1-7
「まさか、来て早々に夫婦喧嘩をするなんて信じられないわ。あなた、大した根性をしているわね」
「ええ、そう言っていただけるなんて嬉しく思います」
「褒めていないわ」
「それも承知しております」
ダリアがいけしゃあしゃあと言うと、イレーヌは眉根に皺を寄せて、じっとダリアを睨んだ。ダリアはそれを軽く受け流す。
ふたりは大広間の壁際に立ち、晩餐会の準備を進める使用人達を眺めていた。散歩に出ようと部屋から下りてきたところで、イレーヌに呼び止められてこちらに連れて来られたのだ。
「今日は私の大切なお客様が遠方からやって来るの。その席で、少しだけあなたを紹介してあげてもいいわ」
「少しだけ、とは?」
「まだ正式なお披露目が済んでいないけれど、先に少しだけ引き合わせる、というところよ。食事が終わって食後のお茶の時間になったら呼びに行かせるから、準備をしておきなさい」
「あら、ようやく私を正式にお披露目してくださる気になったのですのね」
「ええ、モルガンに言われて渋々ね。あの人ったらあなたのことを気に入ったなんて言い出して。昔から人を見る目がないのよ」
モルガンとはバロウ家の当主のことである。イレーヌの息子であり、リュシアンの父だ。彼は国王付の侍医という、この国の医師の中で一番名誉な役職についているため、王宮に住まいを用意されていて、リュシアン同様、滅多にこちらに戻ることはない。
その滅多にない機会にダリアに会い、あの息子と言い合いをするとは大した女性だ、と陽気に言われた。息子とは違って配慮があり、他者を敬う心がある素晴らしい人物のように思えた。モルガンには気に入られた手応えがあったが、この屋敷を取り仕切っているのはイレーヌである。彼はそれを恩義に感じていて、実母に逆らえないところがある。彼に気に入られてもダリアの立場はあまり変わらないように思っていたが、イレーヌにあれこれ言ってもらえたようなので思いがけず嬉しくなった。
「でも、正式なお披露目となると……ねぇ? 当家の大切な花嫁でしょう? 慎重に準備をすすめないとね。少し時間がかかるかもしれないわね」
「……なるほど」
時間稼ぎをしてそのお披露目の場自体をなくしてしまおうという魂胆だとすぐに分かった。
「ですが、イレーヌ様の大切なお友達に紹介してくださるというだけでもこの身に余る光栄です。お呼びがかかるのを首を長くしてお待ちしておりますわ」
「その言い回しが気になるけれど、まあ、いいわ。当家の嫁として、恥ずかしくない格好でいてちょうだい。今夜はもしかしてリュシアンも戻れるかもしれないと言っているから、揃って紹介できるかもしれないわね」
「ええ、お呼びされるのが明日になっても、ドレスは脱がずにお待ちしておりますわ」
「そんな意地悪はしないわよ」
(どうだか)
イレーヌならばやりかねない。懐かしいお友達との会話に夢中になって、すっかりあなたのことを忘れてしまったの、ごめんなさいねと少しも悪いと思っていない表情で言う姿が目に浮かぶ。
しかしそれはおくびに出さず、にこやかに挨拶をしてその場を去った。
◆◆◆
そのお客様は夕方には屋敷にやってきた。遠方の伯爵家に嫁いだ、イレーヌの古い友人とのことだった。娘や息子、娘の子供たちを連れて、五台の馬車を連ねて来た。
その子供たちがまだ幼児のようで、どたばたと走り回る音が屋敷に響き渡っていた。
今日は宿泊するということだったので、明日まで騒がしくなりそうだった。晩餐の場ではなく、朝食の席で紹介されるなんてことが本当にありそうだなと予感した。
「まあ、ダリア様。やはりダリア様には赤いドレスがよくお似合いです」
支度を手伝ってくれたリタはダリアの背後に立ち、姿見のダリアを見ながらほうっとため息をついた。
「……そうかしら? そんな毒々しいドレスで初対面の人の前に出るなんて。やはり翠蓮国の人は変わっているのね」
侍女のサリーは口元を歪めながらそう言う。
彼女は初日にダリアをイレーヌの元へと案内した者であった。今はダリア付きの侍女として勤めている。ただ、ダリアの侍女になったことが気に入らないようで、なにかとつっかかるようなことを言っている。リタに聞いたが、他の使用人たちにダリアの不評を言いふらしているのはサリーとのことだった。リタが一度注意したが、はいはい、分かりました、というふてくされた態度だったそうだ。
サリーはリタから聞いた話では、使用人としては新入りとまでは言わないがそう古くはない女性で、それでダリアの侍女という嫌な役を押し付けられた、と思っているようだ。
「失礼ね、翠蓮国の人が変わっているのではなく、私が独創的なのよ。なんでも一括りにするなんて失礼だし、狭量だわ。バロウ家の使用人はずいぶんと程度が低いのね」
ダリアが言うと、サリーはかちんときたような表情となった。しかしダリアはそんなもの気にしない。
「まあ、いいわ。あなたの失礼な言動は許してあげるから、そこの耳飾りをとってちょうだい。望む望まずにかかわらず、私の身の回りの世話をするのがあなたの仕事でしょう? 嫌ならば、私の侍女が暇を欲しがっているとイレーヌ大奥様に進言してみるけれど?」
「……はい、奥様」
サリーは案外素直に従って、耳飾りをダリアに渡した。ダリアはありがとう、と言ってそれを受け取り、自分の耳につけた。どうやら、解雇されるのは望んでいないらしい。若いのだから、他に勤め先はあるように思えるが、彼女なりの事情があるのかもしれない。
そうして晩餐会が始まる時間にはすっかり支度を調えてお呼びがかかるのを待った。食事は、既に終えてある。読書をしながらお茶を飲み、ゆっくり待つつもりだったのだが。
「きゃあ!」
屋敷中に響き渡るような鋭い声が上がり、階下が俄に慌ただしくなった。
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