以前師範に秘蔵の銘刀を振らせてもらったことがあるが、そのときの手応えにも似ていた。

 そして刀身の長さも今のわたしの身体に合わせて、長すぎず短すぎず。オハラ隊長が相当吟味して選んでくれたのだろう。これは、真面目に鍛錬しなければバチが当たるな、と気を引き締める。無論剣を教わったからといって自分から荒事に突っ込んで行くつもりはないが、万一のときに最低でも自分の身を守れるようにはなっておきたい。それと単純に、この世界の剣術に興味もあった。

「お嬢さま」

 と、声がして振り返ると、いつの間に入ってきていたのかマリーがそこに立っていた。

「いつからそこにいたの?」

「今来たばかりです。ノックもしましたがお気付きになられなかったようでしたので」

 そんなに夢中になっていた覚えはなかったが。でもノックなんて本当にしたのかという問いは飲み込んで、木剣を元の麻袋に収めた。

「わたしが剣なんて学ぼうとするの、マリーは反対?」

「いえ、平和な時代とはいえ、剣術は貴族が修めておくべき技術には変わりありませんので」

 そういうものなのか。しかしこれまで色々教師をつけられてきたが、剣や体術に関する授業はなかった。

「しかし魔導師の家系のこの公爵家には、良い師範となる者がいなかったのも事実。その点オハラさまであれば申し分ないことでしょう」

「あなたはどうなの、マリー?」

 わたしは麻袋に包まれたままの木剣を、彼女に向けて尋ねる。

「あなたもそれなりに腕に覚えがあるんじゃないかって睨んでるんだけど。それを差し置いて隊長に教えを請おうなんて面白くないんじゃない?」

 マリーは眉尻をぴくりと動かしたが、それ以上の表情の変化は見せなかった。けれどややあって、口元をやわらげて答える。

「まあ、田舎育ちですのでいくらかは。ですがまったくの自己流ですので、お嬢さまにお教えできるようなものではありません」

 はたしてその「いくらか」がどのくらいのものかはわからないが、隙のない身のこなしから決して嘘ではないことはわかる。ただまあ、彼女が反対でないのならそれでいい。

「気を悪くさせたのでないならいいわ。それで、何の用なの。夕食にはまだ早いと思うけど」

「そうでした。アルフォンスさまよりご伝言を賜ってまいりました。今夜十一時、本邸の私室まで来るようにと」

「アルフォンスお兄さまが?」

 アルフォンス・ディ・グレインディール。現在王都で執務しているグレインディール公爵に代わるこの屋敷の実質的な主であり、わたしの身体の本来の持ち主であるヴァイオレット嬢の兄でもある。しかしこれまでこの広い屋敷の中で顔を合わせたこともなく、もしかして不仲なのかと気を揉んでもいたところだった。

「それに本邸の……応接室でなく、私室に。その上夜十一時って何よ?」

「夜十一時ということは、言い換えれば二十三時ということですね」

「わざわざ言い換えなくたってわかってるわよ。そんな時間に妹を自室に呼び寄せる兄貴がいるのかって話。そんなんまるで密談じゃない」

「そう……なのでしょうね。誰の目があるかわからないこの屋敷で、人目につかぬようお嬢さまと話をするにはその時刻しかなかったのでしょう」

 兄と妹が家の中で会うだけで、どうしてそこまでしなきゃいけないのかがわからない。お貴族さまというのはそういうものなのか。

「その理由もおそらくは、お会いすれば分かることでしょう。今宵は遅くまで起きていることになりますので、お嬢さまも今のうちはお身体を休ませください。魔術の講師の方々には、今日はお休みと伝えておきますので」

 確かにこの身体になってからは、夜も九時を過ぎれば眠くて仕方なくなる。ただでさえこの世界は日が暮れれば明かりも少なく、やることもないので早く寝るしかない。夜の十一時に行動しろというのは、なかなかに難儀なことだった。前の世界では夜通しで張り込みしたり捜査資料を徹夜で読み込んだりもしていたことを思うと、この身体もまだまだ軟弱だなと思う。

「わかったわ。今日はそうする」

 素直にそう答えると、マリーは安堵したように頷いた。



 その後は言われた通り部屋で身体を休めながら、書庫から持ち出した本に目を通して過ごした。主にこのグレインディール領の歴史、そして公爵家のことについて。もちろんそれはこの世界に来て最初に調べたことなのだけど、あらためてもう一度見直してみようと思ったのだ。

 そうしようと思った理由は言うまでもなく、今夜の兄との顔合わせのためだ。下手にボロを出して、この身体の中身が妹ではないとバレないようにしないといけない。確かにこの兄妹はそれほど親密ではないようだが、どんなことからボロが出るかはわからない。せめて、公爵令嬢ヴァイオレットなら当然知っているはずのことは全部頭に入れておく必要はあった。

 とはいえそんな付け焼き刃で不安が解消するはずもなく、気が重いまま夜も更けていった。そうしてドアがノックされ、マリーが迎えにやってきた。

「お時間でございます。準備はよろしいでしょうか、お嬢さま」

「準備と言っても、ねえ……」

 別にそれほど気合入れた服装は要らないし、いつも魔術を習いに行くときと同じでいいだろう。あと必要なのは心の準備だけだった。それは正直、整いそうにない。かといってばっくれるわけにもいかなそうだった。

 そうして、マリーに連れられて本邸へと向かった。しかし彼女の案内する道は、わざわざ中庭を迂回する遠回りの経路だった。おそらくそれはわざとで、こんな深夜であれ万が一にも人目につかないよう句を配っているのだろう。つまり兄とやらは本当にわたしに会うことを知られたくないんだなとあらためて思った。

 そして同時に、それはこの屋敷の中にそのことを知られたら都合の悪い人間がいるということも意味している。間諜、密偵、スパイ。まあお貴族さまの屋敷ともなれば、そういう人もいるでしょうよ。

「いったい兄さまはわたしに何の用があるの。マリーは聞いてるんでしょう?」

「いえ。ご用件までは聞かされておりません」

 はたしてそれは本当か。このメイドの『ヴァイオレットお嬢さま』への忠誠は疑っていないが、それはそれとして彼女はどうにも得体の知れないところがある。

「怒られるんでなければいいけれど」

 身に覚えは色々あるだけに。確かにこの世界に来てからというもの、わたしは好きに振舞いすぎている。

「そのようなことは決して。アルフォンスさまがお嬢さまを叱責するところなど、私は今まで一度も見たことがありません」

「そうなの。でもわたしって、兄さまにはあまり好かれてないんじゃなくて?」

「どうしてそのようなことを思われるのです?」

 わたしの言葉に、マリーは心底意外そうに驚いてみせた。

「だってもう長いこと顔も見てないのよ。それでようやく会うとなると、こんな密会みたいな形で。よっぽど、わたしと会うことを人に知られたくないみたいじゃない」

「アルフォンスさまは多忙にされていますから」

 マリーは足を止めて、わたしの顔をまじまじと見た。そして、ひどく真剣な声で続ける。

「けれどあの方は、いつでもお嬢さまのことを思っていらっしゃいます。お嬢さまの幸せを願っていらっしゃいます。それだけはどうか、お忘れないように」

 その声音に気圧されて、わたしはただ「……はい」と頷くしかなかった。



 ずいぶんと遠回りして、細い通路をぐるぐると回った末、ようやく本邸に入った。そして二階に上がると、正面に最近はほとんど使われていない、公爵さまの執務室があるとのことだった。そして右手に曲がると、そこが長兄アルフォンスの執務室。隣接したさらに奥が、彼の私室だった。

「では、私はここでお待ちしております」

 マリーは足を止めて、そう頭を下げた。どうやらもし怒られるのだとしても、彼女は一緒にいてくれないらしい。わたしはふうっと長い息を吐いて、覚悟を決めた。逃げるわけにもいかないなら、行くしかない。それに考えてみれば、相手はわたしの本当の兄というわけでもないのだ。だったら別に恐れる必要もない。

「ヴァイオレットです。入ります」

 両開きのドアをノックして、部屋の中に声をかけた。すると中から、「遠慮することはない。入りなさい」と声が返ってくる。穏やかな声だった。どうやら本当に怒られることはないようだ。

 ドアを開けて中に入ると、まず目に入ったのは正面奥にある大きな暖炉だった。まだ寒くない今の時期では火は入れられていないが、せいぜい十二畳程度の部屋にはちょっと大げさなくらいのものだった。

 そしてその前の安楽椅子に腰掛けた若い男性。彼が兄のアルフォンスだろう。年齢は二十一と聞いていたが、見た目はそれよりも少し上に見える。やはり実質的な当主ともなれば、気苦労も多いのだろう。

 今のわたしと同じ金髪碧眼で、相貌も整ったいわゆるイケメンである。ただどこか印象に残りにくい、影の薄さみたいなものも感じさせた。

「同じ屋敷に住んでいるはずなのに、ずいぶんと久しぶりだね、ビビ。少し背が伸びたかい?」

「それはわたしだって成長しますわ、お兄さま」と、わたしも精一杯貴族の令嬢を装って挨拶する。「お久しぶりです。お兄さまこそ、ご健勝なようで何よりです」

「見ての通り、ひとまずは無事さ。でもまだしばらくは、父上も戻れそうにない。お前ともこんな風にしか会うことができないが、我慢しておくれ」

 その物言いからして、彼が今までわたしの前に姿を現さなかったのは、公爵の代理として執務している関係でやむを得ずなのか。もしかしたら暗殺なども警戒しているのかもしれない。何にせよ、兄妹仲が悪いのでなければヴァイオレット嬢にとってもよかった。

「いいえ、お兄さまのご苦労は重々理解しております。どうぞわたしのことはお気遣いなく」

「そう言ってくれると助かるよ」

 アルフォンスはそう答えて、弱々しく笑った。どうやら多忙であることは事実らしい。相当に疲れていると見える。

 ただそうした影の薄さの原因は、この部屋にいるもうひとりの圧倒的な存在感のためでもあった。暖炉を挟んで兄の反対側に座り、こちらを値踏みするかような視線を向けてくる男。

 年齢は四十代半ばといったところだろうか。体格はそれほどの巨躯ではないが、身に纏った殺気と闘気がその体をより大きく見せている。そして耳の後ろから鼻の下にかけて、頬を横断するように浮き出た古い傷痕。それが、この男の素性を雄弁に物語っていた。とても代理当主の私室にいるにふさわしい人物ではない。

「それでお兄さま、こちらのご客人はどなたさまでしょうか」

「ああ、そうだったね。お前が彼のことを知っているはずもない」

 そうして兄は客を紹介しようとするが、男はそれを「いや。いい、代理どの」と制した。

「名乗りぐらいは自分で入れる。だがこちらのお嬢さまは、とうに俺が誰だかわかっているようだが」

「ええ、そうですね」わたしは答える。「公爵邸へようこそおいでくださいました、マーカス・ウォレンさま」

 街外れに拠を定め、二百を超えるならず者を従える「ウォレン兄弟(ブラザース)」頭目、マーカス・ウォレン。その男がなぜ、こんなところにいるのかはわからなかった。言ってみれば、市長や県知事が地元のヤクザの組長と親しく卓を囲んでいるようなものだ。まあわたしの前いた世界でも、そんなの別に珍しいことではなかったのだが。

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