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「まあ、私がダリアさんの悪評を流しているですって? そんなこと、あり得ませんわ。なぜそのような誤解をされているのでしょうか、リュシアン様ともあろうお方が」
セシルは半笑いでそれに応じ、持っていた扇を広げて口元を隠した。
「誤解、でしょうか?」
「ええ、誤解です。私がそのようなことをするはずがないでしょう?」
リュシアンはセシルの部屋に居て、彼女が座るソファの向かいに立って話していた。セシルが人払いをしたため、周囲には誰もいない。
セシルへと面会を申し込むと、間もなく応じられた。先の幽霊騒ぎのことがあったので、それで不興を買っていて、断られるかと思っていたがそうではなかった。
「ですが、あなたの侍女があれこれと言い回っているとは事実でしょう? 私は直接、あなたの侍女が別の方に仕えている侍女にそんなことを話している場面に出会したことがあります」
リュシアンは医師という職業上、王宮内の色々な場所に立ち入る。廊下の片隅で、井戸の近くで、囁かれている噂を聞く機会も多い。
「まあ、私の侍女が? それは困ったわね……。私から、やんわり窘めておくことにしますわね」
セシルは、自分はなにも知らないという態度である。彼女の差し金であることはまず間違いないのだが。
父親に言われたからではないが、このところのダリアの不評は彼女のためにもよくないし、コリンヌ王妃のためにもよくないと感じていた。悔しいが、ダリアのおかげで今までにない回復を見せているのだ。国王の機嫌を損ねないためにも、これは必要なことだった。
「……ええ、ではそのようにしていただけると有り難いです。妻の悪評が立つと夫として私も困るのです」
「あら。それならばもうダリア様を王宮に連れて来るのはおやめになったら? そもそも、ご自分の奥様にコリンヌ様の面倒を見させるのはよろしくないのではないでしょうか?」
「面倒、なるほど……」
やはり目的はそこにあるのだとはっきり確かめられた。
ダリアのおかげでコリンヌの体調が回復したのが許せないのだろう。セシルは、どんなに自分が優位な状況にあったとしても、少しでも自分を脅かすかもしれない存在があれば、全力で叩くタイプである。一人勝ちを望んでいる、他の者は許せない。
「特に私が、コリンヌ王妃のご面倒を見るようにと言ったわけではありません。コリンヌ王妃が望んだことです。それを無下にするようなことは私の立場ではできません。どうかご理解いただければ」
「あなたが言えば、あなたの妻は引くのではありませんか?」
「あれでも妻は医師です、この国では認められていない医術ではありますが。弱っている者を見ると放っておけないのでしょう。ましてや、向こうに頼られているとなると、誰かに少しくらいなにか言われたとしても、その患者を優先するでしょうね」
ダリアは自分になにか言われたくらいで、自分の行動や考えを変えることはないだろうなと思うのだ。むしろ、そんなことを言ったら俄然やる気になってしまうかもしれない。そういう女性であることは、少々の付き合いであるが分かっている。
「……ずいぶんとご自分の奥様のことを信頼されているのね」
セシルは自分の口元を覆っていた扇を閉じ、とても不機嫌そうな、不愉快そうな表情をこちらに向けてきた。そこには、なにかの嫉妬の念が込められているような気がする。
(それに比べ、自分は夫の信頼を受けていないとでも思っているのだろうか。確かに、このところ陛下はセシル様のところに顔を見せていないようだ。そのことを気にして、嫉妬しているのだろうか?)
リュシアンがどう言えばいいのかと考えていると、セシルが意地悪い笑みを浮かべつつ口を開いた。
「……でも、リュシアン様は、ご自分の奥様のことをあまりご存じないように思いますな」
「そうなのでしょうか?」
「あの女は……自分のためならば他者を傷つけることなんてなんとも思っていない者です」
セシルははっきりと言い切る。
なぜそこまで自信を持って言い切れるのか。それほど確認があるような情報を持っているのか、それとも、あやふやな情報だと悟られないためにわざと強気な態度をとっているのか見分けがつかなかった。
「なぜ夫である自分よりも私がダリアのことを知っているのか、いぶかしがっているような顔をしておりますね」
「自分よりも、という点に関しては気になりませんが、なぜダリアとそう接点のないセシル様が彼女のことを知っているのかは気になりますね」
「ソレーヌから聞いたのよ。正確に言うと、手紙を受け取ったのだけれど。酷い話だったわ」
そしてもったいぶるようにため息を吐き出す。
「ソレーヌというのは?」
「私のいとこで、ダリアの元婚約者の妻よ」
「あ……ああ」
婚約者がいる男性と関係を持って子を儲け、婚約者と別れさせて自分が妻になったという、豪胆な女性だ、と思ったが、口には出さなかった。
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