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「私の朝食には必ず固く茹でた玉子をつけるようにして。それからパンにはマーマレードかバターを添えてね。焼いた鶏肉が一番いいけれど、ニシンも悪くないわ。昨日の朝食についていた、カリカリに焼いたベーコンはあまり好きではないの。それから生野菜はあまり好まないのだけれど、トマトだけは別だわ。あとはできるだけ温野菜にして。人参でもジャガイモでも、必ず茹でた野菜をつけるようにしてちょうだい。それか、セロリや人参を煮込んだスープでもいいわ。豆のスープもいいわね。それから、食後には温かい紅茶を忘れないで」
ダリアは厨房に赴き、近くにいた使用人に声をかけて料理長を呼んでもらい、彼と話していた。
これから食事を作ってもらうにあたって、細々とした指示をしていた。
ダリアはこの家に嫁いで来たのだ。本来なら向こうから食事の好みについて聞きに来るべきだろうが、その気配がなかったので自ら出向いてきた。料理長はなぜか迷惑そうな表情をして、投げやりに言う。
「ええ、ご希望に添えられるように努力しますが」
「そんな珍しい食材があるわけではないし、ごく一般的なメニューだと思うけれど」
「あなたはバロウ家に嫁いできたのだから、バロウ家の食事に慣れる努力をするべきでは?」
ダリアは我が耳を疑った。
普通、使用人である料理長が、当主家族であるダリアにそのようなことを言うことはないのだ。
「それが気に入らなかったから、こうして希望を言いにわざわざ出向いて来たのだけれど」
「では、あなたが当家に合わないでは?」
まさか、使用人である料理長にそんなことまで言われるとは思っていなかった。
もしかして、彼は元は有名なレストランの料理長で、どうしてもと頼まれてこの家で働いているため、とてもプライドが高く、自分の料理にあれこれ注文を付けられるのを好かないのかと思ったが、今まで食べた彼の料理を思いおこすと決してそうではないことが分かる。不味い、とは言わないが、だからと言って素晴らしいと絶賛するような料理ではない。ごく普通の料理でごく普通の味付けだった。
ダリアはなんだか悲しい気持ちになってきた。これではまるで、新入りのメイドがわざわざ自分の好みを言いに来て、それが適当にあしらわれているようではないか。身の程知らず、生意気な、と思われている気がする。ダリアは決して、そんな立場ではないのに。
「まあ、どうかなされたのですか?」
厨房の作業台の前に向かい合わせに立ち、あれこれ言い合っていたのが気になったのか、メイド姿の女性がこちらへとやって来た。年嵩の女性で、その格好と堂々とした態度から、メイド長かなにかと思われた。
「ああ、来てくれて助かった。困っているんだ」
料理長が安堵したような表情を浮かべて、女性を見た。そこからふたりの信頼関係が取って見れる。長くバロウ家に仕えていて、困りごとがあるとお互いに相談するような雰囲気を感じた。
「俺の料理にあれこれと注文をつけられて」
「いえ、違いますわ。私は私の好みを伝えに来ただけです」
女性はふたりを見比べて、ふん、と鼻を鳴らした。
「申し遅れました、私はこの屋敷でメイド長を任されている者です」
「ええ、よろしく」
ダリアが手を差し出すと、彼女はぞんざいにダリアの手を取ってすぐに離した。
「こちらのお屋敷の料理がお口に召さなかったようで、申し訳ありませんでした」
「ですから、そのようなことを言っているのではないのです。私は体調を保つために、日々食べる物には気を遣っているのです」
「体調のために?」
大袈裟に目を見開きながら、強い口調で言う。そんなこと、理解できないといった様子だ。
「ご病気のようには見えませんが」
「ええ、病気ではないわ。むしろ、そうならないように普段から気を遣っているの」
「はあ……」
「例えば私は脂っこいものを食べるとすぐに気持ちが悪くなってしまうのです。風邪も引きやすいので、身体を冷やすような食べ物はあまり食べたくない」
「なるほど。大奥様から聞いております、どうやら今度の花嫁はかなりのくせ者で、自分の置かれている状況を理解できない、いえ、しようとしない自己中心的な者だと」
メイド長は、顎をつんと突き上げながら言う。
それをダリア本人に言うだろうか、と呆れる。
どうやらこの屋敷では、次期当主の新妻よりも、メイド長の方が身分が上のようだ。
「先のふたりの奥様はご自分の好みなど二の次で、バロウ家に早く馴染もうとなされていました。あなた様も、そうされた方がよいのでは?」
「嫁いだからと、その家に合わせる必要はないように思いますが」
「まあ、なんて生意気な口の利きよう! だから婚約者に逃げられるのです! あなたのような傷物の女性が、結婚できただけでもありたがたく思いなさい」
声高に叫ぶように言う声は、厨房中ではなく、屋敷中に響き渡るのではないかと思われるほどだった。
「それに、あなたはなんとかという、東方の異国の血を引いているだとか。そんな者がバロウ家に……なんて恐ろしい!」
「……それは承知の上で、私を嫁に、と望んだはずですが?」
ダリアが冷静に応じると、それが面白くなかったのか、メイド長はますます強ばった表情となった。
「嫁いで来られただけでもありがたいと思いなさい! あなたのお父上は貴族かもしれませんが、お母様は身分卑しい者なのです。奥様はお優しいから、はっきりとおっしゃいませんが」
「はあ? あのイレーヌが優しいですって? どこが?」
「お、大奥様を呼び捨てにするなんて、とんでもないことです!」
「私の母が身分卑しいなんて、それこそとんでもないことだわ。二度と言わないで。母のことをなにも知らないくせに! 二度と言ったら、この世に生まれたことを後悔するような酷い目に遭わせるわよ」
ダリアはメイド長を睨み付けた。
それに少し怯んだようだったが、だからと言って謝罪の言葉があるわけではない。やがて、気を取り直したように言う。
「とにかく、バロウ家に嫁いできたのですから、この家に合わせるように努力してみてはいかがですか?」
「……努力。この家ではなにをしても徒労に終わる気がするけれど。あなたたちが私を傷物だと、異国の血を引いていると見下している限り、ね」
ダリアは深々とため息を吐き出した。
「もういいわ。ただ」
ダリアは料理長の方を見ながら言う。
「私は朝からベーコンは食べたくないの、胃にもたれるから。できれば、もっとさっぱりとした料理がいいわ」
「この家の方は、皆さん朝からベーコンを食べます。そのことについて、今までなにも言われたことはありません」
「そう。よく分かったわ」
ダリアはそう言い、ふたりを残して厨房から出た。扉を閉めた途端に『ずうずうしい女だ』『自分の立場が分かっていない、忌ま忌ましい』と言い合う声が聞こえで、ダリアはなぜ自分がここにいるのか分からなくなった。
(なぜこんなに使用人に侮られないといけないのかしら? まあ、その原因はイレーヌ様のあの態度だとは分かっているけれど)
この屋敷を取り仕切っているのはイレーヌである。彼女がダリアを馬鹿にしたような扱いをすれば、使用人たちもそう扱っていいのだと勘違いするのである。
イレーヌに妻としてそれなりの扱いをさせることが一番だが、それが難しいことは既に感じていた。
こうなったら、まだ会ったことがない夫が慈悲深く思いやりがある人で、イレーヌになにか意見してくれるような人であることを望むが、今まで姿を現さないことからしても、それは望み薄だと分かっていた。でも、希望があるとすればそれだけだ。
そしてダリアのその願いは、すぐに裏切られることになる。
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