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コリンヌの実家であるダルセー伯爵家に着いたのは夕方前だった。
突然、馬車を二台立てでやって来た客に屋敷の者たちは困惑した様子だった。そこでコリンヌに書いてもらった手紙を、彼の父でありこの屋敷の主であるダルセー伯爵へと渡してもらいたいと頼み、馬車の中でしばし待った。すると、すぐに執事らしき壮年の男性がやって来て、屋敷に入るようにと促した。
「すみません、急に来ることになったので先にお手紙でお知らせすることもできませんでした」
リュシアンが丁寧にそう詫びた。
執事はいえ、とんでもないですと応じ、すぐに屋敷に入るように促してくれた。
案内されたのは恐らくは賓客をもてなすための一等いい客間で、地方の屋敷には似つかわしくないくらい、派手な家具が配置されていた。どっしりとしたソファの座面は落ち着いた風合いの赤で、金糸で草花の模様があしらわれている。肘かけも猫脚も金色である。テーブルは蒼に動物の模様が入った大理石で、王宮にあってもおかしくないと思われるものだった。恐らくはコリンヌがまだ結婚する前、たびたび国王が屋敷を訪ねて来たというから、それを迎えるためにわざわざ用意した部屋なのだろう。
「いえ、わざわざ申し訳ありません。なんでもコリンヌからの贈り物を持って来て下さったですとか。長旅だったでしょう? どうぞこちらで一息ついてください。なにか軽食でも持ってこさせます。すぐに部屋も用意させます」
ダルセー伯爵は柔和な笑顔で言う。笑うと皺が目立つ。
六十近いと思われる男性で、コリンヌの父というには年嵩だが、年を取ってからできた子供なのだろうか。痩せ型で背が高く猫背である。代々、先祖の土地を守り続けてきたという威厳は感じられたが、客をもてなすだとか交渉事などには不慣れな印象を受けた。王宮にいるような、国王にこびを売っている貴族とは違った雰囲気だ。
「それで……コリンヌの使いとのことですが、コリンヌの従者や侍女のようなご身分ではないようにお見受けいたしますが」
値踏みするような視線を向けられた。ダリアとリュシアンは顔を見合わせてから、リュシアンが口を開く。
「申し遅れました。私はリュシアン・バロウです、コリンヌ様の侍医をしております。こちらは妻のダリアです。コリンヌ様とは懇意にさせていただいております」
ダリアは恭しく頭を下げてから言う。
「使者、というよりコリンヌ様の友人として参りました。コリンヌ様は里帰りされたいというお気持ちがあるのですが、王妃という立場上、そうはなかなか周囲が許さず」
「それはもちろんそうでしょう!」
ダルセー伯爵が急に興奮した声を上げたので、ダリアはのけぞってしまう。こちらが奇異に思っていることなど構わず、ダルセー伯爵は続ける。
「コリンヌは畏れ多くも国王陛下に嫁いだのです。自分の希望や要望がおいそれと通らないのは当たり前のことです! 私はコリンヌのことは全て陛下にお任せしました」
「……なるほど、お父様がそのような考えではコリンヌ様もなかなか実家に帰りたいとは思えないでしょうね」
「……は?」
「いえ、なんでもありません。とにかく、コリンヌ様には故郷を懐かしがるお気持ちがありまして。実家のことも気にしてらっしゃいます。変わりがないかその様子も見てきて欲しいと頼まれております」
「そうですか! では、後ほど案内させます。本来ならば私か私の息子が案内するべきでしょうが、私はこのところ腰を悪くしておりまして、息子は折り悪く遠方に出掛けておりまして」
「ええ、急に来たこちらが悪いのです。そんな歓待を期待して来たのではありませんので、お気になさらないでください。お部屋を用意していただけるだけでも、充分なことです」
リュシアンが言うと、ダルセー伯爵は安心したような表情をしてから、私は一旦ここで失礼しますと言って部屋を出て行った。
間もなくしてお茶と軽食が運ばれてきて、それでひと息つくことができた。
「……まあ、こんなのどかな田舎の静かな邸宅で暮らしていたら、王宮での暮らしは窮屈に感じるわね」
出された紅茶を飲みながら、ダリアは部屋の窓から見える景色を見つめていた。向こうの森まで続く広がる庭が見える。子供が駆け回ったり、あるいは野点をしたりするのにいい庭だ。コリンヌ王妃も幼少の頃にはこの庭を駆け回っていたのだろうか。
「しばらくの間、一年とは言わないけれど半年ほど、こちらで静養できたら体調もかなり回復すると思うのに。紅茶も美味しいわ、水がいいからかしらね」
「こちらの環境が気に入っているのならば、一旦帰ったら戻りたくなくなるだろうな。陛下はそれを心配している」
「……でしょうね。ここには突然やって来て怒鳴り散らすような人もいないし、快適に過ごせそう」
「まあ、そうだな」
リュシアンは苦笑いを浮かべた。
コリンヌは『陛下に出会わなければよかった、そうすればあの静かな場所で一生を過ごせたのに』と言っていたことがある。『いつまでも寝込んでいる私のことなんて捨て置いてくださったらいいのに。気に掛けてくださるのは僥倖であるだろうに、私は我が儘ね』とため息を吐き出したこともある。
「あの男に会ったことがコリンヌ王妃の一番の不幸よね。本当に、女性にとってままならない結婚ばかりだわ」
ダリアはリュシアンの方へと視線を移した。
「なにか言いたげだな?」
「いいえ。なんでもないわよ。もし私がなにか言いたいように感じているのなら、あなたに自分との結婚で私が不幸になったという自覚があるからではない?」
「むしろこの結婚が、俺を不幸にしているとは思わないのか?」
「はあ? 私と結婚できるなんてこの国で一番の僥倖ではない? あなたとあなたの家族はそれが分かっていないわ」
「お前にはもう少し、女性として慎ましいところがあればいいのに」
「慎ましくしていたら、あなたの家では精神を病んでしまうわよ」
「……ああ、お祖母様が厳しいのは知っている。最初の妻のときにはあんなではなかったのだがな」
リュシアンはやれやれとため息を吐き出す。バロウ家にもいろいろと事情がありそうだ。
その後すぐに部屋が用意できたと執事が言いに来て、ふたりの話は中断された。ご夫婦なのに一緒の部屋を用意できずにすみませんでしたと言われたが、むしろありがたいと返すと奇妙な顔をされた。
そしてそれぞれの部屋で夕食までの時間を過ごし、夜になるとダルセー伯爵との晩餐がはじまった。
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