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その後、コリンヌは徐々に回復していき、昼を過ごすのが寝台の上から暖炉前のソファに移動することができた。あれ以来、子供の幽霊を見ることが減ってきて、夜も上手く寝られるようになってきたとのことだった。
漢方薬の効果が出てきているということだ。ダリアが選んだ薬はコリンヌに合っているという確信があり、これを更に続けていけばもっと回復を見込めるだろう、と思っていた矢先のことだった。
「……もう王宮へ行くのはやめなさい。あなたがとんでもない薬を王妃に飲ませていると王宮内で噂になっているわ。当家の恥よ」
久しぶりのバロウ家での朝食の席に使者がやって来て、イレーヌが呼んでいると言うので彼女の部屋へと行くと、彼女はいつも以上に不機嫌そうな表情でダリアを迎え、彼女が座る向かいのソファに座るようにと促した。
「そのような噂が立っているのは知っていますが、単なる嫌がらせです」
「嫌がらせだろうがなんだろうか、そういう噂が立っていることが問題なのです。昨晩出席した晩餐会で、そんな話を聞いて背筋が凍りました。一体どういうことなの?」
「晩餐会ならば、私も同行させていただければよかったのに。その場にいれば、即座に否定することができました」
昨晩、イレーヌが招かれて公爵夫人が主催する晩餐会に出掛けていたことは知っていた。そのような場にダリアを同行させて、バロウ家の嫁だと皆に紹介してくれればいいのに、イレーヌは決して同行させてくれない。
「あなたがコリンヌ王妃に飲ませている薬を飲んだ人が、体調を崩して寝込んだそうよ」
「……は?」
「コリンヌ王妃に飲ませている薬は毒に違いない。コリンヌ王妃が一旦はよくなったけれど、またすぐに体調を崩したのはあなたの薬のせいだと噂になっているわ。いっときだけよくなったと見せかけるだけの毒だ、と」
「そんな都合のいい薬も毒もありませんが。それに、私がコリンヌ王妃に処方した薬と同じ薬を飲んだ者がいると? それは体調を崩したのも頷けます。漢方は、その人の体質に合ったものを飲まないと意味がないのです」
そういえば、先に薬屋で、ダリアが買った薬と同じ物を、と求めて買ったものがいると聞いていた。嫌な予感はしていたが、まさか薬を飲んでかえって体調を崩したとなれば気の毒だ。
「体質にあった薬ですって?」
イレーヌが不審げに眉を寄せた。
「ええ、漢方とはそのようなものなのです。だから私のような漢方医が必要なのです」
「漢方なんて、そんな古くさい、効くかどうかも怪しいものを王妃に飲ませるなんて。とにかく、今後一切王宮へ行くことは禁じます」
「あなたにそんなことを命じられるいわれはありません」
「まあ、なんて生意気な……。あなた、自分の立場が分かっていないようね?」
威圧的な態度に怯むどころか、ダリアは俄然やる気が出てきた。
「ええ、分かっております。バロウ家に嫁ぎながら嫁とは認められていない立場です。お披露目もしていただけない、なにかのいじめでしょうか? そんなに私のことが気に食わないのならば、なぜ嫁に迎えたりしたんですか? この家で一番の権力を持つあなたなのだから、孫の婚姻にひと言申さないはずはないでしょう? 私がかつて婚約破棄されたことも、母が翠蓮国の人で混血であることも、私が翠蓮国で中医学の勉強をしたことも知っていたはずです。私も父も、なにも隠していません! 私のことは初めから分かっていたはずなのに、どういう仕打ちですか? バロウ家の人たちは、こうして嫁いびりをするのが趣味なんですか? すばらしい家系ですわね?」
「あなたが医師として誰かを診るなんてことに同意した覚えはありません。あなたはバロウ家の嫁なのですから、家で大人しくしていればいいのです」
「嫁として扱っていないくせに、ずいぶんな言いようですね? 私も家で大人しています、なんて同意した覚えはありません!」
きっぱりと言い切ると、イレーヌは凄まじい目つきでダリアを睨んできた。負けてなるものかとダリアは腕を組み、同じようにイレーヌを睨み付ける。
しばらく睨み合いが続いたところで、イレーヌがうんざりとため息を吐き出した。
「哀れな身の上、と当家で引き取ったのが間違いだったわ」
「こちらこそ、三度目の結婚なんて哀れだと思って嫁いで来てやったのが間違いでした」
ふたりとも一歩も引かない、という雰囲気を漂わせていた。
このまま物別れに終わるか、と思われたところで。
「……もうその辺りにしたらどうですか、母さん」
見るとそこにはバロウ伯爵がいた。いつの間に部屋に入ってきたのか、まるで気付いていなかった。
「ああ、何度かノックしたのですが、まるで応じてもらえなかったので勝手に入って来ました」
リュシアンの父であり、イレーヌの息子であるバロウ伯爵は、どこか飄々とした雰囲気を漂わせていた。ダリアの隣に腰掛けると、にっこりと笑いかけてきた。
「こんな美しいお嬢さんを当家に迎えることができるなんて、これ以上のことはないではないか。しかも賢く、勇敢で、行動力があり、人の信頼も得ることができる。すばらしい嫁だ、リュシアンの奴になんてもったいない」
「あら、お義父様、さすが私のことをよく分かってらっしゃる。医師として、色んな方とかかわってきたからでしょうか? 人を見る目がおありになりますね」
「なにを言っているんです! やはりこんな結婚、断固として受け入れるべきではありませんでした! あなたがどうしてもと言うから」
「ええ、我ながら大正解でした」
バロウ伯爵はことなげに言う。さすがこの母と長年付き合っているだけある、対処法を心得ているのだろう、とダリアは感心してしまった。だが、イレーヌの方もこれで済ませる気はないようだ。
「あなたも王宮での騒ぎはしっているでしょう? 王妃に毒を盛った、なんて言われているんですよ?」
「どんな良薬も、飲み過ぎれば毒になります」
「は? なんですって?」
「噂になっているのは、王妃に毒を盛ったのではなく、コリンヌ王妃にダリアが処方したのと同じ薬を飲んで、具合が悪くなった者がいる、とのことでしょう? それはダリアの患者ではないので、こちらが責任を負うべきことではない。コリンヌ王妃の件は、一旦は調子を崩したものの、ダリアが処方した漢方薬で再び起き上がれるまでに回復しました。我々がどうあがいても寝台から引き剥がすことができなかったコリンヌ王妃を回復させたのです。これは感服すべき出来事であって、誇るべきです。外野がなにを言っても気にするべきではない」
「ですが……」
「お母様も、変な噂に惑わされて本質を見失うところを少し反省した方がいいのではないですか?」
「なっ、なんですって? 親に向かってなんて口の利きよう……!」
「もちろん、お母様には感謝しています。この家はお母様なしでは回りません。ですが、バロウ家の当主は私です。そこは忘れてもらっては困ります」
頑としたバロウ伯爵の態度に、イレーヌは怒りを帯びたような表情をして、なにか言おうとするのを必死で堪えているように見えた。イレーヌが負けることもあるのだ、とダリアは珍しいものを見るような目つきで見ていた。
「そもそも、ダリアを王宮に連れて行ったのはリュシアンです。責めるならリュシアンでしょう?」
「……。ええ、リュシアンにももちろん後で一言言うつもりでした」
「いえ、リュシアンにはこちらから言っておきます。自分の妻に悪評が立たないようにお前が上手く立ち回れ、とね。変な噂で、ダリアの実績が陰るようなことがあってはいけない。私が言いたいのは以上です」
それだけ言うと、バロウ伯爵は用事は済んだとばかりにさっさと部屋から出て行った。それを見たダリアは、イレーヌに対しては言いたいことだけを言い、議論を避け、さっさと退散するのが良策なのだと学んだ。
「では、私もこれで失礼いたしますね」
素早い動作で立ち上がり、呼び止められるよりも前に部屋を出て行った。
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