1-75
目前に座る女性は、見たこともないほど不機嫌な表情をしていて、なにかのキッカケがあったら爆発しそうだった。
ダリアは彼女の向かいに腰掛けて、メニューを眺め、珈琲にしようか紅茶にしようかと迷っていた。朝は紅茶と決めていたが、それ以外はそのときどきどきの気分によって変えていた。そういえば小腹も空いてきた。一緒にパンケーキを頼んで紅茶にするか、それともチョコレートと珈琲にするか迷っていた。
「私のところにも招待状が届いたわ。まったく……あのババア、離婚してもこんな嫌みな攻撃を受けるとは思ってもいなかったわ」
修道女の格好はしているが、マリアはまるで修道女のようではない。
ダリアは紅茶とパンケーキにすることに決めてメニューを閉じた。それをマリアに差し出すと、彼女はそれを奪うように受け取り、すぐさま給仕を呼んでサンドイッチとチーズケーキと紅茶を頼んだ。怒りを感じると暴食する性格なのだろうか。ダリアもオーダーを済ませると、マリアはテーブルの上で拳を握りしめて、ギラギラした目でダリアを睨んだ。
「どうやらリュシアンとは上手くいっているようね? 噂で聞いたわ」
「上手くいっているのかしら? 会えば言い合いばかりよ」
「なに、嫌みなの? 私とはまともな話すらしなかったわ」
「あら、そうだったの」
まるで初めて聞くように言ってみる。マリアとはあまり争いたくないのだ。
マリアの心中は分かる。ダリアとリュシアンが上手くいって面白くないのだろう。ダリアを妻として披露する場に呼ばれたのがそれに拍車をかけた。それにしても、イレーヌも前妻を、しかも修道女を招待するとはどういうつもりなのか。ダリアは聞いていなかった話だ。恐らくは結婚無効を申し出て離婚したマリアを快く思っていなかったのだろう。そして、本当はマリアがどんな心持ちで裁判をするなどと言い出したのか知っていたのだと思われる。まったく、食えない人である。
「まあ、いいのよ。きっとあなたとリュシアンは気が合うんでしょうね。リュシアンは医者だというからもっと包容力があって、私を逞しく守ってくれると思っていたけれど、まるでそうではなかったし。屋敷にいるときも難しそうな医学書を読んでいるか、寝ているかのどちらかだったもの。社交には興味がない、女性の機微など分からない、根暗な、つまらない奴だったのよ。あなたもそうね。外出や社交は苦手そうだもの。私のような、思慮深くて気遣いができる、居るだけで周囲を明るくできるような人とは、所詮合わない人だったのよ」
マリアは自分で自己完結しているようなので、ダリアはなにも言わずにおいた。彼女が自称している性格が本当ならば、ならば質素倹約をかかげている修道院での生活はさぞや退屈なものだろうなと同情する。
「ふたりは上手くいっているのね。そうでなければこんな晩餐会なんて、リュシアンは受け入れるはずがないもの。あなたを気遣ってのことだわ、あの唐変木が」
「そうなのかしら……ね」
それには疑問を感じにはいられない。
このところリュシアンはどこかよそよそしく、頻繁に屋敷に戻ってくるようになったのに変わりはないのだが、いつもなにか考え事をしているように虚空を見つめていることが多い。
「ふん、自分がいかに幸せか分からずにいる人って本当に腹立たしいわ。あなたは、最初の妻にも二度目の妻にもできなかったことを成し遂げたのよ」
「とてもそんなふうには思えないけれど。まだリュシアンの心にはシェリーがいるような気がするし」
このところうわの空なのは、シェリーのことを考えてのことなのだろうとダリアは思っている。
シェリーが事故死だった、病死でも自死ではなかったことをリュシアンはどう捉えているのだろう。そして、その事故の原因が、シェリーがリュシアンの気を惹きたいがため、ということをどう考えているのだろう。
マリアはテーブルにほおづえをつきつつ聞く。
「最初の妻は、自死ではなかったんですってね。誤って薬を飲み過ぎたせいだって聞いたわ」
「……どこでその話を?」
「ふん、私の社交力を舐めてもらっては困るわ。その暗いの話、修道院に居ても入ってくるのよ」
今でもバロウ家に繋がりがある、彼女に情報を提供する人がいるということだろうか。
「でも、思い上がらないことね。あの家にはまだまだ秘密があるんだから」
「秘密……?」
「そう」
マリアはにいっと口角を引き上げた。
「幽霊がいるのよ、あの屋敷には。シェリーだけではない、他にも無念のうちに死んだ者がいるの。あなたは知らないだろうけれど」
「私には幽霊なんて見えないもの」
「そのうち見えるようになるかもね。私がそうだったから」
挑戦的に言うマリアにはなにか隠していることがあるようだった。確かにバロウ家にはダリアも気になっていることはある。些細なことで、特に追及するものではないと思っているが、後々、思いがけない事実が出てくるのかもしれない。
しかし、だからと言ってダリアが気に掛ける必要はないだろう。もうバロウ家以外に行くところはない。せっかく向こうが受け入れようとしているのだから、それを突っぱねるようなことをするつもりはない。
「もう別れた夫の後妻につっかかるのはやめた方がいいのではない? 修道院を出て、新たな生活を始めた方がいいと思うわ」
「なっ、なによっ、偉そうに! 私は前妻としてあなたに親切で忠告してやっているのに!」
「いつまでも先輩面をされても困るわ」
そうはっきりと言うと、マリアは今にも爆発しそうに顔を真っ赤にしたが、やがて大きく息を吐いて肩をすくめた。
「いいわ、きっとあなた、後悔することになるから」
「そう。覚えておくわね。ああ、注文したものがやってきたわ。こうしてたまに屋敷を出てお茶をするのはいいわね。また付き合ってくれる? 私、あなたとはいい友人になれる気がするの」
ダリアの言葉に、マリアはまるで急に甘いものを口に詰め込まれたような、そんな表情となった。ダリアは微笑み、マリアを見つめている。
「そ、そんなのお断りに決まっているでしょう? 誰があなたなんかと」
「そう? 残念ね」
ダリアが言うと、マリアはふん、と顔を背けた。しかしその表情は、まんざらでもないようもののように思えた。
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