4話 アリス一緒に行こう
さっきまでザワザワと騒いでいた観衆の群れは、彼の一声でシンと静まり返った。
その、響いた声。
どんな声優にも決して真似出来ない。4年の月日が流れても決して見失わない。
都合のいい幻覚?
違う。お兄様は立ち上がり私の方へ駆け寄ってくる。
記憶のお兄様よりずっと背が伸びて、精悍な顔をしてて、でも面影を残してて。
ねえ、これは本当の出来事なの?
嘘じゃないの。本当に、本当に私は幻想を信じて、いいの?
「アリス、やっと会えた」
私の名前を呼んでくれるお兄様の声。
思い出よりも少し低いのは、声変わりしたからなのかな。でも優しくてあったかくて側に寄り添ってるだけで、幸せな気持ちになれるのは、あの頃と一緒。
「アリス。会いたくて、でも会えなくて。アリスをずっと思ってた」
あ、ぁあ。
言葉が出ない。代わりに涙が溢れてきて、頬を伝って、止まらなくて。
ずっと溜ってた感情が、全てが外へ外へと抜けていってる。
「おっ、客様。落札なさるのなら、金額を申して、ヒッ!」
太った醜男が、がたがた震えながら喋ってる。落札? ……ああ、そういえば私は商品なんだ。
私の意思に関係なく捕まえられて、檻に入れられて、常識で考えたらずいぶんと勝手な扱い。
何だか思い出してきたら、ちょっとムカムカしてきたような気がする。
どうして私は、今まで文句一つこぼさなかったんだろう。許せない。沸々と怒りがこみ上げてきた。
お兄様が醜男を睨みつけてる。
きっと私の嫌な気分が伝わったんだ。誰だってこんな扱い受けたら怒る、ましてやお兄様だったら。
無様に尻餅。顔から出る液体が全部出てる、うわ汚い。
「アリスは俺が奴隷にする。文句がある奴は名乗り出ろ」
腰溜めの剣に手を掛ける。
ざわざわしてた他の客は、お兄様が見渡したら一斉に沈黙した。
「アリス一緒に行こう」
さっきまで意気揚々と喋ってた太った醜男な、司会の人は、お兄様に圧されて言葉を失ってる。
「おいお前」
怯えるようにヒィっと喉を鳴らした。
お兄様から太った醜男へ注がれる、ゴミクズを見下ろすような視線、いや資源ごみに失礼だろうな。
冷徹に表情を変えないまま、懐から取り出した革袋。中から十枚くらい金貨を掴み机に叩きつけた。
「まだ足りないか」
「ひぇ、十分でございます」
「なら道を開けろ、邪魔するなら斬り殺すぞ」
慌てる司会は四つん這いで逃げていく。
お兄様も奴隷オークションに嫌悪感あるんだろうな。
差し伸べられた手を掴もうとしたけど、上手に持てない。歩こうとしたらふらついた。
ずっと寒い場所に閉じ込められて、食事も粗末なのしか摂ってない。
衰弱死や凍死しててもおかしくなかった境遇だったし、ここにきて限界がきたみたい。
倒れそうになる私をお兄様は優しく支えてくれた。
このポーズはちょっと恥ずかしい。お姫様抱っこなんて物語だけだと思ってたのに、お兄様の腕にすっぽり入っちゃってる。
私の身長って相当縮んでるみたい。多分だけど小学生低学年くらいになってる感じかな。
獣人になるだけじゃ飽き足らず、よもや子供化しちゃうなんて贅沢。でもおかげでお兄様に会えたのだから幸せだ。
お兄様に抱っこしてもらって暗い通路を進んでいく。
乱雑に置かれてる檻は、外から見たら意外と小さかった。
私はこの中に閉じ込められてたんだなあ。お兄様の胸に収まってると、全て過去に見えてくる。
大扉の向こうは眩しかった。外の風景は、日本とそんなに変わらない。
騒々しさが懐かしい。何時ぶりだろう太陽を見たのは。
お兄様の身長は、大通りを歩いてる大人より頭一つ抜けてる。180cmは越えてるんじゃないかな。
でも左目の泣き黒子とか、優しい笑顔とか。全てがお兄様の面影そのままだ。
「君、ちょっと待ちたまえ」
建物の入り口からひときわ偉そうな格好をした老人がやってきた。壇上の司会者よりは幾分かマシだけど、不細工でかつ太った醜男。
お兄様以外のオークション参加者は気持ち悪かったけど、単体で現れると醜悪っぷりが一点で強調されてより気持ち悪い。
醜男はお兄様へと肉を揺らしながらのそのそ歩み寄ってきた。時折チラチラと私に向けるその視線は不愉快そのものだ。
「その奴隷は私も気になっていたんだ」
醜男の声はしわがれてた。あと肌が汚い。煙草のヤニを吐きかけてきそう。
「勿論タダとは言わん。君が奴隷商に提示した同額を払おう」
「失せろ」
「……私は貴族だ。色々な人脈がある。今後に君を雇おうとする者に対して、君の悪口を漏らしてしまうかも知れないね。判るだろう?」
口調は変わらずだけど、額に青筋をいくつも浮かべて怒りをあらわにしてる。
にしてもなんて嫌な貴族だ。お兄様は無表情のまま。どうするんだろ。
【感覚スキルを習得しました!】
誰の声? 久しぶりだったからステータスだって気付かなかった。えっ何があったの。
チィンというとても鋭い金属音が小さく木霊してた。
一閃っていうのを初めて見た。それがどういうものかは分からない。ただ醜男貴族のネックレスが千切れて地面に落ちてるのは分かった。
「……後悔するぞ」
「貴様がな。さあ行こうか」
醜男貴族が後ろから睨み付けてる。それに構わずお兄様はお姫様抱っこで奴隷商を離れていってくれた。
「どうしたんだい」
振り向いてもらえる。それだけで幸せを感じるんです、お兄様。
だけど私は、もし私はあの人の手に渡ったらどんな仕打ちを受けるのかなって。そんなこと考えちゃいました。
「大丈夫。アリスと俺はこれから先もずっと一緒だよ。永遠に、ずっと永遠に」