1-52
出発したその日の夜、途中にある街の宿屋に逗留することになった。比較的大きな街で商業が盛んであり、宿屋も多くあり、すぐに今晩の宿を見つけることができた。
そうして部屋に荷物を置いてから宿屋で教えてもらった飯屋へと向かった。注文を済ませて食事を待っているとき、ダリアは向かいに座るリュシアンの様子がおかしいことに気付いた。
「あなた、なんだか顔色がよくないわよ。まあ、いつもそれほど優れた顔色をしているわけではないけれど」
「君はいつもひと言多いな。顔色が悪い? そんなことはないだろう。王宮の雑事から解放されてとても気分がいいんだ。たまには旅もいいな」
「そんなに私と旅をするのが嬉しいのね」
「そんなことはひと言も言っていないだろう。君は自分によほど自信があるんだな。羨ましいな」
「あら、あなたに羨ましがられるなんて悪くないわね、ありがとう」
「嫌みも通じないとは」
「それはどうでもいいわ。本当に顔色が悪いわよ、貧血かしら? と思うくらい。私が魅力的すぎて、緊張しているのは分かるけれど」
そう言いつつ、腰を浮かせてリュシアンの額へと手を当てた。青白い顔とは裏腹に、びっくりするほど熱い。
「あなた、熱があるじゃない」
「……熱だって? そんなことはないだろう。君が冷血だから手も冷たく、熱く感じるだけだろう」
そう減らず口をたたきながらリュシアンは自分の額に手をやって……異常に気付いたらしい。
「なんだ、これは。自分で引くくらい熱いな」
「食べられそうなら無理はせず食べて、今日早く寝た方がいいわね。他に症状はないの?」
「そう言われれば、少し喉が痛いな」
「どうして医者が自分の不調に気付けないのよ。呆れるわね」
それから運ばれてきた料理を、リュシアンは半分も食べることができなかった。すぐに宿屋に戻り、宿屋の使用人に頼んで冷たい水をたらいに入れて持ってきてもらった。それから部屋を暖めるために暖炉の薪を追加してもらう。
リュシアンは飯屋から宿屋まで歩いてくるまではしっかりしていたが、宿屋に入った途端に気が緩んだのか、侍従の手を借りないと歩けないほどになった。すぐに寝台に横たえ、靴を脱がせて、服を緩めるようにと侍従に頼んだ。
「別に大したことはない、一晩寝れば治る」
「そう願いたいところだけれど、疲れが出たのではない? 無理をしないで、体調が回復するまで、ゆっくり休んだ方がいいわ」
ダリアが寝台の横に立ちそう言うと、リュシアンはふん、と鼻で笑った。
「まさか、君にそんなふうに優しくされるとは」
「あら、なにを言っているの? 私はいつでも優しいじゃない。あなたが人間として未熟だから、その優しさが分からなかっただけよ」
「はいはい」
軽くあしらうようにそう言って、リュシアンは瞳を閉じてしまった。
ダリアはため息を吐き出して、一旦自分の部屋に戻った。
◆◆◆
部屋に戻るとリタが待ち構えていた。心配そうな表情をしている。
「リュシアン様は大丈夫でしょうか? 見ているだけで辛そうでした」
「そうね、熱は高いけれど少しは食べられたし、他にこれといった症状はないから特に問題ないと思うわ。これから悪化する恐れもあるから、ちゃんと見ていた方がいいと思うけれど」
「そうですか、それはなによりです! 嫁いだばかりなのに未亡人になるなんて、それこそダリア様が悲劇の女性になってしまいますもの」
「死ぬなんて。こんなことで死ぬような人ではないわよ。ほら、憎まれっ子世にはばかるって言うじゃない? 彼はそんな人よ。なにがあってもしぶとく生き残るような……」
「ダリア様は相変わらずですね。リュシアン様が急に熱を出されたので動揺しているかと思っていたのですが」
「私が動揺ですって? そんなわけないわよ」
ダリアは寝台の下に置いてあった荷物を開け、中から麻の袋に入った生薬を取り出した。自分で使う他に、いつも数種類の生薬を持ち歩いているのだ。
「熱冷ましと炎症止め……。あの男が素直に飲むとは思えないけれど」
「そうですわね、ダリア様の薬を、古い時代の民間治療、なんて馬鹿にする方ですから」
「そうね、それより町医者を呼んで、薬を分けてもらえと言われそうだわ」
そう思いつつも、ダリアは宿屋の厨房を借りて、生薬を煮出して薬湯を作った。これはいつもダリアが風邪を引いたときに飲んでいるものである。これを飲めば、一晩、とは言わないが、二日三日あればすっかり元気になれる。
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