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「嫌われたわね」
部屋から出た途端に、ここまで案内してきたメイドにくすりと笑われた。
この身分差社会にあって、仮にも使用人が当主家族にこんな口を利くのは許されない。この女性はダリアを当主家族として扱う気はないということなのだろうか。
「ええ、そのようね。いいから、早く私の部屋に案内してちょうだい」
「はいはい。あなたはどのくらいもつかしらね? 前の方は半年ももたなかったけれど」
そう言いながらダリアを先導して歩いて行く。年の頃はダリアと同じか少し下くらいだろうか。青いメイド服を着た女性は、金色の髪に碧色の瞳をしている、典型的なイルギス国人だった。美人とも言える容姿をしている。つんと高い鼻と今までの言動からも考えて、少し生意気だけれど若いからよいと周りに大目に見られているような雰囲気があった。
「我が夫にはいつ会えるのかしら?」
階段を上がりながら、ダリアは尋ねた。
イレーヌには質問することも許されなかった。もしかしてなにか知っているかと聞いてみた。
「さあ? リュシアン様は王宮に泊まり込みでお仕事をされていて、こちらに帰ってくるのは三日に一度ほどかしら。十日も帰って来ないこともあるわ。前の奥さんはそれが堪えられなかったみたいだけれど」
「できれば早くにご挨拶したいわ」
「そうよね、普通なら妻を迎えたならば、仕事など放り出して帰ってくるべきよね。でもリュシアン様はそうはなさらないでしょうね。妻よりも患者の方が大事だから」
それはなにかの意味を含んでいるように聞こえた。それが原因で前妻と派手な言い合いでもしたのだろうが、と勝手に勘繰る。
階段を三階まで上がったところで、今度は延々と長い廊下を歩いて行った。案内されたのは突き当たりにある部屋だった。
女性が扉を開けると、青で統一された部屋の装飾が目に飛び込んできた。青と白がこの屋敷のシンボルカラーであるようで、屋根は青、外壁は白だった。家具は多くは白で、玄関には白い百合が飾られていた。百合は葬送の白、それを見た途端に早く出て行けということかと勘繰ったが、どうやらそういうことでもないようだ。部屋の中央にあるテーブルにも白い花瓶に白い百合が飾ってあった。居室と寝室の、二間続いた部屋だった。
「まあ、陽当たりが悪そうな部屋ね」
ダリアは窓際に立ち、外の様子を見てからメイドを振り返った。
「気に入ったわ」
ダリアがそう言うと、メイドは奇妙な顔つきになった。
「気に入ったなんて……嫌みなの? 陽当たりが悪い部屋がいいだなんて」
部屋は北と東向きに窓があり、日が入るのは日の出からわずかな時間だけだろう。加えて、屋敷の周囲を取り囲む森が、陽の光を遮ってしまいそうだった。
「私は太陽の光が苦手なのよ、あまり眩しいと気分が悪くなってくるわ。少し湿り気がある風が吹く、曇りの日が好き。陽当たりは悪そうだけれど、風通しは悪くなさそう」
ダリアは窓を開け放った。途端に森を通ってきた涼しい風が部屋の中へと入ってきた。
「ああ、戻られたのですねダリア様」
まるで何年も離れていた主人に会ったような表情で、リタが寝室の方から出て来た。ダリアが実家から連れてきた侍女で、長くダリアに仕えてくれている。
「急に連れて行かれてしまったので驚きました。なにか酷いことをされていませんか?」
リタはダリアより三つ年上で、ふくよかな体型のはっきりとものを言う女性だ。
「ええ、そうね。軽く牽制されたわ」
「まあ、なんて失礼な! 本来ならばダリア様が嫁ぐような条件の家ではないのに。それにこんな若いメイドに案内させるなんて。本来ならば執事が案内するべきでしょう? ダリア様は望まれて嫁いできたというのに!」
なんということでしょう、こんな扱いを受けるなんてとリタは憤っていた。ダリアはその声を聞きながら、部屋のあちこちを確かめていった。
「まあ、それなりの扱いでいいと思われているということよ」
案内してきたメイドが壁に寄りかかりながら、吐き捨てるように言う。
「いいのではない? 最初からこの屋敷でどんな立場にあるのかが分かって。夢を見続けてそれが裏切られたときにはショックが大きいだろうから」
「それは確かにそうね……」
ダリアが言うと、リタはそれを制するようにダリアとメイドの間に立った。
「あなた、名前はなんて言うの?」
「名前なんて。そこのメイド、としか呼ばれたことがないわ。覚える気もないくせに、名前を聞くなんて」
「いいから、答えなさい」
リタの迫力に圧されたのか、彼女は面倒くさそうに答えた。
「……サリーよ」
「そう、いい、サリー? ダリア様に向かってなんという口の利き方でしょう? あなた、自分がダリア様よりもずっと身分が低い使用人だってことを分かっているの? 本来ならば、口を利くことだって許されないというのに、ダリア様に意見するなんて」
「あなただってただの使用人でしょう?」
「……生意気なメイドね。私はダリア様付きの侍女という、選ばれた立場なのよ。もう長いことダリア様に仕えているのだから」
「そうね、この屋敷で大奥様付きの侍女となると私だって少し遠慮するけれど、三人目の奥様付き侍女ならば、本人さえ望めば誰だってなれるでしょうし、その上あなたはこの屋敷では新入り。むしろ、私に教えを請う立場だわ」
「な! あなたに教えを請うですって? 冗談じゃないわ」
「そう。私も、教えを請われたところでなにひとつ教える気はないけれど。すぐにあなたも自分が置かれた立場ってものが分かるわよ」
サリーはそう言って部屋を出て行ってしまった。
リタは肩をすくめつつダリアを振り返る。ダリアは近くの椅子に腰掛けて、息をついた。
「仮にも結婚を申し込まれて嫁いできたのだから、大歓迎、とまではいかなくとも、もう少しましな扱いをされるかと思っていたけれど、期待しすぎたようね」
「だから私は反対だったのです!」
リタは近くの椅子をダリアの隣へと持ってきてそこへ腰掛け、興奮しきった様子で言う。
「ダリア様でしたら、一度の結婚がふいになったくらいで焦る必要はない、と。しかもダリア様には一切責任がなく、全ては向こうの失態ではないですか」
「世間はそうは思わないわ。私は結婚の直前で捨てられた女よ。それでも妻に、と言ってくださる方は、まあ、余程のもの好きでしょうね。もう若いとは言ってられない年齢だし」
「本当に腹立たしいです! せめて慰謝料をがっぽりふんだくればよかったのに。まあ、旦那様は欲のないお方で……」
「本当にねぇ」
ダリアはゆっくりと言う。
別にお金が欲しいわけではないが、一生食べるのに困らないお金を手に入れられたならば、結婚なんてする必要がなく、こんな不愉快な目に遭うこともなかった。
それに、これは向こうにとっては醜聞であるはずなのに、愛を貫いたと美談に仕立てられているのも腹立たしかった。それもあって、故郷の街には住みにくくなってしまった、というのも、わざわざ遠く離れた王都まで嫁いで来た理由のひとつだ。
「でも、もう仕方のないこと。お父様が私にバロウ家に嫁げと言ったのだから。それに逆らうことはできないのよ」
ダリアは気持ちを切り替えるようにまっすぐ前を見つめ、立ち上がった。
「さあ、早く荷ほどきをしてしまいましょう。幸いにもよい部屋を用意してもらえたわ」
「……そうでしょうか? こちら、次期当主夫人が与えられるようなお部屋とは思えませんわ。ダリア様は気に入られたようですが」
「私が住むのだから私が気に入ったのならいいでしょう? さあ、さっさと荷ほどきをして休みたいのよ」
「かしこまりました」
そして実家から持ってきた荷物をほどいていく。愛読書を本棚に並べ、馴染みのあるベッドカバーをかけ、お気に入りのドレスがクローゼットに並んだら、少しは落ち着いた気持ちになれるかと思っていたら、見知らぬ場所に来たという緊張感から解放されることはなかった。
(リタにはああ言ったけれど、もしかしたら、実家で肩身の狭い思いをしながら暮らした方がましだったのかもしれない)
ダリアはため息と共に不満な気持ちを吐き出して、早くいつもの自分を取り戻すために部屋を整えようと荷ほどきに励んだ。
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