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「う、噂で聞いたのよ。ねぇ」
セシルは連れ歩いていた侍女に視線を送るが、彼女たちの中には咄嗟のときに主を守ろうと機転が利く者はいないようだ。そこですかさずダリアが切り込む。
「いつですか? 幽霊騒ぎがあったのは昨日の夜遅くです。今はまだ昼にもなっていない時間です。私はこの件が分かってから、必要な人にだけは話しましたが、決して外には漏らさないようにと厳命しました」
「そ、そのうちの誰かが話してしまったのではない? とにかく私は、噂で聞いたのです」
「そうかもしれません」
「そうでしょう?」
「では、コリンヌ王妃の近くに誰かスパイがいるのかもしれませんね。その者があなたに報告した」
「な、なんですって? そんなことあろうはずが……」
「ええ、そうでしょうね。幽霊の件を話した侍女は信頼のおけるふたりだけです。ひとりはコリンヌ王妃につききりですし、もうひとりは当家に使いに出し、まだ戻っていません。そうなると、やはりあなたの差し金ではないですか? あの幽霊役を頼んだ使用人が消えた、部屋もからっぽになっている、などという報告を朝早くに受けていたならば、なにがあったかだいたい予想はつくでしょう」
ダリアが畳みかけるように言うと、セシルは押し黙った。
これでは認めているようなものである。
(……ちょろいわ)
陰謀うごめく王宮で、王妃という立場にある人なのだから、もっと難敵かと思っていた。
「どうされますか?」
リュシアンがセシルへと話しかける。
「この件を陛下に報告しますか? かなりお怒りになると思いますが……」
「やめて! それだけはどうか!」
そう言ってセシルは顔を両手で覆って床にしゃがみ込んだ。侍女が気ぜわしそうに彼女を見るが、下手に手を出せないと思っているのか、ただ見守るだけだった。
「分かりました、認めます。ただのいたずらだったのです。私は陛下の心を独り占めにしているコリンヌ様が憎くて、それでつい出来心で」
「……一度ではなく、効き目があったと二度三度と、止めを刺すように仕掛けたようですが」
「お前は少し黙っていろ」
リュシアンに睨まれてしまい、ダリアはつまらなさそうに口を尖らせながら、ここは彼に従うことにした。王宮の中のあれこれはリュシアンの方が詳しい。きっと上手いことやってくれるだろうと期待した。
すると、リュシアンはわざとらしく咳払いをした。
「今後、コリンヌ王妃の元には幽霊は現れないということですね?」
リュシアンが念を押すように言うと、セシルは顔を上げ、大きく頷いた。
「では、これ以上はなにも言いますまい。陛下にも余計なことは言いません。幽霊のふりをしていた使用人がいた、その者は罪の重さに堪えきれず、そのまま王宮から去ったと報告します。もう二度と幽霊は現れない、と」
「ええ、私のような者にそのような慈悲をいただけて、ありがたく思います。どうか、よしなに取り計らいください」
「承知いたしました。約束は守ります」
「ち、ちょっと……」
ダリアはリュシアンの手首を掴んだ。途端になにか文句があるのか、という視線が飛んできたので当然抗議する。
「これで済ませる気? コリンヌ様はせっかく回復したのにまた酷く衰弱してしまったのよ? いたずらではすまないわよ」
「いいんだ、これで手打ちにしておけ。欲張るとこちらが大怪我するぞ」
とても納得できないようなことを言うが、ダリアは王宮のことをよく知らない。王妃相手に、しかも将来の国王の母親になるかもしれない人に向かって、これ以上食い下がったらよくないということなのだろう。
「もう行くぞ。用事は済んだ」
「……ええ」
ダリアは不満げに頷き、さっさと早足で行ってしまったリュシアンの背中を憎々しげに見つめる。
そしてダリアも歩きだそうとしたところで。
「お待ちなさい!」
鋭く声を上げられ、ダリアは振り返った。リュシアンはもう遠くまで行ってしまっている。
セシルは先ほどまでの殊勝げな顔とは裏腹に、こちらを取って食おうかというほどの恐ろしい顔をしている。
「……これで勝ったと思わないで。私はあなたの秘密を知っているのよ、とんでもない秘密をね」
「秘密……?」
ダリアは首を傾げた。そんな心当たりはない。
「それをあなたの夫に話してしまっていいのかしら? バロウ家の方達は知っているのかしらね?」
「……なんの話でしょう?」
「しらばっくれるの? 本当に酷い人ね。私のいとこにあんなことをしておいて」
「いとこ? あんなこととは?」
ダリアが聞くが、答える気はないようだ。こちらを脅す目的であるだけで、なにかダリアを脅せるようなネタが本当にあるとは限らない。
「よく覚えておいて。私に逆らうととんでもない目に遭うわ」
「私が幽霊騒動の全てをぶちまけてもいいのですが?」
「誰が信用するものですか。リュシアン様ならばともかく、出自が卑しい東洋女の言うことなんて」
酷い言い方だが、ここは相手にしない方がよさそうだ。面倒なことになりそうだから。相手を優位に思わせておいて、引くのがいいだろう。
「そうですか。では、私もこれで失礼いたします」
ダリアはセシルに頭を下げ、リュシアンの後を追って早足で歩いて行った。
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