第23話 俺はどうなっても良いって思ってます。
テレビでしか見たことがない人が目の前にいるというのは不思議なもので、教育実習で初めて生徒の前に立った時よりも緊張してしまっていた。名前も顔も知っているはずなのに、テレビで見る姿と別人のように思えて仕方ない。
ただ、俺以上に相手の方が緊張しているように見えたのは意外だった。
本業である野球での活躍によってこのような対談も多くこなしているはずなのに、彼は一度目が合っただけでそれ以降はずっと目を合わそうとはしなかった。何かに怯えているようにも見えるのだけれど、俺よりも体格が大きい男がオドオドしているさまは少しこっけに見えていた。
お互いに相手の事を知っている関係だとは思うのだけれど、形式的に自己紹介をしてから話をしようと思って俺が名乗ると、彼は先ほどまでの様子とはうって変わって俺の顔を真っすぐに見つめ覚悟を決めたような表情になっていた。去年の日本シリーズの最終打席に立った時の表情にも似ていると思ったのだが、それは流石に言い過ぎだと思ってはいた。
でも、そう思ってしまっても良いのではないかと心のどこかで考えてしまっている俺は案外小物なのかもしれない。
「この度はこのような機会を与えていただきありがとうございます。お兄さんとこうして顔を合わせるのはユキちゃんのお別れ会以来だとは思うのですが、きっとお兄さんは覚えていないですよね?」
「あの時の事はあまり覚えていないんだよ。それに、今とは違ってあの時の俺は野球部のみんなは同じ髪型だったので見分けがつかなかったんだよね。申し訳ないけど、あの時の事はあまり覚えてないんだ。それよりも、シーズン中の忙しい時にわざわざ来ていただいてこちらこそありがとうございます」
「今はちょっと調子を落としている時期だったんで地元に帰って気分転換でもして来いって言われたんですよ。それと、あの時のお兄さんは憔悴しきってましたもんね。そうなって当然だとは思うのですが、自分はまだまだ子供で未熟だったのでお兄さんたちにかけるしってい言葉が見つからなかったんです。いや、今の俺でもあの状況でかける言葉は見つけられないかもしれないですね」
大きな男が小さくなっている姿は異様なのだ。何か悪い事をして叱られている生徒のようにも見えるし、俺に取って見慣れている光景にも似ているように感じていた。
ただ、俺は今まで一度もこんな風に生徒を恐縮させるようなことをした記憶はない。これからもきっと叱ることはあっても怒ることは無いだろう。そんな気はしていた。
「うまなちゃんから聞いたんですけど、お兄さんはユキちゃんのことを知りたいって事なんですよね?」
「そうなんだけど、君は何か知ってるって事でいいんだよね?」
「実際に何があったのかは見てないのでわからないんですけど、野球部のみんなは何があったか予想はしてました。多分、その予想は外れてないと思います」
「その言い方だと、君たち野球部は由貴があんな選択をした原因ではないという事でいいのかな?」
そこまで難しいことを聞いているつもりはなかったのだけれど、俺のこの簡単に答えられると思う質問に彼は即答することが出来なかった。俺としては、野球部のみんなは関係ないと言ってくれればそれでもいいんじゃないかと思えていたのだけれど、俺の目の前にいる彼は何か凄く迷っているように見えていた。
そこまで難しいことを聞いているつもりはなかったのだけれど、ここまで考えられてしまうと俺もどうしていいのかわからない。何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと思いながらも、この質問だけは絶対に避けることは出来ないと考えていたのだ。どんな答えだったにせよ、俺としてはすぐに答えてもらえると思っていたので次の質問をどうしようかと考えてもいた。
どれくらいの時間を使って彼が答えを出したのか、正確にはかってはいないので何分かかったかわからない。時が止まってしまったかと思ってしまう程に静かな空間だったが、彼が意を決して言葉を絞り出そうとした時に聞こえた唾を飲み込む音がハッキリと聞こえた時に全てが動き出したような気がしていた。
「何度も話し合って、自分たちは悪くないって思っていた時もあったのですが、こうしてお兄さんを目の前にしてもう一度考えてみたら、やっぱり顧問を止めることが出来なかった自分たちにも責任があるんじゃないかと思えてきました。あの時は子供だったから仕方ないなんて言い訳でしかないってのも気付いていますし、その気になって全員で立ち上がることが出来れば子供だった自分らでも顧問を止めることが出来たんじゃないかと思いました。自分たちだけの力じゃどうにもならなかったとしても、先輩に頼ることだって出来たと思うんです。それこそ、あんなことになる前にお兄さんに相談することだって出来たはずなんです。でも、自分たちにはそれが出来ませんでした。ユキちゃんのことがあったから今の自分があるのかもしれないと思う事はあるんですけど、例えプロ野球選手になれなかったとしてもあの時に戻ってユキちゃんを助けることが出来るんであれば、俺はどうなっても良いって思ってます」
最初の頃とは違い、真っすぐに俺の事を見つめてそう宣言した彼だったが、俺には由貴の死に関わっているのが野球部ではなく顧問なのだという事が何となく理解出来ただけなのだ。
一体何があったのか、聞いた方が良いのだろうけれど、含みを持たせたような言い方をされてしまうと聞かない方が良いのではないかという気持ちにもなってしまう。
彼の強い意志を感じる目を見ていると、思わず目を逸らしてしまいそうになってしまった。




