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ダリアの披露を兼ねた、晩餐会を翌日に控えた夜のことだった。
もうダリアは寝床に入ろうとしている時間だった。明日に備えて丁寧に髪を洗って、肌を磨き上げている。夜更かしをしてそれらを台無しにしてはいけない。
「それではダリア様、お休みなさい」
リタもそれを心得ているのか、いつもよりもずっと早い時間に辞去する旨を伝えて部屋から出て行った。
そしてダリアも主室から寝室へと移動しようか、と思ってところで、リタが戻ってきた。
「なに? どうしたの?」
ダリアが声を掛けると、リタは背後を気にしながら、口をへの字に曲げた。
「リュシアン様がお見えです……。今日はもうお休みになったと伝えたのですが、どうしてもとおっしゃって。どうします? ダリア様の眠りを妨げる者は悪魔に魅入られることになる、とでも言っておきますか?」
「そんなのあの人には通じないでしょう。笑われて終わりよ。いいわ、適当にあしらって早く帰ってもらうから」
するとリタはとって返り、彼女の代わりにリュシアンが部屋に入ってきた。
ダリアは髪をゆるく結い、寝間着にガウン姿で鏡台の前に座っていた。
リュシアンはダリアの前へと進み出ると、バツの悪そうな表情となった。
「明日の晩餐の前にお前に言うべきことがあるのだ」
「あら、なにかしら? 明日の朝ではいけないの?」
「いや、今がいい」
このところのリュシアンはダリアに対してよそよそしい態度を取っていた。それがわざわざやって来たのだ。無下にすることはできなかった。明日はダリアの披露の日だし、なにかわだかまりがあるならば解消しておきたい。
リュシアンはダリアの近くに椅子を持ってきて、そこに腰掛けた。息がかかりそうな距離だ。それを少し居心地悪く感じながらも、敢えてなにも言わなかった。
「シェリーのことは礼を言う。実はずっと引っかかっていたのだ」
そう言ってリュシアンは頭を下げた。
「あら、あなたがそんな素直に礼を言うなんて、気持ち悪いわね」
「そう言うな。俺だってお前に頭を下げるなんて迷いに迷って、それでこんなに時間がかかってしまった。本当はシェリーの死の真相を聞いたときに、礼を述べるべきだった」
「別に気にしていないわ。受け止めるのに時間がかかったのでしょう? 私が好意で真相を突き詰めて話したと、考えてくれたならばそれでいいのよ」
「好意、そうだな」
そう言うと、リュシアンはダリアの手を取った。突然のことで戸惑うが、手を引くようなことはしなかった。
「お前が悲劇を回避したい、という気持ちはよく分かった。今回は自死だとの疑いが事故だと分かった。シェリーがどんな気持ちで毒を飲み続けていたかを考えると、俺としてはやるせない気持ちになるが、シェリーの名誉を考えると、そして彼女の死を疑っていた遺族のことを考えると、よいことだったように思う。多くの人が抱えていた悲劇をお前は変えたのだ」
「それならばよかったわ」
「だから、お前は自分の悲劇を回避したいとは思わないか?」
真剣な面持ちで言うリュシアンがなにを言っているのか理解できなかった。
「悲劇……? 私が悲劇の中にあると?」
「そうではないか? 婚約者が別の女性を妊娠したと婚約破棄された。しかもその女性が身ごもっていたのは婚約者の子供ではなかった。これほどの悲劇があるか?」
「まあ……そうね」
「しかし、その後に続く出来事によってはお前の悲劇は悲劇ではなくなる。……そしてその後嫁いだ先でお前は夫に愛され、家族に大切にされ、多くの子を産んで、幸せに暮らした」
リュシアンはいつもの冗談を言うときの表情ではない、いたって真面目な表情だ。瞳は輝き、口元には誠実な微笑みを浮かべ、熱っぽく語る。
「ちょ、ちょっと待って……! あなたがなにを言っているか分からな……」
そう言い終わらないうちに、リュシアンはダリアの手に口づけを落とした。
「明日はお前を妻として皆に披露する日だ」
「え、ええ……」
「その前に本物の夫婦になっておくのはどうだ? その方がいいだろう」
「いえいえ、ちょっと待って! 私には子を望まれていないと聞いたけれど? 跡継ぎはあなたの甥っ子に決まっているのでしょう?」
「そんなこと、お祖母様と父上が勝手に決めたことだ。初めの結婚で落ち込み、次の結婚は婚姻破棄となった。結婚には向いていないだろうと弱音を吐いた俺に、また次の結婚で失敗してもいいと、その重圧から少しでも解放するために言い出したことだろうが、俺は了承した覚えはない」
「そ、そうだったのね……」
「お前が子を望まないと言うことならばいい。俺も無理強いするつもりはない」
「そんな急に言われても……。結婚するより前から言われていたことだし」
ダリアは大いに困惑していた。確かに、リュシアンに直接言われたことではない。しかし、ずっとそのつもりでいたのだ。
でもリュシアンとだったら。
そうは思うが、そう口に出すのは悔しい。しかし素直になるのならば今しかない、と思っていたところでリュシアンのダリアの手を掴む力が強くなった。
「お前が俺との子を望むかは分からない。だが、お前とは夫婦の契りをかわす。そこはなんとしても押し通すつもりだ」
「お、押し通すって……!」
戸惑う声を上げるダリアの手に、リュシアンはもう一度口づけを落とした。
そしてリュシアンに見つめられ、ダリアは頬を紅潮され、瞳を逸らしたくなるが、その青い瞳にからめとられたように、視線を外すことができなかった。
そしてリュシアンはダリアの頬に手を当てて、そっとついばむように口づけをした。ダリアが唇にリュシアンの熱を感じて、それに酔うように瞳を閉じると、その口づけは深いものになっていく。
そして唇を離すと、リュシアンはダリアを軽々と抱え、寝室の中へと入っていった。
そうして正式に夫婦となったふたりは、穏やかな生活の中でいつまでも幸せに暮らした……というわけにはいかなかったが、ふたりの間に繋がれた確かな絆はずっとふたりの間にあり続けた。
このお話はこれで終わりになります。
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このお話の中に、まだ少し謎があるのですが……そこまで書くと長くなりすぎたので書き切れませんでした。ただでさえ長いのに。
いつか、今回よりも短めで、続編めいたものを書ければいいなと思っています。
今回、ダリアというキャラクターを書けて本当に楽しかったです。
意地っ張りで、自分の気持ちを素直に言えないところがありますが
心根はとても優しく、他者のために自分を犠牲にすることもできる
そんなキャラだと私は思っています。
それに対するリュシアンも意地っ張りで、なかなか素直になれず
そのふたりのやりとりを書くのが非常に楽しかったです。
また、いつもの文言になりますが
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最後までありがとうございました。