1-48
その日は気持ちいい青空で、出立の日にはぴったりだと思えた。
ダリアはいつもの時間に目覚め、いつも通りの朝食を終えると、すぐに部屋に戻って旅支度をはじめた。
ダリアが荷物をまとめていると扉をノックする音が響き、こちらが応じていないのにリュシアンが部屋に入ってきた。
「……とうとう家から出て行くのか。結婚してからまだ僅かなのに別居されるとは」
「そうしたいのは山々だけれど、違うわ。コリンヌ王妃の実家に行くのよ」
ダリアは手を休めることなく言う。リュシアンは壁に寄りかかり、ダリアの様子をぼんやりと眺めている。
「実家に? なんのために?」
「表向きは、コリンヌ様のお使いで贈り物を持って行くのよ」
「裏向きの用件は?」
「コリンヌ様の子供がどうして死んだのか、確かめに行くのよ。コリンヌ様が思うように、本当に殺されたのか」
コリンヌの不調の根っこにあるのは、どう考えても死んだ子供についてである。そこがはっきりしないかぎり、コリンヌは前には進めない。ドロドロとした沼にはまったまま、一生もがかないといけない。
「確かめてどうする? 本当に殺されていたとしたらどうするんだ?」
「さあ……、それはそのときに判断するわ。とにかく」
ダリアは勢いよく鞄を閉じた。
「少し留守にするわ。その間、コリンヌ様のことはお願い……と言ってもあなたにはなにもできないと思うけれど」
「酷い妻だ、俺を無能だと言いたいのか?」
「たまにコリンヌ様の様子を見てくれたら助かるわ」
「それはできない」
「なぜ? もしかしてヘソを曲げたの? なにもできないなんて、いつもの軽口じゃない、本気にしないでよ」
「いや、俺も一緒に行くから、コリンヌ様の様子を見ることはできない。そうだな、父上にでも頼んでおくか」
なんともなしに言うリュシアンを見て、一瞬、なにを言っているのか理解できずにきょとんとしてしまうダリアだったが。
「なっ、なに言っているのよ! そんなこと、できるはずないでしょう?」
朝から大声を出してしまった。
これから長旅に出るというのに、余計な体力を使ってしまった。
「できない? なぜ? 妻の旅行に夫が同行してなにが悪い? それに、女性だけだなんて道中心配だ」
「そんな心配なんてちっともしていないくせに! どういうつもりなの? いつも忙しくて家にも戻れないあなたが、旅行に出るだなんて……」
「俺にもたまには休みが必要だ」
「だったら、家にいてゆっくりしていればいいじゃない」
「そう言うな。思えば結婚してから夫らしいことはなにもしていない。少し遅い新婚旅行だと思えば」
「し、新婚旅行ですって!?」
ダリアは背筋が寒くなった。
ついぞ、リュシアンの口からそんな甘い響きのある言葉が飛び出してくるとは思ってもいなかったからだ。自身の身体を抱きしめるようにして、わざとらしく二の腕をさすってみせる。
「嫌だわ、もう春だというのに今日は吹雪になりそう」
「そう言うな。俺が一緒だと便利だぞ? 道中の食事代、宿泊代は全て俺持ちだし、バロウ家で一番いい馬車を用意してもらえる」
確かに便利だ、と考えてしまう。
旅費などの心配はもちろんあった。まさかバロウ家から出してもらうわけにはいかないだろうと考えていたから、ダリアのなけなしの小遣いから出すつもりだった。リタには『やはりルネに慰謝料をもらえればよかったのに』と嘆かれた。
しかしそれを素直に言うのは悔しい。
だからダリアはいつものように、強気な態度で言う。
「そうね、結婚したばかりの妻がひとりで旅行となると、口さがない人がどんな噂を流すか分からないわ。バロウ家の恥になることかもしれないわね」
「俺は人の噂など気にしない。二度の結婚であれこれ言われすぎていて、もう慣れた」
「もうっ、仕方ないわね。同行を許可してあげないでもないわ」
ツンと澄まして回りくどく言うが、リュシアンはふっと笑ってそれに応じる。
「ああ、では話は決まったな。早く準備しろ、女は準備が長いからな」
「なにを言っているの? 私は他の女性とは違うわ、準備は早いの。なにを持って行くか持って行かないか悩んだり、なにを着るか迷ったりしないから」
「……ああ、きっとそうだろうな」
リュシアンは、では玄関ホールで待っているからと部屋を出て行ってしまった。
それを確かめたのか、今まで黙って成り行きを見守っていたリタがダリアの隣に立ち、おずおずと言う。
「どうして急に同行を申し出て来たのでしょうか?」
「さあ? なにかの魂胆があるに決まっているけれど」
「ですが、同行してくださるのは素直に嬉しいことですわね。私とダリア様だけでは、少々心許ないところがございました。もしかして、コリンヌ様のことをダリア様だけに任せきりにするのは申し訳ない、という気持ちから一緒に来て下さるのではないでしょうか?」
「そうかしら? 私が下手なことをしないか監視しに来るような気がするけれど」
どうしてもリュシアンに対する敵意が大きく、好意から同行を申し出たというふうにはとても思えないダリアであった。
「私、最初の印象よりも、リュシアン様はよい方のように思えるのですが」
「は? なにを言っているの、リタ? 私のことを『結婚間近の婚約者に裏切られて婚約破棄された悲劇の女性だというから、この世の不幸を全て背負ったような顔をしているのかと思った』と言ったことを忘れてはいけないわ」
「一言一句覚えてらっしゃるんですね……」
「もちろんよ! あんな失礼なことを言われたのよ、許せないわ」
「でも、それはそう思っていた、というだけで……」
「その後にもっと酷いことを言われたじゃない。ふてぶてしい顔をしている、と」
「……そうでしたかしらね?」
リタはしきりに首を傾げている。少しでも好意的な対応をされたら、過去にされた無礼を忘れてしまうのだろうか。ダリアは残念ながら人よりも記憶力がよく、されたことは決して忘れない。根に持つタイプね、と呆れたように言われたこともあるが、そういう性格なのだ。
「とにかく、早く準備をしましょう。リュシアン様をお待たせしているのですから」
「あんな奴、待たせておけばいいのよ」
「……準備が遅いと、やっぱり女はのろまだ、などと言われてしまうかもしれませんよ」
「それは嫌だわ、急ぎましょう」
そうしてダリアは慌てて準備を整えて玄関ホールに向かった。
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