1-53
生薬を煮出した薬湯を持ってリュシアンの部屋に向かう。扉をノックし、出てきた侍従にどんな様子かと聞くと、眠ったまま起きないとのことだった。それから。
「リュシアン様は大丈夫なのでしょうか? 今まで、こんな病気になったことはないのです」
「え? 大袈裟だわ。彼だって風邪くらい引いて寝込んだことだってあるでしょう?」
ダリアが聞くと、従者は首を横に振る。
「いえいえいえ、あるでしょう?」
「幼い頃は存じ上げませんが、少なくとも私が仕えてからは体調を崩したところなど見たことがありません」
忙しく働いているのだから、疲れて体調が悪いことくらいありそうだが、それを表に出さないようにしていたのだろうか。とにかく、大したことはないから少し休めば治ると伝えておいた。それでも、不安な顔を崩さなかったけれど。
その侍従も疲れた顔をしていたので、リュシアンは自分がみているから、しばらく自分の部屋で休むように言い、ダリアはリュシアンの部屋に入った。
リュシアンは先ほど見たときよりも呼吸が荒く、額に汗が噴き出していた。
ダリアは持っていた薬湯をテーブルに置くと、近くにあったたらいで布を絞って汗を拭いていった。汗が冷えて身体を冷やすとよくない。
そうして額の汗を拭き終わった後、ダリアは動きを止めてしまう。
(かっ、身体の汗も拭いた方がいいと思うけれど……そのためには服を脱がさないと)
当たり前のことを思いつつ、手が動かない。口がわなわなと震え、顔まで熱を帯びてきた。
いやいや、患者の身体を診るくらい、それが成人男性であっても、何度もやったことがあるし、なにを躊躇っているのかと自分で自分が分からない。これは治療の一環なのだから、と決意を固めたときだった。
今まで堅く目を閉じていたリュシアンが開眼した。
「あら、起きたの?」
ダリアは今までの動揺を察せられないようにとさらっと言い、持っていた布をリュシアンに渡した。
「汗をかいているわ、拭いた方がいいわね」
リュシアンが無言でそれを受け取ったので、ダリアは彼の寝台から離れ、暖炉の様子を確かめて、薪を足しておいた。
「……酷い匂いで目が覚めた」
振り向くとリュシアンがこちらへと汗を拭いた布を差しだしていた。ダリアはそれを受け取ってたらいに入れた。
「酷い匂い? もしかしてこの私特性の薬湯のことかしら?」
ダリアが言うと、リュシアンは口元を歪めた。
「それを俺に飲めと」
「別に無理強いはしないわよ。ただ、あなたの妻として夫が寝込んでいるのになにもせずにいるのは気が咎めるから、少しだけやる気を見せただけよ」
ダリアは薬湯を持って、リュシアンの前へ持ってきた。
「身体を温めて発汗を促す桂皮と麻黄、抗炎症と鎮痛作用がある甘草の薬湯よ。私は風邪のときにはこれを飲めばすぐに治るんだけれど、まあ、あなたのように東洋医学なんて信じない、という人が飲んでも効かないと思うし、私が作ったものなんて口にする気が……」
「もらおう」
「え?」
「なにをそんなに驚いている? 飲む、と言っている。お前の言うとおり、飲めばきっと明日には治っているだろう」
そう言ってダリアの手から薬湯を受け取り、一気に飲み干した。
「……これで治らなかったら、やはり東洋の医術なんて古くさい、まやかしだ、とあなたは言うのかしらね?」
「そんな意地の悪いことは言わない。君の医術が優れていることはコリンヌ王妃の件で既に証明済みだ」
そう言って空の器をダリアに返し、掛布に潜り込んだ。
「もう寝る。頭痛が酷いんだ」
そう言い、まるで意識を失うように寝入ってしまった。
(熱で朦朧として、心にもないことを言ったのかしら……?)
あくまでリュシアンの発言を訝しがりつつ、ダリアは寝台の近くに椅子を持ってきてそこに腰掛けた。
額に手を当ててみる。燃えるように熱い。
先ほどの侍従の話からすると、普段は風邪など引かない体質のようだ。そうなると、たまにの体調不良で急変する可能性もあるかもしれない。
(この男が、そう簡単にどうにかなるとは思えないけれど)
そう思いつつも、ダリアはずっとリュシアンの側に居て、額の汗を拭い、暖炉の火が弱まりそうならば薪を足していった。途中でリタが様子を見に来たが、こちらは手が足りているから今日は休むようにと言った。もしこれが二晩、三晩と続くようだったら、そのときには手伝ってもらうから、そのためにも体力を温存しておいてと言っておいた。リュシアンの侍従にもそう伝えてもらうように頼んだ。
夜半過ぎになると、荒かった息づかいが穏やかなものになった。
額に手を置いてみると、まだ熱はありそうだが、かなり下がってきているようだった。
これでとりあえずは一安心だと安堵し……そして安堵している自分に戸惑う。
(どうして私、こんなに安心しているの? このいけ好かない男がどうなったっていいじゃない)
ダリアは椅子に座り、頭を抱えていた。
自分の感情が分からなくなっていた。なぜこんなに安心して、そしてはしゃいだ気持ちになっているのだろうか。
(あ……分かったわ! そうよ、この男のせいでいつまでもこんなところで足止めを食っていたら、なかなか目的地にたどり着けないからだわ! 私はコリンヌ王妃のために旅をしているんだから。こんなところでうかうかしている場合ではないのよ。コリンヌ王妃のためにも、早々にここを離れたい)
そうよ、そうなのよ、と無理やり自分を納得させた途端に、眠気が襲ってきた。
いや、こんなところで眠っては、と両方の頬をぱん、と両手で叩いてみたが……疲れからなのか、いつの間にかリュシアンの寝台の横に座り、寝台に顔を埋める形で寝てしまったらしい。
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