1-62
「その事実が隠されていたとしたらどうだ? 病気だと騙されて、成長してから事実を知ったらどう思うんだ? なぜ隠していたのかと憤らないか? いや、君ならば憤って隠していた父親と絶縁するのではないか?」
「ああ、そうねぇ……」
痛いところを突かれた、とダリアは感じていた。
そんなことはない、自分のことを思ってついてくれた嘘ならば、かえって嬉しいはずだとは言えない。
「まず、嘘をつくならなぜ一生つきとおしてくれなかったのかと恨んだかしらね」
「本当に? なぜ嘘をついていたのか、そちらを恨むのではなく?」
「……弟にはそう言われたわ」
「弟には、母親は殺されたとは明かしていなかったのか?」
「正確には違うのよ。弟は母の死後、再婚した女性との間に生まれた子供だと言っていたの」
「どういうことか? 意味が分からないが……」
「弟は私の母を殺した愛人の子なの。私の母を殺した後に産んだ子供よ」
そして、弟を産んだときに、ダリアの母を殺した愛人も死んでしまった。
生まれた子はかわいい。しかもバザン家の長男である。跡取り息子にしようと父と祖父母は決めた。しかし、その子に本妻を殺した愛人の子という名を着せるのはあまりにも気の毒だ。
そして父はすぐに再婚し、弟はその女性との間に生まれた子だとした。
ダリアは父に、このことは一生、なにがあっても弟には言うなと厳命された。母を殺され、殺した女性の子供が自分の弟に……。複雑な思いではあったが、弟に罪はないのだからと、ダリアはそれを忠実に守り、弟をかわいがった。
「それが弟に知られてしまって」
「もしかして、家庭のゴタゴタで翠蓮国から戻ってくることになったというのはそれが理由か?」
「さすが、ご明察だわ。ええ、その通りよ。私が望んで翠蓮国に行ったと言っているのに、自分のせいで他国に行かされたのだろうと思い込んで」
なぜそんなことを弟が考えたのかといえば、彼がバザン家の次期当主だということがある。当主はなにをおいても優先される。弟が事実を知ったとき、自分が母親だと思っていた人は赤の他人で、実母は殺人犯だと分かったとき、ダリアは本妻の子供だったにもかかわらずにバザン家で邪魔にされ、他国に追い出されたのではないかと考えたのだ。
「弟を恨めしく思ったことなんてないのに。弟の母親は憎いけれど、弟は気の毒だと思っていたわ。もちろん、そんなことはそれまでおくびにも出さないようにしていたけれど」
「それで、弟はなんと?」
「謝られたわ。自分の母親がなんということをしたのか、と。愛人という立場でありながら本妻を殺すなんて。別に父に騙されていたわけではない、妻がいる人だと知っていて密通を重ねていたというのに、妻に恨みを募らせて、しかも子を持つ母を殺してしまうなんてこの世で最低な人間だ、と。私は、その母親とあなたは全く別の人間だし、母親のしたことをあなたが背負う必要なんてない、ましてはあなたはまだ生まれていなかったのだから、あなたが謝る必要はまるでないと言ったのだけど、そのときに自分は母親の腹の中にいたのだから、母と自分は共犯のようなものだと……弟はあれこれと考えてしまう性格で」
当主の妻を殺してしまった者を母に持つ自分が次期当主として大きな顔をしていたのが恥ずかしい。しかも被害者の子である姉をないがしろにして。なにも知らなかったとはいえ、自分はなんて酷いことを、と思い悩み、自殺未遂まで起こしてしまった。
「そんな経験がありながら、なぜコリンヌ王妃に嘘をつこうと言うのか?」
「弟に嘘をついていたこと自体は正解だったと思うからよ。それが露見したことについては父の脇が甘いのよ。それから、父の再婚相手をそのまま家においていたことが失敗かしらね? 弟が物心ついて、母親についての認識ができたところで屋敷からだせばよかったのに。彼女は私の母が殺されたこととは無関係だったし、偽りの母としてバザン家に居るのは辛かったと思うの。事実、このことが露見したのはその義母が原因だったし」
ダリアは大きく息を吐き出してから、更に続ける。
「その嘘を知るまでは、弟は溌剌として次期当主としての期待を一身に背負って真面目に取り込む、実直な人だったわ。少し思い上がったところがあったけれど。でも、自分の母が人を殺してしまったと知って、弟の人生は一変してしまった。酒に溺れて仕事をしなくなり、使用人に当たり散らすようになってしまった。まるで別人だと、父も使用人たちも戸惑っていたわ」
「初めから明かしていればよかったのではないか?」
「そうは思えないわ。初めから知っていたら、弟は人の顔色ばかり窺う子供になったかもしれない。父のことを軽蔑し、当主としての勉強なんてなにもやらなかったのではないかしら」
だから、母親のことさえなければ弟は足を踏み外すようなことはなかったし、バザン家の当主として立派に成長してくれると思ったのだ。生まれというのは、そこまで人の人生に暗い影を落とすものだとダリアは学んだ。
「だから、なにがあっても露見しないようにとコリンヌ様の父親に堅く口止めをした。コリンヌ様の故郷まで出向き、墓を暴いて、孫を殺したのだろうと脅迫し、言うことをきかせたのはそのためよ。乳母が亡くなっているということや、その他の状況からも、嘘が露見する可能性はほとんどないと判断して、それで嘘をついたの」
ダリアが言っても、リュシアンは納得がいかないという顔をしている。
それでもいいのだとダリアは思う。なにも自分のしたことを誰かに認めて欲しいとは思わない。ただ、自分で最善だと思ったことをしたまでだ。
「それに、弟のことなら今は大分落ちついているのよ。私が婚約破棄されたときには、自分の母の呪いが、なんて馬鹿なことを言い出したけれど、元は実直で勉強熱心な人だったから、元の自分に戻ろうと努力しているわ。バザン家に尽くすこと、それが自分にできることだと気付いてくれたの」
そこまで弟を持って行くのには当然、言い知れぬ苦労があった。弟を癒やすために帰国してきたようなものだと感じたこともあった。
「弟は、今まで自分のために嘘をついてくれてありがとうとでも言ったか?」
リュシアンは吐き出すように言う。
ここで、そうよ、と答えたら話は丸く終わるが、ここで嘘はつけない。
「そうは言っていないわ。なんで嘘なんてついていたんだ、俺に対する裏切りだ、と父をなじったそうだし、その言葉は今のところ取り消されていないわ」
「ならば、コリンヌ王妃も同じだ。嘘をついたと分かったら、君はコリンヌ王妃からの信頼を一切失う。それでもいいのか? もしかして、時間が経てばコリンヌ王妃のためにやったことだと向こうが気付いて、感謝してくれるはずだと思っているのか?」
「……そんな甘いこと期待していないわよ。嘘に気付かれて、私への信頼がなくなるなら、それはそれでいいわ。私は、今の時点でコリンヌ様にとって一番いいと思えることを勝手にしただけだもの。患者によくなってほしいと思う、私の我が儘よ」
ダリアは馬車の窓を開け、外の風景を見つめた。
このままコリンヌがダリアの嘘を信じて息子が生きていると信じて、気力を取り戻してくれればいい。
「あなたは真実を隠すなんて、と言うけれど」
「ああ、そうだな」
「悲しい真実を話してどうなるっていうの? それでダニエルが生き返るならいいけれど、失ったものはもう戻らない。その上、父親が国王と自分を結婚させるために我が子を殺したのだと知ったらコリンヌ様はどうなるの? 息子の後を追う、なんて言い出しかねないわ」
「確かに病気で死んだのだと、そう言えばいいではないか」
「それも嘘じゃない」
「そちらの嘘の方がまだマシだ」
「同じ嘘をつくならば、幸せな嘘の方が私はいいわ。病気で死んだという嘘は、下手をしたらこちらへの疑いが向く可能性があるわ。父親と共謀して、同じ嘘をついているのではないか、とね。あそこまで、息子は殺されたのではないかと思い込んでいるのよ? それが事実だけれど……。だから、病死という嘘はコリンヌ王妃を癒やさない」
ダリアは大きくため息を吐き出した。
「悲劇を作る必要なんてないのよ」
ダリアがそう言うと、リュシアンはそれ以上はなにも言わなかった。
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