12
彼らが帰ってから小一時間ほど経って、再び来客があった。と思ったら、先ほどまで一緒にいたはずのビトーだった。他に同行者はいない。何か忘れ物でもしたのだろうかと思ったが、逆に手土産持参だった。
「どうしたの。隊長さんから何か伝言でも?」
「そうですね。オハラ隊長が、お嬢さまにこれをお届けするようにと」
彼は少年のようにあどけない顔を満面綻ばせながら、麻袋に包まれた棒のようなものを差し出してきた。受け取って口を解くと、中にあったのは一本の木剣だった。細身ではあるがずしりと重く、けれど重心のせいか不思議とスムーズに振れる。
「隊長さんが、これをわたしにって?」
「はい。お嬢さまの体格にはこれがちょうどいいだろうと。それで素振りをして備えてくださいとのことです」
あまり乗り気ではなさそうだったけれど、やるとなったら本気でやるということなのだろう。こうしてわたしのためにぴったりの木剣まで見繕ってくれるのだから、何とも親切なことだ。
「ありがとう。あなたもね、ユリアン。わざわざ届けに来てくれて」
「いえ、そんな……俺なんかに、もったいないことです」
「そんなに畏まらないで。そういうの好きじゃないの」
そう言ってみても、彼は背筋を伸ばして直立したままだった。まあ騎士団にもまだ入隊したばかりの歳だろうし、恐縮するのも仕方ない。
「ともかく、せっかく来てもらっておもてなしもせずに帰らせるわけにもいかないわ。こちらへ来て、お茶でもどうぞ」
そう言って中庭の四阿に招いたが、彼は慌てて首を振るだけだった。
「いえ、そんなお構いなく……俺はすぐに隊へ戻らないといけないので」
「いいからいらっしゃい。隊長さんには、後でわたしから言ってあげるから。ちょうどいいから聞きたいこともあったのよ」
「聞きたいこと……ですか?」
「ええ。おたくの隊長さんに聞いても、多分はぐらかされてしまうだろうから」
そこまで言ってようやく、ビトーは四阿のベンチにおそるおそる腰を下ろした。けれどわたしがお茶を用意させるためにメイドを呼ぼうとすると、それは固辞してくる。まああまり無理強いするものでもないか。
「聞きたいことというのは、他でもないわ。おたくの隊長さんと、騎士団調査隊に何があったの?」
「隊長と、調査隊に……ですか?」
「だって、いきなり態度が変わりすぎでしょう。ついこないだまではルヴァン商会の事件は終わったこととしてたのに、急にこんなに乗り気になって」
もちろんあの隊長も、内心ではこの事件の真相を明らかにしたいと思っているだろうことはわかっていた。それでも表向きは、終わったこととしなければならなかったはずだ。だからワッツひとりに調査を続けさせたりしていた。
「それに、モーガン商会の事件のほうはもういいの。確かまだ、首謀者のなんとかってやつが捕まってなかったんでしょう?」
「ええ、まあ……もちろんそちらの捜査も継続中ですが……」
ビトーはそう言葉を濁して目をそらした。明らかに不審な態度である。
「何があったの」
「いや、何と言われましても……お嬢さまにお伝えするようなことは何も」
「言いなさい、ユリアン」
わたしはそんな彼の目を覗き込みながら、さらにそう問い詰めた。
その建物は屯所の広い敷地のもっとも西側、木立に囲まれた静かな一角に建っていた。石造りの二階建てだが本部ほど無骨な印象はなく、周りの環境も相俟ってどこか別荘めいた雰囲気だ。
両開きの大きな扉を開けると、そこはもうすぐに病室だった。中は意外に広く、がらんとした素通しの大広間の両側に二十床ほどのベッドがずらりと並んでいる。とはいえ今は、そのほとんどは使われていないようだった。
「えっ……ヴァイオレットお嬢さま?」
驚いたような、困惑したような声が聞こえた。そのほとんど無人の病室の中、唯一使われている右奥のベッドで、慌てて跳ね起きる人影があった。
「よかった、思ったよりも元気そうね。ワッツ魔検士」
「いやっ、何で……隊長はお嬢さまには知らせないようにと……」
「ユリアンに聞いたのよ。怒らないであげてね、わたしが無理やり聞き出したようなものだから」
ベッドサイドに小さなスツールがあったので、腰を下ろす。ほとんどただの木箱みたいな粗末なものだったが、今のわたしの体でも足が浮かないで済むのでありがたかった。マリーもわたしの隣に立ち、持ってきた果物入りのバスケットを窓際に置く。
「えっと、これは……」
「もちろんお見舞いよ。入院のお見舞いといえば、果物と決まってるでしょう?」
「はあ、公爵家ではそうなのですか。知りませんでした」
まあそれも、わたしの元いた世界の風習ではある。こちらの世界ではどうなのだろうと、ベッドの下に目をやった。そこにはずらりと酒瓶が並んでいる。
「もしかして、これが騎士団のならわしだったり?」
「ええ、まあ、そんな感じで……」
いや怪我人に酒の差し入れってどうなの。それともそうやって豪放磊落を決め込むのが格好良いとでも思ってるのか。ほんと男って馬鹿だ。
「ともあれ災難だったわね。聞いてびっくりしたわよ」
「お恥ずかしい限りです。ですが見ての通り怪我も大したことはないので、どうかご心配なく」
その言葉に嘘はなさそうだ。聞けば全身を強く打って意識を失ったが、あばらを数本折っただけで済んだとのことだ。その傷も治癒術で回復し、念のため数日様子を見れば現場に復帰できるらしい。
「それで。襲われたって聞いたけど、実際はどういうことなの。わたしもまだ、詳しいことまでは聞かされてないんだけど」
「それが正直、俺にもまだよくわからないんですよ」
そうしてワッツは、そのときのことを話しはじめた。それはルヴァン倉庫の裏で、わたしと会った日の夜のことだったという。調査を終えて屯所近くにある飲み屋に入り、軽く一杯引っ掛けて店を出たとき、三人組の酔った男たちに絡まれたのだとか。
「そんな、どこの誰ともわからないちんぴらにやられたの?」
「まさか。これでも騎士団の端くれですよ。そこいらの三下に遅れはとりません」
おや勇ましいこと。けれど無理してイキってる様子もなく、実際それなりに腕に覚えはあるのだろう。
かといって騎士団員が一般市民に手を出すわけにもいかず、ちょっかいをかけてくる相手をあしらっていたら、いきなり背後から何らかの攻撃を受けたとのことだ。
「おそらくは魔術……かなり強力な魔術だったことは間違いありません。しかし、私が覚えているのはそこまでで」
その一撃で意識を失い、気が付けばここで寝ていたというわけか。騎士団の同僚たちの話によれば、彼に絡んでいた酔っ払いたちもその場に倒れており、街の療養所に運ばれたらしい。幸いそちらもさほど深刻な状態ではないとのことだ。
「魔術って、いったいどんな……」
「わかりません。ただ火傷も凍傷もありませんでしたので、炎や氷系統のものではないと思います。おそらくは風系統の魔術で吹き飛ばされたのかと」
「なんか、いまいちあやふやな話ね」
「現場で魔紋を解析させてもらえれば、もう少し詳しくわかるはずです。過去のデータと照合すれば、おそらく行使者を特定することもできるでしょうし……」
とはいえ彼はまだ目を覚ましたばかりで、勝手に出歩かせることもできないようだった。どうやら魔紋の採取には特殊な技術が必要らしく、今それができるのはグレインディールで彼ひとりだ。犯人はその彼を亡き者にすれば、街中で魔術を使ったこともバレないとでも思ったのだろうか。
「襲われる心当たりは……って、聞くまでもないのかな」
「ええ、まあ。それ以外には思い当たることはなくて。そんなに目立つ行動をとった覚えもありませんし、実際収穫もろくになかったんですが、それでもどこかで見られてたんですかね」
わたしと別れたあともワッツは、ルヴァン商会周辺の調査は続けていたのだろう。とはいえ専門の調査員ではない彼が、独力で出来ることなどたかが知れている。その夜飲み屋に立ち寄ったのも、うまくいかない不甲斐なさを晴らしたかったからかもしれない。
けれど、そんな彼の行動も誰かに見られていたのか。彼が標的であったのならば、やはりその行動がよほど目障りだったということだ。
「他の酔っ払いたちのうちの誰かを狙ったのでなければ、そういうことになるのかしらね」
「それはないだろうという話でした。街の療養所に運ばれたやつらも、まあ多少の悪さはしているようですが、とりたてて恨みを買うような覚えもないとのことですし」
もちろんどこかのちんぴらであれば、誰の恨みも買っていないということはないだろう。でもさすがに、『街中で魔術をぶっ放されるほどの恨み』は覚えがないという話だ。つまり魔術とはそれほどのものなのだ。
城壁内では厳しく規制されているはずの攻撃魔法で、騎士団の一員が襲われた。それには必ず重要で不愉快なメッセージが込められているはずだった。なるほど、オハラ隊長も本腰入れるわけだ。
「いい上司を持ったわね、エドガー」
そう言ってみても、彼はきょとんとした顔で「何のことですか?」と答えるだけだった。